⑩ 蚊帳
その1 お腹いっぱい
「カヤの外」という場合、漢字で蚊帳と書く。仲間外れにすることだ。
この蚊帳を「かや」と読める人はどれくらいいるだろうか。仮に読めたとしても、どんなものか頭に浮かぶ人は少ないのではないか。
蚊帳は日本の夏を代表する生活用品だった。蚊や小さな夏の虫から身を護り、快適に寝るために不可欠だった。
昔は夏になると、蚊が大量に発生した。何しろ生活排水はほぼほぼ垂れ流しの状態だった。家の周囲には水たまりができ、ボウフラが湧いた。それが成虫になり、空中を飛び交う。
蚊は小さな羽音を立てて人間に近づき、止まって血を吸う。痛痒いのを我慢して観察していると、腹部が膨張してきて、赤くなる。血の色である。腹がパンパンになって飛び立てず、地に落ちている迂闊者もいた。
その2 蒸し暑い夏にはコレ
蚊は安眠妨害にとどまらず、日本脳炎やマラリアなど、いろいろな病気を媒介する。有害虫もいいとこだった。アカイエカ、ハマダラカの名前は今でも覚えている。
しかし、日本の夏は蒸し暑いので、蚊の侵入を防ぐために部屋を閉め切るわけにはいかない。蚊帳は日本の風土から生まれるべくして生まれたアイデア商品といえよう。
四角くて大きなテントみたいだった。テントとの違いは薄くて目の粗い布が用いられ、よく風を通したことだ。
さらにテントは地面に固定するのに対し、蚊帳は上の部分に吊り輪が付いていて四方からぶら下げて使った。
その3 害虫が消えた日
蚊帳の中に入るにはコツがあった。
裾を少しだけ持ち上げてさっと入る。要領が悪いと、蚊も一緒に入ってしまう。刺され放題になるので、退治しないわけにいかなかった。眠くて仕方ない時など、まことに癪に障る侵入者だった。
生家のまわりは田んぼ、畑だった。蚊もいれば、トンボやバッタ、イナゴ、田んぼにはヘビやカエル、ドジョウ、タニシなどの姿もあった。田植えが終わると、よく家にホタルが迷い込んできた。蚊帳にとまり、幻想的な光を放っていた。
ところが、田舎でもいつの頃からか蚊が少なくなった。生活排水の処理が進んできたことに加え、電気式の蚊取り器もデビューし、多くの蚊帳はお蔵入りとなった。
実はこの時期は、強力な農薬が使用された時期でもあった。
その4 黙りこくる自然
のどかな農村風景を一瞬にして変えたのが農薬だった。
今にして思えば、アメリカの生物学者・レイチェル・カーソン(Rachel Carson 一九〇七~一九六四)が一九六二年に著した『沈黙の春』(Silent Spring)の冒頭そのままだった。多くの生物があるいは死に絶え、あるいは居場所を追われたのである。
「これは強力だ!」
長兄が驚嘆していた。
聞くからに、毒々しい名称の農薬だった。輸入品だった。
長く害虫に悩まされ、草取りなど苛酷な労働を強いられてきた農家にとっては、救世主だったわけだ。
蚊帳にホタル――日本にはこんな時代もあった。せめて、今なお現役プレーヤー・蚊取り線香の香りによって、昔を偲ぶこととしようか。




