第十一章 始まりの鐘が鳴る
カーン!
サクセルの時計台が正午の鐘を鳴らすまであと少し。
イリアスは静かに高鳴る胸を手で押さえ、意識的に深く息を吸って、吐いた。
長らく南門の床の染みになるしかなかった後継者たちは、いまや番人の元住処に群れを成して居座っている。
お目当てはもちろん、いまだ人の入ったことのない南部エリアの探索。そしてそこに隠された副葬品。
大帝アヴァンサの遺体と共に大墳都に納められた遺品の数々は、人によっては大帝の魂と謁見して技と知恵を継承するよりも価値のあるものだった。
「墓荒らしもこれだけ揃うと壮観じゃなあ」
待機する後継者たちの最前列――つまり自分のすぐ横にて、ミハルクが群衆を眺めながらしみじみ言う。
「そうね。普段別のエリアを探索してる人たちも、今日ばかりはここに集まるでしょうから」
総勢――いや百以上はいるだろうがちょっと数えられない。番人との決闘場を埋める、見たこともない黒山の人だかり。
その最前列に立つことが許されている自分のバーサルは、今にも後ろからの圧力で押しつぶされてしまいそうではある。編み笠に目元を沈めたウォードッグ、鎧剣ガルガチュアを肩に乗せたセージュは、そんな不安を微塵も感じていなさそうだけれど。
その中でも一番呑気そうにしているミハルクを、イリアスは改めて見つめる。
奥義伝承の一族というヨーゼフの触れ込みがどこまで真かはさておき――二日前まで田舎の野良作業着だった彼は、今や一端の探索者の格好をしていた。
探索開始までの猶予日を使って街で買い与えたのだ。頑丈さが取り柄のシンプルなシャツとズボンに、アイテム類を収納する探索ポーチという簡素な出で立ちだったが、このサイズのものを探すのは苦労した。
こんな十くらいの歳でアヴァンシルに挑む人間などいないからだ。それでも〈ノーブルオーダー〉となった自分が率いていけるくらいには見栄えのする格好にはなっている。外見は相変わらず、女の子にしか見えないほど可愛いが……。
「そうだミハルク、これ渡しておくわ」
イリアスはぎりぎりでそのことを思い出し、背負った荷物入れからある道具を取り出した。
機械仕掛けの外装。剣にしては小振りな一本。ミハルクはそれを見るなりニヤリと笑い、
「おっ、組討ち用のショートソードか。わし好みの武器じゃな」
「何言ってるの。それは“疾剣ゼフロー”。使い手に風のような身のこなしを与えてくれる。C級の量産品だけどその分扱いやすいから、危なくなったらそれ使って逃げるのよ」
これは探索服を揃えた時に武器屋に注文しておいたものだ。人気商品というより需要の無さから品切れとなっていた。
魔導剣は二本以上持つと喧嘩をする――というのは魔導剣所有者の間では有名なジンクスで、その貴重な一枠にこの低攻撃力の剣を選ぶ者はまずいない。だが、ミハルクのような非力な子供が使うにはこれ以上ない相棒になるはず。
「ふうむ……。これだけしっかりした拵えで凡品扱いとは、ゼエタクな世になったものよな」
「衰えていくのは人の中身ばかりにございます」
「何なのよあなたたちの会話は……」
説教臭いというか年寄り臭いというか。昔、近所の住んでいた老貴人の雰囲気にそっくりだ。
「準備はできたみたいやねえ、イリアっちゃん」
と、ここで階段の最上部、南部エリアへと通じる扉の前に立つ少女から声がかかった。
帝国東部の巫女服に緋色のツインテール。〈グレイブナイツ〉の団員カイナだ。言葉には東方の一部地域の訛りがあり、彼女が口を開けば一発でわかる。
「どこのエリアでも壁が一枚突破されると毎回この騒ぎになる。けど今回は規模がちゃう。まったくの手つかずだった南部エリアが開放。どんなお宝が見つかるか誰も気になって仕方ないんやろな。これもみんな、イリアっちゃんのおかげやで」
「だからこそ警告します」
水を差す一言を付け加えたのは、カイナの後ろに影のように佇んでいる黒髪の少女リンナ。狩衣という東部出身者でも珍しい古式衣装に身を包み、明るいカイナに比べると水のように物静かな人物だ。
「新エリア開通直後の後継者たちの重大損害率は20%を超えます。腕利きの中にはあえて出撃を遅らせる者たちもいるでしょう。ご注意を」
ライバル組織のエース二人からのどうにも親切な物言いに、イリアスは調子を乱される。
今まで噂話でしか聞かなかったから、実物は元々こうなのか、それとも何か狙いがあるのか……。
ここでふと、リンナがミハルクをじーっと見つめていることに気づく。
当のミハルクもそれがわかったらしく、にっこりと微笑み返した。
「!!!<◎><◎>???」
それまで冷水のようにクールだった少女の顔がボンと赤く爆発し、そのまま前にいるカイナへと倒れ込む。
「どわーっ、なんや!? またかいなリンナちゃん! この間から急にドジっこアピールしてきよってからに!」
「ご、ごめん、なさい……すいませ……」
二人でわちゃわちゃしながら体勢を立て直したリンナは、今度はカイナを露骨に盾にしながらミハルクへと話しかける。
「き、君もアヴァンシルに挑むつもりなんですか……?」
「うむ。何としても墓の最深部にたどり着かねばならなくてな」
「そんなカワイ……歳で挑むのは無謀すぎます。もっと大きくなってからにした方がいいですよ」
「そうもいかん。放っておけぬ者たちが多いからの。なあに大丈夫じゃ、頼もしい仲間もおる」
リンナの黒真珠のような瞳が、こちらを、そしてバーサルの面々を見回す。その後一言。
「カイナ。彼が危険です」
「へ? まあ危険やろうけどそれはもうみんな同じことで、自分の意志で入ろうとしてる相手を止めようないで」
「……逮捕しましょう」
「へあっ!?」
「ま、間違えました。保護しましょう。彼が墳都に挑みたいと言うのならわたしたちで教育してあげるべきです。最適な食事と運動、快適な寝床を用意し、それから――」
「ちょちょちょ、ちょい待ち! いきなり何言いだすん!? ホントにおかしいでリンナちゃん!?」
「ハッ……! す、すいません……。ごめんなさい……」
「そんなにショボくれられるとうちが悪者みたいやん……。まあ、言いたいことはわかるけど……」
カイナの勝気な目が、今度はこちらへと向き直った。
「なー、イリアっちゃん。あんたらのパーティに、うちらもついてってええか?」
『!?』
面食らったのはイリアスだけではない。ウォードッグも、そして離れた位置からこちらを見守っていたヨーゼフとマリンも同様の反応を示した。
「〈グレイブナイツ〉が何のつもり……!?」
「そう警戒せんといてえな~。イリアっちゃんもそこの銀ギラ銀に全然さりげなくない男と同じ、〈ノーブルオーダー〉になったんやろ? そんなら、これからはお互い組織の調整役として話し合うことも増えるわけやし、軽い親睦会みたいなもんやないの」
「……! それは……」
イリアスは月桂樹の腕章に目を落とす。これは同盟の代表の一人表す印なのだ。
「うちら、墓で人見かけたら延々追っかけ回す鬼みたいに言われとるけど、ホントの目的はお墓の静謐化やねん。中に湧いとるモンスターは掃除したいし、副葬品は街の外に出ていかんようちゃんと管理したい。そのためにも大きな組織との協力は必須なんよ」
「そんなこと言って、入った途端に捕まえに来る気じゃないでしょうね。さっきなんか逮捕とか話してるの聞こえたわよ」
「あれはちゃうねん。リンナちゃんが最近謎のドジっ子アピールしとるだけや。それにこんだけの人間がドバーッとなだれ込むのにいちいち捕縛とかしてられへん。今はうちらも探索が第一や。それにな……」
ここで突然カイナが、シナを作るように体をくねらせた。
「こんな初っ端でイリアっちゃんに何かあったらうちも寂しいねん。気にかけてた子がせっかくここまで登って来てくれたんやから、大事にしたいと思うんが乙女心やんかぁ~……」
「なっ、何よいきなり……! そんなに心配してもらう謂れはないわよ!」
「ナハハハ! ……まあ断られても勝手についてくわ。どの道、中の様子はゼニス様に報告せなあかんし」
「――そなたら、大丈夫なのか? ずっとここで見張っていたんじゃろ?」
やり取りを静観していたミハルクから口が挟まる。答えたのはリンナだ。
「だ、大丈夫です。他の人と交代はちゃんとしていましたから。ちゃんと毎日お風呂も入ってますから、その、臭くないはずです……」
「ふむ……。そう言えばそなたからはスズランの爽やかな香りがするのう。愛らしい見た目にそぐわぬ良い匂いじゃて」
「!!!<◎><◎>」
フラッ……。
「だから何で毎回うちの方に倒れ込んでくるんや!? 一人で後頭部からいかれても困るけど!」
「に、匂いが……良いって……」
そんなやり取りの最中で。
カーン、カーンと、時計塔が正午の鐘を鳴らし始める。
それまでてんでバラバラにざわついていた場の空気が、急激に細く収束していく。
時は来た。この鐘が十二回目を刻んだ時が、スタート。
「さ、初めの一歩は君だ、イリアス。門を突破した者にはそれを刻む権利がある」
同盟側として門の守護にあたっていたシュプリムトが道を空けるようにして身を引いた。
「吾輩は別行動を取らせてもらうが、〈ノーブルオーダー〉としての最初の仕事、期待しているよ」
「わかってるわ。同盟の剣に恥じない働きをしてみせる」
四角い太眉をきりりと立たせながら、イリアスは前へと踏み出る。
中央大宮殿への直通路も噂される南部エリア。“狙撃手”の恐怖に怯えながら気球で上がった者からの報告によれば、宗教関係らしき施設が多く混在しているという。大帝の墓の中でも恐らくもっとも重要な区画という期待は当てずっぽうではない。
その道を開いたのは、わたしだ。
一昨日の訓練所での『ノーツン・フォグア』の威力上昇を見て、少しはそれを信じられるようになった。
(だから恐れるな)
お父様。お母様。わたしは思い出を取り戻しに参ります。どうか、マリンとヨーゼフと共に見守っていてください。
仲間たちに目配せする。全員から意気に満ちた目礼が返り、イリアスに最後の覚悟を決めさせた。
深呼吸を一つ。場に集まったすべての後継者たちの目線を受け止めながら、最初の一歩を、踏み込む!
瞬間!
「ヒャハア! こっからは早い者勝ちだァ!」
「お先にシツレーーーーーッ!」
「どけ馬鹿野郎どもオレがオレが!」
後ろから濁流のように群衆が押し寄せた。
こちらを押し飛ばすような無作法者こそいなかったが、中洲の脇を抜ける急流のように、功を焦った一部の連中がスタートダッシュを決めていく。
「ちょ、ちょっとあなたたち!」
もう遅い。イリアスが非難の声を上げる頃には、彼らは扉の奥、霧のむこうに消えてしまっていた。
――霧?
「何じゃこれは……」
隣のミハルクが目を見張る。
扉を抜けて数歩先、そこからは白い壁のように濃霧が立ち込めている。
広がる街並みもせいぜい二、三軒先までしか見えない。それだって輪郭程度だ。元から白い街並みはほとんど保護色となってその全体像を隠しおおせていた。
「おっと。いきなりの洗礼だ」と、中を覗き込んだシュプリムトが老獪に笑う。
「アヴァンシルの未踏地はこうして霧に包まれていることが多いんだ。そして耳を澄ましてよーく聞き給え――」
言われるがまま、イリアスは耳を澄ます。
「何も聞こえないわよ」
「その通り。さっきのせっかちな連中はどうしたかな?」
!!!
全員がぎょっとして霧の向こうを見つめた。
走り去ったにしてもこの静寂はない。何かトラブルがあれば悲鳴が上がるはず。
「吾輩に言えることはここまでだ。さ、進みたまえ氷剣の姫君」
舞台役者じみたポーズで、満艦飾男が引きさがっていく。
イリアスは――臆さずに二歩目を南部エリアへと進ませた。
ミハルクたち、そしてカイナたちもそれに続いてくる。
シュプリムトに多少脅かされた程度で怯むわけにはいかない。決して蛮勇ではなく、正しい勇気をもって慎重に進むのだ。
門を入ってすぐはほぼ一本道だった。他の後継者たちもひとまずは様子見ということか、後ろに固まってついてきている。
先行した者たちは、果たしてどこに消えてしまったのか。アヴァンシルには接触即死亡の死神のような連中がいる。もしそういうヤツらの仕業だとしたら――。
「ん……?」
イリアスはここでふと、前方の霧の中を小さな何かが動いているのを発見した。
小さい。高さはせいぜい人のスネくらいで、小動物か何かかと初めは思った。
しかしどういうことか、動いている脚や羽といった部位がない。ただの黒い塊が石畳の上を滑るように移動しているのだ。
それが向きを変え、こちらへと直進してきた。
「みんな、何か来るわ! 気をつけて!」
「何やあれ!?」
真正面から見たそれは一等奇妙なものだった。
厚みがない。ペラペラだ。だがそんな生き物がこの世にいるのか?
アヴァンシルに生息するモンスターは、多くが殻を持った既存の生物に酷似している。いくつかの例外型はあるにせよ、こんな形のものはまったく聞かない。
距離五メートル。その薄さで霧を薄絹のように裂きながら迫ってきた物体の正体が、ついに割れた。
それは――。
「背びれじゃと!?」
ミハルクが叫ぶ。地面から突き出しているもの。それは魚の背びれに見えた。実際、地面の中を泳ぐように蛇行しながら向かってくる。
「いえ、違います、これは……! みんな、散開!」
リンナの忠告を受けるまでもなく、イリアスたちは散り散りになって距離を取った。
直後。
石畳を下からぶち割るようにして、巨大な白い影が飛び上がる。
長大な全身。ずらりと並んだ牙。それは正しく――。
「さ、サメえええええええええ!?」
叫んだイリアスの声に追いつくものがあった。鋭さと冷静さを帯びたリンナの声。
「いいえ違います! あれはC級魔導剣、鮫剣ジャーグ・ズー! 自律しています!」
スッパシャ!




