第四十四章 おおきな手のひら
入り乱れた複数の足音を耳が聞き拾った三秒後、それはカイナの視界の中で子供たちの姿を象って部屋の中へと飛び込んできた。
「カイナ、リンナ、無事か!」
声を上げた最初の一人はミハルク。そしてセージュとダリアも一歩後からベッド脇まで一直線に駆け寄ってくる。
「おー、みんな。見舞いに来てくれたんか」
ベッドの上で退屈を持て余していたカイナは、明るい笑顔で彼らを出迎えた。
「ケ、ケガしたって、聞きました。大丈夫、なんですか……」
今にも泣きだしそうなハの字眉で見つめてくるダリアの頭を優しく撫でてやりつつ、
「心配してくれておおきに。なんかベッドで寝かされとるけど、うちはほとんど無傷やし、リンナちゃんも疲れて寝てるだけや。二人とも全然大丈夫やで」
フーっと大きなため息をつくミハルクとセージュ。セージュはクールな振りをしてこういう時にしっかり心配をしてくれるから憎めない。そして普段から裏表のないダリアは、肺が空っぽになるくらい大きな安堵の息を吐いて、ようやく天使の笑顔をこちらに見せてくれた。
「二人でアヴァンシルで遭難して、リンナが負傷したと聞いたわ。何があったの?」
子供たちに遅れること数秒。入ってきたイリアスが、医務室では静かにという規則を律儀に守りつつ、神妙な面持ちで聞いてくる。すぐ後ろにはウォードッグの姿も。ライバル組織のことだというのに、勢ぞろいで見舞いに来てくれたというのが妙に嬉しくて、返す声も少し弾んだ。
「話が早いなあイリアっちゃん。半日前にサリファーに救助してもろたばかりやのに」
「……シュプリムトが教えてくれたのよ」
「あのギンギラ男か……。あのナリでしっかり網は張っとるんやな。それで、イリアっちゃんも職人街の探索終わったばかりやろうに、うちらのこと心配して駆けつけてくれたわけや?」
指摘するとイリアスは少し頬を赤くし、
「し、仕方ないでしょ。知らない仲じゃないんだし、待てって言ってもミハルクたちが勝手に乗り込もうとするし……」
「おおきにな。みんなの気持ち嬉しいで」との感謝を述べつつ、付き添いのウォードッグにも目礼しておいた。目の返事でさえも「ああ」と言っているような素っ気ない返事。だがしかし、これがいつもの場所だと感じられる。
「あなたたちが手傷を負うなんて普通じゃないでしょ。何があったの?」
「そやなあ……。サリファーからはあんまりしゃべるな言われとるけど、真っ先にお見舞いにきてくれたみんなにはこっそり、ちょっとだけ教えたるわ」
カイナはまず、リンナの麒麟が気ままに暴れ出したことから話した。
鬼剣の能力についてイリアスやウォードッグがいまいちピンと来ていなかったのに対して、大きく反応したのはミハルクとセージュ。
「麒麟を呼び出しよるのか、リンナは」
「せやで。これができるんはリンナちゃんの一族と、かのアヴァンサ帝だけやったんやて。すごいやろ」
「うむ、大したものじゃ。どれだけ剣の腕があってもあれと意志を交わすことはできなんだ。しかもこの若さでか……」
彼らがちらと目を向けたリンナは、すぐ横のベッドでスースー眠っている。もう完全にいつもの寝息なので、いっそミハルクたちに騒いで起こしてほしいくらいだ。
それから話は、ダリアのような祈祷の墓守を助けるため、白顔面に立ち向かった場面へと移行する。
ここで反応を強くしたのはイリアスだった。
「あなたたち、白顔面と戦ったの……!?」
彼女の蒼白な顔は、救出直後に事情を伝えたサリファーと似たところがあった。
この街で生きる者なら誰もがその名に震え上がる死の巨人。それに手傷を負わせて撃退したという話は、もはや酔っ払いの与太話としても許されない戯言だ。
「ホントの話やで。リンナちゃんが超超頑張ってきっついお仕置きしてくれてな。まあ、そのせいで気を失ってしもたわけやけど」
彼女が支払った真の代償については話せなかった。これは直接の上司であるゼニスから固く口止めされており、同時にあの甲殻の鍛冶師についてもしばらく非公開情報にするとのことだった。
外見の異様さもそうだが、死んだ魔導剣を復活させた神業だ。もし迂闊に広めれば後継者全体にどんな影響を及ぼすか知れたものではない。秘匿することの優位性も、腑に落ちる。
「そんで、リンナちゃんを背負って出口を探してたところ、サリファーたちに見つけてもらったっちゅうわけや」
色々お堅いデータ女子ではあるものの、こちらが行方不明と聞いてすぐに捜索隊を買って出てくれたという。ちょうど街に来たばかりのソルベアラーにいいところを見せようとしたなんて話もあるが、わずかな目撃証言から麒麟の移動方向を予測し、的中で回収に来てくれたことには感謝と驚嘆しかない。
どうやらイリアスともそれほど揉めなかったそうだし、これからはもうちょっと近い距離で話をしてもいい気がした。
そうして一部始終を話し終えた時。
ポン、と。突然。
「……?」
カイナの頭の上に手が置かれた。
ミハルクだった。
思わぬ行動にきょとんとしていると、
「友を守るために戦ったこと、一生の誉れとせよ」
彼はひどく穏やかな顔でそう言って、優しく頭を撫でてくれた。
(あっ……)
不意に、あの時の光景が脳裏に蘇った。
甲殻の鍛冶師がボロボロになった鬼剣を見て、そっと手を添えたあの時の仕草。
どうしてか全然わからない。けれどあの人と今のミハルクが、ひどく似たものに感じられた。
それから、そう、祖父の手とも。
幼かった頃の自分の上に乗せられた、あの大きくて硬くて、でも優しい手。この手に守られたら、きっと怖いものなんか何もないと思えた、そんな手。
記憶のずっと遠いところにしまわれていたそれが不意に顔をのぞかせたのだ。
なぜだろう。わからない。でもちょっとだけ、涙が滲んだ。
「うんっ。へへへ……!」
不思議だ。あの鍛冶師と、祖父と、この小さなミハルクが重なるなんて。
けれど悪い気は全然しない。
いつかあの工房での出来事のことを話せるようになったら、真っ先にミハルクに伝えようと思った。
信じてくれるかどうかはわからないが、きっと驚いて、面白がってくれるに違いない。
「わ、わたしも……」
カイナが大人しく頭を撫でられていると、何を思ったのかダリアも横から手を伸ばしてきた。ミハルクに代わって今度は彼女がナデナデしてくれる。
「ちゃんと帰ってこれて、偉い、です。早く元気になって……」
「おお~。ダリアちゃんからナデナデしてもらえたからますます元気になったわ。この調子でリンナちゃんも早く起きてくれるとええんやけどなあ」
軽い気持ちで言っただけだったが、ダリアは使命を帯びた顔つきでコクンとうなずくと、リンナのベッドへと回り込んだ。そして同じように頭を撫でてやる。しかし――。
「うう……起き、ません……。カミサマ……」
「なんじゃ。わしが撫でてやればいいんか?」
まったく起きないリンナに対し、ダリアはミハルクを引っ張り込んで使命を託した。本当にこれで人が元気になると思っているのだ。なんて可愛いらしい……。そら誰でも元気になるわ!
「あはは、せやな。ミハルク君が撫でてくれたら、リンナちゃんも一発で全快やろなあ」
なんて冗談半分で言ってみたら。
「仕方ないのう。どれ、リンナや。わしも皆も、元気なそなたから武勇伝が聞きたい。はよう元気になるんじゃぞ……」
ナデナデ……。
…………。
コオオオオ……!!!!!
突然彼女の体からオーラが立ち上り、そばに置いてあった鬼剣までもが余計なパワーを放ち始めた。
「ちょっと、何これ!? ウォードッグ!?」
「おお」
「何がおおよ! ひとまずそれで返事するのやめなさいよ!」
慌てるイリアスたちを尻目に、カイナは思わずにっこり笑った。
ほんまにそうなるんかい、と。
※
軽量かつ堅牢なマジカルシウム製の鉄靴が、石畳に複数の足音を重ねる。
〈グレイブナイツ〉第七兵士団を率いたサリファーは、四方から押し寄せる霧を全身で押し返しながら粛々と前進していた。
普段から任務中に不真面目な態度を取ることなどない団員たちが、今日はそれにいや増して、緊張と規律の中にある。
それもそのはず。これはつい先日、騎士団最高戦力の一角、火龍水龍ことリンナとカイナの救出任務と同等の重要度、そして同列の危険度を誇る任務である。
「遭難時の混乱状態でのことだ。にわかには信じがたい報せではあったが、カイナ嬢の言葉は間違っていなかったようだな」
ただ一人。この張り詰めた空気の中で、趣味である温泉にでも浸かっているような呑気な声で話しかけてきたのは、隊のオブザーバーとしてついてきた祖父のソルベアラー。
「あの二人はたとえ命の危機にある時でも錯乱などしませんよ。わたしは初めから信じていました」
大好きな祖父の言葉とはいえぴしゃりと否定を落とし、サリファーは飾りのモノクルの奥で瞳を鋭くする。
「彼女たちは確かに、白顔面に手傷を負わせたのです」
立ち止まったブーツのすぐ先に、黒々とした水たまり。
アヴァンシルの怪物は基本、血液も内臓も持たない。だがカイナからの報告にあった巨人は違った。
リンナが片目を潰し、そしてそこから大量の血を噴いた。時間が経過した血痕はすっかり黒ずんでいるが、鮮血は赤だったという。
「痕跡の記録を。血痕同士の間隔はどうです?」
記録係に呼びかけたサリファーは、「これまでよりまた少し距離が伸びています」との即答に満足してうなずき、「やはり……」と自分の推測の強度を一段階高めた。
「血痕の間隔が開いてきている。これの示すところは何かな、孫よ」
「傷がもう治り始めている――」
「うむ。恐るべきことにな」
白顔面の血痕を追跡する。それがサリファーたち第七兵士団に下された最重要任務だった。
神出鬼没の怪物とされてきた彼だが、カイナたちが長時間交戦してくれたためその秘密の一端も判明した。
都市の中に潜る――それが、かのモンスターが突然現れ消える秘密。生首が墳都の中を元気に跳ねまわっているという不気味な想像は、一応これで覆されたわけだ。
普段なら追いようがない。だが今は違う。リンナがつけた傷口から血が垂れ落ちている今は。
完全に地面に潜られていたらそれも不可能だったが、これでまた別の予測が立った。
白顔面が地に潜るには何らかのエネルギーが必要で、彼は今消耗状態にある。だから隠れようにも隠れられない。
そんな手負いの怪物が逃げる先とはどこか。――ヤツのねぐらだ。
人間であれば重症レベルの巨大な血だまりを過ぎ、サリファーはさらに進んだ。
部隊はすでにだいぶ前から未探索の領域に入っている。記録係の団員には細かく確認を入れ、現在座標の確認は怠らない。ここで迷ったら“こと”だ。だがそのリスクを踏まえても、この調査には価値があった。
「…………」
「…………」
時折話しかけてきていた祖父からの声も途絶えた。わかる。さすが。彼も感じているのだ。さっきから急激に距離を詰めてきている圧迫感がある。だがそれは、向こうから迫っているという意味でではない。こちらが一歩ごとに確実に、明確に、そこへ向かっているのだ。辿り着くべき場所は近い……。
ついに、厚みを帯びた霧の先に黒々とした巨大な陰が見えた。
一瞬、巨人か何かかと錯覚したが、違う。
サリファーは油断なく腰の衝剣に手を這わせながら、そこに近づいた。
「なるほど……。これは途方もなく、“らしい”場所に来てしまいましたね……」
「知っているのか、孫よ」
「お爺さん、この看板を」
サリファーはあごで入口のすぐ横に掲げられた大きなシンボルを示した。
「……これは……!」
うなる祖父に先んじて、答えが勝手に口から流れ出る。
「第一魔導剣研究所。旧帝都にあるはずの、です」
アヴァンサ帝の時代より帝国兵器開発の心臓部と呼んでいい施設。
霧で全体像は見えないが、建物も入口の様子も旧帝都のものと瓜二つだ。
最凶の怪物を追っていたら、たまたま最重要施設に辿り着きました。そんな偶然、あるはずない――。
サリファーは素早く後ろを振り向き、部下に確認した。
「ここまでのルートの記録は?」
「完璧です。道中の建物の様子もバッチリしっかり記録できました」
「ご苦労様。任務達成。皆、ただちに本部へ帰還します」
短く告げ、そのまま研究所を一顧だにせずにつかつかと帰路に就く。
部下たちもそれに粛々と従った。しかし一人――。
「なあ孫よ、中をのぞきもせんのか? これだけの重要地点に辿り着いておきながら? チラッとも?」
功名心をくすぐる問いを投げてきたのは、やはりというか祖父。サリファーは粛然と立ち向かった。
「はい。帝国でも最重要施設のイミテーションに、白顔面が逃げ込んだ先が重なりました。すでに我々の戦力で立ち入れる状況ではありません。たとえヤツの居場所が施設の最奥だったとしても。これは騎士団の全戦力を挙げて対処すべき事案です」
「せっかくの一番槍をみすみす他人に分け与えることになるぞ」
「それで十分。わたしの部下に功を焦る者は一人もいません。わたしたちはすでに、称賛に値する完璧な任務をこなしました」
ニヤリと、巌のような顔が笑ったのが気配でわかった。
「見事! 戦場ではたびたび、焦りと勇敢さの取り違えが起こる。たった一人の勇み足が全軍の体勢を崩す一石となるのだ。おまえは良い指揮官であり、そしてそれを信じてくれる良い部下たちを持った」
「フ……。当然です。わたしのデータを授けた部下たちもまた完璧ですから」
祖父に褒められ弾みまくる胸の内をクールビューティな微笑に封じ込めつつ、サリファーは早くも次に下すべき判断へと思考を動かしていた。
魔導剣研究所の座標は、カイナたちが会ったという例の鍛冶師と同様に騎士団の最重要機密として取り扱われるだろう。
この深さ。偶然、市井の後継者たちが迷い込めるような地点ではない。しばらくは誰にも見つかることはないはずだ。
これは、内部に多数あるであろう重要な副葬品の収奪を心配しているのではない。
単純にここはヤバイ。絶対にヤバイ。抜け毛の一本を拾っただけで、それが獅子のものだとわかってしまうほどに。
突入して無事に戻ってこられるのはごく一握りの人間だけ。場所が公になる前に騎士団でケリをつけなければならない。
白顔面に与えたダメージは、残念ながら回復されてしまうだろう。だが焦って仕掛けるよりはいい。
攻略開始の暫定条件も定める。まずは騎士団の最高戦力群であるカイナたちの完全復活。そして、鬼剣を修復――いや強化までした鍛冶師との正式な接触だ。もし協力体制を敷けるのであれば、団全体の火力が跳ね上がる。
祖父のソルベアラーも騎士団に復帰し、万全の状態が整いつつある。
敵に首輪はつけた。わたしは必ずここに戻ってくる。
サリファーの決意は静かな面差しの下に隠されたまま。やがて分厚い霧が、彼女たちの姿を覆い隠していく。
靄にけぶる研究所の上階。その窓から左右非対称の黒い眼差しが自分たちを見つめていることに、彼女は最後まで気づかなかった。
また見に来てくれて本当にありがとうございます。
星の数ほど作品がある中で、再開してすぐに読んでもらえるなんて、すごい幸せなことなんですよこいつは……!




