EP08 影の脚
救助された少女が伏魔士であることを知った隼人は、支部長の陽子に知らせようとした。だが、当然のように彼女は携帯端末を持ち歩いておらず、念信で話しかけても遮断されてしまった。
困惑した隼人が支部長室に行くと、会議室に移動した、と書類を整理していた美鶴に教えられた。おそらく尾仁崎村の件について本部の重役と話しているのだろう。
「やっぱ、あいつのこと知らせておいた方がいいよな……」
腕組みをした隼人は、とりとめのない思考を続けていた。
「師匠! 師匠ってば!」
突然、少女の声がすぐ傍から聞こえた。どうやら自分を呼んでいるらしい。
「な、なんだ……?」
肩越しにやや視線を落とすと、不満そうな顔をした赤髪の少女――春町姫花が両手で拳を作っていた。
「もう、ちゃんと見ててくださいよ!」
「……見てるぞ?」
屋外の訓練場で姫花の鍛錬に付き合っている最中だったことを思い出した隼人は、平静を装いつつそう返した。廊下で姫花と出くわした隼人は、弟子である彼女に鍛錬をせがまれたのだ。
「今、ぼーっとしてましたよね」
「してない」
「嘘っ! 絶対ぼーっとしてた!」
あくまで白を切る隼人に姫花は食ってかかった。
「おや、どうしたんだい」
ちょうど訓練場に入ってきた秋山圭介と梅里志穂が、騒ぎを聞きつけて近寄ってきた。二人も師弟の関係であり、どうやら鍛錬の途中のようだった。
「師匠ってば、ひどいんですよ。影身脚の鍛錬に付き合ってくれるって言ったのに、ちゃんと見てくれないんです」
「それはひどいね」
姫花の訴えを聞いた圭介は、いかにもな口振りで隼人を非難した。
「その……少し考え事してたんだ」
「君、今は姫花ちゃんの鍛錬に付き合っているんだよね。だったら、それに集中するべきじゃないかな」
「うっ……」
圭介に淡々と注意された隼人は、呻くような声を漏らした。彼自身、姫花に悪いと思っていただけに、その注意はより深く心に響いた。
「悪かった」
「ちゃんと謝ってくれたので許します。私は心の広い弟子なので」
「だって」
「ぐっ……」
少女たちにいいようにされた隼人は、納得できないという顔で二人を見た。
「もう一回やりますから、ちゃんと見ててくださいね」
「……ああ、分かった」
やる気満々の姫花とは対照的に、隼人の声には覇気がなかった。
「よーし……!」
姫花は気合を入れると、前傾姿勢に構え、両脚に力を入れた。
「ふっ――!」
短く息を吐き出した彼女は、反復横跳びのように素早く平行移動を繰り返した。やがて視覚の処理能力を超えて少女の輪郭が次第にぼやけ、蜃気楼じみた残像が滲んで見えた。
「はぁ、はぁ……どうですか!」
数秒後、動きを止めた姫花は、息を切らせながら尋ねた。
「……まだまだだな」
「そんなぁ……」
師である隼人の険しい顔を見て、姫花は肩を落とした。
「そうかな……僕には問題ないように見えるけど」
「それが問題なんだ」
険しい顔から困り顔になった隼人を、圭介は訝しんだ。
「どういうことだい?」
「……」
今は言えない、と隼人は目で返答した。
「志穂、休憩にしよう。姫花ちゃんと水分補給をしてくるといい」
圭介の言葉の意図を察した志穂は、小さく頷くと、足早に歩き出した。
「分かった。行こ」
「は、はい!」
休憩所に向かった志穂に遅れないよう、姫花が慌てて彼女の背を追いかけた。
「で、どういうことかな?」
少女たちが訓練場から離れた頃合いを見計らって、圭介が尋ねた。
「……俺、教える順番を間違えたんだ」
後頭部を搔いた隼人は、ばつの悪い様子でそう言った。
「順番を間違えた?」
「あいつ、瞬影脚を使えると思ったんだ」
「瞬影脚……影脚術の一種だね。君が得意な影身脚は、瞬影脚の応用だったかな」
「ああ、そうだ」
瞬影脚とは、重心移動と瞬発力で爆発的な加速を得る高速移動術である。静止状態から最高速まで一気に加速するこの術は、使用者を読んで字の如く瞬きの間に影と化す。
回避術である影身脚は、圭介が言ったとおり瞬影脚の応用であり、瞬影脚を用いた急激な加減速によって視覚を惑わす残像を生み出すのだ。
また、葬魔士が最初に習得する剣技、斬魔一閃は、突進剣術という異名がある。剣の間合いまで鋭く踏み込み、その勢いを上乗せした斬撃を繰り出すためだ。
これには瞬影脚による加速が重要であり、その恩恵を受けられないなら、十分な威力を発揮できない。剣技の要となる足捌きは、対魔獣戦闘に特化した斬魔流でも例外ではないのだ。
瞬影脚を礎とする脚使いの技術。その総称を影脚術と呼ぶのである。
だが隼人は、瞬影脚の名を葬魔機関に入るまで知らなかった。実家の長峰家では、言葉を教えられなかったこともあるが、養子に迎えられた紅羽家ですらできて当然。わざわざ名前を呼ぶことなどない初歩的な技術だったのである。
「しくったよ。教導院で斬魔一閃を教えてないって聞いてたんだ。こういう可能性だって考えるべきだった」
「それはつまり……姫花ちゃんは、持ち前の柔軟性と足捌きだけで君の影身脚を模倣してみせたということかい?」
「模倣か……言い得て妙だな。瞬影脚を使わない時点で別物。影身脚とは似て非なる技術だ」
せいぜい影身脚もどきだな、と隼人は付け加えた。
「ふぅん……驚いたね。僕には違いが分からなかったよ」
「え……? 秋山さんには分からなかったのか? 全然違うだろ」
真剣な表情の隼人に詰め寄られた圭介は、苦笑しながら身を反らした。
「えーと多分、使い手にしか分からない微妙な違いなんじゃないかな」
「それ、お世辞じゃないよな」
「うん。お世辞じゃないよ」
「そうか……秋山さんほどの葬魔士でも、そう錯覚するレベルなんだな。はぁ……困ったな」
深い溜め息を吐き出した隼人を見て、圭介は眉をひそめた。
「何が不満なんだい。技を教えて一週間も経ってないのにあの完成度でしょ。あれなら十分、魔獣相手にも通用すると思うけど」
「駄目だ」
「え……?」
強い語気で否定した隼人に困惑した圭介は、彼の顔を凝視した。
「影身脚は攻防一体の回避術。敵の攻撃を躱して終わりじゃない。肝心なのは、次の攻撃に繋げる糸口を作ること。今のあいつは、残像を作るだけで精一杯だ。あれじゃまだ影身脚の真価は発揮できない」
「……なるほど。君が気にしているのは、影身脚で躱した後、瞬影脚で回り込んで反撃に転じる君の得意な連携ができないことか。それで順番を間違えた、なんて言ってたんだね」
「ああ……」
圭介の指摘を聞いた隼人は、力なく肯定した。
「反撃もそうだが、初速を得られないのはかなりの痛手だ。敵を欺く下準備が必要になる。当然だが、初撃を躱すのが一番難しいんだ。このままだと、影身脚を使う前にあいつは――」
「ふっ……」
「何がおかしいんだ?」
話の途中で、突然、笑みをこぼした圭介を見て、隼人は訝しんだ。
「おかしいんじゃない。嬉しいんだ。君は姫花ちゃんのことを考えてきちんと向き合おうとしている。それがたまらなく嬉しいんだよ」
「当たり前だろ。そんなの……」
気恥ずかしさを感じた隼人は、あらぬ方向を見ながらそう言った。
「その当たり前が当たり前じゃないことだってあるんだ。君もよく知ってるでしょ」
「……」
圭介の諭す声に、隼人は何も言えずに吐息を漏らした。
「それと隼人君、順番を間違えた、なんてことはないと思うよ」
「え……」
「姫花ちゃんがやった影身脚……それは君の理想とする影身脚ではないのかもしれない。でも、現役の葬魔士すら翻弄するあの技は、きっと彼女を助ける武器になる」
「君と姫花ちゃんは違う。君にとっての正解が彼女にとっての正解ではないのかもしれないよ」
隼人は黙って聞いていた。個々人に得手不得手があることは、彼自身重々承知しており、それが戦い方の違いにも表れることを理解していたつもりだった。
だが、姫花の鍛錬に付き合う中で、彼女と自分がいかに違うか実感した。歩幅も歩き方もこれまで歩んできた道のりも違う。お下がりの靴を譲ろうにも、隼人の履いていた靴は、姫花には履けそうにない。彼女には、彼女のための靴が必要なのだ。葬魔士としての生を歩むための靴が。
教導院であれば教育マニュアルがある。だが、彼にはない。剣士としての経験はあっても、教育者ではない。隼人は師としてどう方針をとるか悩んでいた。
「秋山さん、俺……」
「さて……僕から言えるのは、ここまでだ。正直、出過ぎた真似をしてしまったかな」
質問をしようとした隼人が言い淀んだ隙に、圭介のやや硬い声が続きを遮った。普段の優しい声色とは違うどこか突き放した響き。それで隼人は、この問題は自力で解決するべきなのだ、と理解した。
「……」
何か言いかけた隼人だったが、ふと訓練場の入口に見えた少女の姿に気付いて、言葉を飲み込んだ。
「ん……?」
隼人の反応で何者かがいることを察した圭介は、そちらに視線をやった。すると、二人のいる場所に向かって、姫花が駆け寄ってくるところだった。
「師匠――!」
「あれ? 姫花ちゃん一人だけだ。どうしたんだろう」
「はぁ、はぁっ……大変です」
慌てた様子の姫花は、息切れしつつも声を絞り出そうとした。
「どうした?」
「休憩所に怪我をした男の人が突然現れて……」
「怪我をした男が突然現れた? どういうことだ」
話が見えない隼人は、姫花に問い詰めた。
「私にも分かりません。手品みたいに、ぱっといきなりベンチに……」
「姫花ちゃん、落ち着いて」
焦る姫花を落ち着かせようと、圭介が優しく声をかけた。
「ひどい怪我だったので、梅ちゃん先輩が救護班に連絡しようとしたら、その人に師匠を呼ぶように言われて」
「俺を?」
呼ばれる理由が分からない隼人は当惑して眉根を寄せた。その反応を見て、姫花は困り顔になる。
「はい。その……斬魔の剣士を呼べ、と」
「君のことだね」
隣に立つ圭介から横目で投げられた鋭い視線が隼人に突き刺さった。
「まさか……」
隼人は彼を呼ぶ人物に思い至った。医務室で見た少女、彼女の関係者である、と。




