第8話 七輪&渋うちわコンビ
その1 簡単調理
七輪と渋うちわは一昔前まで、どこの家庭にもあった。
この二つは相性がいい。七輪の火を熾すのに普通のうちわでは頼りない。涼を取るのに渋うちわでは暑苦しい。出会うべくして出会ったコンビと言えよう。
このコンビも日常生活の場では、まず見かけなくなった。
取り扱いは簡単だった。七輪に木炭を入れて、(火)付け木から火が移ったのを確認し、後は下部の通気口をひたすら渋うちわで煽ぐ。火が勢いを増してくると、金網を乗せ、その上に食べ物を並べるだけだった。
記憶に残っているのは餅、トウモロコシ、切り干しイモなど。炭火には遠赤外線の特殊な効能があり、薪などで焼いたのとは一味も二味も違った。
山間部のため野菜が中心だった。魚と言えば、サバの缶詰くらいだった。たまに近くの谷川に行って魚を獲り、焼いて食べたこともある。七輪で焼いたウナギは最高だった。サンマが簡単に手に入っていれば、どこかの殿様みたいに、それこそ病みつきになるところだった。
その2 昭和の生活必需品
七輪は自由に持ち運べることから、台所、居間、庭など、使用するのに場所を選ばなかった。通常の煮炊きなどの調理器具としてはもちろん、暖房器具としても重宝されていた。まさに生活必需品であり、雑貨屋などで普通に販売されていた。
それにしても、不思議な名前だ。なぜ、数字の七を使ったのか。
安い、あるいは軽い木炭(七厘)が燃料に使われたからという、もっともらしい説がある。また、中の皿に七つの穴があったことによるとも。
どれも説得力に欠ける気がする。古くから愛用されてきたものであり、いつの時代に「七輪」となったか関心のあるところだ。
また、上方では「かんてき」と呼ばれてきた。これも語源は不明らしい。徳島では七輪と呼んでいた。
その3 丈夫で長持ち
七輪の外側が極端に熱くならず、居間などでも使用できたのは、特殊な珪藻土を原材料としていることによる。吸水・吸湿性と断熱性に優れ、建築材料をはじめ広範囲に利用されている。
一方の渋うちわは竹と和紙、そして柿の渋を用いている。柿渋を塗ることにより、丈夫さを倍加したわけだ。ふつうのうちわより大きく、握る部分も太い竹が使われていた。
渋うちわには通常、墨で絵が描かれていた。定番は達磨和尚だった。その迫力は、幼児が正視できないほど怖いものだった。
その4 啄木よお前もか
地域によっては、渋うちわは貧乏神の小道具だったとされる。
貧乏神は渋うちわを持って現れ、煽いでますますその家を貧しくさせる、ということだ。
はたらけど
はたらけど猶 わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る (『一握の砂』より)
石川啄木(一八八六~一九一二)もまた貧乏神に居座られた一人だったのかもしれない。
時は令和、貧乏神が現れたくても、ほとんどの七輪やかまどが引退し、渋うちわの出番も少なくなった。にもかかわらず、貧富の差が拡大する一方だ。どうやら、貧乏神は新手の強力なアイテムを見つけ出した可能性がある。用心しなければ。




