第三十二章 ブラッディ・エルロード
「“極上なる”シュプリムトから部下を介して連絡がありました。手紙の中身は確認していただけましたか?」
〈最終貴族同盟〉本部施設、執務室。
故郷からの家具が醸す生家の香りをとどめた室内にあって、付き人のコールマンの抑揚を欠いた声が、今日も雨音のように柔らかく耳を通過する。
「ええ」とまずは短く肯定しつつ、レリーフォナはその話題に乗る意思表示も兼ねて、執務机の端に置いてあった封書を手に取った。
「大聖堂はなぜか“ニセモノ”。ただしその地下深部にて、本物の例外級魔導剣、妾剣エルロードを回収する。〈ノーブルオーダー〉イリアスはそれを同盟に提出する見込み――」
シュプリムトには美術館を調べる傍ら、それとなく彼女を見守るように頼んでいたが、どこまで拡大解釈したのかその地下深部とやらまでガッツリ同行していったらしい。
おかげで野外や美術館にいた同盟の貴族たちは魔女の奇襲を受けてボロボロのボロリンチョ。死人こそ出ていないようだが、護剣ガーダー・オムニバスを持つ彼が持ち場を守っていれば、その被害は大幅に抑えられただろうに。
「しかし」
と、こちらの内心の愚痴までを読み切ってコールマンが否定の継ぎ句を投げてくる。
「かの“大帝の愛人”が手に入ったのであれば、大幅に黒字ではありましょう。氏の独断は〈ノーブルオーダー〉の裁量の範囲内かと」
「そうね……。非難には当たらないわ」
それにしても、とレリーフォナは豪奢な背もたれに体を預けながら息を吐く。
「魔女に、伝説の魔女狩り隊……。南部エリアが開いてからこの短期間で墳都もずいぶんキナ臭くなったものね」
魔女の被害は前々から言われていたことだが、彼女たちとてこれまでは歴史の裏に潜む隠者たちだった。それがコメットギアなる最新兵器を引き下げてアヴァンシルに乗り込んできたことは、この街に住んでいなければ到底信じられなかったに違いない。
魔女狩り被害者から帝国への復讐者へ。その流れを辿る彼女らが、アヴァンシルに眠る歴史を破壊したがるのは道理。200年分の代替わりを経てもまだその怨讐が涸れていないというのはむしろ見事というしかない。
そこに加えて魔女狩り隊の男……。まるでアヴァンサ帝から現代までの歴史の総括が、ここで行われているような錯覚にさえ陥る。
(そうかもしれない)との自嘲を自身の野心と照らし合わせ、レリーフォナは自然とついた頬杖の下に苦笑を隠した。
「イリアス様が戻られ次第、妾剣もこちらに届けられると思いますが、対応はいかがなさいますか?」
束の間、歴史に思いを馳せていた思考は、コールマンの淡々とした声に現実的な事務のレベルにまで引きずり降ろされた。
そう。超然とした同盟の主でいるには、「えっ、妾剣を見つけたの? うっ、うん、すごい、すごいと思う!」なんてはしゃぐ姿を相手に見せるわけにはいかない。粛々と、端然と、優雅に、信賞必罰あるのみ。そのために事前の打ち合わせは必須だ。
「見込み通り彼女が妾剣を同盟に収めるならば、それ相応の金銭で報いましょう。彼女が今一番ほしいものは、とりもなおさず金よ。おためごかしはいらないわ」
「彼女は非常に清らかな守銭奴です。ではそのように……。してその後は? 妾剣は帝都でも国宝級の魔導剣。すぐに“帝”にご献上なさいますか? 先帝の愛人を現帝に……などと、ずいぶんと時代がかった話に聞こえますが」
「…………」
平時なら自明の理であるこの問いにレリーフォナは即答せず、一つの考えを頭の中に走らせた。
「コールマン。妾剣が帝国から奪われた経緯はもちろん知っているわよね?」
「ええ。俗にいうブラッディ・エルロード事件。王宮の宝物庫から帝国第二の都市アンラーバの歴史博物館へと輸送される最中にそれは起こりました。護衛についていたのは、A級魔導剣所有にして剣で鳴らしたギランツエ伯爵のご子息とその配下の手練れたち。にもかかわらず、輸送隊は出発から三日後に全滅。積み荷には奪われ、ご子息も命を落とされました。後日、襲撃に関わったと思しき野盗――そう、たかが野盗です――のアジトが森の中で発見されるも、彼らもまた頭目以下全員が惨殺されており、以来妾剣の行方は杳として知れない……。今日からわずか五年前の出来事でございました」
エルロードがさらわれた道行きには貴賤を問わず膨大な血が流れた。そこから付いた名前がブラッディ・エルロード事件。巷では大帝を失った妾剣の悲嘆が引き起こした呪いなどという戯言まで飛び交う始末だが、作劇として鑑賞するならまだしも現実として真に受ける気はさらさらない。
「腕利きのA級魔導剣使いを殺害し、それをアヴァンシルに隠した何者かがいるのよ。持ち出されたと知ったら、その人物はどう動くかしら。コールマンあなた、貴人のご婦人との旅行はお好き?」
「生憎と昨日から馬車酔いしやすい体質になりまして。向こう数年は治らないものと覚悟しています」
「ならば保留するしかないわね。同盟の地下金庫にて厳重に保管。発見したことに関しては、みだりに口にしないよう、関係者に口止めを」
「かしこまりました」
恭しくうなずきながらも、伏せた顔から彼の悪辣な笑みがこちらに向くのをレリーフォナは感じた。
悪者め。と思いつつ同じ顔を返して腹の黒さを見せ合う。
妾剣に魔導剣たる戦闘能力はない。その代わり、存在自体が重大な意義を持つ。
常に大帝の傍らにあった剣。すなわち、大帝たる者の、大帝の後継たる者の証明。
これからのことを考えれば、わたしには、それが絶対に、要る。
※
「はあー……疲れた」
軽快にすっ飛んでいくコメットギアの軽さが、かえって我が身の重さを鮮明にする。
収穫はゼロに近かった。大聖堂エリアの物品を破壊、収奪はしたものの、あれらはもしかしたらすべてが粗製の模造品であった可能性が高い。唯一価値があった――それも最大級の――妾剣は、到底奪い取れるような状況ではなかった。
特に“彼に”面が割れた上に、それを含めた上での今後のお付き合いにまで言及されてしまっては。
それから地上まで全員を箒で運び、敷地内でノビている後継者たちの群れに彼らが驚いている隙をついて二人揃って逃げ出したのがここまでの経緯。
魔女のこととか、魔女狩り隊のこととか、あの場で聞かれたら困ることがいっぱいあったから。
結局はちゃんとした挨拶もできずに遁走するしかなかった。ただ――。
「バーバ・ヤーガに何て申し開きしよう……」
重い胸の内の半分はそれが理由だった。
魔女たちのまとめ役。“赤いカラスの”バーバ・ヤーガ。今回の襲撃の依頼主でもある。
大聖堂エリアの発見は彼女にとって見逃せないビッグイベントだった。知の破壊と選別を司る魔女の晴れ舞台。そこに放たれた二羽のカラスがこのザマでは……。
「そのまま話せばいいサ。逃した獲物は一個。壊したのはたくさんダ。もんくはねーダロ 廿A廿」
こちらより少し先を飛ぶ箒星から、そんな慰めの声が流れてくる。共にアヴァンシルに潜入した相棒は、初めて会った時からずっと楽観的だ。ネガティブ思考に陥りやすい自分とはプラマイゼロで相性がいい。仮にあの小魔女の励ましに根拠がなかったとして……自分の悲観にも大した根拠はないのだから、それでいいじゃないか。うん。
「そうじゃな。わしも一緒に申し開きしてやるから、ショールはもう少し胸を張って構えておれ」
「うん、ありがと。マイベストエンジェル……。…………………………………………!? プエップラピュラァ!?」
背後から聞こえて来たのどかな言葉に、ショールは危うく人の最後の知性を揮発させるところだった。
「ミ、ミ、ミハルク君!?」
「うむ。お邪魔しておる」
しれっと言った。からの天使の笑顔、ヨシ!
いやよくはない!
「い、い、いつの間に!? 全然気づかなかった!?」
「わしは軽いからの。それに、極力気配も消しておった」
「おー。ショール、ソイツのこと結局さらったのか? 廿A廿?」
「ちっ、違う違う! 彼が勝手に……って、それどころじゃない! ミハルク君、そんな先っぽに座ってたら危ないから! ほらこっちに来て、わたしに……つ、掴まって……デュフフ……」
「その顔でホントにさらってねえの?」
相棒から謂れなき疑いをかけられつつも、腰に回させた細い腕の温度が世界のすべてをどーでもよくさせていく。
ああ、きっと聡い彼には、そんなこちらの邪な気持ちなんて簡単にお見通しされてしまうのだろう。
そして見下すようにして、
「ショールはダメダメなお姉さんじゃのう。わしがいなかったら料理も掃除も満足にできないのじゃろう。プークスクス。よわよわ喪女、ざぁこざぁこ」
「くっ、ううう……」
そうして炊事洗濯清掃から生活のすべてを奪われてしまうのだ。頑張って取り返そうとするも、すぐ隣からダメ出しの嵐。食事ではマナーがなってないと横から無理矢理あーんされ、書店の整理では二人で一緒にカートを押しつつ作業が遅いと叱られて……。もう大人としての尊厳はボロボロ。
けれど一転攻勢のチャンスは来る。彼は着た切り雀のわたしの服を洗濯しようと強引に剥ぎ取ろうとして、女性の下着姿を生で見てしまうのだ。
一応これでも妙齢の女だ。多分、その、人並みには育ってるし、そんなに、その、バランスも悪くないと思うし。きっと、その、彼も男の子だから興味あると思うし。うん。
そして咄嗟にたじろいで赤くなってしまった彼に、わたしからの反撃が始まる――!
――――。
――――――――。
「……オイ、こいつ息してなくねえカ!? し、死んでる……! 廿Д廿;」
「なんじゃと!? これショールしっかりせよ! 息を吸って吐けい!」
「――ハッ! わ、わたしは天使に何ということを……。違います、これはわたしの願いじゃないんです!」
悪魔に思考を乗っ取られていたのだ。決して、決して、彼に生意気にいじめられ罵られた上で一転攻勢、わからせたいなんて邪悪な願望を抱いていたわけでは――。
と。
キーンという高音を立てて、こちらに小さな影が並んだ。
カラスだ。しかしそのカラスは一切羽ばたくことはなく、むしろのんきに羽繕いなどしつつ、ペンのように小さく細い飛行物体の上に乗っている。
「!!」
これはバーバ・ヤーガのところのカラスが操るペンシルミサイルだ。
気づけば後継者の街サクセルから離れ、南方にある森の近くまで来ている。
カラスの口がパカと開き、
「お客さんとは珍しいねショール。まあいいさ、連れておいで」
くぐもった女性の声がそう言った。バーバ・ヤーガだ。マズい、ミハルク君のことまで完全にバレた!
「どどど、どうしよおおお!」
「来いっつってんだから別にいいダロ。ホレ、行くぞ」
手本を見せるかのようにゼータが加速。ペンシルミサイルに乗ったカラスに続いて、三人で森の中へ飛び込む。
枝自体が互いを絞め殺し合うように絡み合った森では、コメットギアが飛ぶスペースなんてあるはずもない。
しかしペンシルミサイルが先導する先では、木や岩が仕掛け絵本のように開いて一本の道を作り出していった。
ここはすでに魔女の腹の中。
やがてたどり着く、大樹のうねりに呑み込まれたような一軒の家。
左右の枝から包み込まれる様子は、大ガラスに抱かれた雛のようにも感じられる。
魔女と招かれた客のみが立ち入れる場所。
バーバ・ヤーガの家がそこにあった。
大魔女とショタの直接対決の予感!




