第9話 かまど&羽釜ペア
その1 かまやって分かりますか
改築前の生家は、昔話に出てくるような茅ぶき屋根だった。居間には囲炉裏、奥に炊事場があった。キッチンである。ここを「かまや」と呼んでいた。
改築後、家はずいぶん様変わりした。その中で、大して変わらない場所があった。かまやだった。そこには竈、別名「へっつい」が設けられ、お釜でご飯を炊いていた。おそらく、竈がある部屋だから、かまやと呼んでいたのだろう。
大家族だったため、竈はそれこそ大車輪の活躍をしていた。
ところが、ある時からぷつりと火が消えた。ガス釜が購入されたのである。プロパンガスだった。さらに電気釜、炊飯器が普及し、労せずしてご飯が炊ける時代を迎えることとなる。
その2 優れモノ
竈の内側は土や石で固められ、手前には薪をくべる焚き口、奥には煙を戸外に導くための排煙口が開いていた。
竈でご飯を炊く時に用いられたのが、羽釜である。
羽釜は底が丸く、中ほどにスカートのような羽根が出ていた。羽根があったことから、羽釜と言ったのだろう。羽根には持ち運び用の取っ手が付いていた。釜の上部はやや狭くなり、必ず木製の蓋があった。
まことによくできた構造だった。
家にあったのは鉄製の羽釜だった。底が丸いことにより、薪の熱をまんべんなく伝え、ムラなく炊き上げる。さらに熱を逃がさず、長く温かいご飯を食べることができた。特に底についたコゲの香ばしさ、歯ざわりは羽釜ならではだった。 ともあれ、掬うのも簡単、洗うのも簡単、底知れぬ生活の知恵が詰まった逸品である。
その3 初めチョロチョロ
竈でご飯を炊くにはコツがあった。
初めチョロチョロ 中パッパ 赤子泣いても 蓋とるな
これが鉄則だった。
炊き初めはチョロチョロと弱火、途中、パッパと強火にする。この時、吹きこぼれても絶対に蓋を取ってはいけない。吹きこぼれる様子を赤ちゃんの涙に例えたところに、説得力がある。
では、炊きあがるのをどう判断するか。羽釜の中の水気がなくなってくると、蓋から出てくる蒸気が透明になり、赤ちゃんの涙が止まる。つまり、泣き止む。ここで薪を引き出さないと黒こげにしてしまう。
こんな具合だから、ご飯を炊く時には竈の前を離れることができなかった。片手間にできる仕事ではなかったのだ。
その4 飯盒メシ
農家育ちゆえ、ご飯を炊くのは慣れていた。
学生時代、京都の保津川に行って仲間とキャンプしたことがあった。目覚めると近くに若い男女のグループ。すでに火を起こし、飯盒炊飯を始めていた。
こちらも食事の準備にかかった。炊きあがり、羽釜以上と定評のある飯盒メシに舌鼓を打っている時だった。
グループの代表らしき人物が近づいてきた。
「あのう、飯盒は何時間くらい炊けばいいのですか」
悪い予感がして、見に行った。
焦げてバリバリ音を立てている班もあれば、やっと湯気が出始めた班もあった。
半世紀あまり前の出来事である。家庭の電化が進み、水加減も火加減も知らない世代が主流になりつつあった。




