第十章 思惑巡る
「すみません。お騒がせいたしまして、本当に申し訳ありません……」
退出してからほんの十数分で出戻りとなったレリーフォナの執務室で、隣に座ったイリアスがひたすら謝り倒している。
執務机の横ではヨーゼフがコールマンと手分けして借金返済の添え状を執筆中。主人の残念な姿をなるべく見ないようにしている様子が観察できる。
「いいのよイリアス。一躍時の人となったあなたを普通に帰したわたしにも落ち度はあったわ」
そう述べるレリーフォナは執務席ではなく、その向かい側に設置された応接スペースでミハルクたちの応対をしていた。
扉と同じハイマホガニー製のローテーブルの上には、豊かな香りのするティーカップが、使用人であるマリンを含めた人数分置かれている。
「結構なお点前ですね」
「良い香りじゃ。点てた者の心遣いが染みておる」
「まあ、ありがとう二人とも。ゆっくり楽しんでね」
頭を抱えるようにしてうな垂れているイリアスに対し、ミハルクとセージュはどこまでもマイペースに出されたお茶を楽しんでいた。
帝国北部の名産だ。皇帝時代にさほど嗜んだわけではないが、以前よりも香りが増し、味は深みを増している気がする。流れた年月を思えばあまりにもかすかな違い。……が、自然を相手にするというのは、大地と同じ齢で物事を見なければいけない。じわりと時間をかけた成長。よい塩梅じゃ……。
「訓練場が騒がしかったから何事かと思ったけれど……ここから見させてもらったわイリアス。あれが、あなたの『ノーツン・フォグア』なのね?」
優しく肩に手を添えるようなレリーフォナの声に対し、イリアスは悪戯を叱られた直後の子供の顔を上げ、
「は、はい。思わぬ形で出てしまって、本部の壁に大変な粗相をしてしまいました……」
「いいのよ。魔導剣の持ち手が何人もいる場所だもの。それくらいのリスクは考えている。けれど……見事なものね」
はあ、と頬に手を当て、感慨深げにため息をつく彼女。
「一騎当千、抜山蓋世……。魔導剣の奥義を称える言葉は多くあれど、それに相応しい実物を見た者はいない。古文書の内容を誰もが誇張された表現だとし、人の身の丈に合った今のささやかな技を奥義の片鱗だとして崇めている……」
「レリーフォナ様……?」
恐る恐るうかがいの言葉を投げたイリアスに、レリーフォナは言った。
「――イリアス。あなた、〈高貴なる剣〉になってくれないかしら?」
『!!?』
その言葉に強い衝撃を受けたのは三人、と見物を決め込みながらミハルクはかぞえる。提案されたイリアス当人。作業中のヨーゼフ。そしてどうやら一番強い動揺を覚えているマリン。はて……。
「わ、わたしを〈ノーブルオーダー〉に!?」
「レリーフォナ様、それは……!」
ソファーから思わず腰を浮かせたマリンを、レリーフォナの意外なほど冷たい目が迎え撃つ。
「あら……マリン。主人同士の会話に横入りかしら?」
「! す、すみません……。大変失礼をいたしました……」
「どうかしらイリアス。あれは間違いなく『ノーツン・フォグア』の真の姿だった。あれを見た以上、あなたが〈最終貴族同盟〉を代表する魔導剣士の一人となることに誰も異論はないと思うわよ」
ミハルクは、戸惑いと高揚に押し合いへし合いされ言葉が出せないでいるイリアスをじっと見た。どうやらかなり名誉なことのようだが、それに対してどこか硬い空気を醸しているマリンとヨーゼフの態度が気になる。
「話し中失礼、ご婦人。その〈ノーブルオーダー〉というのはいかなるものなのかな?」
訪ねた途端レリーフォナは落ち着きを失くし、
「え、えっとね、それはね、ミハルク君……」
「オッホン(コールマンの咳払い)」
「失礼したわ。〈ノーブルオーダー〉とは、この〈最終貴族同盟〉における最強戦力集団。いわば精鋭部門といったところよ。普段の活動を縛ることはないけれど、何かあったときに同盟から直接依頼を受けてもらうこともあるわ」
「同盟からというのは、つまりそなたから、ということでよいかな?」
「…………そうね。ただ内容は、同盟の公的な利益になかうものが大半。たとえば、アヴァンシルで行方不明になったメンバーの捜索や救助。あるいは、有望な新人の手助けとかね」
それを聞いてふと閃くものがあった。
「もしかして、あの“特上なる”とかいう若い剣士もそれかの?」
「ああ、極上ね。ええそう。彼も〈ノーブルオーダー〉の一員よ。ただ意外に引く手数多だから、手助けを得るのは大変でしょうけど」
それを言われてイリアスの顔が若干苦み走った。どうやら約束をドタキャンされたことをまだ恨んでいるようだ。
「もちろん、依頼を引き受けてくれたら報酬を出すわ。特権としてあなたが借りている宿舎も無料になる。道具類に関しても優先的に――」
「やります」
イリアスは背筋を伸ばしてそう宣言していた。
「お、お嬢様……」とマリンが恐々声を絞るも、イリアスから返った言葉は「大変なのはわかってる」の毅然とした一声。
「屋敷を取り戻すにはもっとお金が必要だし、そのために出し惜しむものなんてないわ。レリーフォナ様、わたしを〈ノーブルオーダー〉に加えてください。必ず役に立ってみせます!」
「素晴らしい返事よイリアス。あなたを見込んで正解だったわ。そうと決まればいくつかの誓約書にサインしてちょうだい。ヨーゼフ、一旦手を止めて主人の手伝いを。賃上げ交渉も今から受け付けるわ」
小さな諍いから思わぬ出世へ。力を恃みとする魔導剣士ならそう珍しい現象でもないものの、最後まで気遣わしげなマリンの表情が、ミハルクには少し気になった。誓約書の守秘義務や服務義務あたりが彼女の懸念点なのか、それとも……。
「……ありがとうイリアス。今書いてもらった書類に不備はないわ。叙任式みたいなものはないけれど……そのローリエの腕章をつけていれば、あなたにちょっかいを出せる同盟員はそういない。みんなの手本となれるよう精勤してちょうだい」
左腕に通した月桂樹の葉を模した腕章を見つめ、イリアスの頬が少しの興奮に赤らむ。
初めて近衛の制服に身を通した一人の若者の顔をミハルクは思い出した。緊張と、それに勝る高揚。情熱は人の原動力とも呼べるものだ。勇み足を踏むのにも十分な。
「南門の完全開放は、二日後の正午の鐘をもって行う。その第一歩を踏む権利は番人を倒したあなたにあるわ。どうか寝坊なんてしないで、その場にいてちょうだいね」
柔らかに微笑んだレリーフォナに、イリアスは今一度紅潮した顔で「はい!」と少年のような元気な返事をした。
※
「よろしいのですか、お嬢様」
イリアスたちが部屋を辞去し、その軽快な足音が完全に遠ざかってから。
ヨーゼフと作製した借金関連の書状をまとめつつ、コールマンがそう問いを投げかけてくるのを、応接スペースに一人残ったレリーフォナはティーカップを傾けながら聞いた。
「わたしのすることに異論でも?」
こちらの端的な返事に対し彼は、
「いえ。ただあの娘を大切になさっていると思っていたので。〈ノーブルオーダー〉は一般の同盟員よりも危険な立場。レリーフォナ様の中の“お嬢様の本音”としては、任命などしたくなかったのでは?」
慣れたかわし方を受けて、お茶のかすかな苦みが強まった気がした。
「そうするしかなかったでしょう。あれほどの力を見せつけられては。逆に何もしない方が彼女を窮地に追いやるわ」
魔導剣の奥義を引き出した少女。立場を確定させなければ、様々な外からの誘因が彼女を惑わせることになる。自分の直下に置いて管理、保護するのは当然のこと。
「それに、これが一番大事なことだけれど――」
出がらしのかすれた香りのあえかさを最後に味わった後、レリーフォナの瞳に針の先の光が宿る。
「あれは本当に本物の魔導剣の奥義だった。我らがこの世から“絶えさせ”、すでに一つも残っていないはずの」
コールマンが小さく息を呑む気配。
「握り方。握る位置。伝導法。そして剣との絆……。正しい条件を一つでも間違えれば、奥義は本来の姿の片鱗さえ見せてはくれない。あらかじめ答えを知らなければ答えられないデキの悪いクイズと同じ」
「それを一から探すことは極めて困難です。だからこそ大帝没後300年、すべての奥義は“正しく”失われてきた……」
「その通りよ。今日、奥義の真なる姿を知っているのは秘匿された伝承官たる我が一族のみ」
口の端を歪めたレリーフォナはティーカップをソーサーに戻し、肩越しに窓を見やった。
訓練場に面した窓からは早春めいた風が吹き込んできている。真の『ノーツン・フォグア』が巻き起こした冷気は去って久しい。だがそれを見た者の心には生涯消えない爪痕が残る。
魔導大帝の時代、あんなものが常に戦場にあったのだ。敵対者の後悔はいかほどか。そして一族の祖は。
コールマンの声がまた問うてくる。
「なぜ彼女はあそこに行き着いたのでしょうか。……本当に偶然に?」
「そうね……。長い時間がたったのだもの。それくらいの奇跡は起きるでしょう。ただね……。彼女はわたしにウソをついていたわ。あの少年のこと。それから番人を倒した時のこと……。だからひょっとしたら――」
ソファーから立ち上がり、彼女は目を細めて冷たく微笑む。
「存外、会ったのかもしれないわ。――アヴァンサ帝の魂に」
※
「2getじゃズザー! ≡≡≡≡⊂⌒つ゜Д゜)つ」
「3getでございまズザー! ≡≡≡≡⊂⌒つ゜Д゜)つ」
ミハルクとセージュが部屋の扉を押し開けて入っていく。
途端に吐き出るイリアスのため息。
「普通に入りなさい。……でも、どうして最初に入ったのに2なの?」
「そりゃおぬし、1はスレ主のものじゃて」
「半年ROMれ」
「ああ、聞いても何一つわからなかったわ……」
ミハルクたちの説明は、十九年生きてきたマリンが傍から聞いていてもやはり何一つわからなかったが、イリアスがお姉さんぶって肩をすくめる姿を見ていると、さっきの執務室のやり取りをかすませてくれるほど心温まるものがある。
弟か妹がほしい。両親を失った彼女がそんな実現不能なワガママを自分やヨーゼフに訴えてくることはついになかったが、世話されるばかりの立場だったことから自分が世話してやれる年下の相手を欲していることは薄々勘付いていた。
そんな幼い頃の主人の欲を満たしてくれた二人には、素性は今一つ不明にしろ感謝しかない。そして美少女ショタロリ少年が、レオタード風の神秘的白髪ロリ少女と戯れる光景にもまたッ……!
「ここがあの女のハウスですね、陛……ミハルク様」
「あの女って……。わたしよ、セージュ」
イリアスがそう指摘するここは、同盟本部の中に併設されたメンバー用の宿舎だ。
街に家を持たない、あるいは借りられない貴族の子女に対し、レリーフォナが格安で提供してくれている。
室内は寝台スペースと極小のリビングのみの、本来貴族が暮らす部屋からはかけ離れた手狭さだが、内装や調度品に関しては用意した大貴族の名に恥じぬ瀟洒で品の良いものが揃えられている。
利用できるのは同盟員――貴族に限られるものの、その従者および家臣団も特例で認められている。ただウォードッグは街の宿を利用しているため、ここに向かう前に解散していた。
「〈ノーブルオーダー〉になったのだから、あなたたち専用の部屋も借りてあげたいところなんだけど」
と、こちら全員に目線を回しながらイリアスが言ってくる。両親から受け継いだ太眉が可愛らしく垂れ下がっていた。
「空き部屋がないのですから仕方ありません。それに、みんなで寄り添って寝るのも昔を思い出しますから」
「……そうね」
まだ屋敷を手放す前のことだ。マリンとイリアスは一緒に育てられていて、どちらが従者かわからないくらい、イリアスはいつもマリンの後を必死に追いかけてきていた。時にはベッドの中までついてきて、家族が恋しかったのだろうと当時のヨーゼフが目元を押さえながら話すのを見たことがあるが、今ならその気持ちがよくわかる。
「おぬしはそこのベッドで寝るとして、他の者はどうしておるのじゃ?」
ミハルクが今夜の寝床についてたずねてくる。
「わたくしどもは、こちらのリビングにマットを敷いて寝させてもらっています。この衝立で、わずかながらも私室もいただいているのですよ」
とのヨーゼフの説明をマリンは如才なく引き継ぎ、
「ヨーゼフさんのマットは狭いですから、二人とも今夜はわたしと一緒に寝ましょうか」
「それは助かるのう。イモを売った金で木賃宿を使う予定じゃったから、こちらの方が断然寝心地はよさそうじゃ」
「えっ!? ほ、ホントに……!?」
自分で言っておいてマリンは目を丸くした。
「わたしと二人でなら、ミハルク様と同衾することを許可しよう」
「うむ、厄介になるぞマリン」
パアアアア……。
マリンは舞い上がった。言ってみるものだ! まさかこんな愛らしい二人と添い寝ができてしまうなんて!
「まあ、男のわたしと寝るよりは世間体は保てましょうな。そのあたりわきまえてますね? マリン」
「ふぇあっ!? そ、それはもちろん。やましいことなど何も……ゴニョゴニョ……」
釘を刺されてマリンは焦った。オーズドルファ家の名誉は地味にこうして守られた。
「それで、本当にいいのね? わたしについて来て」
リビングの真ん中で、仲間たちを前にしながらイリアスの改まった声が広がる。
問いの先はミハルクとセージュだ。それまでの温和な態度をかすかに引き締め、言葉が返る。
「無論じゃ。わしも墓の奥に用があるでのう。村のおとう殿とおかあ殿には後程手紙を送ろう。なに、楽観的な二人じゃから、街で楽しく遊んでると思ってくれるじゃろう」
「ミハルク様が行くところにわたし在りだ。おまえこそ、尻を叩かれずともきちんと勤めを果たせるように」
「だ、だ、誰が! 言われなくたって、二度とあんなことさせないわよ!」
二度に渡るデリケートゾーンへのアタックを思い出したのか、ご褒美もとい白いスカートを押さえながら顔を真っ赤にするイリアス。こうした素朴なところが彼女の愛らしいところなので、また見せてくれるようになって本当によかったと思う。
「――アヴァンシル南部の探索は明後日に始まる」
彼女の一声でにわかに場の空気が緊張する。
「そこからは何もかもが早い者勝ちになるわ。でも、決して焦らない。もう……」
ちらりとこちらに目配せしてくれたことに、マリンは満足して微笑みを返す。
そう。何よりも大事にするべきは自身。お屋敷のことはいつだっていいのだから。わたしの大切なご主人様。そしてわたしの世界一大切な妹……。
「慎重に中を探るわ。大帝の副葬品は巧妙に隠されていて、急いだところでどうせすぐには見つからない」
イリアスが皆に一歩歩み寄り、指先を伸ばした手をすっと前に出す。マリンとヨーゼフが円陣を組むようにそれに倣うと、見様見真似か子供たちも小さな手をそこに差し添えてくる。
「まずは初日。みんな無事にここに戻ってくるわよ!」
『応!』
栄光の円陣――中央に伸ばした腕は帝国の栄光の光背に見立てられる――から腕を一斉に胸元へと引いて拳を心臓に当てる、帝国貴族の古い連盟の儀式。不思議なことに、ミハルクとセージュは妙に堂に入った仕草でそれを完成させていた。
これならきっと大丈夫。
何か大いなるものに見守られている気分になり、マリンはこれから始まる主人たちの冒険の成功を、混じりけのない純真さで祈ることができたのだった――。
※
それはそれとして。
「く、空気が美味しすぎて眠れない……」
天使の抱き枕を二つまとめて抱きながら、マリンはいつもの倍は長い夜を過ごしたという。
翌朝、そこには満ち足りた顔で目を充血させたメイドのお姉さんが!




