第八章 貴族同盟の女主人
〈最終貴族同盟〉の本部は外縁都市サクセルの東部エリアにある。
大帝アヴァンサの霊に謁見すべく帝国中から集まった貴族たちの主要な活動拠点であり、同時に彼らの宿舎と商店までを兼ね備えた特大の複合施設。
高い壁にも似た高層建築は、まるで貴族の町を丸ごと一つの建物に押し込んだかのように今日も変わらずそこにそびえていた。
同盟主であるレリーフォナが私財を持ち出しして作った彼女の城。魔導セグウェイでその扉までたどり着いたイリアスは、自分の下から膨れ上がる二つの声に押し上げられるようにして本部の屋根を見上げた。
「はえー、でっかいのう! まるでうすっぺたい王宮じゃ!」
「こんな建築が墳墓の外にできていたとは……時の流れとは恐ろしいものです」
どうにも年寄りくさく聞こえるミハルクとセージュのやり取りが、初めてここを訪れた時の自分の感想と重なる。
必要な設備をできるだけコンパクトに詰め込んだ、レリーフォナの領地で生まれたという“ビルディング”。いずれ様々な建築がこうした形に変わっていくと、初対面で彼女は誇らしげに語ってくれたものだ。
そんな短い感慨を胸にしまい、目線を下す。
「さ、あなたたち降りて。さすがにここからは乗り物禁止よ」
「なに!? この楽しい乗り物はもう終わりかの!?」
「ぶーぶー!」
「いいから早く降りなさい」
聞かん坊の弟と妹に言うことを聞かせる心持ちで、イリアスは体で二人を足場から押し出した。
「ならば仕方がない。この足で直に入口へ突進じゃセージュ! 1000ゲトズザー!≡≡≡≡⊂⌒つ゜Д゜)つ」
「はいミハルク様! 1001ゲトズザー!≡≡≡≡⊂⌒つ゜Д゜)つ」
「何でわざわざ頭から滑り込むのよ迷惑ね! 服も汚れるでしょ! あとそのセンゲトって何!?」
バカみたいに突進していく彼らについそんな声を上げてしまう。そんなタイミングでヨーゼフとマリンの二人乗りも到着。
「何かのスラングでしょうか。今の子供たちの間ではやっているのかもしれませんな」
「そうかしら……。これは勝手な感想だけど、なんかすっごく古臭い言葉に聞こえるわ……」
「でも二人ともとっても可愛いです……。はぁ~……」
家族とそんな会話を交わしつつ、イリアスは幼い少年少女を見やる。偉そうで大人びて見えるかと思えば、歳以上に子供っぽく振る舞うこともある。何とも捉えどころのない二人。それがついさっき、二人でこちらのアヴァンシル探索についてくると宣言したことには心底驚いた。なし崩し的にここまでつれて来てしまったが……果たして自分はどうすべきなのだろう?
迷える理由の一つが目に入る。
スイーと、ミハルクたちの後ろに追いついたとてつもない鉄塊。
そのままノールックでセージュの小さい手に掴まれたのは、例の城門でも叩き切りそうな特大剣だ。
刃渡り二メートル、柄も槍並に長い肉厚重厚なバケモノソード。まず大人でも持ち上げられそうにないその特大重量物を、可憐で儚い外見の彼女は無頼のように肩に乗せて悠々と保持する。
「どうなってるのよ、あの剣は……」
ああいう不可思議な動きをしている以上、何かの魔導剣なんだろうとは思うが……。
「あいつらのことはいちいち気にするな」
後ろからかけられた声に、イリアスは唇を尖らせながら振り向いた。セグウェイはダサすぎるから乗りたくないと、相変わらず駆け足で着いてきた編み笠の用心棒がそこにいる。
「何だかやけに二人の肩を持つじゃない? ウォードッグ」
「構うだけ時間の無駄と言ってるんだ。他人の事なんかどうでもいいだろ。今は特に」
「それは……そうだけど」
「なら、さっさと用を済ませるぞ」
ぞんざいに言いつつスタスタと建物内に入っていく彼の背を、小さく舌打ちしながら追いかける。
本当ならこの日抱くべきだった感慨が、まだ追いついてもいないのに。
本部エントランスより先は、広い廊下と数々の小部屋で満ちている。中部屋以上のところには、家督を継ぐ予定のない貴族の子女たちが寄り集まり、世間話から墳都攻略の情報交換まで様々な議題で話し合っている。
墓の管理者を気取り、末端まで士気に満ちている〈グレイブナイツ〉や、一攫千金を狙う一般サクセサーたちの集まりと比べて明らかに大らか、優雅であり、率直に言って怠惰だ。
それもそのはず、嫡子以降の貴族の子は基本的にはお荷物で、ここにやって来たのも暇つぶしの冒険か、体よく追い出された者が半数を占める。やる気のある者も当然いるにはいるが、地道に探索エリアを広げるよりも、誰かが先に開けた扉を悠然と通っていくことの方がはるかに多かった。
誰が言ったか“永遠に休み時間の貴族学校”。
実際、魔導剣のトレーニング場や、墳都に関する資料館などもあることから、教育機関の側面がないとは言えない……が、それらを全身全霊で使い尽くしている者はごくごく少数にとどまっている。
彼らが歓談に興じる部屋を通り過ぎるたび、中から視線が飛んでくるのをイリアスは感じた。
原因の一つは、先行して廊下をはしゃぎまわっているミハルクとセージュと見ていい。特にセージュが肩に担いでいる物騒な武器は激しく目立ち、視界の端に入ろうものなら誰もが二度見せずにはいられないほど。
だが、自分が視界に入った瞬間、その好奇の眼差しが悪意を含んだものに変わることを、イリアスは諦めと共に受け入れていた。
「南門を突破した――」
「あのオーズドルファが?」
「サファイア席からの脱落すらほぼ決まっていたのに――」
寄せられる侮蔑、嘲り、疑いの視線と声が、いつもより一段際立った鋭さで切りつけにくる。
極ナントカのシュプリムトがあの場に来た以上、自分が南門を落としたことはもう同盟中に広まったと見ていいだろう。暇な貴族たちの噂話は時に音速を超える。自分がレリーフォナに呼び出されたことも、その揺るぎない証拠――。
(でも、本当にわたしがやったの?)
張り切れない胸のまま、前方をうろちょろしていた児童二人を捕まえ、イリアスの足はやがて大きな扉の前へとたどり着いていた。
故郷より取り寄せたというハイマホガニー製の大扉。
さすがに門衛を置くほど仰々しくはないが、気安く出入り可能な他の扉に比べて一線を画す厳粛さが封をしている。
イリアスは小さく息と服装を整え、扉をノックした。
「イリアス・オーズドルファ。出頭いたしました」
「入ってちょうだい」
ふんわりとした声を扉越しに聞き、凝り固まっていた胸の奥が少しほぐされるのを感じながら中に入った。
内部はまるで王宮の一室だ。深紅の絨毯に、高級家具の醸す重厚な木の香り。その優雅さ、高潔たる様は、部屋の主にして奥の執務机に収まった貴人にも言えること。
レリーフォナ・サウザンドウェール。帝国の意思決定機関、三重円環卓の最中央、アレキサンドリア席の一つに座する大貴族中の大貴族。その若き当主が彼女。
「よく来てくれたわね。イリアス」
紫陽花色の柔らかな髪が、羽衣のように肩の上を流れている。なめらかな額に、ここにあるすべての家具の曲線よりも上品な眉。少し垂れ気味の穏やかな双眸は見る者すべてを安堵させた。
年齢はまだ二十代半ばと聞いたが、その落ち着いた物腰、貫禄は、彼女がいつも座る執務机を飾りのない玉座に見せるほど。
微笑みと共に向けられた歓迎にイリアスは唇を引き結び、胸に拳を当てる貴族の礼でもって機敏に応える。
レリーフォナはくすくすと少女のように笑った。
「そうかしこまらないで。わたしは今、驚くと同時にとても嬉しいの。あなたがワルツを躍りながら部屋に入ってくることまで期待していたわ」
「……いえ、さすがにそれは……」
どうも距離を掴みかねる。彼女は帝国貴族の頂点の一つ、だというのにその口から出る言葉はいつも軽やかだ。
この同盟に参加した瞬間から何かと気にかけてくれていることはわかっていたが、現状の家格――はるか昔を含めれば別としても、雲上と泥の差。天より降り注ぐ温情すら、地表に届く前に消えてしまいそうなほどに遠い。そんな相手の軽口に、どう対応すればいいものか……。
「遠慮はいらないわ。若い娘が抜き差しならない理由で家督を継ぐことになった。その境遇がわたしに似ているから放っておけないだけよ」
「はい……ありがとうございます……」
その温情が、レリーフォナに近づきたい他の貴族たちからのやっかみの原因になっていることは、口が裂けても言いたくない。
「聞いたわ。あなたが“南門の岩壁”を落としたって。コールマンの連絡を疑ったのは生まれて初めてよ」
レリーフォナの執務机の隣で、帽子掛けのように静かに佇む長身の男が、かすかな微笑みで自分が人であることをアピールしてくる。柔らかな黒髪に薄褐色の肌。同盟の少女たちもうっとりな端正な顔立ちの人物は、彼女の副官にして執事でもあるコールマン。
アヴァンサ帝の時代に功のあった旧筆頭貴族の系譜でもないのにA級魔導剣を所持し、その実力は同盟随一と噂される。ただしレリーフォナが墳都探索に乗り出すことがないように、彼もまたここで裏方に徹している。
「では教えてちょうだい。わたしも、騎士団のゼニスもかなわなかったあの墓守をどう退けたか」
ゆるりと指を組んでそう問うてきた彼女に、イリアスは一部始終を語って聞かせた。『ノーツン・フォグア』を破られ、決死の突進を仕掛けたところまで包み隠さず。その際、レリーフォナの表情がわずかの間曇ったのが気まずかった。
「なるほど。不完全だった氷剣バルキヘイムの真の力をついに引き出した、と」
「はい……」
ドキドキしながらうなずく。
ウソを、ついた。
ミハルクのことだ。彼が魔導剣の奥義を知る秘密の一族であることを伏せ、戦いの中で偶然開眼したシナリオに書き直した。
これは、セグウェイで移動中にずっと考えていたことだ。
彼の正体を知られれば大勢の貴族たちが動く。各貴族家に伝わる伝承には、それぞれが継承する魔導剣が天を破り海を焼いた様が描かれている。だが今現在、ほとんど使い手がそれを再現できず、それらの描写を自家伝によくある誇張だと決め込んでいる。
しかしミハルクは――どこまでかはわからないが――その力を引き出す方法を知っている。
(この優位性を失いたくない――)
それが、イリアスが自らを恥じ入る、卑しい本音だった。
卑怯と狭量と笑えばいい。それでも独り勝ちしなければいけない理由が自分にはある。
「…………」
レリーフォナの静かな視線がこちらを縫い刺す。
決して強い目線ではない。だが丸裸にされた上に、体の内側すみずみまでを開かれ、のぞかれている気持ちになる。
(これ、嘘だって完全にバレてるんじゃ……?)
相手は大貴族の当主だ。小娘の嘘なんて簡単に見破ってくるかもしれない。
この本部には貴族用の宿舎があって、イリアスもそこを間借りさせてもらっている。もしここで不興を買って追放などとなったら――。
そんなふうに揺れかけた時だった。
「いつまで黙っているつもりでしょうか、彼女は」
「これセージュ、せっかちはいかんぞ。女同士の話とFAの溜めは長いものと昔から決まっておる」
いきなり。この場の厳粛さも空気もぶち壊す能天気な声が届いた。
(あの子たち……っ!)
ミハルクとセージュだ。しかも大人しそうなセージュの方が先に痺れを切らした。
青くなりながらイリアスがレリーフォナの顔色をうかがうと、彼女はさして気分を害された様子もなく、むしろ好機とばかりに話の矛先を二人に移す。
「ごめんなさいね。その子たちがあなたの新しい家臣団というわけかしら。何だかすごい武器を持っているけれど……とても可愛らしい女の子たちね」
貴族たちはパーティのことを古い言葉でバーサルと呼ぶ習慣がある。それはさておき、ミハルクは未だにイモを背負った野良作業の格好で、
「毎度毎度まぎらわしくてすまんのじゃがのう。わしは男じゃよ。セージュは女の子じゃが」
「えっ…………えっ!?」
レリーフォナは頭のてっぺんから声を上げた。
そして髪からつま先までまじまじとミハルクを見つめ、やがてもげるほど首を縦に振りながら、
「うっ、うん、いいと思う。すごくいいと思うわ!!」
なんかうちのマリンと同じ反応……。
さらに彼女は前髪をいそいそと直し、肩に寄ったシャツのシワもアセアセと直しながら、
「そ、その格好からして、山間の村から野菜を売りに来たのかしら? とっても偉いのね。あっそうだ、ちょうど食堂でジャガイモを切らしていたから、よかったら全部買い取らせていただけないかしら。まあなんて美味しそうなジャガイモでしょう。これはお代にも色を付けないと失礼だわ。それからそれから……」
「オホン。レリーフォナ様?」
「ハッ!」
隣のコールマンが咳払いした途端、取り乱していたレリーフォナの動きが止まった。
それから前のめりになっていた背筋を伸ばし直し、ニヤけていた顔も手で押し戻し、
「――そうね。少し前置きが長くなってしまったわ。本題に入りましょうか、イリアス」
紗蘭羅……と最上高貴な気配を纏わせながら、レリーフォナは優雅に微笑んでみせた。
「あそこから立て直せる品格があるのですね、ミハルク様」
「大したものじゃのう」
「コホンコホン! コールマン!」
咳払いしつつの女主人の呼びかけを受け、傍らのコールマンが動く。
彼の脇に置かれていたケースを机の上に置き直し、こちらに見えるようにフタを開いてみせる。そこには――。
「新品の金貨で一千万クーネル。南門を突破した者に同盟が支払うと約束した報奨金。正真正銘、あなたのものよ」
……!!
イリアスの背筋を、ぞくりとした感情が突き抜けた。
これまでどうにも追いつかなかった実感の一端が、唐突に心拍数の感覚を狭めていく。
お金。このお金さえあれば……。
ふらふらと前に出て、手を伸ばそうとした瞬間、
バタンと我に返る音を立ててケースは閉じられた。フタの上に置かれたレリーフォナの手を辿り、彼女の顔を恐る恐る確かめると、そこには真剣で神妙な面持ちがあった。
「イリアス。これだけあればあなたは一族が積み上げた借金を完済できる。残ったお金で小さな家を買うこともできるでしょう。帝国から賜った土地は手放していないはず。その借地代をやりくりすれば、あなたと家人三人、慎ましく暮らしていくことは十分可能よ。だからもう危険なマネはおやめなさい」
「……!! それは……できません」
イリアスは静かに首を横に振った。
「まだあと、先祖代々のお屋敷を取り戻さなければいけません。もう……一千万クーネル」
ケースの上のレリーフォナの指先が、わずかに革の表面を掻く。
「借金のカタにあなたから屋敷を取り上げた男は強欲よ。最終目的は爵位を示すあなたの土地と氷剣。いえ、あなた自身かも……」
「だとしても」
あの脂ぎった中年男の顔を想像するだけで虫唾が走る話だったが、レリーフォナの美しい声で語られている間は何とか耐えられる。残った夢までの距離を正確に測った頭が、自然とその先を言葉にして伝えていた。
「あのお屋敷はわたしと両親との絆なんです」
「亡くなったあなたの……?」
「はい。両親はわたしが物心つく前に亡くなりました。それからすぐに屋敷を手放すことに……。けれど両親と過ごした時間は、あそこに確かにあるはずなんです。わたしはそれを……どうしても取り戻したい」
「…………」
レリーフォナは悩ましげに息を吐いた。
「ご両親も、あなたが命を投げ出すことまでは望んでいないでしょうに」
「はい……」
捨て身の件はマリンにも散々怒られたことだ。あの時は借金返済も屋敷も、何もかもが遠かった。だから破れかぶれになってしまった。今はその半分は手に入っている。もうあんなことはしない……。
「わかったわ。ならもう止めはしない。あの門番を下した魔導剣士だもの。これからの探索でもきっと華々しい結果を残してくれると信じている」
「ありがとうございます。レリーフォナ様」
「それからそこの……ミハルク君? は、あまり荒事向きではなさそうだから、あなたが探索中はわたここで預かるというのは、ど、どうかしら……?」
「あっ、いえ……。この子も、わたしと一緒に行きたいというので……」
反射的に彼の同行を認めてしまった。しかし、ミハルクを同盟に預けるというのはどうにも危険な気がしたのだ。
「そう………………。では、借金先への送金はこちらでやっておくから、休んでいいわ。ああ、ヨーゼフ」
「はい」
部屋の後ろで控えていた執事から声が返る。
「コールマンに手を貸してちょうだい。オーズドルファの人々は方々から借金をしていたし、あなたなら色々ゴマをすって、いくらか多くのお金を手元に残せるでしょうから」
「心遣い感謝いたします。喜んでお手伝いさせていただきます」
慇懃な一礼を見せたヨーゼフを残し、イリアスたちはレリーフォナの執務室を出た。
扉を閉める直前、コールマンの意外に茶目っ気のある声が、
「お手並み拝見します、先輩」
「こちらこそな」
そんなふうなことを言うのが聞こえた。
新キャラが登場するたび最低一人は落としていくショタジジイがいるらしい。




