第三十五章 世界の王様は何を願う
世界の王様になる。
現れるなり自らをそう称した少女ネルガリアは、子供特有の性急なリズムであっさりとこちらの輪に加わってしまった。
ミハルクはその現象を知っている。
大帝の宮殿に連れてこられた部下の子供たち。多少の面識はあれどさすがに全員は知らない者同士で、最初は広い庭を前に戸惑っていたものの、少し目を離した隙に全員でキャッキャと鬼ごっこに興じていた。
子供は仲良くする天才なのだ。大人だけがその秘術を忘れていく。
ジジイから幼い体へと変わり、考え方も自然とそちらに引っ張られるミハルクは、その秘密が少しわかったような気がした。
忌避感がない。警戒心が働かない。
大人なら立ち止まるラインでも、心がすっと先へ行く。羽ばたくように飛んでいく。
ははは……と古い記憶の自分が笑う。これは大人には無理じゃ。子供だけが持つ翼。やがて汚れて剥がれ落ちてしまう、天使だった頃の名残。
「ねえミハルク、あなたこの街に詳しいの? 案内してよ!」
白絹の髪に、淡い黒砂糖のような肌。どこかの由緒ある神殿の巫女のような出で立ちながら、ネルガリアの立ち居振る舞いはどこまでも軽かった。一つの動作のたびに広がる髪も貫頭衣の裾も、うららかな日差しに踊るかのようだ。
「すまんがわしもよく知らぬのじゃ。案内なら、こちらのマリンかヨーゼフに――」
「じゃあ二人で探検しましょ! わたしがリーダーね!」
こちらの意見を聞かず、ネルガリアがそんなことを言い出す。ミハルクもこれは聞き捨てならず、
「なんじゃと? ならわしは副リーダーじゃ!」
「いいわ。その代わり、わたしの言うこと何でも聞いてね」
「違うぞ。リーダーこそ副リーダーの言うことをよく聞くのじゃ。リーダーがするのはトゥービー・オア・ノットトゥービーの判断のみ!」
「ふうん。そういうものなの? じゃあ、どうする?」
「どうするかのう、イリアス?」
「あなたねぇ……」
ふいと振り向けた顔に、イリアスから呆れたような眉毛が返る。
「そこまで言ったら自分で決めるんじゃないの?」
「ふっ。リーダーは副リーダーから話を聞く、副リーダーはリーダー以外の大勢から話を聞くものじゃよ。のうセージュ」
「その通りですミハルク様。イリアス、もっと帝王学について学ぶがいい」
「超絶偉そうに……! 何なのよ……!」
「ちょっとミハルク!」
そんなやり取りの最中、いきなり手を取られて振り向かされる。可愛く頬を膨らませたネルガリアの顔が視界いっぱいに広がった。
「何でそっちとばっかおしゃべりしようとするの? わたしとおしゃべりして!」
「おうおうそうであったな。リーダーと副リーダーは何はなくともよく話すものじゃ。時にそなた、好きなものはあるかな?」
「好きなもの? うーん……音楽とか、踊り!」
言って、ゆらゆらと異国風の動きをする。
「舞踊とはいい趣味じゃな」
「あと、可愛い男の子も好き!」
「ほう。ではわしも好いてもらえそうかな?」
「もちろん! そのために来たんだから!」
『!!!』
ぞろり、と空気の一部が不穏に揺らめくのをミハルクは感じた。
見れば、セージュ、ダリア、マリンが三者三様の表情でこちらを見つめている。しかしそんな気配を一切気にすることなく、ネルガリアは頬に指を当て、
「んー、だからミハルクと一緒に遊べるなら、何でもいいかも」
「それならば広場の方で月一のお祭りが行われているはずです。子供用の遊び場も多くあるはず。そちらに向かわれてはどうです?」
ヨーゼフがそう助言してくれた。
「誰このおじさん! さっきからいた? 信用できる人?」
「これは手厳しい」
「ははは、ヨーゼフは知っとることに関しては正しいぞ。ではそちらに行こうか、ネルガリア」
「あっ、初めて名前呼んでくれた! 嬉しい!」
「そうじゃったかな? 今日はこれから何度も呼ぶことになるから、楽しみにしておれ」
「うん!」
笑顔を弾けさせた彼女は、ミハルクと手を繋いだまま、ぶんぶんとそれを振り回して目的地へと向かおうとした。
ただ、すぐに結構な距離があると判明したため、レンタルされている魔導セグウェイにみんなで相乗りだ。
「ぐっ……わたしがミハルク様から離れるなどと……!」
「カミサマ……」
「さすがにみんなで乗ったら定員オーバーどころじゃないから……。わたしとで我慢してね」
ミハルクとネルガリアはイリアスと、セージュとダリアはマリンと搭乗となった。ヨーゼフは鼻歌交じりの気楽な一人旅だ。
ちなみにウォードッグはまた徒歩かと思いきや、今回に限っては実は最初から参加していない。休暇は用心棒の出る幕でないと、一人、仇の聞き込み調査に出ていってしまっていた。魔女との提携については話してあったが、自分の草鞋を擦り減らすことを一寸も厭わないひたむきな男だった。
「きゃー! この乗り物面白い!」
ミハルクの胴に腕を巻いたネルガリアが歓声を上げれば、「そうじゃろ! この街で一番エキサイティングな乗り物じゃぞ!」とミハルクも返さずにはいられない。
「ねえ、そこのおでこ御者! もっとスピード出してよ!」
「誰がおでこ御者よ、可愛くないわね! 危ないから大人しく乗ってなさい!」
「ちぇっ! わたしが王様になったら運転手にしてあげようと思ったのに!」
そんなふうにイリアスから怒られつつも現地に到着。
ヨーゼフの言った通り、広場には大勢の人が集まり、様々な出店が出ていた。
飲食だけでなく射的やクジのような遊び場もあり、小さな子たちのはしゃぐ声が絶えず響いている。
「わあっ、すごい! 街ってこんなに遊ぶところがあるの? ねえミハルクどこから行く!?」
「そうじゃのう……」
「ミハルク様」
クイクイと後ろから服を引っ張ってくるセージュがあごで指したのは、子供用の弓でやる射的。
その目に森の狩人時代の本能が宿っているのを、ミハルクはすぐに見て取った。
「ではまず、あれを皆でやろうか」
「うん!」
射的は、棚に飾られた菓子に当てればそれがもらえるという素朴なものだった。チャンスは三回、ただし当てたらそこで終了。
「よーっし、やるぞー!」
「が、頑張り、ます!」
喜び勇んでネルガリアとダリアが第一陣として挑戦するも、二人とも矢はカエルの小便並に飛ばずに落ちてしまった。しょんぼりしながら帰ってくる。
「陛下……」
「うむ」
続いてミハルクがセージュと挑戦。
かつては狩りの勝負もした仲だ。最初にこれを選んだ時点で、これは彼女からの挑戦状だと察していた。
ふん、セージュめ。長いこと弓など握っておらんくせに、この農村育ちのわしに勝負を持ちかけるなど……!
「――って、なんじゃとォ!?」
ミハルクだけでなく、テキ屋のオヤジも、そして近くにいたギャラリーも騒然となった。
セージュの構えは……弓を横に寝かせ、しかも三本の矢を同時につがえるという曲芸打ちだったのだ。
「ナメおって……勝負じゃセージュ!」
ミハルクは矢を放った。先の二人をしっかり観察していたので試射としては十分。
見事クッキーの入った小袋に命中! 周囲からは歓声が上がる。
「どうじゃこの見事な金的ィ!」
しかし。
スバババ!
うおおおおおおお!
さらなる歓声が、ミハルクの余韻を呑み込んでしまう。
セージュは三本の矢を見事に当て切っていた。しかもその軌道は棚の両端とど真ん中という神業。
この技前に周囲は大盛り上がりで、店のオヤジも感心のあまり一人一つまでのクッキーを三つとも差し出した。
彼女がコロンビアして勝ち誇るのを、ミハルクは「くっ……」と見つめることしかできなかった。
「さあ、おまえたち、これを受け取るのだ」
「えっ、くれるの?」
「あ、ありがとう……」
その後、セージュは勝ち取った三つのお菓子のうち二つをネルガリアとダリアに分け与えた。
もしかすると彼女は最初からそのつもりで三本の矢をつがえたのかもしれない。ふん、アジな真似をしおって……。
「意外といい人ね。あなた名前は?」
「セージュだ」
「ふーん……。セージュね。わかった覚えてあげる。それとあなたも。名前は?」
「ダ、ダリア……」
「わかったわダリア。同じお菓子を食べた者として、今日は特別に一緒に遊んであげる!」
「あ、ありがとう。嬉しい……です!」
それから四人はあちこちの店に顔を出した。
ある場所では迷路盤があって、みんなで体ごと傾けながらビー玉でゴールを目指し。
ある場所ではモグラ叩きがあって、モグラを手動操作している店主の巧みさにみんなでブーブーもんくを言いながら笑い合った。
さんざん遊んで、さんざん笑って。さすがに少し疲れた時。
いくつも並んだ出店の先からいい匂いが漂ってきた。ミハルクたちが全員で鼻をすんすんしていると、
「おんやぁ? イリアっちゃんたちやないの。奇遇やねえ!」
「!! ミ、ミハルク君……!」
人ごみを抜けて現れたのは、巫女服と狩衣という東方伝統衣装の二人。騎士団に所属するカイナとリンナだった。
「うむ、久しぶりじゃな二人とも。元気そうで何よりじゃ」
「朝から元気!?///<◎><◎>/// ……あ、いや、その、何でもありません……」
「もう昼過ぎやけどリンナちゃん何を聞き間違ったんや……?」
などと同僚に呆れ顔を向けつつも、カイナは特有の人懐っこさでぺらぺらとおしゃべりを始める。
「イリアっちゃんたちはお祭り見物? うちらはパトロール中や。こういう場所だとハメを外す輩が出てくるんでなあ」
「まあそんなところ。騎士はこんな場所の見回りまでしてたのね」
「のうカイナ、その手に持っておるのは何じゃ?」
ミハルクは彼女の手にある笹船のような入れ物についてたずねた。中には丸い物体が複数乗り込んでいる。いい匂いはそこからしていた。
「これか? ふふーん、これはな、“タコ焼ケ”や」
「タコ焼ケ? 何やらいい匂いじゃが、食べ物なのかの?」
「そうかミハルク君はタコ焼ケ知らんか。どや、一つ食べてみるか?」
彼女は入れ物に入っていた団子のようなものを爪楊枝でひょいと持ち上げ、
「はい、あーん」
「あーん」
「カ、カイナ、それは……。<◎><◎>ギリッ……」
「なんやこの寒気……。雨でも降るんかいな……」
ミハルクは大きく口を開けて団子をパクリと食べると、ハフハフと息をした。
「ン! うまい! このようなもの初めて食ったぞ! これがタコ焼ケなのか!?」
「おー、よかったで! これは東方発祥のおやつや。外はカリカリ、中はフワトロで、タコさんも入っとるで。ソースと青のりがいい香りしとるんや」
ゴクリ……と、近くで見ていたセージュとダリアがつばを飲み込む。カイナはそれを如才なく見つけ、
「さあさ、二人も食べてみ。タコ焼ケは何人に分けてもええんやでー」
そうして彼女たちもあーんしてもらい……ハフハフ、ニッコリ。
「あはは、みんな可愛えなあ。やっぱりタコ焼ケは誰もを笑顔にする東のソウルフードやで!」
「カイナ……後で話が……<◎><◎>」
「なんで曇っとるん!?」
と。
ミハルクはここで仲間が一人いないことに気づく。
「あの娘はどこに行った?」
どちらを見てもネルガリアの姿がない。こんなおいしそうなもの、一番に文字通り食いつきそうな娘が。
「どしたん? 誰か探しとるんか?」
「うむ。さっきできたばかりの可愛らしい友達でな」
「かかっ、かっ、可愛い友達……!? ミハルク君、それは男の子ですか? 女の子ですか!? ……あ、いえ、その、もし迷子なら特徴を聞こうと思って……っ!」
突然気色ばんだリンナがわたわたと言い訳する最中、突然、会場の一部で騒ぎが沸き起こった。どうやらケンカらしい。
「あかん。おっぱじめおった。ごめんやでミハルク君、あっちに行かんと!」
「構わん。目立つ娘じゃし、どうせすぐ見つかるじゃろうから」
「そっ、そんなに可愛いんですか……?」
「何ショゲてんねんリンナちゃん。行くで!」
二人が慌ただしく駆けていくのを見送って数秒。まるで入れ替わるようにしてネルガリアは戻ってきた。
彼女の手にあるのは、笹船に似た器と、それに乗り込んだ美味しい玉。
「ねえ、これタコ焼ケっていう料理らしいわ! さっきからすごいいい匂いしてたのの正体! みんなで食べましょ!」
皆で顔を見合わせる。奇遇というか、奇縁というか……。せっかくなので、もちろんみんなでシェアしていただくことにした。
ハフハフ、ニッコリ。
※
「――のうネルガリア」
お祭りの空気から一歩外れたベンチで、ミハルクは彼女に呼びかけた。
散々遊び歩き、食べ歩いた後の一休み。疲れたのかダリアはセージュの肩にもたれてウトウトしており、イリアスたちも別のベンチでジュースを飲んでいる。
「さっき、世界の王様とか言っておったが、それは何じゃ?」
とりわけ不穏というわけではなかったが、どこか引っかかる単語。
「んー、よく知らない。でもわたしのお供? が言うには、わたしはすごく偉い人と繋がりがあって、世界の王になる人なんだって」
「世界の王、とはのぅ……。なってどうする? 偉い人など大変なだけじゃぞ」
「うーん、あんまり考えたことないけど」と彼女は自分の横髪を指でさわり、ごく自然にふっとその言葉を口にした。
「世界中の王様を怒る、かな」
「なに……?」
奇妙な一言。しかしまたも胸騒ぎがする言葉。
「ほら、王様って一番偉い人でしょ。じゃあ悪いことしても誰も怒れないよね。だから、もっと偉くなったわたしが怒ってあげるの。そんなことしちゃダメって」
「……悪いこととは、何かな?」
「うーん。約束を破ったり、ケンカしたり! それは誰かが怒ってあげないと。またしちゃうでしょ?」
「そうすれば、世界からケンカはなくなるかの?」
「なくならないと思う。友達でもケンカするから。でも……きっとそれをコラッて怒れるのはいいことよ」
「そう、じゃな……」
この娘。この娘は、何ということ言うのだろう。
これは戦争のことだ。王同士のケンカ。戦争を止めようと言っているのだ。
戦争は誰にも止められない。約束すなわち条約破りも、咎められない。最上位の者同士だから、ルール違反を罰せられる者がないのだ。国内にも、国外にも。
できるのは力による制裁くらいのもの。けれどそれは新たな戦争を呼ぶ。王にルールを守らせる者が要る。そうして世界から争いを失くす者が要る……。
それは。それは。
かつて“わし”が。
魔導大帝アヴァンサが……!
半ば無理矢理帝位に就かされ、陰惨な戦の世界を否応なしに見せつけられた後で、それでも戦場に出る理由として見出し、志としたもの。
すべてを支配し。すべてを一つとする。
それでも人の争いはなくなるまい。しかしすべては血の気の多い者同士の小競り合いにとどまろう。
国中の若者を駆り出し、死なせ尽くす大規模な戦争など起こせなくなる。恐怖に喉を嗄らして吶喊してくる優しい人々を斬り捨てずに済む。
それでいい。せめて、それがいい。それが、
人間、アヴァンサ・ガ・マルドゥークの願った世界……!!
「あっ」
ミハルクが呆気に取られている最中、不意に、ネルガリアが席を立った。
「なーんだ。あの人、もうおうちに帰ってきちゃったんだ。残念……」
「どうしたのじゃ、ネルガリア――」
そう呼びかけた名前を、突然吹き荒れた突風が掻き消した。
思わず腕で顔をかばい、それが収まった後で目にしたものは。
「なっ!!!!????」
ミハルクは、いや誰もが唖然とするしかなかった。
宙に浮いているのは――巨大な、蜂……!?
全身がブルーメタリックの装甲で覆われ……そして羽にあたる部分からは巨剣が生えている。
四本。そのどれもが……特大の魔導剣……!!
「何じゃ、こいつは……!?」
ネルガリアはホバリングする機甲蜂の腹に抱きかかえられていた。
怪物の出現、あるいはさらわれたことに取り乱す様子はない。むしろ安心した顔で彼女は笑った。
「これがわたしのお供。“セージュ”っていうの。そっちのセージュとおんなじだね」
『!!!!????』
「もっと遊びたかったけど、時間切れみたい。でもすっごく楽しかった。また遊んでね。ミハルク、セージュ、ダリア!」
蜂の背から生えた特大魔導剣が一斉に輝く。内部から浮き上がる壮絶なまでに緻密な魔導径路!
(四本同時起動じゃと、バカなッ……!!)
キュン!
甲高くそして重い音を聞いた直後。
巨大な蜂は、光点となって空高く飛び去っていった――。
揺るがぬ証拠。
※お知らせ
次回投稿は一日遅れて9月24日の予定です!




