新たなあだ名
軽く言われた言葉にどきどきしてはいけない。
「紺野さん」
「あ、電車、乗るんでしょ」
うん、と頷く。
「オレも同じの」
だから、一緒に乗るしかない。
「まあ、よく見れば、なんだけどね」
やはり、この人は確信犯だ。乗り込んだ電車は人がいっぱいで座れず、ドア付近に紺野さんと一緒に立ったままとなってしまった。
「紺野はん」
「ん?」
あ、やってしまった、噛んでしまった。目が合ってしまった。紫桃くんよりも近い。
「あの、あの!」
赤面して言い訳しようとしたのに、させてもらえなかった。彼の目が何も言わせてくれなかった。別に悪い事でもないのに。
「良いんじゃない? 今まで『紺野はん』なんて呼ばれたことないから、これから『紺野はん』で良いよ」
何を思ったのか、彼はそう言って笑った。気に入ったようには思えないけれど。
「その方が気楽でしょ、お互い」
電車のドアが閉まり、動き出す。
「ほら、言ってみて」
「こ、こここおーのさん!」
「それじゃあ、違う名前になってるよ」
「そうですよね、こ、紺野はん……」
「うん、良いね! それで行こう! しとーの前でもそう言うんだよ。分かった?」
「はい」
ぷぷ……とまた、紺野さんは笑った。
「じょ、冗談ですよね? 紺野はんって」
「ん? 何で、冗談じゃないよ、気に入ったからそう言ってほしいと思って、言ったんだよ。嫌だったら誰にもそう言わせないでしょ?」
当たり前な回答だった。こうやって人を不機嫌にしてしまう。
「あの、はい、分かりました。紺野はん……」
ぷぷ、と笑ってから何故か紺野さんが私の頭を撫でた。
「え?」
「あ、いや、ごめん。つい……」
「だ、誰かにしてるんですか!」
「いや、してない、してない。ただ、ちょっと、そんな気持ちになっただけ」
どういうことだろう、これは。紺野さんの方が背が高いのは当たり前で、だからちょうど良い位置に頭があったから、そうしたという……。でも、なんか小さい時にお兄ちゃんにしてもらった感じに似てる気も……。
「あ、次の駅で降りるんだよね、オレ。その前に白見さんの番号教えてよ」
「あ、携帯のですか?」
「うん、そうだねっていうか、敬語じゃなくても良いんじゃない?」
「あ、ごめんなさい! 紺野はん」
なんかもう、『紺野はん』が染み付いた。
「ぷぷ、良いよ。白見さんって、おもしろいんだね」
初めての事ばかり起こる。笑われているのに全然不快な気持ちにならない。不思議で素直に受け入れられる。何故だろう。
「白見さんはオレの降りる駅の次の駅でしょ?」
「そうだけど、何で知ってるの?」
さあ、何ででしょう? という顔を紺野はんはした。
「あ、紫桃くんか……」
「そ、しとーが前に言ってたよ。だから、いつかこういう事もあるんじゃないかって思ってたんだ」
そう言って、交換し終わったスマホを紺野はんは眺めた。
「旅行に行くからには少しでも距離を縮めといた方が良いと思ったんだ。クラスのいじめにオレは何も関わらない。ただ、言えることは君に会う時はその『いじめ』抜きに見るってこと」
紺野はんの言葉にぐっと来た。だから、彼はこんなにも純粋で楽しそうなんだ。こちらまでそうする力がある。
見た目は全然オタク風でないのに、紫桃くんと同じようにクラスの人気者なのに。
私と違うのはそういう生き方をしているからだ。
彼はまた、明日ね! と言って電車を降りて行った。




