第四十三章 槌の音
容認できない。
いつかふと気づいた時に自分の隣に死が自然と佇んでいる人生を、カイナはずっと容認してきた。
ある日、大した脈絡もなく命を落とすことになっても、生きるとはそういう紙一重のものだと。
それは諦念ではなく、日々を悔いなく生きるためのおまじないのようなものだった。無事に一日を過ごし、夜寝る前に自分よりはるかに大きなものへ感謝するように。
であるならば。誰かのために死ねる日は、それなりに良い日なのではないか。
それが祖父の生き様から勝手に学んだ死生観であり、人生訓。
けれども。
自分が、“死なれる”側になることは。
大切な友達が、自分のために命を落とすのは、まだ、全然、まったくもって、微塵たりとも容認できない。
(あかん、あかんでリンナちゃん……!)
迂闊に励ましも音に出せない状況で、カイナはその思いの丈を、背負った親友に渡し続けていた。
白顔面は退いた。
リンナのすべてを賭けたと思えるあの渾身の一撃が、アヴァンシル最強のモンスターを撃退したのだ。
人類史上初の快挙。しかしそれを親友ただ一人に任せてしまった代償として、カイナはひび割れた鬼剣を腰に重ね、目を覚まさないリンナを背負って霧の墳都を彷徨っている。
確かな方角はわからない。だが大雑把に来た道を戻っているつもりだ。そう考えないとあまりにも状況は絶望的だった。
(こんなところで死んだらあかん。そうや、“こんなところ”や。こんなところでも、どんなところでも、リンナちゃんが死んでええなんてことあるわけないんや……!)
自分のことを棚に上げて、カイナはリンナを、そして自分の足を励まし続けた。
鬼剣と違って焔剣は健在だ。疲れはあるがカイナ自身もまだ戦える。しかしこの弱り切ったリンナをそばに置いてモンスターとの遭遇戦をやるわけにはいかない。彼女を今すぐ安全に休ませなければいけなかった。
あの時、彼女が見せた異様な“形態”。それがリンナと鬼剣を一気に消耗させたのは間違いない。まるで己の中にあるすべてを出し切ってしまったような……。あれは一体何だったのだろう。奇跡なのか、それとも魔導剣の未知の可能性なのか……。
けれどもそれによって鬼剣は修復不可能な傷を負ってしまった。死んだと言っていい……。リンナの方はどうなる。彼女もこのまま衰弱して同じことになってしまいそうな冷たい予感を、カイナは首を横に振って払いのけた。
いやだ。容認できない。そんな終わり方、認められない。自分のせいで、この子が死ぬなんてこと!
数メートル先すら見通せない霧の中を、頼りない足で進み続ける。
つい数日前までの、街での楽しい記憶がふと蘇る。広場の祭りで子供たちと遊んだ。リンナとタコ焼ケを食べ、酔っ払いの喧嘩も仲裁した。すべてが遠い幻に感じられる。吹けば飛んでしまう。そうだ、それが命の軽さ。
だが今、この親友の重さはどうだ。全然軽くない。彼女の命の重さが消えたら、自分ごと消えてしまいそうな気すらする。彼女もそう思ってくれたから、命を賭して自分を守ってくれたのではないのか。
うちはバカや。大バカや。
どれほど歩いただろう。麒麟なら一駆けなところを、人の足はどこまでものろい。
ふと、音が聞こえた。
カイナは身構えた。
敵か? 白顔面が引き返してきたのなら絶望的だ。そうでなくとも……いや、今は生きることを考えなければ。自分が死ねばリンナも死ぬ。
しかしその音のことをカイナはすぐに思い出すことになった。
断続的に聞こえてくる空気の振動。白顔面を見つける直前にリンナと聞いた音だ。
――ちゃんと戻ってきている。それが一つの安息を胸の内に芽生えさせた。
だが、ここからはどうなるか。あのヤンチャな馬は好き放題駆け回ったので、どの方角が脱出路かは定かではない――。
考えながら歩いているうちに、音が次第にはっきりと聞こえるようになってきた。
カイナははっとなる。
「この音……金槌の音や」
槌の音といえば、どこの職人街でも絶えることのない音楽だ。しかしここアヴァンシルでは一度も聞いたことがない。いないのだ。職人が。
では、この槌の音は?
当初の目的地だった武器職人街ではさすがにない。ならばまた別の場所を偶然発見したのか。
しかし周囲にあるのは倉庫や空き地のような生活感のないものばかり。こんなところにぽつんと工房があるものか? どうする……。
カイナは決断した。
音の方へとさらに向かう。
もしかしたら職人の墓守がいるのかもしれない。遠い昔にいなくなってしまった人形の、生き残りが。
彼らなら無害のはずだ。休める場所も確保できるかもしれない。
いくつもの霧の層を抜け、金槌の音が靄の一枚一枚を揺らしているのさえ見えるようになった頃。
カイナの前に、小さな工房が姿を現した。
わずかに熱を感じた。
炉に、熱が入っている。
間違いなく誰かがいる。
「ごめんください……やで」
怪物たちを警戒し、ほとんど小声でそう伝えて店の扉を開けた。
中に入ってすぐは、小さな販売店となっていた。
飾り気のない武骨な店内。鍋やフライパンといった生活用品に交じって、何本かの魔導剣がいきなり飾られている。
なんとも奇妙な組み合わせだ。剣はぱっと見、どれもC級あたりのそれほど価値のないものだろう。
しかし何となくそれに近づいた次の瞬間、カイナは事前の予想を慌てて撤回することになった。
その一本一本は確かに、後継者の街でもすぐに購入できるようなありふれた剣だった。
だが、色艶が違う。身に纏う鋭さが違う。剣自身が己を誇っているようにすら感じる。単なるC級がまるでB級……その上位にすら匹敵する風格だ。
「なんや、これ……」
どれほど優れた魔導剣匠でも等級を飛び越えるほどの品質を作り出すことはできない。魔導剣の格は心臓部たるジュエルコアが決めるといっていいからだ。なのにこの剣のクオリティはその絶対線を超えかけている……。
何かが胸の内で不規則に跳ねるのを感じながら、カイナはカウンターの奥の入口へと進んだ。
案の定、そこは工房へと繋がっていた。
入る前から、炉の熱気と独特の薬剤の匂いが立ち込めていたから間違いないと思っていた。
「……!」
そこに、居た。
赤熱する素材の色をよく見るためなのか、少し薄暗くした仕事場。
炉の光に朱く照らし出されたそれは、背を丸めた職人の後ろ姿に違いない。けれども。
人間では、なかった。
少なくともカイナの知る人間では。
それは全身をマジカルシウムの殻で覆われた、人型の怪物としか呼べない代物だった。
しかし作業用の小さな椅子に腰かけ、打ち終わったばかりらしい、磨き上げる前の鉄板状の剣を見つめるその姿。それは何度も見たことのある鍛冶師そのものだ。
一瞬、今すぐこの場を立ち去ろうかと逡巡した。
これはダリアたち墓守の人形とは明らかに異なる存在だ。
人の形をした甲殻の怪物なんて、そうだ、白顔面しか知らない。
けれども、形成を終えたばかりの剣のただならぬ出来栄えに、悩むよりも先に言葉が出ていた。
「突然、仕事場にお邪魔して、えろうすんません! けど、この子、この子の刀を直せませんか!?」
甲殻の鍛冶師は、突然店に入ってきた人間にさして驚いた様子もなく、椅子の上でわずかに姿勢を変えてこちらを向いた。
貌はやはり、人間のものではない。じっくりと時間をかけて形成された、巻貝のような奇妙なシワで覆われている。それでも人の目にあたる部分でこちらを注視しているのが雰囲気でわかる。
彼には口もなかった。最初の頃のダリアと同じようにしゃべれないのかもと思い、カイナはさらに言葉を連ねていた。
「この子、この刀も、うちを守るために命懸けで戦ってくれたんです。あんなんなってもうた魔導剣がもう蘇らないことは承知してます。けど、店に飾られてた剣を見たら、尋常な腕やないと思って……。お願いします。この剣を助けてやってくれませんか!」
お願いします、と本当に心を込めて、再度カイナは頭を下げた。
これだけの隙を晒したら、もし彼が敵だった場合、命はない。それはわかっていても、縋る価値のある希望だった。
リンナが死ぬのも、リンナの魔導剣が死ぬのも、どっちも嫌だ。“ひとり”でも欠けたら、耐えられない!
懇願を終えた後の静寂がおよそ二秒。ごそりと、わずかに空気が動く気配がした。
カイナは顔を上げた。甲殻の鍛冶師が、手をこちらに差し出していた。
見せてみろと言わんばかりに。
わからない。勝手にそう感じただけだ。別の意思表示だったかもしれない。しかしカイナは慎重に腰から鬼剣を抜き、鍛冶師に渡した。そんな些細な動きの中ですら、鬼剣はいつ折れてもおかしくなかった。
鍛冶師は鬼剣を受け取ると、炉の側へと向き直った。
“やってみる”という意思を感じ、カイナは早合点と知りつつも「ありがとうございます! ありがとうございます!」と何度も頭を下げていた。
それを受けてなのか、後姿の鍛冶師が、何かの癖のようにごしと自身の頭を撫でる。
(あ……)
なぜだか急に、カイナはそこに生きた“人”がいることを感じた。
ゴマ塩頭の、不愛想で、けれども根はいい中年男。そんな勝手な想像が甲殻の内側に透けて見える。
彼は炉の光に鬼剣をかざし、そして刀身にそっと指を重ねた。
何かを労うような、そんな仕草に思えた。
助かるかもしれない。カイナの胸に、そんな希望が消えようもなく焼き付いた。
「あの……図々しくてホンマすんませんけど、この子を休ませたいんです。表のお店の隅っこでいいんで、お借りできませんか……」
そうたずねると、甲殻の職人は工房の隅へと目線をやるような仕草を見せた。
そこには簡素な寝床があった。
使われた形跡はない。彼はきっと眠りを必要としないのだ。
“使っていい”と言われた気がして、カイナはまた何度もお礼を言って、リンナをそこに寝かせた。
「一人で逝ったらあかんよ、リンナちゃん……」
そう囁き、体が冷えないよう彼女を抱き締める。
こちらの方がわずかに体温が高いが、それはいつものことだ。
のしかかっていた絶望がわずかに遠ざかったからか、それともリンナの温度がそうさせたのか、いつしかカイナも眠りに落ちていった。
夢を見た。
あたり一面が真っ白な世界で、石畳だけが、描き始められた絵のように足元から伸びている。
その道の先に、狩衣姿で長い黒髪の女の子がいた。
刀型に装飾された魔導剣を大事そうに胸に抱き、見知らぬ土地に来たばかりの心細げな目で周囲を見回している。
「こんにちはぁ。なあ、その子、何なん?」
カイナが少女の頭のすぐ横に浮いていた小さな火の玉を指してたずねると、彼女はびっくりして、「この子が見えるんですか?」との返し。
聞けばその火の玉は、普通の人間には見えないものだという。カイナも伊達や酔狂で巫女服を着ているわけではないので、精霊の欠片だとか裏側の住人だとか言われてもさほど驚きはしなかった。けれど女の子の方は、家族以外でそれを見えるのは初めてだとかでひどく驚き、興奮していた。
そうだ。これがリンナとの出会い。
たった二年前、この街でのことになる。
色々話をしてみて、リンナがひどく口下手で生真面目な性格だということがわかった。よくしゃべりすぎと言われる自分とは正反対で、足して二で割ったらちょうどいいと我ながら思った。
持っている魔導剣の曰くについても、どこか似通っていた。
呪いを恐れて実家に押し付けられたリンナの鬼剣。カイナの焔剣もまた、遠い過去に“事”を起こして神社に奉納されたものだ。
焔剣ホムラガラス。帝国の東方侵略で多大な戦果を挙げた“英雄剣”。では東方人からすると忌まわしい禍器かと問われると、実はそうでもない。
なぜならあの戦乱期、東方は東方で小国同士が頻繁に小競り合いを起こしており、それをアヴァンサ帝にまとめてさらわれた形だからだ。小魚同士で争っていたら、いきなり鯨に食われた。それだけのことでしかない。
そうして平和な世が訪れたある日、軍の蔵が焼け、貴重な資材が大量に焼失するという事件があった。アヴァンサ帝が亡くなってずっと時間がたってからだ。
火元は厳重に保管されていたはずの焔剣だという噂が立ち、さらに、それが戦乱期に絶炎に焼き殺された人々の恨みではないかという流言まで飛び交いだした。
帝国の統治方法は「現地のことは現地人に任せる」だったので、東方生まれの領主にはこのじめっとした怪談が直に響いたらしい。かつての英雄剣は鬼を住まわせた呪物として神社に押し付けられ、以来なし崩し的にこちらの管理、所有となった。
そんな曰く付きの剣を持ち寄って、生まれた年も同じで街に来た日も同じとなれば、これはもう縁としか言いようがない。鬼道も神道も縁という名の命の巡り合わせを大事にする流派だったから、一緒に行動するようになったのは必然だった。
そうして今。墳都の片隅、不確かな生死の境目で、命と体温を分け合っている。
あの出会いから今日まで、うちらに何一つ間違いはなかった。夢の中ながら、そう思った。
※
目が覚めた時、ずいぶん長い間眠ってしまっていたことにカイナは唖然とした。
工房からは仕事の熱が去り、甲殻の鍛冶師の姿もなかった。
そのかわり、生まれたばかりのようにギラつく鬼剣が、台座の上に静かに置かれていた。
傷は影も形もなく。その研ぎはむしろ今までよりも鋭さを増して、鍛冶場に入り込む微風を一人でに断っているように感じられた。
息を呑む。
剣に宿った気迫というだけではない。
“人”が、死んだ魔導剣を甦らせたのだ。普通の刀剣でさえ、地金までイった武器はもう元には戻せない。
神業。しかしまぎれもなく人為……。
リンナはまだ目を覚まさない。けれど顔色はよくなり、呼吸も穏やかだ。まるで鬼剣と一緒に立ち直ったみたいに。
あの鍛冶師は一体何者だったのか。カイナは彼を探そうとした。
しかしどこを見ても姿はどこにもなく、ただ、店の外に出たところの石畳に、炭で矢印が引いてあった。
それは、自分たちが帰る道を示してくれているように思えた。
不器用で、口下手で、恥ずかしがり屋な男の後姿が、自然と浮かんだ。
「この恩は忘れません。うちと焔剣の名に賭けて、必ず返しにきます」
カイナは深々と一礼し、リンナを背負うと、霧の中へと還っていった。
捜索隊として出ていたサリファーら第七兵士団と遭遇したのは、それからわずか二時間後のことだ。
それではしれっと再開していきましょう。
まずは和装ミニスカ少女二人の添い寝シーンから。




