第六章 魔導大帝の実力
「おい……おまえまで何やってんだガキ。そいつにケンカ売ることの意味がわかってんのか?」
この勝負に口を挟んできたのは意外にもウォードッグだった。他人のことなどどうでもよさそうな目をしておいて、案外世話焼きなのかもしれない。
「十分わかっとるよ若人。そなたはお嬢ちゃんをつれて離れておってくれ。ちと派手になりそうなんでな」
「若……はあ? 勝手にしろ……」
見知らぬ子供相手に忠告以上の肩入れをするつもりもないのか、ウォードッグはイリアスを抱きかかえたまま後ろに下がる。
そのまま門の外へと出て行かないのは、さっき打ち砕かれた『ノーツン・フォグア』の氷の結晶があたり一面に加え出入口までも塞いでしまっているからだ。
ミハルクは心置きなく番人と対峙する。
空気が徐々に澄み切っていくのを感じる。
生まれた場所、育った家、家族、師、仲間、それらすべてが世俗の雑事として遠ざかり、剣と剣だけが意味を成す世界がやってくる。
「借り物の魔導剣じゃが、がっかりはさせんよ」
すでに決戦の間合いに置いてあった足を軽く広げ、顔の前で腕を交差させるようにして氷剣バルキヘイムを構え直す。
この繊細な薄刃を重いと感じる日が来るとは思わなかった。だが同時に頼もしくもある。よろしく頼むぞ……。
「『斬界構築』……」
大人の拳三つ分ほどの長さだった氷剣バルキヘイムの柄が、囁くような号令と共にジャキンと引き延ばされる。
柄の内部から露出したのは人の魔導を剣の心臓部へと伝達するための中枢回路。その幾何学模様の上を走っていた光点が、にわかに勢いを増した――、
瞬間。
ミハルクを中心に、極寒の魔界が構築された。古い数多の血痕を浮かせる床を白い霜が覆い尽くし、蛇じみて細長い雪霞が戦場を取り巻くように漂い始める。ブルーメタリックな番人の鎧に早くも霜が降り始めた。
「……な、何だ……これは……!?」
一番に戸惑いの声を発したのは、離れたところでそれを目撃したウォードッグのみ。
番人は。
「――!」
声なき気合のみで四方から押し寄せる冷気を跳ね返すと、その重厚な鎧に比べればいくらか細身な剣を天に掲げるようにして構えた。
「やはり。魔導剣の戦を知る古強者か」
この程度のこけおどしは通じない。ミハルクは満足して、息を計った。
人は息を吸う時に体を開き、吐く時に締める。溜め込んだ呼気を爆発的に吐き出す瞬間こそ、剣士の最大火力。
同時に、魔剣も息をしている。
魔導剣は生きている。性格があり、主人を試し、戦い方をえり好む。ならば息もあって当然。
凍て空を思わせる白い空気の中、ミハルクは『フルオープン』状態になった氷剣バルキヘイムに問いかける。今か。いやまだか。
魔導剣士は人にあらず。魔導剣は剣にあらず。二つで一人。息を合わせる必要がある。そのための同調、さらに同調――。
韻――。極限まで高まった緊張が、ついに音を鳴らすに至る。
直後。
「セイヤアアアアア!!!!」
「!!!!」
ミハルクと番人。二人の体から莫大な空気が放出され、両者同時の最大踏み込み。
躊躇ゼロ。絡め手ゼロの真っ向勝負だった。
互いが広げた剣の防空圏が急接近する。先に攻撃権を得たのはリーチに勝る番人。しかしまだ振らない。勝機をうかがうようにさらに詰める。続いてミハルクの射程が番人を捉える。こちらもまだ振らない。
互いの防空圏をすり抜け、もはや絶対死のラインに到達。
ここで技を出さねばいつ出すというタイミングで――ミハルクはさらに踏み込む。
死線をさらに踏み越える、アヴァンサ帝の決闘作法。
もはや剣を振るうスペースもない。しかし結局のところ魔導剣は剣ではない。悪魔からもぎ取った魔法の腕なのだ。
剣の柄頭に最大級の力を伝導させて突く。剣は振るものと理解している者からすれば、慮外の一撃。だからこそ通じる。それで終着――!
だが。
豪!
全力状態の氷剣バルキヘイムが広げた冷気の靄を突き破り、番人がさらなる踏み込みを見せてきた。
(これは――!?)
ミハルクが驚きに目を見開いた次の瞬間、両者の間で鉄塊と氷塊の大激突が起こった。
「うっ、おおおお!?」
氷礫が爆散する中、軽いミハルクの体は紙屑のように床の上を跳ね飛ばされた。
「はははッ! 見たぞそなたの『死地踏み』! 見事! アッパレじゃあ!」
視界の中で天地を無限に入れ替えながら、こみ上げてきたままの大声で笑う。
同じ技だ。こちらと同じ技を番人は使ってきた。ただの鉄クズではない。怪物でもない。技がある。情がある。そして――。
「おい! 生きてるか!」
止まるところを知らぬミハルクの軽い体が、大きな手に受け止められた。ウォードッグだ。
見物用の壁際。我ながら呆れるほどに吹っ飛ばされたらしい。しかし――。
「ピンピンしとるよ。それよりヤツはどうなった」
ミハルクは素早く起き上がると、番人へと注意を戻す。
ウォードッグも油断なく見据える爆心地。そこに番人は残っていた。片膝をつき、剣を支えに傾いて。
その半身以上が氷の結晶に呑み込まれていた。
互いに間合いを殺し切った結果、傍から見ればトンチキな正面衝突と相成った。が、それで終わるほどアヴァンサ帝の剣は甘くない。
きっちりと一撃叩き込んだ。その成果だ。
だが、同時にわかってもいた。あの番人、直前で止めた。
こちらに負けない何かができたはずなのに。
ミハルクは傾いだまま動かない番人に歩み寄った。
ウォードッグも警戒する足取りでついてくる。
「こいつ……壊んだのか?」
彼が聞いてくる。敵を前にして跪いたままなのは、確かに無敵の番人にあるまじき態度。
しかしミハルクはそうは思わなかった。
あの死線を踏む決闘の極意。その鋭さ。正確さ。そうした使い手を、たった一人知っていたから。
ベギリと氷が割れる音がして、重鎧の胸部装甲が剥がれた。いや、“開いた”。
そこからずるりと何かが落ちて来る。音もなく床に広がったのは白く美しい長髪。
そして白い肌の、幼い少女。
「……!?」
ウォードッグが息を呑む中、ミハルクはうつぶせに潰れている彼女を抱き起こした。
色のない世界からやって来たような真っ白で可憐な少女は、閉じていた目を開き、翡翠の瞳でこちらを見る。
途端、涙が溢れた。
「陛下。お会いしとうございました……」
※
「何だ……? 番人の中からガキが……?」
途方に暮れたように言うウォードッグの傍らで、ミハルクも確かに驚きに声を失っていた。
「そなた……セージュか……?」
ぱくぱくと空振った唇が、ようやく意味ある言葉を吐けた。
わかっていた。あの『死地踏み』の精度を出せるのは知る限り世界で一人。
死線上での急加速。それは勇気も蛮勇も超えた、ただ克つことのみに特化した針のように細く鋭い意志だけが成し得る業だ。アヴァンサ帝にそれを教えたのが、他らなぬセージュだった。
「陛下。陛下。ああ、ああ、幾たび、幾夜、幾星霜、この時を待ち望んだか」
妖精のように愛らしい少女の瞳から、幾筋の涙が溢れてこめかみへと落ちていく。
声も違う。顔は……仮面もあって元から知らない。しかし伝わってくるこの情愛、真心は、300年前と何一つ変わらない。大帝の名に賭けて断言できる。
「しかし、おまえだとしてその姿はどうした?」
仮面のセージュはアヴァンサ帝とさほど違わない背丈があったのだ。そして今もまた、幼いミハルクとそう歳の変わらぬ容姿。
「陛下。わたしの愛しい人……!」
「もしや、おまえも生まれ変わっ……!?」
感極まって抱き着いてくる体を受け止めた瞬間、ミハルクは気づいた。この感触は。
「おまえ……その体は人形か……?」
「はい。わたしはセージュの記憶と意志を埋め込まれた“魔導人形”です。いつか陛下が生まれ変わってこの地を訪れた時、再びお仕えするために造られました」
「……何と! おまえはわしの生まれ変わりを予期していたというのか?」
「いいえ。しかし信じておりました。陛下ほどのお方が、たった一度の死で終わるはずがないと……。九個の命は固いと」
「はは……。わしは猫か」
セージュは――人形に込められた友の遺志は、限りなく嬉しそうに微笑した。
「はい。陛下は猫でございます。世界で一番愛おしく、そしてままならぬお方」
「立てるかの?」
「はい」
ミハルクに支えられながら、セージュは立ち上がった。
背後にかしずく巨大鎧との対比で、冬の妖精のような儚い容姿が一層際立つ。
もみの木のようにひざ下近くまで広がる雪髪。幼い肢体に凹凸は少なく、ぴっちりとした白いボディースーツの表面もつるりとなめらかだ。露出した肩から先や太ももにも衣服と変わらぬ白さがあって、まるで体に線が引いてあるような、あるいは裸のままのような違和感がある。
唯一色づいた碧の瞳は、涙もあって濡れたエメラルドの美しさだった。
「何と愛くるしい姿じゃ。まるで妖精のようじゃぞ朋友よ。しかし、どうしてそのような幼い見た目に?」
「はい陛下。陛下がいかなる生き物、性格、状態に生まれ変わってもいいよう、ありとあらゆる属性、性別、性癖の人形にわたし自身を埋め込んだのです。残念ながら大部分がすでに機能を停止し、残っているのはこのわたしくらいのものでしょうが」
「何と……。加減のなさはいかにもおまえらしいのう」
しかし、こんな奇跡があっていいのか。
生まれ変わった300年後の世界で、かつての友と再会できるなどと……。彼女の言葉がウソ偽りではないことはわかっている。だがあまりにも夢のようなできごとだ。確かめたい。どうにかしてもう一度だけ、古い言葉でセージュ本人だと確かめたい――。
「ぬるぽ!」
「! ガッ!」
「ああ間違いない友よ! 会いたかった! 何度目の生涯であっても!」
「陛下!」
ヒシシシッ! 二人は再び抱き合った。
この言葉が通じるのであれば間違いない。これは我が友だ……!
そうしてミハルクとセージュは人目もはばからずにおいおいと泣いた。
「何なんだおまえらは。殺し合ったり抱き合ったり……。おい、さっきから何一つわからないから、いい加減俺にも説明しろ」
そこにうんざりしたようなウォードッグの声が割り込んだ。
「は? 陛下とわたしの感動イチャイチャタイムの邪魔をする気か。潰すぞ」
「いきなり物騒なこと言ってんじゃねえよ……。おまえがあの番人の中身……ってことでいいのか?」
彼が振った目線の先には、胸部装甲をオープンした重鎧がある。驚いたことに中は座席のようになっていて、様々なレバーや計器がひしめいていた。
「そうだ。例外級魔導剣、鎧剣「ガルガチュア」。わたしのために造られたただ一振りの剣」
「なるほど! 氷剣バルキヘイムの奥義を破れたのは、あの鎧自体が魔導剣じゃったからか……!」
「はいさすがは陛下! ご明察! 天才! すき!」
「二面性強ェなこいつ……」
ため息をつくウォードッグ。だが、その程度で済ますだけ器がでかいとも言えた。もしイリアスが起きていたら大騒ぎだったろう。
「それで……おまえらは一体何なんだ? 陛下だの何だの……初対面じゃないようだが。それからさっきの魔導剣の様子もおかしかった。イリアスが使ってる時は、あんな現象は起こらなかったはずだ」
どうやら『斬界構築』のことを言っているようだ。薄々察してはいたが魔導剣の技に関してはだいぶ失伝している。まあ、戦のない世であればあんな馬鹿力、必要なくなるのも無理はないが。
ここでミハルクはふと、今こそ圧倒的な証拠が手元に揃ったのではないかと思った。
アヴァンサ帝の腹心の部下であったセージュ。たとえ幼い姿であったとしても、〈南門の岩壁〉と畏れられていたことは動かしようのない事実で、そんな彼女が証言してくれれば、ついに自分は魔導大帝の生まれ変わりだと信じてもらえるはず。
「オッホン! ウォードッグよ。わしらの正体について聞きたいようじゃな。では心して聞くがよい。実はな。わしの正体はァ――!」
「お待ちください陛下ぁ!」
「むぷっ!」
いきなりセージュが飛びついて来て、心なし膨らんでいる程度のペタい胸を押し付けてミハルクの口を塞いできた。
その態勢のまま横歩きし、ウォードッグと距離を取らされる。
「ぶはっ。なんじゃセージュ、あとちょっとでこの物語、完というところで」
「完ではありません。陛下とわたしのラブラブエブリデイは果てしない坂を上り始めたばかりなのです。そして、よろしいですか陛下。あなたはご自分の正体をみだりに明かすべきではありません。……戦になります」
「ニャニ!?」
思わぬ発言にミハルクの声は裏返った。
「わたしは長い間、ここを守りながら外の音を聞いてきました。人々が語る魔導大帝の名は、時を経るごとに存在感を強め、今や神にも等しい存在へと昇華しています」
「さもありなんじゃな」
伝記から伝説、そして神話へ。偉人の死体が辿る出世コースとしてはありきたりだ。史上初の大陸統一帝国の主とあれば、その花道もさぞまぶしかろう。生身の人間であった部分はこそぎ落とされ、偉業と逸話のみが人格を再構築。もはや神と同じで人間アヴァンサのことなど誰も知らない。
「そうした世で、もし神にも匹敵する陛下が復活したと知られれば、多くの人々がその足元に集うでしょう」
「激しく同意じゃな」
「そして、現在の統治機構と真正面からぶつかることに――」
「!!」
そうだ。今この時代にも皇帝はいる。統治者が、権力者がいる。
〈嘆きのサファイア〉に始まる、手柄を立てるアテもなく鬱屈した日々を過ごす大勢の貴族たち。こんな墓に人が群がってくるのも、その状況をひっくり返すためだとすぐわかるではないか。そんな場所で大帝アヴァンサが再臨し、そこらをほっつき歩ていたら、彼らは確実に神輿として担ぎ上げるだろう。
その後で起こるのは今の権力と過去からの正統性の衝突。これは今に始まった話ではなく、アヴァンサ帝の時代からそうだった。
「しかしのうセージュ。わしの魂があるとかいう与太話に踊らされて、あちこちで人が争っておるのじゃぞ」
「民を巻き込んだ戦になるよりはマシでしょう。命知らずが伝承に釣られて死ぬのはいつの時代もどんな場所でもよくあることです」
「おまえがそうなるよう仕向けたくせに?」
ピタッ、とセージュの動きが止まった。
「な、何のことだか……。ヒュー、ピヒューッ」
「下手な口笛など吹くでないわ! やはりおまえか! このクソデカ墓も、後継だ何だと妙な伝説も!」
「お待ちください陛下! 確かに……確かに伝説も大墳都はわたしが設計したものです。しかし実際に作ってはいないのです!」
「なんじゃと! ……聞こうではないか」
ミハルクは怒らせた肩を一旦下した。300年振りに会って友とすることがケンカでは確かに締まらない。
「ありがとうございます。――陛下が旅立たれた後、わたしは自伝を書き残すことにしました」
「よい終活じゃな。おまえの手記なら後世の人々のためにもなろう」
「しかし気づけば、中身はモリモリに盛られた陛下伝説になっていました」
「なぜした!?」
「……陛下がいない世が、あまりにも寂しくて……グスッ」
「ハッ……! す、すまぬセージュ。おまえ一人に寂しい思いをさせた……」
「陛下!」
ヒシシッ! 二人はまた抱き合った。
「ムフフ……オホン。そしてその自伝を作る過程で、わたしは大墳都を設計したのです」
「おまえには、ちっさい墓でよいと言ったはずなんじゃがのー……?」
「陛下があの景色を美しいとおっしゃったので、つい……。しかしそれは紙に書いただけのもの。誰にも作れとは命じておりません。そして、わたしも自伝を書き終える前に迎えが来ました。つまり誰かが……書きかけの原稿を回収し、それを元にこの大墳都を建設したのです」
信じがたい。そんなことをして何の意味がある?
公式に入るべき墓は、生前すでに遷都先のど真ん中に建設中だった。歴代皇帝とは別の、大帝国の新たなる霊廟だ。大臣たち全員の合意は取り付けられており、そこから別の場所に新設するなど権力構造的に不可能だったはず。
「さらにです、陛下。この街の者たちの声を聞くに、陛下のご遺体が新首都の霊廟に納められたことを今の人々は知らないのです」
「なに!?」
「きっと碑文も改竄されているのでしょう。誰かが意図的に歴史を歪めた……真実を秘匿し、ここに人を集めている。気づけばわたしも陛下を求めるようにこの地におりました。わたしにはその何者かの古い思惑が今も続いているように思えてならないのです。その正体が一体何なのか……見極めるまで陛下が表に出るのは危険と存じます」
老人たちの積もる話が長いので、一旦ここで切ります。




