第三十七章 麒麟がゆく
アヴァンシル北部を舞台とした戦場は麻のように乱れていた。
武器職人街へ向かう道すがら、「火龍、水龍、お願いです、すぐ来てください!」との騎士団員からの緊急要請に急ぎ駆けつけたリンナが見たのは、人も白い甲殻生物もハチャメチャに入り乱れた大通り。
「何事やこれは!」と相棒のカイナが声を上げるのも当然のこと。普通はどれだけ乱戦になっても、手前側が人間、奥側がアヴァンシルの怪物にある程度色分けされる。が、今回ばかりは完全なまだら模様となって、これでは渦中の人間は逃げる方角も進む方角もわからないだろう。
「隊が大通りを進んでいたところ、両脇の家屋の屋根から挟み撃ちを受けた形になります! そこに街の後継者たちも加わって、誰が誰だかもわからない状態でして……!」
飛び交う怒号に負けじと答えた団員の声には、ともすれば同士討ちさえ発生しかねないという切迫感と悲愴感がない交ぜになっていた。
騎士団員も街の後継者も、アヴァンシルの怪物から切り出した装甲を防具にしている。混乱の最中、白いものに斬りつけたら人だったという悲劇が起こるのは時間の問題だった。
ホワイトガンドがばら撒いていったモンスターは、北部エリアの霧の中に大量にその身を隠したようだ。
そして先を目指す者たちを奇襲し始めた。
一時、騎士団が保護する“皇子”が大帝から先へ進む信託を受けたなどという噂も流れたが、このままならない現実を目の当たりにすればそんな都合のいい物語など簡単に吹き飛ぶだろう。
アヴァンシルは依然として、大帝が後継者を見極めるための試練に満ちている。
(これも、いなしてみせろというアヴァンサ帝からの試験なのかもしれない)
そうでなくとも、〈グレイブナイツ〉結成以来の目的はアヴァンシルを静かな墓所に戻すこと。内部に棲みついた怪物を駆逐し、そこで人の血が流れないようにするのは騎士団の通常任務だった。
それに、早くミハル……いやイリアスさんたちに追いつかなければならないし……。
「わかりました。ここはわたしと鬼剣が引き受けましょう」
リンナは腰に吊るしていた太刀に手をかけながら前に出た。
「やってくれるんかリンナちゃん!」
「おお、水龍が魔導剣を……!?」
B級魔導剣、鬼剣ガランドロは、こうした壊滅的な乱戦状態でこそ真価を発揮する。
リンナは顔の高さに剣を寝かせるようにして構え、
「――『斬界構築』」
直後、伸長させた柄の内部構造が猛烈な輝きを放ち始める。
鬼剣ガランドロの柄は、刃と同等の長さという刀としてはやや不自然なバランスになっていた。しかしこうして柄を伸ばすことで本来の形を取り戻す。
長巻。旧東方諸国においてそう呼ばれる武器だった。
一見薙刀のように見えるそれは、扱い方としては“長い柄を持った長い刀”だった。だから槍のように柄を長く持って遠間で戦うというよりは、大太刀の重さを長い柄でコントロールするという形になる。
「出るで、リンナちゃんの奥義が……!」
「こ、これが噂の……!」
息吹と意識を刃に沈めると同時に、カイナと団員の声、そして乱戦のただ中の喧騒が急速に遠ざかっていった。
一意専心。一心不乱。自分の呼吸と鬼剣ガランドロの呼吸を重ね、ただただ深い水の底に落としていく。
やがてたどり着くのは、魔剣の中に潜む魔界。剣が持つ精神の世界。
足元にぼんやりと輝く湖があり、周囲は闇。自分はその湖面に佇んでいる。
闇がたずねる。“今か”?
リンナは応える。“今こそ”。
直後、広がっていた魔導剣の世界が消え、リンナは現実の世界へと戻ってきた。しかし消え切らないものもある。
雨が降ったわけでもないのに地面から水が染み出し、一帯を浅い水たまりへと変えた。この魔性の剣が、自身がもっとも住みよい場所へ世界を作り替えたのだ。
「来ませい――」
空をも映す水たまりに今、大きな波紋が広がった。
一つ、二つと音を鳴らす波紋は、やがてそこに一匹の美しい獣の姿を浮かび上がらせる。
龍とも馬ともつかない、金の鬣と鱗と二本角を生やした美しい獣。――麒麟。
鬼剣ガランドロが顕現させた、“世界の意志ある力”。
これを呼び出せたのは、リンナの一族をのぞけばアヴァンサ帝だけだったという。
強力な魔導剣でありながら遣い手の見つからない“彼”は、長年、帝国の倉庫でほこりをかぶり続けてきた。
それがリンナの一族の屋敷に持ち込まれたのは、乱世もとうの昔に終わり、魔導大帝が伝説の中の住人となって久しい頃だった。
以下の奇妙な依頼と共に、彼はやって来た。
「夜な夜なこの剣が“啼く”と言って兵たちが怯えている。何とかならないか」
リンナの一族は古くから呪術とその構造に通じた家系だった。
それはすなわち、この世界の裏側。霊魂や精霊が住まう内部構造。そこと意識を通わすには、長い修行と、“そのために代々練り上げられた特殊な精神構造”が要る。
神秘や精霊を寸毫たりとも疑わない心根が。
軍からの使者は、そんな話を辿って屋敷までたどり着いたのだろう。
鬼剣ガランドロから幽玄な気配を感じ取った先祖は、一晩彼を預かって儀式による“交信”を試みたという。
その結果、事前に説明されていた啼くという異変は起こらず、鬼剣は静寂を保った。
翌日、それを聞いた使者は大喜びで、彼をそのまま屋敷に保管するよう先祖に頼んだという。鬼剣の特殊な性質を見抜いていた先祖は、何かあった時に責任が取れないと断ったそうだが、「呪われないなら何だっていい」と捨て台詞を残して逃げていってしまった。
以来、鬼剣ガランドロはリンナの一族と共にある。
いつしか麒麟を継ぐ者が一族を継ぐという習わしが生まれ、もはや両者は不可分の存在となった。
リンナがアヴァンシルに来たのは、唯一、この鬼剣を使いこなしたというアヴァンサ帝に、敬意と興味があったからだ。
一番最初の遣い手の墓所に詣でる。鬼剣もまたそれを望んでいるような気がした。
「『千祖電雷』。峻別せよ」
リンナの指図の元、麒麟が二本角を振り立て、“斬り下ろした”。
瞬間。地面を通じて無数の雷柱が立ち上がり、その真上にいた白い甲殻生物たちを一匹残らず撃ち貫く。
一撃必殺。しかも彼らのすぐ目の前にいた人間たちには傷一つ付いていない。
麒麟の本体はあの迅雷だ。獣の方は、何と言うか、“こんしぇるじゅ”みたいな存在だった。したがって、鬼剣の攻撃が味方を誤射することは決してない。たとえ人質の首を捕まえて盾にしたところで、人質の表面を這って敵のみを撃ち貫くのだ。
「一切封滅……。……ふう」
すべての敵を撃破したことを確認し、リンナは鬼剣と一体化していた己の心を元の位置へと戻し、『斬界構築』も解除した。水は再び地の底へと戻り、世界は元の姿に還る。
これらの過程は、先祖が調べたアヴァンサ帝の作法とまったく同じ。ただ、元々僻地に住む上に、国や貴族との繋がりも薄かったため、この技法はほとんど一族のみの秘伝となっていた。
元より世界の裏側との交信は、書物などに書き残せるほど具体的なものではない。失う時はリンナの一族が滅ぶ時だろう。
「お見事! さすがはリンナちゃんや!」
「す、すごい! これが水龍の奥義……! 初めて見ました!」
湧き起った二つの歓声に、リンナはすぐ後ろに仲間たちがいることを思い出して少し慌てた。
『斬界構築』をしている最中、戦うことがすべてであるような錯覚に陥り、帰ってきた後もそれまでの記憶が一瞬飛ぶ。この時もそうだった。
「……これでこの場は大丈夫でしょう。しかし、武器職人街の方はもっと込み合ったことになっていそうですね」
「せやな。第七兵長もむこうに着く頃やし、早く行かんと! せやけど、リンナちゃん?」
「何ですか、カイナ?」
ゴルルルル……。
「この麒麟、まだおるで」
「へあっ!?」
鬼剣が広げた水の魔界は消失し、同時に霊獣も帰っていくはずだった。
が、今日に限って帰っていない!
「ど、どうして――って、こら……」
麒麟が鼻先をこちらの顔に押し付けてくる。立派な金のおヒゲが柔らかくこそばゆい。
甘えている? こんなこと今まで一度もなかったはずなのに。
「もしかして、まだ暴れ足りないんとちゃうかな。このままでもええんちゃう?」
「いや、そういうわけには……」
ゴオッ!
突然麒麟が怒ったように息を吐き、鼻先でリンナの体を引っかけて上に放り投げた。
「きゃああああ!?」
ふんわり雲のベッドに受け止められたと思えば、それは麒麟の背だ。
さらに麒麟はそばに控えていたカイナに目を向け、
「おっ、もしかしてうちに乗れってことか! よっしゃ!」
「カ、カイナ! 霊獣にこんなことをしては……!」
「ええやんか。このまま武器職人街までひとっ走りや! イリアっちゃんたちにも追いつけるで!」
「馬でミハルク君に……………………輿入れ!?<◎><◎> 駆けよ麒麟!」
ゴオオオ……!
轟雷の鳴き声を上げ、麒麟はその場から駆け飛んだ。
「って、逆、逆の方向です! そっちじゃない! ミハルク君の拉致……じゃなかった逮捕……でもなかった、保護、保護があああ!」
リンナ。騎士団の水龍と称えられるほどの凄腕。
しかし先代当主に言わせれば、おまえはあまりにも……。
未熟!
※
「どわーっ、何じゃこれは!」
どっちを向いても敵ばかりだ。
霧の中の職人街は白い甲羅を持ったカニやザリガニ、ムカデにサソリに取り囲まれている。
「ミハルク、無事!? ちゃんとウォードッグのそばにいなさいよ!」
分断された仲間からの声がする。白い怪物たちに阻まれ、彼女の青い軍服を見つけることはもはや困難だ。
「わしらは大丈夫じゃ! そなたこそ無理はするなよ!」
イリアス本人はわかってなさそうだが、ウォードッグはむしろ彼女の背後をこそ守っているだろう。こちらはセージュにダリア――鮫剣ジャーグ・ズーが一緒。放っておかれても破られる道理はない。しかし。
「多すぎんじゃろ! いつの間にこんなに現れよった!?」
ミハルクたちが武器職人街に入ったのは、ほんの少し前のことだった。
道中でもアヴァンシルの怪物たちと交戦している後継者パーティがあったが、それらを無視して職人街に飛び込んだ途端、大乱戦に巻き込まれたのだ。
今回の探索には魔女たちも参加する――。
〈バフロン古書〉を訪ねたミハルクは、店番をしていたショールが歓喜に震えながらそう明かすのを確かに聞いていた。だから後れを取らぬよう急いでやって来たのだが、あまりにも不用心が過ぎたらしい。
「これでは誰も探索どころではないわ! イリアス、一旦退いて立て直すぞ!」
魔女たちもどこにいるかわからないし、このままではこっちが危ない。
その時だ。
「右翼前進。敵が浮足立ったところで左翼突入。全体を動揺させてください」
この怒号と悲鳴が飛び交う乱戦場で、一本の弦を鳴らすかのような整然とした声が響いた。
ウオオオオ!
白いモンスターの群れに突っ込んできたのは、同じく白い鎧で武装した兵の一団。これは……〈グレイブナイツ〉!
ミハルクの周囲を取り巻いていた怪物たちが押し流され、続いて騎士たちの圧力がこちらに向く。
「ひゃっ、な、何……?」
ギザギザフードの頭を抱えて身を縮めたダリアを、セージュが腕でかばいながら地面に巨剣を突き立てた。それが壁になって兵士の波が二つに分かれていく。その中州の中で何とか身を寄せ合いながら、ミハルクは見た。
猛然と進撃する騎士団員たちの中を、柔らかく腕を組みながら悠然と歩く一人の少女がいる。
白い軍帽に刺繍の入った白いケープは、他の騎士団員の制服とは明らかに異なる。
より洗練され、より高潔で、より知的に。
アッシュグレーのショートヘアの下に片眼鏡が光った。少女はその片眼鏡を、手袋をはめた指でついと押し上げ、
「押し込まれた敵が密集陣形を取ったら、岩剣隊による一斉投石開始。これにてわたしの策戦終了。――あなたはもう、詰んでいます」
降り注いだ白い瓦礫が、彼女の宣言通り怪物の群れを押し潰したのは、そのきっかり一秒後のこと。
頭のいいやつにはとにかく眼鏡をつけろ。




