第四十章 熱波の果てに
砲剣ガノンボウルの最終弾が空けた大穴から、熱の残滓が立ち上っている。
あたかも満点の星空にただ一つ新月の暗闇があるかの如く、白い甲羅のど真ん中を完全に撃ち貫いた。人であれば脳天への直撃弾。生きていられるはずもない。
そう思って、ミハルクはソルベアラーと笑みを交わした。
だが。
「お爺さん! ミハルク! そいつはまだ動いています!」
後ろからすべてをつぶさに観察していたであろうサリファーの声。
ギギ、ギ……。
甲殻の軋む音にミハルクたちはぎょっとする。
「何だと!? まさか……!」
オーバーヒートした砲剣を携え、ソルベアラーがその場から飛び退いた。ミハルクと並んで敵を見つめる。
サリファーの警告通り、軋む音を立てて白亜蟹はまだ動こうとしていた。
そんなはずはない。完全にイッたはずだ。甲殻の天面に人の子が入れるほどの穴が開いている。アヴァンシルのモンスターの中身は空っぽだから、内臓の損壊によって死ぬことはないというのはわかっている。だが、これで倒せないなどと……。
白亜蟹は右腕、ハサミの間から生えた熱剣を掲げた。
(来るか――)
共に疲労状態の魔導剣を携え、ミハルクとソルベアラーは邀撃の構えを取った。
白亜蟹が最後の力を振り絞るようにして熱剣を振り下ろす。
だがそれは敵対するこちらに対してではなく、何もない地面に。
「!!」
ずんという地響きを鳴らして熱剣を突き立てると同時に、それはハサミからぽろりと外れ、そして蟹自身も地面へと崩れ落ちた。
それきりだ。もう動かない。
『見事』
ミハルクとソルベアラーは揃って、帝国の伝統的な仕草である掲剣の礼を取っていた。
致命傷を負った敵が最後の最後に見せたのは、意地だ。
己の剣を地には寝かさない。最後の最後まで戦場にそびえ立ち、敵を睥睨しろ――。
剣に生きる者は往々にしてそうしたロマンチシズムを胸に抱く。
この敵も、また。
「のう、おじい殿。わしは常々、度し難いことがある」
「何かな」
礼の姿勢を解かないまま、二人は言葉を交わす。
「その花は戦場でしか咲かぬのだが、どうやっても持ち帰ることができぬ。できることは、ただ刈り取ることのみ」
「うむ……。それがしも長年僻地の戦場を渡り歩いてきたが、何もこんなところで咲かずとも、と思うような見事な一輪を目の当たりにすることがある。あれらは、そうさな。戦場の土と水でしか育たぬ花なのだ。よその場では芽吹きもしない一時の夢。咲いて散るまでが、ひとつの節よ」
「……やられたな。これ以上ない見事な殿じゃった」
ミハルクは剣を下ろし、澄んだ苦笑を蟹の骸へと投げかけた。
「ミハルク!」
「お爺さん!」
決着を見届け、イリアスとサリファーが駆けてくる。
「おお、イリアス。この蟹、なかなかの勇者じゃったぞ」
「敵ながら天晴な武人であった」
「何を言ってるのですお爺さん! 追撃を! 今ならあの小ガニたちも混乱しているはずです!」
孫の指摘に、ソルベアラーはゆるゆると首を横に振った。
「いいや、見てみよ。あれだけ列をなしておった小ガニどもがすっかり姿を消している。この親分が大立ち回りを演じることで、子分どもを逃がす時間を稼いだのだ」
「! まさか……モンスターがそんなことを……!?」
ミハルクも薄く微笑みながらうなずき、
「そして、こやつ自身は一番大事なものを置いていきおった。これほど礼を失さぬ殿はそうはおらんよ」
「ミハルク坊の言う通り。戦士とはかくありたいものだ。ふふふ……」
「な、何を笑ってるんですか二人とも……。それにお爺さん、その子は坊やじゃなくて女の子でしょう」
そんなサリファーの反応にミハルクはいつも通り、
「いや、坊やであっとるよ。わしは正真正銘の男の子じゃ」
「えっ……えっ!? 男の子!? そ、その顔で……?」
さっきのモンスターの行動以上に平静さを掻き乱され、サリファーはミハルクをガン見してきた。ミハルクはにっこりと笑ってやった。
「!! こ、こ、こんな可愛い子が男の子なわけが……ッ! そんなデータはどこにも……!」
「確かに見た目はそうだがな、孫よ。男というのは、いくつになっても剣を持てば顔つきでわかるものだ」
「うむ、その通りじゃおじい殿! ようわかっておる!」
わははと笑い合うこちらを尻目に、サリファーは目を白黒……いや顔を赤白に点滅させながら、眉間にしわを寄せ、口元を歪ませ、目を閉じていた。彼女の中で途方もなく大きな葛藤が暴れ回っているようだった。
「……ッ! …………~~~~ッッ!! …………ッとにかくッッツツ! し、進路が開けたのであれば急ぎ前進ですッ!」
何かにかろうじて耐えきった様子で、サリファーはそう号令を下した。
「いや、慌てる必要はあるまい」
「なっ、何ですか! い、い、色仕掛けでわたしの策を乱そうなどと……!」
「何が色仕掛けじゃ。恐らく、この先を探検したところで目ぼしいものは見つからんよ。そのためにこやつらは現れたのじゃ。けれどもそれで納得するしかあるまいな。ヤツの剣一つで」
「うむ。ミハルク坊の言う通りだ。これほどの名誉ある戦いならば、剣一つでお釣りがくる――」
『何言ってるの(ですか)!?』
『えっ……』
賛同してくれるとばかり思っていた二人は、少女二人からの強い反論に大きく鼻白んだ。
「だとしたらなおさら早く調べないといけないでしょ!」
「そうです! C級魔導剣の熱剣なんかちょっと大きな工房に行けばすぐ買えます! こんな戦果では目も当てられません!」
「えっえっ、じゃがイリアスよ。ヤツは見事な死に花を咲かせてじゃな……」
「そ、そうだぞ孫よ。優れた遣い手の剣だぞ。奥義まで使って来たんだぞ。それだけで十分に価値が……」
「何が花よ! 蟹よあれは!」
「お爺さんも! そういう余計な美学は策の格好の餌食です! わたしならそうします!」
『ひどい!』
少女二人には、ジジイ二人のこだわりなど何一つ通じなかった。
気づけば、最大の障害は去ったとばかりに他の後継者たちも一斉に前進を開始している。
「せめてさっきの厄介な小ガニだけでも追撃します! 戦術的な動きをするモンスターなど少ないに越したことはありません!」
サリファーとイリアスに背中をぐいぐいと押されながら、ミハルクたちも進撃を余儀なくされる。
それでも、あの小ガニたちには到底追いつくまいが。
「何と言う情けを理解せぬヤツらじゃ! 武人の心とかないんか!?」
「ミハルク坊、それがしはわかっておるぞ!」
「おじい殿!」
などとしみったれた傷のなめ合いをしつつも、それぞれの仲間に踏み潰されぬよう走るしかない。
あれほど道に溢れていたアヴァンシルの怪物たちは、もはや影一つなかった。
霧に霞む職人通りは完全に無人。やはり小ガニたちは無事に落ち延びたか。
どこかほっとしているミハルクが、安堵の息まで吐きかけた、次の瞬間。
勃! と前方の霧の中で爆ぜる橙色の光があった。
「げっ! まだ敵が残ってるのか!?」
「まさかさっきのとは別の蟹!?」
先の白亜蟹の益荒男振りが目に焼き付いているのだろう。先行していた後継者パーティの足が露骨に鈍る。
ではまだ退却は完了していないのか。不手際への不満と、副葬品への期待が入り混じった複雑な胸を抱えたまま、ミハルクたちは人々を追い抜き再び最前列へと躍り出た。
そこで見たものは、火の海。
いや、それはよく見ると火の円陣ともいうべき、特殊な図形を描く火溜まりだった。
あたりには、片腕だけが大きい小ガニたちが、内側から裂けるようにして大量に転がっている。
あの熱剣の剣士が体を張って逃がした子分たちに間違いなかった。
円陣の中央に、黒い影――。
「おぬしは……!」
それは緋色の髪と炎そのものを纏った一羽の大ガラス。
大魔女バーバ・ヤーガ!
その周囲では、厚手の手袋をしたショールとゼータが、小ガニの残骸を袋にかき集めている。
ここで来たか!
「ミハルクか」
バーバ・ヤーガが屈めていた身をゆらりと引き起こす。それと同時に、彼女が地面に突き刺していた大剣も引き抜かれた。
「A級魔導剣……火剣アグニスカ……!」
そしてこの、路に描かれた炎の魔法陣は、火剣奥義『ガヒュア・ボルカーナ』!
ただ者ではないと思っていたが、まさかここまでの遣い手だったとは……!
「おまえもこいつらを追ってきたのかい? なら悪かったねぇ。横取りしちまってさ……」
翼のように広がった魔女帽子のつばの下から、妖炎に燃える赤い瞳がこちらを見る。赤い髪も火剣の照り返しを受け、火の粉を散らすように猛って見えた。
「いいや……見事な伏兵じゃった……」
なかなか姿を現さないから出遅れているのかと思ったが、殿軍の裏に回っていたとは。
しかもボスのバーバ・ヤーガ直々に。
今日彼女らが来ることはわかっていても、細かい手筈までは教わっていない。所詮そのラインの薄い協力だ。
「また出たわね魔女!」
「魔女! またおまえたちですか!」
協力体制について知らせていないイリアスが敵意を剥くよりも強く、サリファーが片眼鏡に怒りの炎を映しながら吠えた。
どうやら彼女もこれが初対面ではないらしい。
「誰かと思えば、頭でっかちの騎士のお嬢ちゃんかい。ああそうさ。おまえとは毎度楽しくやらせてもらってるねぇ」
「バカにしてっ……! わたしの策は破られてはいない! たまたま、偶然、いつもちょっと予想外のことが起きるだけ!」
「あたしが起こしたんだよ。戦場なんてのは始まった瞬間から早指しさ。どっちが先に勝ちパターンに入れるか、策なんてそのためだけのものさ」
「ぐ、ぐぬうううう!」
火の魔法陣の前で地団太を踏むサリファー。
この炎陣は敵味方を完全に識別する。立ち入ればたちまち火だるまだ。自分はどっちに分類される……? ミハルクもさすがに二の足を踏んだ。
「魔女よ、その小ガニなんかを集めてどうするつもりじゃ?」
せめてそう呼びかけ、何らかの収穫を得ようとした。目に入ったから殺したなんて安直な殺戮者ではあるまい。マジカルシウムの回収にしても、ボスであるバーバ・ヤーガまで出てくることはない。だとしたら目的は最初から――。
「いいだろうミハルク。おまえには教えてやる。こいつさ」
バーバ・ヤーガは近くに転がっていた蟹の残骸から、小さく光る何かを拾い上げた。
「それは……ジュエルコアか!?」
「その距離からよく見えたねぇ。正解さ。ここの工房に保管されていたものをこいつらが食ったのかどうなのかはわからんところだが、体内に取り込んでいた。サイズこそ小さいが……」と彼女はジュエルコアを目に近づけ、理知的でもあり狂気的でもある笑みを浮かべた。
「類まれな純度を持っている。これならいくつかからはB級魔導剣が造れてしまうかもしれないねぇ」
ざわり、とそれを聞いた後継者たちが色めき立つ。
世に出回るB級以上の魔導剣の大半は、大帝の時代に造られた骨董品だ。現帝国が魔導剣研究を抑制的にしているため、新造を手に入れることはほぼ不可能らしい。それを可能とするなどと……。
「ババー 廿A廿」
ゼータがバーバ・ヤーガに合図を送ると、気づけばショールもすでに機械式の魔女の箒――コメットギアへとまたがっている。
「よーし、引き上げだ!」
バーバ・ヤーガは火剣アグニスカを肩に担ぐと同時に、ショールのコメットギアへと飛び乗った。
最後に膨れ上がった火柱が、ダメ押しでミハルクたちの前に立ちふさがる。彼女たちの逃走劇を後押しした。
「ま、待ちなさい卑怯者! わたしと策で勝負しなさい!」
「もうしたさ! おまえの負けだね、いつも通り!」
ケラケラと笑うバーバ・ヤーガの前で、ショールがこちらに向けて必死に手で「ゴメン」をするのが見えた。
何も謝る必要などない。ただ彼女たちがこちらを出し抜いただけのこと。
そうして彼女たちが霧に消え去り、噴いていた火もすっかり収まると、それを待っていた後継者たちが我先にと各工房へ飛び込んでいく。
中身を取られた小ガニの残骸が、踏みつけられて軽い音を立てた。
咲いて散るらむ。




