第九章 疑惑の太眉英雄少女
「おい待てよ貧乏人」
レリーフォナの執務室を出て、ヨーゼフが戻ってくるまでどこかの部屋で時間を潰そうかと話し合っていたところに、その不躾な声は投げつけられた。
憮然としたイリアスが一瞬拳を固く握りかけ、それから後ろを振り向いて声の主を確かめる様子を、ミハルクは細大漏らさず見ていた。
「何よ、ハンス。あとその取り巻き」
彼女が向き直った相手は小太りの少年だった。同盟の本部にいるからには当然貴族の出で、裕福な食生活で育ったふくよかな頬と、飾り立てられた身なりもそれを証明している。他にも三人、連れ立っている仲間らしきメンバーがいるがどれも似たり寄ったりの格好、そしてイリアスと同世代の年齢だ。
不機嫌さを隠さない太眉の傾きとさっきの第一声で、両者の関係は言わずと知れた。
お互いに不愉快。
「おまえ、南門を突破したんだってなあ」
「……それが何か?」
ねちっこい笑みを浮かべて近づいてくるハンス。対するイリアスもまた両足をぐんと張った仁王立ちだ。十分に距離を詰めたところで、声量を押さえたハンスからこんな言葉が贈られた。
「なあ、教えろよ。どんなズルしたんだ? レリーフォナ様には内緒にしといてやるから、言えよ。今度オレも使うからさ」
「……! わたしはレリーフォナ様を騙してなんていないわ! どっか行きなさいよ!」
「おー、コワ。金がねえと貴族でもここまで余裕がなくなるんだな」
大げさに驚いてみせる彼に、ツレの三人が示し合わせたようにゲラゲラ笑う。
「だったら証明してみろよ、ウソついてないって」
「何ですって?」
「オレと勝負しようぜ。まさか、門番を倒した英雄様が逃げたりしないよな?」
「……フン、そんな暇はないわ。わたしたちは今後のことで忙しいの」
そう返してこの場を終わらせようとした彼女の足元に、きらめく何かが放られた。
その縁で鋭い光を跳ね返すのは、金貨だった。
「取れよ、家無し。おまえ、金のためなら街の雑用もやるんだろ? それやるからオレに付き合え」
まわりをクスクスという陰湿な忍び笑いが囲んだ。気づけば、廊下に並んだ部屋から貴族たちが顔をのぞかせ、この一部始終を悪意を持った目線で見届けようとしている。
「お、お嬢様……」
顔を青ざめさせたマリンが何か言おうとしたが、イリアスの手がそれを制する。
小さく歯を食いしばり、放られたコインを見つめ、何かをつぶやいた。
「お屋敷のため。お父様とお母様の思い出のため……」
自分に言い聞かせるようにそう繰り返すと、彼女はコインに近づきしゃがもうとした。ハンスとその取り巻きから「ギャハハ、ホントに拾う気だぜ」「みっともねえ」「みじめだなあ」と嘲りの声が膨らむ。
それを一言一句、表情一つ見逃さず観察していたミハルクは、
(なんじゃァ……? こいつら……)
ズドン!!
その場で強烈な足踏みをした。それはまるで一瞬の激震のようで、振動を受け取った金貨が大きく跳ね上がる。
「わ、わっ」
顔の高さにまで飛び上がったコインを、イリアスが慌てて両手で掴む。他方、何が起きたのか理解もできず、すわ地震かと周囲を見回すハンスたちにミハルクは好戦的に言い放つのだった。
「上等じゃ童ども、表に出ろ! 相手をしてやれイリアス、パンツの中が水浸しになるまでな」
大帝アヴァンサ歴史秘話その1。
大帝アヴァンサは実は結構短気で、特に自身や身内に対しての侮辱には容赦がなかった。後年、体の衰えから足が持ち上がらず、王宮の段差の前で難儀していたところを若い将校に笑われた際、頭突き一発で彼をKOし、その体を踏み台にして段差をクリアしていったという逸話はあまりにも有名。
※
同盟本部の訓練場には多くの人々が集まっていた。
貴族は庶民のためにあまり汗をかかないが、トレーニング自体はよくする。
それは平民のようにあくせく働かないという貴族のモットーのようなものであり、同時に習性でもあった。300年たってもそうした性格は変わっていない――いや、戦場という仕事場を取り上げられた分、より顕著にアピールするようになったかもしれない。
今、訓練場は多くの利用者たちが集まっていた。ただ彼らは誰一人として従来のトレーニングをせず、人垣を作って一つの勝負の行方を見つめている。
突然始まったイリアスVSハンス“一味”。
特にイリアスの噂はすでに同盟の隅々まで行き渡っていたらしく、地上からだけでなく、本部母屋の窓からも多くの目が注がれている。
「南門を落とした英雄様が、まさかちょっと人数が増えたくらいでもんくは言わねえよなあ?」
訓練場のど真ん中。ニヤニヤと笑うハンスとその取り巻きたちは、腐っても貴族か全員の手に魔導剣が握られていた。A級とはいかずともB級はありそうな高級魔導剣ばかりだ。
「…………」
対するイリアスは氷剣バルキヘイムを手に浮かない顔だった。時折周囲を見回しては、大きくなりすぎてしまった騒ぎに気後れする様子まで見せている。四対一というのもプレッシャーになっているようだ。
「何だか様子がおかしいのう。魔導剣の奥義さえあれば、あの程度の人数差などどうってことなかろうに」
イリアスのセコンドとして見物客より近くに陣取ったミハルクは、その違和感に思わずつぶやく。
「あれは自分が門番を倒したことを疑ってる顔だ」
ため息交じりにそう返したのはウォードッグ。
「あいつは無駄に真面目だからな。おまえたちが言ったことを信じ切れてないんだろう」
「まあ実際、下手なウソじゃしな……。おまけに奥義はセージュに破られておる。あの若さでは不安の方が勝るか……」
これは少々手伝いが必要かもしれない。焚きつけた手前、そう考えたミハルクの眼前でハンスからの声が飛ぶ。
「さあほら、先手を取らせてやる。見せてみろよ、番人を倒した技を」
彼らもまた、イリアスが正面から番人を破ったとはカケラも思っていない様子だ。見物人たちからの目線と同様に。何とも惨いことに、イリアスを含めた全員が、彼女の実力を疑っていることになる。
イリアスの家が借金まみれなのは有名なようだし、それならこずるい手も平気で使うだろう……とそういう発想か。
ここでもし大恥をかけば彼女の立場はさらにさらに悪くなる。それを気にして体を縮こめているのだ。
「何ですかあれは。あれではわたしと相対した時の方がよっぽどマシでした。まさか、あんなド素人を相手にする方が緊張すると? 侮辱された気分ですね」
ミハルクの隣でセージュが憤懣を一人口にしている。
実際、氷剣を構えたイリアスは自身が氷漬けになったみたいにガチガチだ。今こそしっかりとセコンドの役目を果たす時だった。
「イリアス! 落ち着いてあの時の感覚を思い出すんじゃ! ほれ、わしと初めて会った時の! あの尻じゃ! 尻!」
「!! ちょ、ちょっとあなたね……!?」
イリアスが顔を真っ赤にしてスカートを押さえる。ギャラリーからはどっと笑い声が上がった。
「尻って何だ? あの女の子を尻で吹っ飛ばしちゃったとか?」
「お尻合いってこと?」
「小さいのにはしたないことねぇ、クスクス……」
あちこちから聞こえてくる囁きに、彼女の体が余計硬くなるのが目に見えてわかる。どうやら今のアドバイスは逆効果だったようだ。さらに、これに勢いを得てハンス一味がまわりを煽りだす。
「ほら、何もできない。やっぱりウソだったんだ」
「とんでもない女だな。貴族の風上にも置けない」
「謝るなら今のうちだぞ~? そうしたらレリーフォナ様には内緒にしといてやる。“オレたちは”な!」
もはや場のほぼすべてが彼女の敵。それでもイリアスは懸命に氷剣を握る。
魔導を込めるのは薬指と小指だけ。柄には片手。そこまでは教えた通りに実践できていたが、最後の決め手である魔導の揺らぎが、錆びた歯車みたいに上手く動かせないでいる。なまじ制御が上手い分、力を“崩す”という作業が苦手なようだ。
(やむを得ん……)
このままでは奥義は氷粒すら出せずに不発する。ミハルクは足音を殺してこっそりとイリアスの背後へと近づいていった。
ギャラリーの何人かがそのことを指さして指摘したようだったが、大勢に変化なしと大部分がそれを見逃した。
気配を殺し切ったミハルクは、イリアスを間近から観察する。
彼女の片手はお尻を押さえたままになっているため、その上から引っぱたいても前ほどの衝撃はなさそうだ。
ただ、尻に神経を集中しているのはわかる。
(では……)
少し考え、ミハルクはイリアスのミニスカートからはみ出た太ももの付け根に顔を近づけ、
「ふーっ」
息を吹きかけた。
「ふひゃあああああっ!?」
彼女が悲鳴を上げてのけぞった次の瞬間、
ドッバアアアアアアアアア!!
凍れる大蛇が訓練場の空気を極低温まで押し下げながら氷剣より顕現した。
『!!!!????』
場はたちまち混乱の坩堝と化した。何も起こるはずがない、そう高を括っていたところにこの世の物とは思えない怪物が現れたのだ。
その脅威に真っ先に晒されたのは大蛇の真正面に立つハンスたち。自分を呑み込むレベルにまで開かれた氷のアギトを目の当たりにしてようやく、彼らの生存本能が声帯を刺激する。
「ギャ、ギャアアアアア!!!???」
だが起こせた行動はその悲鳴のみ。逃げることすら放棄した足は、彼ら全員に尻餅をつかせるのが関の山。
死が来る。故郷を思い出す猶予さえ与えぬ速度で。
戦場なら間違いなくそうなっていたタイミングで、しかし蛇は突如として身を翻し、訓練場のギャラリーへと襲いかかった。
「うわあああああ!」
「ひいいいいいい!」
迫る巨大な頭より逃げ惑う彼ら。ひっくり返る、あるいは身を投げ出して体を縮めた彼らの前を横切ると、大蛇は今度は本部母屋の壁へと這い上がりだす。
「こ、今度はこっちに来るぞ!」
「いやああああっ!」
これまで文字通りの高みの見物を決め込んでいたギャラリーが慌てて首を引っ込めた直後、無人の窓の上を凍れる蛇の這い痕が塞いでいく。そうして嘲笑していた人すべてを建物の奥に驚倒させ、窓という窓に立ち入り規制の冷たいラインを引いた後で、ようやく『ノーツン・フォグア』は動きを停止した。
完成したその様は、キャンバスを縦横無尽に這い回った世界蛇そのもの。一番最初にイリアスが暴発させた奥義の威力をさらに上回るものとなった。
訓練場は氷獄の底のように静まり返った。
技を放ったイリアスでさえ、自分の放ったとてつもない力に目を剥いて固まっている。
そんな静寂の中、イリアスのセコンド組では子供二人がおにぎりワショーイのダンスを踊っていた。
「どーじゃわっぱが! なめてると潰すのじゃ! 思い知ったか!」
「やればできますね。悪くない威力です」
他二人も、
「フッ。まあ、いい気味だな」
「お、お嬢様。ミハルク君にお尻に息を吹きかけられるなんてうらやま、あ、いえ……お疲れ様でした……」
そんな自由奔放な光景が繰り広げられる訓練場に、同盟本部の壁に取り付けられた外壁スピーカーからこんなアナウンスがされる。
《イリアス・オーズドルファ。直ちに執務室まで来るように! 繰り返します。イリアス・オーズドルファ。直ちに執務室まで来るように!》
「は、は、はいいいいい!」
弾かれたように背筋を伸ばしたイリアスが入口へと駆けだし、ミハルクたちもそれを慌てて追いかける。
全員漏れなく漏らしたハンスたちのパンツのことなど、もはや誰も心配していない。
ミハルクとイリアスのおねショタは最初からショタ優勢なので一転攻勢禁止のルールに抵触しない。




