静寂の決着
全身に迸る紫電は激しさを増し、全身に及ぶ瞳の配列がフェンリルを捉えて放さない。
「ウォオオオオオオオオオオッ」
雄叫びを上げ、フェンリルが駆ける。
俺を中心とした周囲に無軌道な銀の残光が走る。幾度ものフェイントを織り交ぜ、こちらをかく乱する腹づもりなのだろう。だが、それも意味はない。先ほどとは違う。フェンリルの動きは毛並みの一本まで正確に見て取れる。
どれだけのフェイントを織り交ぜようと、見切るのはたやすいことだった。
「――」
真正面から銀色の刃がいくつも飛んでくる。
これもかく乱の一種だろう。身に迫る銀閃を紫紺刀で正確に斬り払い、同時に全身を雷化させる。爪先から頭の天辺まで、一度すべてが雷と化し、実体をなくす。その虚構となった胴体から銀色の大角が生え、フェンリルが跳び出してきた。
銀閃は陽動。本命は背後からの奇襲。
でも、雷化した俺は物理的な干渉を受けない。フェンリルはただ俺を通り抜け、決定的な隙を晒した。
「魔力消費が尋常じゃない。決めさせてもらう」
雷化したまま雷速でフェンリルの側面へとたどり着き、その瞬間に実体化。銀鎧の上から紫紺刀を叩き込み、地面で跳ねて浮いたところを蹴り上げる。
同時に再び雷化。
蹴り上げられて浮かび上がったフェンリルの軌道上に先回りし、実体化。更に攻撃を見舞い、鎧の一部を破壊する。だが、まだ地上には降ろさない。三度、雷化して落下地点に先回り、実体化して紫紺刀を掬い上げるように振るい、銀鎧の破片ごとまた上空へとかち上げる。
反撃させる余裕も暇も与えない。
繰り返すこと数度。最後の一太刀を見舞い、フェンリルは地面に激突する。舞い上がる砂埃の最中、残る力を振り絞って立ち上がったその身に、鎧と呼べるものは存在していなかった。
「終わりにしよう」
地面に降り立ち、紫紺刀を構える。
次の交わりが雌雄を決するものになると、フェンリルもわかっているのだろう。銀の魔力が額の大角にのみ集まり、より鋭く、より強固に研ぎ澄まされてた。
互いに繰り出すのは全身全霊の一撃。
これで決まらなければ、こちらの魔力も持たない。
「ウォオオオオオオオオオオオッ」
咆哮と共に、フェンリルが地面を蹴る。
その刹那、こちらも魔装の性能を最大まで引き上げた。
「――」
それはまるで、ゆっくりと時が止まるようだった。
オチューの能力による世界のスロー化。魔装によって高められた能力はついに世界を止めかける。何もかもが非常にゆっくりと進んでいる。風に舞う砂埃も、靡く草木も、頭上を飛ぶ小鳥でさえも、止まっているようだった。
そして、それは目と鼻の先で大角を突き出しているフェンリルも例外じゃない。
魔装がもつ能力の発動が一瞬でも遅れていたら貫かれていた。それはまさに全身全霊を懸けた一撃だ。
だから、こちらもそれに答えよう。
ありったけの魔力で紫紺刀を強化し、刀身が稲光で紫光を放つ。
そうしてすべてが止まったようなスローな世界で、自分だけが普段通りに動き、一刀を振るう。
一閃は稲妻のように駆け、一瞬にしてフェンリルの命を断ち斬った。
「ぐっ」
それを最後に魔力が底を尽きる。
魔装は強制的に解除され、世界は元の時間の流れに戻っていった。
「はぁ……はぁ……この、大飯喰らいめッ」
当たり前といえば当たり前だけれど、強力な能力には莫大な魔力が必要になる。
魔装を獲得してから数秒か、十数秒か、それくらいしか活動していないのに、潤沢にあった魔力がもう枯渇している。
しようがないとはいえ、もっと楽に勝ちたいものだ。
出来るわけがないと知ってはいるけれど、願わずにはいられなかった。
「何はともあれ、だ」
魔力の枯渇にひいひい言いながらも、仕留めたフェンリルの死体を見据える。
後は遺骨を吸収するだけ。
死体に手を置いて、スケルトンの能力を発動した。
「うっ――ぐぅ……」
毎回恒例となった鈍い痛みにも、すこしは慣れた。全身の骨が軋み、骨格ごと変化するこの感覚。これを乗り越えるたびに新しい力を得ることが出来る。人間に一歩、近づくことができる。
そう思えば、この程度の苦しみには耐えられた。
そうして変異が完了し、この身は新たな舞台に上がる。
「――フェンリル・スケルトンに変異しました」
これで目的は達成した。今回も達成できた。
身に纏う銀色の魔力はフェンリルを模したような形を造っている。手を握り締めてみると、骨格がより強固になっていることがわかった。
こうしていると初めて変異した時のことを思い出す。コボルトの時も、こんな風だったっけ。
そう、もはや懐かしい思い出にすこし浸っていると、近くで人の気配を察知した。
「誰だ」
そう言葉を投げかけると、それは十数人の女たちとなって返ってくる。
俺を鎖で捉えて連行した人たちだ。
「しつこい人たちだな、そっちも」
「黙れ。貴様に受けた屈辱も、罪人を逃した汚名も、ここで綺麗に洗い流す。まずは貴様の四肢を折り、罪人の居場所を吐かせてやる!」
その怒号を合図に、すべての女たちが襲い来る。
誰も彼も、潜行する高位探求者と同レベルの人たちだ。素早いし、連携も完璧に取れている。
けれど、今の俺から見れば、それでも抜け道はいくらでも見つけられた。
「悪いけど。こっちに戦う理由はもうないんだ」
襲い来る女たちの攻撃を軽々と躱して、すり抜けるように包囲を抜ける。
やはりフェンリルの能力を得たことで、格段に足が速くなった。これを魔力消費無しで随時発揮できるのは大きい。
「なっ」
大人数で囲んだにもかかわらず、呆気もなく逃がしてしまった。
そのことにすべての人たちが驚愕する。俺はそれにつけ込んで、早々にこの場を放れることにした。
「じゃあな、出来れば俺のことは忘れてくれ」
「ま、待てッ!」
静止の言葉に耳を貸すつもりはない。貸せる耳もないけれど。
とにかく、フェンリルの脚力を持って俺はこの大規模空間を駆け抜けた。
今の俺なら、この速さを持ってすれば、あの高位探求者に――手も足も出せなかったあの人に、すこしは歯が立つだろうか? そんなことを考えながら大規模空間を横断し、俺は再び仄暗い通路に足を踏み入れた。
さて、すこし休憩したら次だ。
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是非、手にとって読んで頂けると嬉しいです。