第四章 嘆きのサファイア
ミハルクはイリアス一行に連れられ、街の東側から時計回りに南門を目指していた。
ただし徒歩ではなく見たことも聞いたこともない乗り物でだ。
「なんじゃこの馬の首みたいな乗り物は!? なぜ勝手に進んでいる!」
ミハルクはイリアスの腰にしがみつきながらそう叫んだ。
「何よ馬の首って……。これは魔導セグウェイよ。知らないの? 貴族たるもの街中を徒歩で移動だなんて野暮なことはできないわ。……ってちょっと! もう少し位置を考えて掴まりなさい! お尻に触ってるわよ!」
それは約一人分の足場と、そこから生えた持ち手からなる奇妙な乗り物だった。乗る際にイリアスが差し込んだ鍵にしては少々大きな物体が、乗り物全体に伝導経路の発光を巡らせている。
「生活工業用のD級魔導剣で動かしているの。街のそこら中にも刺さってるでしょ」
「生活工業用……!? なんと、魔導剣をそのように活用しておるのか。これは……たまげた……」
「D級魔導剣を知らないなんて、秘密の一族は相当田舎に住んでるみたいね……」
移動速度は思ったほど速くなく、せいぜいが人の小走りくらい。それでも持ち手を握って立っていれば目的地につけるのだから、これほど楽で手軽なものもない。後ろからは同じく魔導セグウェイに二人乗りしたヨーゼフとマリンがついてきている。
「本当は移動用の馬車を借りたかったけど、お金が……」
などという沈痛なつぶやきがイリアスから聞こえてきたものの、この300年後の乗り物にミハルクはご満悦だった。
と。
「見ろ、氷剣のイリアスだ」
「“嘆きのサファイア”か」
「いや、その名はもう古い。逆の意味で壁を破るかもしれんぜ」
一列になって移動するこちらに、すれ違う人々からのそうしたつぶやきが漏れてくる。どこか嘲笑の意味合いを含むものの真意は掴めず、ミハルクは口を引き結んで前を向くイリアスは避け、すぐ後ろについてきているヨーゼフにたずねてみた。
「“嘆きのサファイア”とはどういう意味じゃ?」
「中級貴族に向けられる皮肉といったところでしょうか。現在の帝都議会は三重円環卓。それはすなわち、小中大のリングが円卓となったものです。俗にいう上級貴族代表が中央のアレキサンドリア四席に、中級貴族代表が第二円環のサファイア八席に、下級貴族代表が第三円環のアメジスト二十四席に、という具合に。ただしここ200年以上、上級貴族と中級貴族の間に席の入れ替わりはありません。どうやっても上に行けぬ……そんなサファイア席の嘆きを揶揄した言葉が“嘆きのサファイア”……」
粛々と諳んじる声に、さっきミハルクの出自をうさん臭くでっち上げたいい加減さは微塵もなく、どうやら知っていることに関してはきちんと教えてくれるようだ。
「なるほど。平和な世なら誉れを立てる相手も見つからぬか」
「その通り。今の時代に必要なのは、上に取り入る腰の低さと賄賂の高さです」
そして借金まみれのイリアスらオーズドルファ家は、昇格どころか代表席転落の危機――いや下手をすればその地位すら剥奪されかねない状態というわけか。だから逆の意味で壁を破る、なのだ。
「それも今日で最後よ。南門を突破すれば〈最終貴族同盟〉から多額の報奨金が出る。家だって立て直せるに違いないわ……」
そんな話をしていると、不意にイリアスがセグウェイを停止させた。
ちょうど人ごみから一人の若者が歩み出てきたタイミングだ。
「ウォードッグ!」
イリアスが叫ぶと、その若者がこちらに顔を向けてきた。
(ほう、こいつは……)
編み笠に袴姿という、大陸東方の衣装に身を包んだ男だった。腰には一刀。どこか機械仕掛けを思わせる形状からして魔導剣に違いなく、そちらも東方由来の“カタナ”という剣に寄せたデザインになっている。
背はほどよく高く、笠からはみ出た少し癖のある黒髪は雑な切り方をされていたが、若さからか不潔さは感じない。
東方諸国が帝国に組み込まれた後も、東方人はなかなかこちら側に出てこようとしなかったものだが、さすがに300年もたてば入り混じるか。だが、服装や草で編まれた帽子など、独自の文化が継承されていることは素直に好ましい。片方の文化風俗がもう片方を侵略してしまうほどつまらないものはない。
「今時セグウェイで街中を爆走している迷惑な連中がいると思ったら、イリアスか」
編み笠を持ち上げ、若狼にも似た鋭い焦げ茶の眼が、どこか小馬鹿にするように細まった。
「何が迷惑よ! あなた、わたしの用心棒のくせにモンスター退治に来なかったでしょ! 報酬から差っ引くわよ!」
イリアスも負けじと言い返す。二人の会話に含まれる情報からして、このウォードッグと呼ばれたサムライ、どうやらイリアスに雇われている個人戦力らしい。確かに……いい気迫だ。東方の剣客にはほとほと手を焼いた記憶があるが、それを裏切らぬ強者の気配。この若さで腹の据わった面差しがある。
「……契約範囲内だ。情報があった」
値切り交渉にそよとも動じず、ウォードッグは編み笠を下げて目元を隠した。
「情報って……仇討の?」
イリアスの声のトーンが下がる。どうやら若者はこの歳にして仇持ちらしい。
「空振りだったがな。酒場に右目を隠しているヤツがいると聞いて会ってみたが……ただのラブリー眼帯だった」
「ラブリー眼帯? ファッションだったってこと?」
「ふん……まぎらわしいヤツだ」
ウォードッグは淡々と毒づいた。慣れているのか、そこまで憤った様子はない。
「ふむ。眼帯が仇の特徴かの?」
ミハルクは気になって口を挟んでいた。サムライの鋭い目が初めてこちらを向く。
「何だこのガキは。あんた、ついに預かり子のバイトまで始めたのか?」
「違うわよ。話せば長くなるけどこの子は鍵なの。わたしが屋敷を取り戻すためのね。名前はミハルク。それでこいつはウォードッグよ」
「よろしゅうな、ウォードッグとやら。それで、そなたの仇は右目が無い相手なのかの?」
一瞬、ウォードッグは面倒くさそうな顔をしたが、すぐに考え直したらしく、
「……逆だ。右目だけがでかい。手がかりはそれだけだ。何かそれらしきものを見たことはあるか」
「なに、右目だけが。それは珍妙な……いや魔義眼をはめているのやも知れぬな」
「…………。なに?」
ウォードッグが笠を上げた。その表情には驚きと、それから一抹の切実さが宿っている。
「何だそれは? おまえ何か知ってるのか」
「いやすまぬな。話に聞いたことがあるだけじゃ」と、踏み込んでくるウォードッグに対してミハルクは予防線を引く。
「魔導剣の力を眼に宿らせようという古い外法じゃよ。が、それで何がどうなったという話も聞かぬ。その者も大事な目を片方失っただけかもしれんな」
「…………」
「それにのう、若者よ。月並みなセリフじゃが、仇討ちなど成しても得るものなど何もないぞ。つらいことに怒りも悲しみも、癒してくれるのはただただ長い年月じゃ」
「……当然だ。得るものなどあってたまるか」
思わぬ返しを受け、ミハルクはおやと眉を持ち上げた。
「ヤツはクズだ。ゴミだ。それ以下のチリだ。そんなヤツが生きようと死のうと、俺の人生に影響などあってたまるか。ヤツがどうなろうと世界は何一つ変わらない。俺も何一つ変わらない。ヤツの命にそんな価値も意味もない」
口にする内容とは裏腹に、ウォードッグの目はにわかに熱を帯びた鉄の色へと変わっていた。イリアスがやれやれといった様子で肩をすくめる。
「生きてようと死んでようとどっちでもいいのなら、死ね。俺がそうさせてやる。誰にももんくは言わせない」
頑強な言葉だった。迷いも躊躇いもない。抜かれた刃の潔さ。ミハルクは膝を叩いて感服を示した。
「……見事! その歳で大した覚悟じゃ。つまらぬ口を挟んだことを詫びよう。必ずや仇を討ち果たしてみせよ」
しかしそこからは優しく微笑み、
「だからのう、事が成った暁には、人間に戻ってくるんじゃぞ」
「……なに?」
「己や他人の幸福を追わず、誰かの不幸を願い続けるなど人の所業ではない。鬼じゃ。そなたはまだ若い。たとえすべてを失ったとしても、まだ一から組み立てる時間がある。だから、仇を討ったら人に戻れ。ちゃんと己の幸せを探すのじゃ」
おおーと、ヨーゼフとマリンがぱちぱちと拍手をする。
「何だ、このガキ……」
ウォードッグは怪訝そうにつぶやき、「俺の幸せなんぞ知るか」と、編み笠に表情を沈めた。ミハルクはそれを静かに見守った。
「で、話は終わり? ならついてきなさいウォードッグ」
差し込まれたイリアスの声が、滞りかけた空気を流動させる。
「どこへ行く? いつものように東門の探索じゃないのか?」
「あそこはただの耕作地よ。墳都の裏庭みたいなもので、散々探し尽くされてもう何も出てこない。それより南門へ向かうわ」
「岩壁のところにか? ハッ。まさかあれに挑むつもりか」
からかうように薄く笑った彼に、イリアスは四角い眉を挑戦的に吊り上げて言った。
「挑むんじゃない。――勝つの」
※
小走りのウォードッグを従え、魔導セグウェイ一行は南門へとたどり着いた。
のけぞってもてっぺんが見えない城壁に相応しく、門の高さも呆れるほどに高い。一体誰を通すつもりでこんな扉を作ったのか。
その石とも金属ともつかない白い扉は半開きにされていた。
この出入り口を常用するであろう巨人ならば指が挟まる程度の隙間だが、人間が通るには十分な幅がある。
「墳都アヴァンシルには東西南北四つの入口がございます。三つは過去の後継者たちが何らかの方法で抜けてはいますが、この南門だけは一度も突破されたことがないのです」
門の隙間の前でセグウェイを降りたヨーゼフがそう説明してくれる。
「他の門が通れたのであれば、わざわざ強固なここを通らずとも中から回り込めばよいのではないかな?」
ミハルクは当然の質問をする。しかし端然とした老執事はゆるゆると首を横に振り、
「人々が進めたのは門から少し先の範囲まで。しかも城壁内部にも数々の壁が立ちはだかり、到底回り込むことなどできぬのです。さらにこの南門は中央への直通路があるとされる最重要エリア。アヴァンシルにおいて最も価値のある関門とされています」
「なるほどな……。それはウソではなかろうな?」
「私は適当こかない時はいつでも誠実で正確でございます」
何のアテにもならない保証を得て、ミハルクは周囲を見回した。
奇妙なことに、道ゆく人々はこの扉の隙間をまるで気にしていない様子だった。ここが最重要の入口だというのに、挑戦する者はおろか、中の様子をうかがう者すらいない。そして、そうまで強力な門番がいることに対しても、逆に警戒していなかった。
押し入ろうとしない限りは、門の近くで家を建てようと商売を始めようと無関心を決め込んでいるのだろう。
何とも奇妙な住人と門番の関係性だった。
「行くわよ。二人はここで待っていて」
「お嬢様、ガンバでございます」
「お嬢様、どうかご無事で……」
「わかってる。必ず……勝って帰るから」
従者二人を残し、イリアスは門の隙間を潜り抜ける。その背中に並々ならぬ決意を感じつつ、ミハルクはウォードッグと並んで後に続いた。
内部は広々とした空間だった。
外壁と同じく白い石材で埋め尽くされた床や天井。壁ははるか遠くにある。
門を破って侵入してきた敵兵を多勢で待ち受けるキルゾーン……。そんなおあつらえ向きの殺戮空間に、しかし立っているのはただ一つの人影のみ。いや……。
「鎧?」
ミハルクは目をすがめた。
覚めるようなディープブルーの装甲板が寄り集まって人の形を成している、そんな印象だった。
身の丈、岩壁のあだ名に相応しく二メートル近く。剣を床に突いて佇む姿は、王宮の廊下に並べられたディスプレイのように威風堂々としていたが、置物がやはりそうであるように人の気配というものを一切感じない。
「カラクリの魔導装甲だ」
この場に滞留する独特の緊張感に受けてか、ウォードッグが低く這う声でそう述べた。
「何百年もあそこをたった一体で守り続けている。勝てたヤツは歴史上誰もいない」
「――今日まではね」
沙と腰の氷剣を煌びやかに抜き放ち、イリアスが門番へと歩み寄っていく。
「聞け、南門の守護者よ。今日はわたしがおまえに挑戦する!」
途端、鉄の軋みが床を伝わりミハルクの足元を震わせた。
魔導装甲が全身の錆びを落とすようにぎこちなく動き出し、手にした長剣を上に向けた騎士の礼節の形へと握り直す。
分厚い鉄塊が表す敬意には、ただ人真似をする人形の滑稽さ以上のものが込められているように思えた。
(なんじゃこやつ……異様にできるぞ……)
「一対一がここのルール。もし多数で挑めば、あいつは全身からとんでもねえ量の武器を取り出して殺戮を始める。剣で挑み剣で勝つことだけが、今わかっている最善の突破法だ」
そう言うウォードッグは、腕を組んで見物の構えへと入っていった。
ミハルクがふと目をやれば、真っ白かと思われた床には、はるか昔についたと思しき無数の黒ジミがある。さっき彼が言ったルールを破った者たちの末路か。
由緒正しく、歴史ある殺戮の現場に今、蒼の軍服と白いスカートの少女が明朗に言い放った。
「我が名はイリアス・オーズドルファ! 帝国円環卓会議、サファイア第八席の座主なり! 初代魔導剣士イクアヌスより受け継がれし氷の剣と技で、そなたの一片まで凍りつかせてやろう。いざ、尋常に勝負!!」
チュートリアルは最強中ボス。




