第55話 夏の森 Scene1 暑くなってきた
夏が来た。
春の頃とは、森の景色も少し変わっている。
木々の葉は濃く茂り、森の中まで強い日差しが差し込んでくる。
朝だというのに、空気は暑かった。
蝉に似た虫たちが、あちこちで鳴いている。
「……」
悠は家の中で、ぼんやりと椅子に座っていた。
額に、うっすらと汗が浮かんでいる。
窓を開けている。
それでも暑い。
「……暑い」
誰に言うでもなく呟く。
返事があった。
「きゅ……」
床を見る。
ノアが伸びていた。
いつもなら家の中を走り回っているのに、今日はほとんど動かない。
四本の足を投げ出し、床にぺたりと身体をつけている。
「……お前も暑いのか」
「きゅ……」
どうやら暑いらしい。
悠は立ち上がり、水瓶から水を汲んだ。
冷たい水を一杯飲む。
「……」
少しだけ生き返る。
それから窓の外を見る。
畑には、夏の作物が育っていた。
葉は大きくなり、実をつけ始めている。
水をやる必要もある。
雑草も少し増えている。
やることはある。
けれど。
「……今日は無理」
暑い。
それだけで、身体が動く気にならなかった。
椅子に戻る。
ノアも動かない。
「……」
「……」
二人とも、暑さに負けていた。
そのとき。
外から足音が聞こえた。
「悠ー?」
聞き慣れた声。
悠が窓を見る。
「……リア?」
扉が開く。
「こんにちは」
「……うん」
リアが家の中へ入ってくる。
そして、悠とノアを見る。
二人とも床と椅子に張り付くようにして動かない。
「……暑そうだね」
「……暑い」
ノアも。
「きゅ……」
リアが少し笑う。
「村も暑いよ」
「……そう」
「でも、こんな日は川に行くと気持ちいいよ」
悠が顔を上げる。
「……川?」
「うん」
リアによると、村の近くには大きな川があるらしい。
森の奥から流れてきた水が、村の近くを通っている。
夏になると、子供たちがそこで遊ぶ。
水も冷たくて、暑い日にはちょうどいいらしい。
「明日、みんなで川に行くんだけど」
リアが悠を見る。
「一緒に行かない?」
「……」
悠は少し考えた。
川。
涼しそうではある。
暑さから逃げられるなら、悪くない。
けれど。
一つ気になることがあった。
「……人、多い?」
「たぶん」
「……」
悠の顔が、少しだけ曇った。
やっぱり。
人が集まる場所らしい。
春祭りのときの光景が頭に浮かぶ。
たくさんの人。
大きな声。
子供たち。
屋台。
騒がしい音。
「……」
やめておこうか。
そんな気持ちが、少しだけ出てくる。
けれど。
リアは無理に勧めなかった。
「無理なら来なくても大丈夫だよ」
あっさりと言う。
「暑いしね」
「……」
悠はリアを見る。
来なくてもいい。
行ってもいい。
どちらでもいい。
そう言われると。
少しだけ気が楽になる。
悠は窓の外を見る。
強い日差し。
暑い森。
床で伸びているノア。
そして。
明日の川を想像する。
冷たい水。
木陰。
少し涼しい場所。
……悪くないかもしれない。
悠はしばらく考えてから。
「……行ってみる」
リアが笑う。
「うん」
ノアが顔を上げる。
「きゅ!」
急に元気になった。
悠はノアを見る。
「……お前、川に行きたいのか」
「きゅ!」
「……」
さっきまで床に溶けていたくせに。
悠は小さく息を吐いた。
「……まあ、いいか」
明日は。
川へ行くことになった。




