第三十九章 灼熱のキャンサー
呑剣や毒剣汚染の時とは明らかに違う。
その白亜の巨大蟹は間違いなく、武器として右腕から魔導剣を生やしていた。
ハサミに負けないほどの巨大な剣を。
橙色に輝く刀身が、だんだんとその色を濃くしていく。
「いかん! あれは熱剣じゃ! 全員下がれ!」
ミハルクが叫ぶのとほぼ同時。魔導剣を装備した蟹は橙から紅へと色を変えた剣を、石畳へと突き刺していた。
たちどころに溶解する石材。そして蟹は、あろうことかそれを剣に塗り付けて周囲にばら撒いた。
「うわあああ!」
「ぎょえーっ!」
逃げ遅れた街の後継者たちが、小さな飛沫の一つ一つを浴びて悲鳴を上げる。
「遣り手だな。あの怪物は」
「うむ。熱剣の扱いをよく心得ておるわい」
大きく後退した人々の輪からはずれ、ミハルクとソルベアラーは見晴らしのいい最前線にただ二人残っていた。
熱された石は二人の後ろまで飛んでいたが、それらをすべて見切って居座った。
「お爺さん! それから、えと……ミハルク! 危険です! もっと距離を空けて、まずはデータの収拾を……!」
サリファーが後ろからそう呼びかけてくるのにミハルクは軽く視線を振り、
「では、わしらで強行偵察といこう。それでどうじゃ、おじい殿?」
「承知した。某があの熱剣の相手をしよう。坊やは裏を突け」
「了解じゃ!」
「いざ参る!」
「ちょっとミハルク!?」「お爺さん!」という少女たちの声を背中で弾き、二人は同時に駆け出した。
背中に担いでいた特大剣を引き抜き、重鎧の下馬騎士が地を駆ける。それはまるで重騎馬の突撃の如くだ。
「砲剣ガノンボウル励起!」
落雷かと思うような雄叫びを上げ、ソルベアラーが特大魔導剣を構えた。鍔元に設えた歯車が回転を開始。狙うは高熱を帯びた白亜蟹の熱剣。
「勇敢なる初弾は我が愛するジョセフィーヌに!」
ズドンという天をも震わす号砲は、突き出された巨剣全体から放たれた。
刀身から切っ先方向に撃ち出された火の玉に、白亜蟹が防御に構えた熱剣がびりびりと震える。
「堅実なる次弾は我が愛するメリエッサに!」
すぐさま第二射撃発。
魔導剣研究の末、技術的な向上が見られた三式世代の砲剣には、火砲を撃つごとに威力が上がる仕掛けが内蔵された。一撃目は耐えられた熱剣の防御が揺らぎ、大きなふらつきを誘発する。
「そして愚直なる最終弾は我が愛するベルベッタにィィィ!」
三連射の最後の一発はこれまでで最大の火力。赤熱した砲剣による一撃は、ついに熱剣を上向きに跳ね上げるに至らせた。
と同時に、砲剣から大量の蒸気が噴き出す。これが砲剣最大の特徴にして弱点。
「お爺さん! そうやってオーバーヒートするから三連射はダメだとお婆さんからさんざん言われてるのに!」
後ろから失態を咎めるサリファーの声。しかしソルベアラーは逆にニヤリと口元を歪め、
「そうは言うが! ここまで含めて男の子は大好物なのでな! そうだろうミハルク坊や!」
「まったくもって然り! じゃが、戦場で三人の女の名を叫ぶのはいただけんな。奥方に怒られても知らんぞ!」
「わはは心配無用! 我が妻は百の名を持つ女スパイだったのでなぁ!」
ソルベアラーがとんでもない家庭事情を暴露する中、熱剣とは逆の腕側を取ったミハルクも攻撃に移る。
魔導剣を操るという特異性ばかりに目がいきがちだが、そもそもこの蟹の甲羅は他のどの同種よりも分厚い装甲を重ねていた。軽い疾剣ではどう技を放ったところで弾かれるのが関の山。
そこでミハルクが目を付けたのは、周囲に散らばる家屋の欠片だった。サリファーの岩剣部隊が、アヴァンシルの街並みからこそぎ取ってぶん投げた礫だ。これを使う。
「奥義『ダイクロン・ゴレア』! 風よ、こやつらを巻き上げよ!」
範囲を狭めた大竜巻が、あたりに散らばる瓦礫を呑み込んで白亜蟹へと襲いかかる。
生身の人間が受ければたちまちボロ雑巾にされる岩石の嵐はしかし、蟹の足一つ奪うことなく通り抜けてしまう。
見た目通りの途方もない防御力。サリファーの部下たちが持つハンマーでも通りはすまい。
「ならば砲剣を直接ブチ当ててくれるまでよ!」
ソルベアラーが特大の魔導剣を振るった。
こうして振り回していれば刀身は冷めるとばかりに。それが砲剣の正しい使い方。
しかし。
「むっ!」
重々しく砲剣と噛み合った白亜蟹は、鍔ぜり合いの態勢で熱剣を押し付けてくる。
刀身から立ち上る凄まじい熱気。
「あちちち! こやつ、砲剣を冷まさせぬつもりか!?」
ソルベアラーが目を丸くする。
もしそうなら蟹のくせに砲剣の構造まで知り尽くしたとんでもない頭脳派だ。が、さすがにそんなわけもなく、これは組み合わせが悪かったのだろう。
同じく熱を扱う魔導剣でありながら、片方はそれが武器となり、片方がそれが弱点となっている。このまま熱剣に熱を上げさせれば、パワーアップするのは向こうばかりだ。だとすると……!
「イリアス! イリアース!」
ミハルクは後方で戦いを見守っている少女に声を飛ばした。
「なっ、何!?」
「『ノーツン・フォグア』を使え! ヤツの剣目がけてじゃ!」
熱には冷気。こちらにもちょうど遣い手がいる。
「それならさっきから狙ってはいるけど! 思いのほかそいつの動きが早いのよ!」
彼女も同じことを考えていたらしい。同時に、その返事にもうなずけるものがある。
でかい蟹本体を狙うならまだしも、軽々と振り回される剣を狙い撃つのは困難だ。あれだけのサイズ、人間が扱うのであればもっと速度が落ちるはずなのだが。
「わしが何とかする! よく目を凝らしておけ!」
そう叫ぶと、ミハルクはすぐさま本戦二発目となる疾剣奥義を撃ち放った。C級魔導剣の体力を考えれば奥義の使用はこれが限界か。だが好機と見れば躊躇いはしない。
「おじい殿、下がれ! 風がゆくぞ!」
漏斗状に圧縮された最高威の風の渦は、通り道の石畳を根こそぎ剥いでいくほどの凄まじい風圧を見せた。
さしもの巨大蟹も吹き飛ばされまいと懸命に八肢を地面に突き立てその場にとどまろうとする。
剣の動きも止まった。
「今じゃ!」
「わかってるわ! 出て、『ノーツン・フォグア』!」
祈るような言葉と共に撃ち出された極寒の蛇が白亜蟹へと襲いかかる。
とても大蛇とは呼べない子蛇のようか細さだが、熱剣から力を奪うにはそれで十分だ。
しかし蟹はここで熱剣を大きく持ち上げた。まるで最初からこちらの意図を理解していたかのように。
『!!』
イリアスの狙いからは大きく外れた位置。これではすり抜けてしまう!
けれども。
「かまわんさ。そうじゃろう、おじい殿」
「そうさな」
ニヤリと笑ったソルベアラーが、砲剣を『ノーツン・フォグア』の通り道に差し出す。
そのままならば危うく氷漬けにされるところだが、完全に軌道を読み切っていた彼は、直撃から数センチずれた位置でその冷気を受け取った。
猛烈な蒸気と共に氷の蛇が剣にこもった熱を発散させていく。彼が飛び去った後には、万全の態勢を整えた砲剣ガノンボウルがそこにある。それと同時に疾剣が生んだ竜巻も力を失った。
勝負の時だ。
「ゆくぞ!」
ソルベアラーが強く踏み込んだ。
白亜蟹が即座に熱剣を引き戻した。
「遅いわァ!」
砲剣の初弾が熱剣を大きく打ち弾く。さっきの打ち合いと違い、慌てて構え直したので体勢が不十分だったのだ。
すぐさまの二弾目発射。接近戦で受けた砲火に、蟹の正面甲殻にヒビが入る。やはり通る!
そして最大火力となる最終弾を――。
「ん……?」
ここでミハルクは妙な寒気を覚えた。
それは前世が過ごしてきた数多の勝負の中で、剣の達人が必殺の構えを取った瞬間に似ていた。
はっとなる。
熱剣が。
色を失くしている。
これは……!
「いかん、いかんぞおじい殿! 熱剣奥義が来る!」
「何!?」
周囲の温度が、急激に低下。
空気が凍え、地面に霜が走る。
これは熱剣が周囲の熱を吸い取っているのだ。
「くっ、踏ん張れ疾剣!」
もはや打てる手は限られていた。ミハルクは限界の近い疾剣から最後の風の力を絞り出し、ソルベアラーに飛びついた。最大風力で彼ごと上空へと逃れる。
次の瞬間、白亜蟹が熱剣を地面へと突き刺した。
大噴爆!
地面の氷と魔導剣の超高熱が接触したことによる爆発。その勢いに乗って熱剣の最大排熱が周囲にばら撒かれる。
生身で浴びれば人肌など簡単に焼けただれるだろう。
その熱は風をも燃やし、空へと逃れたミハルクたちを熱風が襲った。
「あぢぢぢぢ! おい坊主逃げられてないぞ!」
「丸焦げよりマシじゃろ我慢せいジジイ!」
言い合いながらミハルクは愕然とする。
まさか。あの蟹まさか、魔導剣奥義まで使うとは!
(人の世から奥義の真の姿が失われたからと言って、蟹が使うか? 普通……!)
いやそもそも人間以外が魔導剣を振るっていることがおかしいのだ。魔導の伝導や制御は人間にしかできないはず。それを、まるで熟練の魔導剣士のように使いこなし……!
この地か? この墓が何かを狂わせているのか?
「しかしな! 古来より窮地は好機にもなり得るもの!」
疑念渦巻くミハルクの頭を、好漢の土間声が洗い流していった。
「窮地とはすなわち、勝利と敗北がもっとも人に近づく瞬間! 眼前に迫る敗北の横っ面を殴り飛ばし――!」
叫ぶソルベアラーが風の渦から自ら飛び出した。
「立ち去る勝利の女神を後ろから抱き締めるのよおおお!」
奇しくも、熱剣奥義がもたらした熱風のおかげで砲剣の刀身は最高温度を維持。
黒い老兵は自由落下の勢いに任せて白亜蟹の頭部へとその剣を突き立てた。
凄絶な軋み。獰猛な戦士の貌が笑う。
「ゼロ距離、取ったぞ」
最終最大火力弾、撃発。
浪漫ジジイ。
※お知らせ
諸事情につき10月第2週あたりから投稿が一時中断となります。再開は11月1日とかになります。
細かいスケジュールは後々またお知らせします。




