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唯一無二〜他には何もいらない〜  作者: 中村日南
3章 歓びの里 [鳥の妻恋]編
129/132

3-22 はい、あーん

予定より一週間遅れました。大変申し訳ありませんm(__)m

 自分用に用意された藺草(いぐさ)の円座。

 そこに下ろされた時、フェイバリットは心底ホッとした。もし下ろされた先がソジの膝の上だったら…今頃泣いていたかもしれない。


 手の中でチャンジが淹れてくれた茶が湯気をたてている。朝の挨拶を口にした後、フェイバリットは茶器を手に、黙々と息を吹きかけている。


 せっかく淹れたてのお茶なのだから、熱いうちにいただかなければ。


 ――というのは建前で。本当のところは、そうやって幼馴染み(ランド)の物言いたげな視線から逃げている。

 

 もしも目が合って、『お姫様抱っこ』にひと言でも触れられたら――恥ずかしさのあまり悶え死んでしまいそうだから。


 ほどなくコムジたちも料理を手に居室に現れた。ふわんと鼻孔をくすぐる料理のいい匂いと、皿や食器の触れ合う音がひとしきり場を占める。


 広い居室は、静か過ぎるくらいだったので、その音はいいにぎやかしとなって、心地よく耳に響いた。


 コムジたちは手際よく料理を盛りつけ、せっせと配膳してまわる。キビキビとした動きが、見ていて気持ちいい。


 こんな時ソジが隣りにいれば、どれほど心強かっただろう。残念ながら頼れる友は、コムジたちに駆り出されて今は手伝いの真っ最中だ。


「ふふっ…ついに眠り姫がお目覚めになったようですね?」


 いつまでも続くかと思われた沈黙は、右隣りからあがった声によって破られた。しっとりと耳に馴染む声はエンジュのものだ。


 一族の長を無視する不敬は出来ない。もとよりそんな度胸なぞ、あるはずもない。


 そろりと目を上げると、視線の先に淡緑の瞳があった。いつからそうしていたのか、胡坐をかいた膝に肘をつき、エンジュが静かにこちらを眺めている。


「お加減はいかがですか? ああ――前に見た時より頬に赤みを帯びて、ずいぶん顔色が良くなりましたね」


 目が合うと、小首をかしげて少し薄い唇に天上の笑みを浮かべる。絹のような髪がさらりと音を立てて流れ落ちた。


 そうだった。最初に会って以来見ていなかったが、この美しさはある意味暴力だった。


 時が経つにつれ思い出は美化される。

 それが世の習わしだと思っていたが、目の前の現実は、記憶の中にある面差しをはるかに凌駕している。


 改めてこの里長は、人智を超えた存在なのだと思い知らされる。どうしてこの美しさを前に、ランドは平気な顔をしていられるのか不思議で仕方ない。


 ともかく何か言わなければ。その一心で、フェイバリットは必死で口を開く。


 すっかり縮んだ喉を開くのは至難の業だった。なんとか声を振り絞ると、かろうじて「ひゃい」という情けない声が出た。


「お顔が真っ赤だ。ふふっ、相変わらず初心(うぶ)なのですね。潤んだ紅い瞳がとてもお美しい…もっとよく――見せて?」


 穴のあくほど見つめられ、体は逃げたいと悲鳴を上げる。なのに宝玉のような瞳に絡め取られて、身動きどころか瞬きひとつ出来なかった。 


「――エンジュ様。どうかその辺りでご容赦を。俺の幼馴染みはとても恥ずかしがり屋なので」

「…なんですか。人聞きの悪い。私は彼女に指一本、触れておりませんよ?」


 拗ねた眼差しでエンジュがそちらを見る。視線が外れて、フェイバリットはホッと息を吐いた。気を落ち着かせようと茶を含んだその時。


「油断なりません。目覚めたばかりの相手にあなたが口づけたこと――まだ俺の記憶に新しいですからね?」


 ――危うく口に含んだ茶を吹きそうになった。

 忘れていた記憶がよみがえり、ボンと頭のてっぺんから火を噴く。


 吹かずに済んだのは奇跡と言っていい。口の中に含んだものを嚥下すると、茶が勢いよく喉を滑り落ちていく。


 皮肉にも、すっかり冷めるまで息を吹きかけたおかげで喉を火傷せずに済んだ。不幸中の幸いと言える。


 口の中に残るほのかな甘みとバターの風味。熱々をじっくり味わえば、きっととても美味しい茶なのだろう。


 残念ながら、落ち着きを失くしたフェイバリットにはもう茶の味などとうにわからなくなっていた。


「すっかり冷めちまったな。淹れ直すか?」


 いつの間にかすぐそばにチャンジがいた。

 後ろ暗いところなど一つもない――はずなのに、なぜかフェイバリットは相手の顔をまともに見ることが出来ない。


 なんと言ってもこの男は、美貌の里長に懸想しているとつい先ほど聞いたばかりなのだから。


 ふるふると小さく首を振ると茶をすする。前に出されたお茶は苦味が強すぎて、なかなか喉に入っていかなかったが、これはとても飲みやすい。


「美味いか? それは『チャガルモ』と言って王都で飲まれる甘い茶だ。お前()…やっぱりこっちのが飲みやすいんだな…」


 お前も?

 少し遅れて、それがランドのことだと気がついた。


「苦味があの茶の美味さなんだが、それがわかるようになるにはお前ら(ガキ)にはまだ早いのかもな。なんにしろいつもの茶だとあいつが飲みにくそうだと主が気にするもんで、最近はずっとこればかりなんだ。全く主ときたら――あいつに甘すぎる」


 表情に変化はない。だがわずかながらも、声に混じった苦々しい響きに、この時フェイバリットは気づいてしまった。


 こんな時、何か声をかけた方がいいのだろうか。そう思いながらも、気の利いた言葉のひとつも思いつかないのが自分だ。


 きつく唇を噛み締めると、俯いた頭の上から不意ににゅっと腕が伸びてきた。あっという間に、大きな手が飲みかけの茶碗を取り上げる。


 いいと言ったのに、どうやら茶を淹れ替えるつもりらしい。自分の手から引き抜かれる茶碗を追って目線を上げると、エンジュと同じ淡緑色をした切れ長な目がそこにあった。


「バーカ。なんて顔してんだよ。こんぐれーのことで俺がヘコむかよ。……伊達に長えこと想い続けてるわけじゃねえっつの」


 こんなの屁でもねえ。

 最後は独り言のようにそう呟くと、チャンジは手際よく茶を淹れ直す。


 横目にちらりとランドを見ると、まだエンジュと何かを言い合っている。その様子は険悪というよりむしろ、痴話喧嘩のような気安い印象を見る者に与えた。


 仏頂面のランドに、頬を膨らませて何かを言い募るエンジュ。久しぶりにじっくり見る幼馴染みの顔には、以前のような穏やかさがあった。


 フェイバリットを抱えて旅をする緊張からだろう。こちらに来てからというもの、ランドは張り詰めてよく厳しい顔を見せるようになった。


 今のランドからは端々から感情がにじみ出て、年相応に少年らしい表情すら窺える。


 もやり。

 唐突に湧き上がった重苦しい違和感に、驚いたようにフェイバリットは己の胸に目をやる。


(んん?)


「おう。ちょうど飯がきたぞ――ん? どうかしたのか?」


 チャンジが怪訝そうに眉をひそめる。それもそうだろう。胸に手をあてがったまま、フェイバリットが呆けた顔をしているのだから。


「…大丈夫か?」


 そう言われて改めて自身の体を見回すと、先ほどの違和感は微塵も残っていない。まるで最初から何もなかったかのように。


 黙ってこちらを窺うチャンジ。その手にある蓋付きの皿からほんわりと漂ってくるいい匂いに急にお腹が減るのがわかった。


 蓋を取ったら、黄色く色づくいつもの豆粥が現れるのだろうか。考えるだけで口の中いっぱいに生唾が湧いてくる。


 フェイバリットは無言でぶんぶんと大きく頷き返す。今、口を開くのは色々と障りがある。それを知ってか、いつもの厳しい眼差しがわずかにやわらいだ。


「ふ。その様子なら大丈夫そうだな。さあて――今朝の飯は…」

 

 もったいぶった手つきで蓋を取られ、現れたのは見慣れた――豆粥ではなかった。


 黄色は黄色でも平皿に盛られるのはなにかの炒め物、そこに平たく焼かれた麺麭(パン)のようなものが添えられている。ひと目見るなり、チャンジから嬉々とした声が上がった。


「お。『ブルジ』か。いいじゃねえか」


 チラリとこちらを見たチャンジの目がニヤリと笑う。


「んなガッカリした顔すんじゃねえよ。キチュリ(豆粥)もいいが、そろそろ床上げすることだし、しっかり身になるもん食ってかねえとな。その点『ブルジ』は卵料理だから滋養に富む上、さらに消化もいいときてる。いいこと尽くしだ」


 再び耳にする『ブルジ』の言葉。

 問うように見ると、チャンジが待っていたとばかりに続ける。


「ブルジは卵と刻んだ野菜を一緒に混ぜて焼いた、言ってみれば炒り卵だ。元々ブルジには『混ぜる』という意味がある。で一緒に添えられてるのはロティ・プラタ。プラタは『平たい』――つまり平たい麵麭(パン)。そのまんまだろ」


 炒り卵(ブルジ)薄焼き麺麭(ロティ・プラタ)

 目の前の料理から、キチュリの時にも嗅いだことのある香辛料とバターのいい匂いがふんわりと立ち上る。


「さ、御託はこんくらいでいいだろ。とりあえず、あったかいうちに食ってみろ」


 食えと言われて皿、次いでその周囲に目を落とす。見たところ、匙はおろか突き匙(フォーク)もない。


 もしやこれは手づかみで食べるものなのだろうか?

 

 皿を取り上げてどうしたものかと眺めていると、ようやくチャンジにもフェイバリットの困惑が伝わったらしい。思い出したように「ああ」という短い声がチャンジの口から洩れた。


「わりぃ。食べ方言ってなかったな。そいつはロティをひと口大に千切って、ブルジを巻いて食べるんだ」

「え・ええと、ろていをきる? (なにで?)ぶるじを?(あれ、ぶるじってコレだったよね?)まいてたべる…(???)」

「あ――落ち着け。落っことす前にまずは皿を下に置け」

 

 なんとか言われた通りに皿を置くと、どっと全身から汗が吹き出した。ただの朝餉なのに、一体これはどうしたことだ。


「……不器用か」


 呆れたような声に、かああっと羞恥で顔が熱くなる。下げた頭はいよいよ上がらず、フェイバリットは小さな体をさらに縮こませた。


「しょうがねえな――ほら、こうやるんだ見てろ」


 声と同時に皿にゴツゴツとした大きな手が伸びる。

 フェイバリットの目の前で、薄く焼かれた麺麭が切り裂かれ、器用にも炒り卵を(すく)ってクルリと中身を巻きながら包み込む。


 いかにも武人らしい分厚くがっしりとした手にも関わらず、実に流れるように滑らかな所作だ。太い指が繊細に動き、みるみるうちにひと口サイズの麺麭包みを作り上げてしまった。


 その洗練された動きに、しばし見惚れて声も出ないほどだ。


「わかったか?」


 はっと我に返ると、フェイバリットは顔を上げる。手に小さな麺麭を持ったチャンジが、首をかしげてこちらを見ている。


 フェイバリットは勢いよくコクコクと頷いた。出来るかどうかは別にして、ひとまずやり方はわかった。


「ならいい。やってみろ。ああ――その前にほら」


 ほらと言いながら、チャンジが指につまんだ薄焼き麺麭をこちらに差し出す。


「ほれ。口開けろ」


 クチアケロ?


 急に動かなくなったフェイバリットに焦れたように、さらにその手が口もとへと突き出される。


 今、口を開けば、そのまま口の中に放り込まれるに違いない。


 そこまで想像して、今自分が何を言われたのか、止まっていた思考がようやく現状に追いついた。我ながら、相変わらずなんたる血の巡りの悪さだと思う。


 これは、もしかしなくても「あーん」というやつだ!! 

読んでいただき、ありがとうございます。

次回更新も頑張りますので、おつき合いいただけますと幸いです。

どうぞよろしくお願いします。

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