第四十二章 『白顔面』
(なんでこんな所におるんや……!)
疾駆する麒麟の背で、カイナはやり場のない焦りを身の内に反射させた。
墓守たちのことではない。彼女たちはアヴァンシルのあちこちで魔導大帝のために長い間奉仕を続けている立派な人々だ。恨むのはあの咆哮の相手のこと。
『白顔面』と。そう呼ばれている。
ホワイトガンドなどとは違い、特定の出現ポイントを持たない神出鬼没の怪物。最近は西エリアで目撃報告があったはずだが、もうここまで移動してきたのか。
なぜ北部探索が進んだ矢先に……。あるいは、だからか? ホワイトガンドが退いたから?
ひょっとしたら怪物同士の縄張り争いもアヴァンシルでは行われているのかもしれない。
浮かんでは消えるいくつもの思考は、ほとんど逃避行動に近いとカイナは自覚していた。
たった一つの考えから意識を遠ざけるための。
今日、ここで、自分が、死ぬという。
――人が生まれる日に、人は死ぬ。
それはカイナの祖父が残した言葉だった。
子供が生まれ誰もが慶ぶめでたい日に、自分だけが死にゆくこともある。
終わりはゆっくりと、あるいは突然目の前に現れるものだ。それ以外のものとの整合性は一切ない。祖父の最期はそういうものだった。
わかってはいた。その覚悟をもって、日々臨んでいた。しかしいざ触れられると身も心も急激に冷えていく。どうして。今。こんなところで。
いかんぞ。とでも言うように、腰に吊るした焔剣ホムラガラスが熱を帯びた気がした。
(ごめんやで)
その柄を指でゆるく撫でながら、カイナは自身の炉に火を入れ直す。
戦う前からビビっててどうする。アヴァンシル最高クラスの怪物がなんや。むしろ騎士団の水龍と火龍で痛い目見せたるわ!
グエエエエ……!
びりびりと喘鳴にも似た怒号が霧を震わせる。
心が押し負けないように密かに歯を食いしばる。大丈夫、心の火は揺れていない。
白顔面がすぐそばにいる。
ヤツが墓守を“食う”とは聞いていないが、必死に逃げる彼女たちを見る限り、身の危機を感じていることに変わりはない。
白顔面に食いちぎられたと思しき後継者たちの無残な死体が、記憶の奥底からほの暗く浮かび上がる。
もしリンナが。もしダリアが。そうなったら。
「ガチでやりあう必要はないで! 注意を逸らすだけで十分や!」
「わかってます! 墓守たちを逃がしたら、わたしたちもすぐに撤退です!」
また意見が合った。そのことにほっとする間もなく、カイナとリンナを乗せた麒麟は、墓守たちと追跡者の間に飛び込んだ。
「みんな、はよう逃げ! ここはうちらで食い止める!」
修道服姿の墓守たちはこちらの存在を認識しているのかいないのか、振り返ることもなく霧の中に消えていった。
それでいい、と視界の端で見送りながら、二人そろって麒麟から降りる。騎乗したまま動きを阻害できれば一番よかったが、それでは馬上の不利が残る。万全な体制を敷くならやはり地上。即座に魔導剣を抜く。
空気が、迫ってくる!
「来るで!!」
「応ッ!!」
次の瞬間、真っ白い巨大な顔が霧の中から突き出てきた。
見開いた目に、潰れた鼻。歯を剥き出しにして笑った口。
人の相だ。ただし高さは三メートル以上ある。
巨人の頭部。そう言い表すのが一番早い。
ただその表面は皮膚というより白い甲殻で覆われている。奇妙なのは、甲殻が幾重にも重ねられているせいで、包帯をグルグル巻きにしたミイラのように見えることだった。
生々しい巨人のミイラ。それが白顔面と呼ばれる禁忌の怪物だった。
「『斬界構築』!!」
並んだカイナとリンナは同時に魔導剣の出力をフルスロットルまで上げた。
顕現した焔と水の両世界の膜が、飛びついてきた巨大なミイラの頭部を受け止める。
『破!』
二人そろっての気合が、膜を弾けさせて白顔面を後ろへと押し戻す。
(よっしゃ、息ぴったり!)
親友との阿吽の呼吸が、カイナに勇気と自信を膨れ上がらせる。
うちら二人なら、負けない!
――ギイヤアアアア……!
苦痛に満ちた叫び声を上げ、白い巨顔が再び飛びついてくる。
今度は二人で左右に跳んでこれをかわす。分断はされていない。作戦通りだ。
「食らいなさい!」
リンナが雷纏いの長巻を振るい、ミイラ頭に稲妻を打ち下ろす。
どちらを追うか迷っていた不気味につぶらな両眼が、濡れた音を立ててリンナに狙いを定める。
「そっちやないで、こっちや!」
間髪を入れずカイナの側からも焔の剣を一薙ぎする。燃える刃が地面に炎の舌を走らせ――まるで龍のようにうねって白顔面を直撃した。
オエエエエエ……!
苦悶の叫び。しかしダメージがろくに通っていないのは明らかだ。事実、巨顔を覆う白い甲殻には焦げ跡すらついていない。
それでもカイナとリンナは絶妙にタイミングをずらしながら攻撃を続ける。円を描くように絶えず立ち位置を動かし、注意を引き続ける作戦。並の怪物相手なら二人の集中砲火による撃滅陣形となるのだが、このバケモノ相手には時間稼ぎが関の山。
(大丈夫や)
次々に焔の刃を放ちながら、カイナは確かな手ごたえを感じていた。
息の合った攻撃に白顔面は的を絞れずにいる。墓守たちもだいぶ離れた。あと少しこれを続けたら、麒麟に飛び乗って退散すればいい。
(今日は死ぬ日や、ない!)
ギャアアアア……!
突然、白顔面が癇癪を起したかのように天に吠えた。
白顔面の声は常に絶叫だ。だからそれは、ただ怒り狂っているだけかもしれないとカイナは思った。しかし次の瞬間――。
白顔面の肩が地面から盛り上がった。
「な……!?」
これまで、こいつは巨大なミイラの生首だと思われていた。しかし違った。肩の次は腕が出て地面を掴む。
まるで泥の中から這い出ようとしているみたいに。
「こいつ……胴体があったんか!?」
カイナは愕然とする。リンナもきっとそうだろう。
そうやって、ついに脇の高さまでが地上に露わになる。
まずい、と思った時には、白顔面の腕が迫ってきていた。
「何のォ!」
ハエを叩くようにして家屋が一軒、簡単に潰された。カイナは間一髪でそれから逃れていたが、想像以上に――いや異様なまでに巨人が素早い。
ギイイイイイ……!
白顔面がこれまでで一番大きく動いた。這い這いをする赤ん坊のように、手のひらを何度も地面に打ちつけながらリンナを追いにかかる。
「リンナちゃん! ええい、こっち見んかいバケモノ!」
カイナは炎の太刀を何度も浴びせるも、地表に露出した巨人の背中は揺るぎもしない。
(何なんや、これは……!)
おかしい。白顔面の胸から下はまだ確実に地面に埋もれている。鮫剣のように潜って見えるのではない。本当に体が沈んでいるのだ。なのに移動しても地面には穴一つ開かない。まるでここが水の上であるかのように何の障害もなく這い回っている。
幻か、それとも悪夢でも見ているのか。
「『千祖電雷』!」
無数の稲光が白顔面の体中に降り注ぐ。リンナが奥義を使った。しかし、実を言えばあれの単発の威力はそれほどない。甲殻にはほぼノーダメージ。かといって焔剣の通常攻撃では『斬界』状態でも同じ結果。
(けどな!)
カイナは剥き出しになった柄の伝導構造に、さらに力を流し込む。
焔剣の刀身が陽炎のように揺れ、やがて茜色の炎の中に消えた。
『絶炎状態』!
火剣アグニスカより二世代後に生まれた焔剣は、改良された基本性能として強化モードを備えている。
その一太刀ならば――!
「せええええい!」
業火のような火の太刀筋が白顔面の背中を走る。
グアアアアア……!
初めて、白い巨人の体が微動した。
通った。これまで蚊に刺されたようにしか効いていなかったこちらの攻撃が。
それなら……!
「リンナちゃん、あんたも逃げぇ!」
「……!? カイナ!?」
「うちの焔剣は無差別殲滅型や!『炎魔執刀』を使たらリンナちゃんまで巻き込んでまう!」
『斬界構築』、『絶炎起動』、そして奥義『炎魔執刀』。この焔剣とうちの最大出力で勝負!
「ダメ、絶対ダメです! そこまでやったらあなたの消耗は……!」
「せやけど、こいつの腕からは麒麟でも逃げ出せへん! なあに、うちの全力ブチ込んだら、さすがの白顔面でもノビるやろ。その後に拾ってくれたらええんや……!」
うそだ。
予感がある。それだけの総力を叩き込んでも、いいとこ怯ませる程度。
でも、親友を逃がす時間稼ぎくらいにはなる。
どんなに日々が楽しくても。どんなにいい出会いがあっても。死はいきなりやってくる。
今日、どこかで身近な誰かが幸せに笑っていたとしても、自分だけが死にゆくこともある。
なら親友のために死ぬ今日は、きっといい日だ!
「麒麟よ!!」
突然。
立ち込める霧を跳ねのけて青白い光が迸った。
「何や!?」
覚悟を決めきっていたカイナは、この異変に目を剥いた。
麒麟の活躍はこれまでそばで何度も見てきた。だからこそわかる。今までと何かが違う何かが起きたと。
「リンナちゃん、何する気や!」
「カイナは絶対に死なせない! カイナは、わたしの……! わたしたちは、もっとずっと……!!」
耳を劈くほどの放電音。
リンナと麒麟の周囲を雷雲の巣のような稲妻が駆け巡っている。
あれは何だ?
鬼剣のさらなる強化モード? そんなのがあるなんて知らない。何より、長巻の柄が元の長さに戻っている。『斬界』が解除されているのだ。だというのにこの荒々しさは……!?
「ああああああ!!」
もはや轟雷と化した怒号と共にリンナが白顔面へと討ちかかった。彼女の体を駆け巡る稲光は麒麟の姿が溶けたものだ。
虫を潰すように迫った白い巨腕は、リンナが纏う稲光に豪烈に弾き返された。
斬!
――オ、オオオオオオオオオ!
体が縦に回るほどの全身全霊の一刀が、殻でできたミイラの頭部を斬り穿つ。
剥き出しの眼球が裂け、中から真っ赤な血しぶきが驟雨のように降り注いだ。
やった……!
これ以上ないほどの大打撃。しかし――。
「リンナちゃん!」
カイナは一も二もなく駆け出していた。
空から落ちてくる彼女がすでに意識を失っていることは一目でわかった。
かろうじて受け止める。その瞬間、ぞっとなった。
軽い。まるで彼女の中から大事な何かが抜けていってしまったみたいに。
そしてわずかに遅れて地面に突き立った鬼剣を見て、今度こそカイナは引きつった悲鳴を上げた。
美しい刃紋を描いていたはずの刀身に無数のヒビが入っている。
鬼剣が、死んでいた。
※お知らせ
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次回投稿は11月3日あたりを予定しています。
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よければまた見に来てください! お願いします何でも見に来てください!(傲慢)




