第三十三章 魔女の家にて
古い絵本から物を取り出す力があれば、それを建てることも容易であっただろう。
箒から降りたミハルクの前にそびえるのは、夜に寝ない子を脅かすための魔女の家そのものだった。
おおよそ人が作れるようなものではない、巨木と半一体化したような家屋。大きさは一般的な街の民家ほどで、壁のあちこちに呪術的な徴が見て取れる。
鬱蒼とした森の奥だ。夜でもないのに暗い周囲に、黄色がかった屋内からの明かりが窓の隅に幽かに浮き上がって、主が在宅であることを示していた。
すぐ手前を流れる小川を倒木の橋を踏んで越えると、やがて大人の目線ほどの高さの止まり木に、さっきまで道案内してくれていたカラスがとまっていた。
クエーッ!
近づくな、とも、おれはここだ、とも聞き取れる鳴き声に、すぐ隣を歩いていたゼータから感心するような声が漏れる。
「おー。“デスカベンジャー”がオマエにようこそって言ってるゾ 廿A廿」
「ほう。今のは挨拶じゃったか」
「わ、わたしが初めて来た時はいきなり飛びかかって帽子を奪おうとしたのに……」
どうやらこのカラスにはデスカベンジャーという名前が付いているらしい。さっきクッソ怠けた姿勢で飛んできたことからも、相当知能が高いことがうかがえる。
ゼータはさらにこうも言った。
「あとババーに粗相がないように、ってサ」
「うむ。お互いにな」
さらりと言い返してやるとデスカベンジャーはあんぐりと口を開けた。それを見たゼータがプーと吹き出し、「やっぱオモシレーゾこいつ」と先立って進む。
うねる根の階段を上がり、鬼火のように宙に浮いたランプの下を過ぎると、歪んだ形の扉が一行を出迎えた。普通の家屋なら到底開けられそうもないが、ここはドア枠自体が曲がっているためすんなりと開く。
「帰ったゾ、ババー 廿x廿」
「ただいま戻りました……」
ゼータとショールが帰還を知らせるのに合わせ、ミハルクからも「失礼する」との一声を投げておく。と同時にため息が漏れた。
(おお……)
内部もこれもまた幻想的だ。
星空があった。
蛍火が室内を飛んでいた。
まるで密やかな夜の世界。
木と書の匂いが色濃く漂う屋内は、外にも負けず暗かった。ただ、テーブルに落ちて来た月の欠片が闇の中から一つの安楽椅子を浮かび上がらせる。そこに一人の美女がくつろいでいた。
「よく来たねぇ」
年齢は二十台後半からそれ以上。肉感的な白い肢体、細い半月のような妖艶な瞳が、光を受けて静かに輝いている。
ショールたちと同じ魔女の三角帽子。ただし彼女のそれはツバの両端が鳥の翼のように分かれ、広がっていた。
胸元と肩を大胆に露出した魔女のローブもまた、カラスを模したような羽の衣装があちこちに見られる。
大きなスリットからはみ出た脚は、蜘蛛の巣模様の網タイツを強調するかのように組まれ、その妖美な指先が愛撫するような仕草でこちらに手招きした。
「客人は少しお待ち。自分の用事は先に済ませたい性分でねぇ」
「招かれざる客じゃ。いくらでも待とう」
「ほほほほ、いい心がけだ。さて……」
暗く長い赤毛を揺らし、魔女の長――バーバ・ヤーガは帰還した部下の二人に目を向けた。
「アヴァンシルを出てからはカラスの目と耳を通じていくらか事情は聞いていた。けれど教えておくれ娘たち。大聖堂で何があったのか……」
そこからショールが説明役となり、あの場における一部始終が語られた。
ニセモノばかりの美術館。地下から大聖堂へと進み、そこに飾られた特大のレリーフさえも未完成。ミハルクたちとの戦い。そして魔女狩り隊の男――。
「伝説によれば、魔女狩り隊は編成した辺境伯もろとも一人残らず処刑されたと……」
ショールの戸惑いを含んだ声に、バーバ・ヤーガの口元が小さな舌打ちを鳴らした。
「そのはずだがねぇ。帝国史にもそう記録されている。……だが生き残りがいた。もはや指揮する者もなく、歴史もあの悪行を指弾しているというのに、誰のための組織だ……? 何であれ、あんな醜悪なバケモノどもが200年も命脈を繋いでいるなんて、このあたしのカラスの目を持ってしても気づけなかった。おまえたち、よく無事に帰って来れたねぇ」
「ミハルク君たちが助けてくれたおかげで……」
「まー、わたし一人でも負けネーけどナ 廿A廿」
「クックック……。そう、魔女は賢く、狡く、幸運でないとね。最後の妾剣だけは本物のお宝だけど、命を救われちゃあ見逃すのも仕方ない。あたしらは何も帝国の人間すべてを憎んでいるわけではないんだ。いいだろう。おまえたちへの依頼はこれで完遂とする。報酬は今夜カラスたちに届けさせる。回収物はここに置いていきな」
「ありがとうございます」
「街に帰ったらバナナチョコレートパフェいこうゼ 廿∀廿」
「カ、カロリーが……」
魔女二人とのやり取りが終わり、ようやく大魔女の目がミハルクへと向いた。
真っ赤な舌が同色に塗られた唇の上を這い、深紅の瞳が妖しげな気配を放つ。場の雰囲気に呑まれたわけではないが、常人とは――いや他の二人の魔女と比べても明らかに異質な存在。どこかで人の道を違えてここに来ている。そんな気がした。
「待たせたねぇ、お嬢ちゃん。自ら魔女の家に乗り込んでくるとは可愛い顔して大胆な性格だ。その度胸に免じてこの“赤いカラス”のバーバ・ヤーガが直々に相手をしてやろう。一体どういう用向きでここに――」
「廿A廿? 何言ってんだババー。そいつは男だゾ」
「えっ」
「えっ」
返った声は二つ。バーバ・ヤーガと、それからショール。
「ゼ、ゼータ。あなたマイベストエンジェルの性別を知ってたの?」
「誰だヨ。そいつが男なのは見りゃわかんダロ。節穴か?」
「fusianasanに引っかかるとはプギャーされても仕方ないのう」
「ど、どういう意味、ミハルク君……!?」
妖美かつ隠微であった空気はどこへやら。
途端にドタバタし始めた室内を、バーバ・ヤーガの動揺した声がさらに揺さぶる。
「お、お待ち。え、え、ゼータ、それは本当なのかい? そのお嬢ちゃんは、あの、その、男の子……?」
「ソーダヨ。だろ? 廿x廿」
「うむ。本当に間違われやすいのじゃがのう、わしは男じゃよ。ちんちんも付いとる」
「ちん……!?」
バーバ・ヤーガは赤い目を見開くと、こちらのつま先から頭のてっぺんまで視線を何度も往復させた。そしてもげるほどに首を何度も縦に振り、
「うっ、うん、いいと思う。すごくいいと思う!!」
それから彼女は頬を赤く色づかせながら、大胆に見せつけていた足をアセアセとスカートの中に引っ込め、気だるく崩れかけていた胸元のラインを正し、魔女帽子の位置さえも細かく微調整しだした。
「ババー無理すんナ。なに行儀よくしてんだ 廿A廿」
「おだまり! ……若い子はホラあれだよ清純なお姉さんが好きなんだよ……!」
「バーバ・ヤーガ!? そのポジションはわたしが……」
「おまえは日頃から頭ん中妄想ピンクだから無理だろ……!」
「ヒョッ!? どうしてそれを……!?」
「どっちも無理ゾ 廿x廿」
何やらごにょごにょと魔女同士で言い合ってから、改めてバーバ・ヤーガがこちらを向いた。
「ミ、ミハルクと言ったね。さっきは待たせて悪かったねぇ。遠くまでよく来たよ。のどは乾いてないかい? お腹が空いていたらクッキーやキャンディもあるよ。なんたって魔女の家だからねぇ」
さっきまでの威厳が何もないにこにことした笑い。逆にこれこそが魔女とも言えるかもしれないが……。
「いや……せっかくのお誘いじゃがご遠慮しよう。今回は約束もなしに訪ねる無作法を働いているわけじゃし、実は仲間にも無断でここに来てしまっての。あまり待たせては悪い」
「まあ、何て礼儀正しい子だい。それじゃ、おまえのお願いをお姉さんに言ってごらん」
「実は、わしらの仲間が片目だけが大きな仇を追っておっての。わしはそれが魔義眼ではないかと踏んでいる。そして魔女狩り隊の男もまた魔義眼を使っておった。そのあたりのところを、何か教えてもらえんかと思っての」
途端。それまで弛み切っていた部屋の空気が音もなく凝った。
「残念だけど、それに関しては何も教えられないねぇ」
初対面時の冷やかさを取り戻しつつ、魔女は述べた。
「おまえが女で、これまでの賢い人生の延長としてここに辿り着いてしまったのなら、話すのもやぶさかじゃないさ。けどおまえは魔女の箒にしがみついてこの場所に来てしまった。そういう者をこちら側に引き込むわけにはいかない」
「それは……知れば引き返せなくなるということかな?」
「そうだ。知ればおまえも魔女になる。今まで通りに生きていくことが……いや、今まで通りの歴史をたどることができなくなる」
「歴史じゃと……?」
「魔女がなぜ帝国を攻撃しているか知ってるかい?」
「魔女狩りへの報復……と仲間からは聞いておる」
「それは違うねぇ。一つだけ教えてあげるよ。魔女は誤った歴史を選別し……正しているんだ。ずっと。ずーっとね」
「なに……」
妖艶な魔女の瞳に、まるで忘れ形見を渡されたような真摯さが浮かんで消えた。気づけばショールやゼータの表情にもどこか神妙なものが宿っている。
単なる強盗や破壊者ではなく……もっと大きく、永い使命を帯びているように。
仲間たちは正しい歴史を知らない。魔女の歴史を知らない。彼女たちについてもっと知らなければと、古い知恵が告げていた。
「第六技術部……」
「……!」
こちらのつぶやきにはっきりと反応したのはバーバ・ヤーガだけだった。
「おまえ、どこでその名を……?」
「わしとて、完全な門外漢ではないということじゃ。続けて、六、外」
「? ミハルク君? 何を言ってるの?」
「どういう意味ダ? 廿A廿」
「なるほど」とバーバ・ヤーガの赤い唇が笑う。「“魔女と賢者のゲーム”か」
魔女の目が鋭い光を帯びた。
「では今度はわたしからだ。三、信条」
この意味は“第六技術部の三つの信条は?”
対するミハルクの返答。
「疑う。信じる。否定する。六、なぜ?」
“常識を疑う。仲間を信じる。諦めを否定する。六技術部はなぜ魔女になった?”
「二人とも何言ってるかさっぱりわかんねーゾ 廿x廿」
「同じく……」
途中で二人の魔女のぼやきが耳に入ってくる。
それもそのはず。この魔女と賢者のゲームは、連想ゲームに見立てた隠者たちの割り符だ。“知っている”者同士ならば不明瞭な短いワードからでも会話を成立させられる。逆ならばちんぷんかんぷん。相手に情報を渡さず、それでいて相手がどれだけ知っているかを引き出すための問答。
バーバ・ヤーガは先の質問に答えた。
「(技術の一部が)外(に出たことが)発端。どこから(だと思う)?」
「(第)三(班)……。(魔導剣の力と人体を伝導経路)抜き(で繋げる研究)……か?」
「よく知っているな……」
ミハルクは一つの確証を得た。魔女たちはやはり魔導剣研究所、第六技術部の流れをくむ集団だ。
ショールたちの反応を見るに、この赤髪の魔女だけが魔女の始まりから今までの歴史に精通している。
「しかし集団ヒステリーからそれは、あまりに結果が飛躍している。何があったのじゃ……?」
「東(への流出/川/船/×××××××)、から西(の森/川/泉/伯爵/×××××××)」
「む……」
「(×××××××)フラスコ(×××××××)、(×××××××)抜擢(×××××××)、(×××××××)実験(×××××××)……」
「むむむ……」
連想が乱れる。予想される言葉が無限に広がっていく。まとまりがつかない。
「ついてこられるのはここまでのようだねぇ」
こちらの行き詰まりを見て取って、バーバ・ヤーガは赤い舌をちろりと出して笑った。
「なるほどおまえは泉の場所についてはよく知っているようだ。だがそこからの流れを何一つとして知らない。不思議なもんだねえ。水源に辿り着くには、小川を辿らなければならないというのに……。まあいい。おまえは子供だ。人の悪意がどれほどのものか、まだ想像もしきれまいよ」
「何じゃと。このわしが人の悪意など……」
言いかけて、ミハルクはのどが詰まる感覚を覚えた。
……いや。そうかもしれない。疑い切れなかったかもしない。
我が子の悪意を。
我が魔導剣。我が魔導剣研究。それが、そこまで邪悪なものを世に生み出すことはないだろうと。うちの子に限ってと。
ミハルクは観念してうなずいた。それを見たバーバ・ヤーガも「おまえは利口だねぇ」と満足げに微笑んだ。
やり取りの決着が二人の間のみに広がっていた世界を解放する。ミハルクとバーバ・ヤーガ、それからショールたちの肩からも見えない力が抜けていった。
「なー、ババー。やっぱコイツ面白いって。仲間にしてやろうぜェ」
途端、バーバ・ヤーガの肩に、小リスが絡むようにしてゼータが首を突っ込んできた。
「魔導剣の使い方も上手いし、魔女狩り狩りにしてコキ使えばいい 廿∀廿」
「面白いことは否定しないけど、おまえの言う通りにはできないねぇ。魔女でなければコメットギアは動かせないし、女だけの集いに男を入れるわけにもいかない」
「箒はわたしが二ケツすりゃいい。こいつ女みてーだから、魔女のカッコもできるダロ」
「じょ、女装!?!?」とバーバ・ヤーガは目を血走らせ、ねじ曲がった古木のような奇妙なポーズとなった。
「…………………………………………!!!!!!!!!! ……い、いや、やっぱりそれはねぇ。他の魔女に示しがつかないしねぇ……」
「じゃ、メイド服でも着せっか。手伝いならいいダロ」
「メイド!?!?!?!? …………………………………………!!!!!!!!!! ッッッッ…………!!!!!!!!!!!!!!!!」
「ゼ、ゼータ、あなた、すっとぼけたフリをして実は“極めし者”だったの……!?」
様々なポーズで懊悩するバーバ・ヤーガに代わり、ショールがわなわなと手を震わせた。
「何言ってんだオメー 廿x廿?」
「女の子みたいな男の子に女の子の格好させたらそれはもうただの女の子でしょと思うでしょ違うのそれは浅はかな考えなの男の娘女装男子ボーイッシュロリショタ中性みんな違ってそれぞれバランスよく摂取することが大事なのでもその中でもやはり女の子みたいな男の子に女の子の格好をさせるっているのは」
「おー。何語の嵐だ?」
「とにかく!」
ドン! と安楽椅子の手すりに拳を落としたのはショールではなく、
「やっぱりダメなものはダメだ。魔女のことは教えられない。仲間にもしてやれないよ! これは歴代の魔女たちが紡いできた掟だ。あたしとて破ることはできない!」
何かを振り切ったらしく、バーバ・ヤーガは強い口調で吠えた。仲間とは同じ掟を守るものだ。掟を破って仲間にするのではそれ自体が矛盾した行為と言える。ただ、その正論を言い切った後で、彼女が申し訳なさそうな犬みたいな顔でこっちを見てくるので、
「わしもそなたらの道理を曲げさせるつもりは毛頭ない。もちろんそれで不満を覚えることもないのじゃ」
「ほっ……。優しい子だねぇ、おまえは」
「ただのう、あの魔女狩りの男に関してはわしらも追いたい。仇を探す仲間は律儀な男でな。律義さには同じもので応えねば男が廃るというものじゃ。というわけでここは一つ、外部提携ということでどうかな?」
「外部提携かい?」
「わしらはそなたらの行為に協力せぬ。じゃがもしまたヤツが襲ってきた場合、力を合わせて戦う。そのために事前にそなたらの行動を知らせてほしいのじゃ。どうじゃな?」
「ふむ……。競合関係はそのままで、ピンチには助け合うってことかい」
「い、いいと思いますバーバ・ヤーガ。またあんな怖い人に会ったら困るし……。それにそうすればミハルク君と会う機会も倍増、親密度も倍率ドン……!」
「おー、まあ悪くないナ 廿A廿」
二人の意見を聞いてから「いいだろう」とバーバ・ヤーガは目元を緩ませ、「あたしも大事な娘たちをわざわざ危地に向かわせたくはない。おまえの条件を呑もうじゃないか」との同意を口にしながら、手を差しだしてきた。
ミハルクは弾けるような笑顔になって、それをしっかりと握った。
「うむ! ではよろしく頼むぞ、“赤いカラス”バーバ・ヤーガ殿」
バーバ・ヤーガの色白い頬がぽっと華やいだ。
「うっ、うん……よろしくね……」
彼女の指先はミハルクの手からなかなか離れようとせず、何やら妙に長い握手になった。
あんのじょう




