エピローグ 〜再び動き出す悪夢〜
第三章開幕でございます。
薄暗い部屋の中、一人の男は黙々と羽ペンを走らせていた。
「ふぅっ」
男は一息ついて、最高級の魔物の毛皮を張った豪華な椅子にもたれかかる。
綺麗な青い髪に全てを見通すような青い瞳。誰しもが畏怖する魔力の持ち主だ。
バハル・ヴァルベェノ。
魔界を統べる最強の魔王だ。
「平和になると、こんなにも静かなのだな。アムルよ」
彼は天を見上げ、ボソッと呟く。
長年に渡り命の取り合いをしてきた、バハルが認めた唯一のライバル。それであり、互いに同じ重圧を背負った同士。
アムル・シルフィルク。
人間界を統べる最強の剣聖だ。
彼が命を犠牲にして、全魔力で行使した大魔法≪記憶改竄≫。この世界に暮らす人間、魔族の記憶を書き換えることで、終わりの見えなかった、あの戦争を終戦させたのだ。
アムルはそれだけ、自分の命を捨ててまで、この世界の平和にしたいと願ったのだ。それを実行できる行動力と、それを可能にした魔力。
世界の創造主エリアスネアが持っていたと言われている、≪創始の聖眼≫。魔族を滅ぼすため、選ばれた人間しか扱えない神創剣カリュエヴァマ。
人間にしては、あまりにも桁違いな力も持っていたのだと、改めて感じた。
バハルは目の前に積まれている書類に目をやった。平和になったからといって、魔王の仕事がなくなったわけではない。
魔界の経済、交易関係。そして何より人間との交友関係を築いていかなくてはいけない。
アムルは、バハル以外に≪記憶改竄≫を行使して、人間と魔族は互いに認め合い、尊重とするという存在となった。
だが、それはあくまで記憶上に過ぎない。実際のところ、前まで殺し合いをしていた人間と、どのように接していけば良いのか、バハル自身戸惑っている。
無論、頼まれたからには、やれるだけのことはやろうとバハルも思っているが、それで何かトラブルが、また以前のような戦争が起きるのなら、と不安に駆られているのだ。
「これは、あの時とはまた違った忙しさではあるな」
だが、弱音は吐いてはいられなかった。彼が作ってくれた平和という種を。自分が育てていかなくてはいけないのだから。
彼は再び、羽ペンを走らせた。
「パパさまっ!きょうもおしごとおつかれさまっ!」
魔城ゼルレタ一階。
バハルが扉を開けると、一人の小さな女の子が駆け寄ってきて笑顔で言った。美しい桃色の髪だ。
「ただいまユウリ。あと、あまり走るな。身体にさわる」
「パパさまっ!だっこして!」
ユウリは小さくジャンプしながら、手を大きく広げる。
「いいぞ」
軽々と持ち上げると、ユウリはキャッキャっと喜んでいた。
「おかえりなさい。あなた」
奥の扉から桃髪の女性が姿を見せた。
「ただいま、シーナ。髪がだいぶ伸びたな」
「髪、短い方があなたの好みですか?」
「いや、長かろうと短かろうとシーナ。お前は美しい」
「ありがとうございます」
バハルに抱き抱えられながら、二人のやり取りを見ていたユウリは、ぷぅっと頬を膨らませて、
「パパはあたしのものだもん!」
ユウリはぎゅーっと強く抱きつく。
「あら、嫉妬させちゃったかしら?」
そう言って、ふふっと笑みを浮かべた。
「あ、そうだ。あの子、今日もリーズガレットさんと剣をお稽古をするから、帰り遅くなるって言ってましたよ」
思い出したように、シーナは言った。
「そうか」
リーズガレット・バニッカ。
魔界を守護するための精鋭部隊、≪魔界十傑雄≫の第一位。剣だけの勝負なら、バハルやアムルとも引けを取らないほどの腕を持っている。
「毎日熱心で、稽古し甲斐があるってリーズガレットさんも褒めていましたよ。憧れの人がいるから、その人に少しでも近づくんだって」
「頑張っているんだな。俺も久々に、稽古つけてやるとしよう」
バハルはユウリを抱きかかえたまま、ソファーに座る。座り心地が良いのだろうか、ユウリもバハルの膝の上から離れようとはしなかった。頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を瞑っている。
シーナは、カップに茶葉を入れお湯を注ぐ。
それをバハルの前に置いた。
「あの子。昔は魔法の適性がほとんどないって言われて、ショックを受けていたのに、今は剣だけで生きるんだって。憧れの人みたいになるんだって。よっぽどその人の剣術に、心を奪われたんでしょうね」
バハルにはユウリの他にも、今年で十◯四になる男の子がいた。魔王の息子というだけあって、並外れた魔力を持っていたが、どうもそれを操られるだけの魔法適性までは持ち合わせていなかったようだ。
しかし、その分身体能力に優れ、剣術ならばそこら辺の傭兵ならば、一◯秒で倒せるぐらいの実力を持っている。
対して、ユウリは魔法適性が群を抜いている。おまけにその年で、≪終焉の魔眼≫すらも完璧に操ることができるのだが、身体がそこまで強くなく、魔力量も多くない。
「わたし、パパさまみたいに、つよいまおうになれる?」
ユウリはバハルの方を見た。
「ああ、なんせ俺の子供だからな。俺の力添えなどなくたって、ユウリなら立派な魔王になれるさ」
本来、女性が魔王になるという前例などないのだが、ユウリはバハルに匹敵するだけの力を持っているのだ。
「じゃあ、さいきょうのまおうになって、みんなをまもって、わるいやつらをけちょんけちょんにする!」
「ユウリ。そんな言葉どこで教わった?教えたつもりはないんだが」
「パパさまにはおしえなーい」
そう言ってプイッと顔を逸らした。
「でも、あの子も魔王になるって言ったら、どうするおつもりなんですか?」
「そうなったら、またそのとき考えればいいだろう。未来のことなど、分かりはしないからな」
バハルはユウリをソファーへとずらす。
「二人はいつもの場所でやっているんだろう」
「ええ」
「少し行ってくる」
魔城ゼルレタ地下一階
地下闘技場ーー
「はあぁっっ!」
誰もいない、広い闘技場からコンっ!と木剣の音が響き渡る。青髪の少年は、一心不乱に剣を振るった。対するは、長身で短く切り揃えられた黒髪。凛とした黒い瞳は、彼に美しさと獰猛さを感じさせる。
「だいぶ動きは良くなりましたね。ですがーー」
彼は穏やかな表情を一切変えることなく、少年の剣を受け続ける。
「たあぁっ!」
少年が振るった木剣は、スッと受け流される。勢い余って転倒し、立ち上がろうとするが目の前には木剣の剣先が目の前に向けられていた。
「動きが正直すぎます。それでは、少し賢い相手と相対したら、まんまとやられてしまいますよ」
彼は木剣をしまい、少年に手を差し出す。
少年はその手を握り、起き上がった。
「精が出るな」
バハルが闘技場の観客席から声を飛ばすと、スッと舞台へと着地した。
「父さんっ!」
父さん、と呼んだ少年は、走ってバハルの元に向かう。
「父さん!今日はもうちょっとで、リーズさんに勝てそうだったんだっ!」
「そうか。さすがは俺の息子だ」
バハルは少年の頭を撫でてやる。
「リーズもすまないな。毎日付き合ってもらって。本来なら俺が、稽古をつけてやるべきなんだが」
すると黒髪の少年、リーズガレット・バニッカは膝を突く。
「いえ。滅相もございません。バハル様は、ご公務でお忙しいご身分でございます。それ故に、バハル様が気にやむことは一切ございません。私のような存在が、少しでもバハル様のお役に立てるのならば、これ以上の幸福はございません」
そう言って、リーズガレットは深々と頭を下げた。
「そういうのは今は良い。今は公務中ではないんだ。少しはリラックスして接してくれれば良い」
「いえ、そういうわけにもございせん。私は、仕えたときから全てはバハル様に捧げております。公務中でも、そうでなかろうとそのような態度を取ることは一切許されないのです」
リーズガレットは仕事人だ。今まで、ミスをしたことは一切なく、己にも他人にも妥協しない。そして、一度決めたからには、それを貫き通す信念の強い男でもあるのだ。
「とりあえず、立ってくれ」
「はっ」
バハルにそう命じられると、リーズガレットは立ち上がった。
「お前がこうやって面倒を見てくれているから、俺は公務に集中できているのだ。感謝するぜ。リーズ」
「ありがたきお言葉……」
リーズガレットは、バハルの言葉を噛み締めるように再び頭を垂れた。
「あの、失礼ながら一つよろしいでしょうか?」
「ああ、言ってみろ」
そういうと、リーズガレットは頭を上げた。
「バハル様、数十年前に比べて、柔らかくなられたような気がするのですが、気のせいでしょうか?」
「リーズもそう思うか?」
「申し訳ございません。バハル様にこんな失礼なことを聞いてしまったことを、深く、心より深く反省しております」
「問題ない。ここ最近、セナにも同じことを言われるのだ。雰囲気が変わったと」
「奥様にも……ですか?」
「父さん、最近すごい優しくなった。あと、すごい寝るようになった」
きっと心に余裕というものができたのだろう。バハルも最初の十年くらいは、何処か不安な気持ちがあったが、ここ最近はそんなことを考えることはなくなっていた。
そもしかしたら、それもこの平和の影響なのかもしれないとバハルは思った。
「先に戻っていてくれ。久々にここに足を運んだからな。少ししたら、戻る」
「うんっ!」
「はっ」
そうして、二人は一足先に闘技場を後にした。
バハルは闘技場をテクテクと歩く。
小さい頃は、ここでよく鍛錬をやったものだと感傷に浸っていた。
魔王になってからもうかなり経つ。さまざまな人間と戦っては殺してきた。血の匂いしかしないこの世界が、一生続くと思っていたのに、アムルという≪剣聖≫が突如姿を現し、戦争に幕を降ろした。
「お前のおかげだ。もしお前と逢えたなら、酒でも酌み交わそう」
彼は天にいる彼に向けて、呟いた。
「安心しろ。そんな日など一生訪れはしない」
闘技場に響いた声に、バハルは戦闘態勢をとる。彼から放たれる魔力は膨大で、どんなものだろうと屈服させる。それだけ強大な魔力だ。
バハルは見渡すが、誰もいない。≪魔力感知≫を行使するが、反応すらしない。
「しばらくの間、寝ててもらいます
背後から声が聞こえ、振り返った時にはもう遅かった。何者かが放った魔法が、バハルの心臓を貫いていた。
「ガハッ……ぐふぅ……」
肺に血が溜まって、バハルは堪らず吐き出した。完全に虚を突かれ、回復魔法を展開するが到底間に合わない。出血が多すぎるのだ。
バハルは倒れた。朦朧とする意識の中、彼の眼に映ったのは、白フード。
「あなたは最初から知っていたようですね。こんな世界が平和だと……笑わせる。人間がいない、魔族だけの世界。それが望む私の世界」
魔力か、白フードの変声期で声が変えられている。
「さて、計画にあと必要なのは御子女ですね。あとのピースはゆっくり探すとしましょう」
「が……ま……ちやが……れ……ゴホッゴホッ」
「まだ意識がおありですか。安心してください。御子女と奥様は殺しません。リーズガレットも使い道があると思うので生かすとしましょう。しかし、御子息は必要がないので殺します。魔法が使えない無能など、私の計画に必要ありません」
白フードはそう言うと、テクテクと歩き出した。
「誰だ……が知らないが……」
バハルは魔法陣を描く。成功確率は一〇パーセントを下回る。だが、彼は僅かな可能性に賭けた。
「俺の息子を……シヴァ……を馬鹿にするなっ……」
バハルの瞳には、≪終焉の魔眼≫が浮かんでいた。持って数秒だが、シヴァにかけられていた≪記憶改竄≫を破壊する。
バハルは力を振り絞り、≪転生≫をシヴァに飛ばした。だが、それだけでは足りない。何かシヴァの力となれる何かを……。薄れゆく意識の中、バハルは息を吸い込み頭を回した。
「あれ……なら……」
バハルは格納魔法から一本の剣を取り出した。
淀みのない、美しく黒い剣だ。
名は、ノヴェンレビィア。
「頼む……シヴァを守ってやってくれ……」
そんなバハルの願いと共に、ノヴェンレビィアは姿を消した。
「ごめんな……セナ。ユウリ……守れなくて……アムル……お前から受け取ったバトン……落としちまった……すま……ん」
バハルはゆっくりと目を閉じた。
バハルはどうなってしまったのでしょうか?
シーナとユウリの身も心配です。




