第三十章 処刑隊の瞳
一対一を持ちかけたのはこちらで。
それを受けたのはあちら。
他のすべての者はそれに同意していないし。
同意すべき義務もない。
だから、蹴りを誘って相手の利き足を浮かさせたアドバンテージに、氷剣バルキヘイムの横槍があったとしてもミハルクは何とも思わなかった。
ただ、意外だった。
この魔女狩り隊の騎士が、『ノーツン・フォグア』を放ったイリアスに対して明確に注意を向けたことが。
「よそ見はいかんなぁ!」
ハナから風のクッションを背中に置き、蹴り飛ばされた位置に瞬時に戻れる体制を敷いていた。蹴りを放って姿勢が崩れた相手に攻めかかる作戦は、意外な形でより大きな勢いを持つことになった。
戦いの場に公平性などない。立ち回りの中で小石を踏むかもしれないし、目にゴミが入るかもしれない。幸運、不運のすべてが自己責任。多勢に単身突っ込んできた以上、脇腹を突かれることくらいこの騎士は覚悟していると思っていたが――。
「しゃあァ!」
肺いっぱいに溜めた呼気を爆発させ、渾身の突きを繰り出す。
今度は受け流させない。異形の顔面への直撃!
鉄が鉄を阻む激しい音がして黒い兜が宙を舞った。
アヴァンサ帝最盛期の突きの威力は、火薬で弾け飛んだ鉄礫にも匹敵した。
どれだけ強固な防具で守ろうと、揺さぶられる脳は止められない。
散り広がったのは、長く美しい黒髪だった。続いて石のような白く暗い肌と、若い男の冷たい美貌が露わになる。
これが黒騎士の正体。
人並外れた雰囲気に違わず、これだけ整った顔つきながらどこか違和感がある――。
「三番装備よこセ!」
「! はっ、はい!」
視界の外から魔女たちの声が聞こえたのはその直後だった。
まるで隙を狙っていたかのように間髪を入れない特大の発破音。
視野の中に飛び込んできたのは、投網にも似た大きな布だった。
表面に奇妙なテカリがある。これは液体……?
黒騎士はめまいをこらえる仕草をしつつすぐさま地を蹴ったが、液状投網はまるで虫を捉える人の手のように彼を追った。
「このスライムネットからは逃げられねーゼ」
ゼータの自信に満ちた声に、黒騎士の美顔が思いのほか人間らしく舌打ちする。
そして彼は意外な方向へと逃げを打った。
イリアスたちがいる方。
「!? 南無三!」
一番近くにいたのはシュプリムトだった。慌てて護剣を抜いて構えようとするも、黒騎士の方が一手も二手も早い。
甲高い音を立てて護剣が跳ね飛んだ。無防備となった貴族を援護するには、イリアスもウォードッグも完全に出遅れていた。
しかしそこで黒騎士はシュプリムトを無視し、なぜか落ちて来た護剣をキャッチする。
「発現せよ――」
そのつぶやきの直後、黒騎士の前に強固な防御膜が形成される。
「なっ……!? 吾輩の極上フィールドを!?」
シュプリムトの愕然は至極当然のものだった。
あの防御フィールドは護剣が持つ奥義の一端なのだ。持てばすぐに発揮させられるわけでは断じてない。唯一、魔導大帝をのぞいては……!
しかし魔女たちが放った投網はフィールドに覆いかぶさり、異様な紫電を弾けさせて墜落した。
その障壁はまやかしでも何でもない。本物だった。
「バカな、どうやって……」とかすれるシュプリムトの声が流れる中、ミハルクは見た。
黒騎士の右目がまるで見開いているかのように膨らみ、異様な赤光を横走らせている。
さっきまではそんな状態ではなかった。それに、あれは――。
「魔義眼じゃっ!」
瞬間、黒い孤影が地を疾走った。
右目が大きい仇を探し求めるサムライ、ウォードッグだ。
双眼を編み笠に沈めた彼はしかし、子供にもわかるほど殺気立っていった。普段は霞のように薄く佇んでいるのに、今はまるで獰猛な野犬。
東方の刀風に装飾された魔導剣を抜剣し、こちらとは逆サイドから黒騎士へと攻め上がる。
「早まるなよウォードッグ、こやつが本星とは限らぬ! ぶちのめして話を聞き出すのじゃ!」
「……!」
二人の剣が同時に閃いた。
それを黒騎士は右手の迅剣、左手の護剣でそれぞれ別個に受け止める。
衝撃で黒騎士の靴底が数メートルに渡って床の上を後退した。
「ウォードッグの仇敵か。わたしも出る。イリアスはダリアを守れ」
「ここで押し潰してやるゼ 廿""廿」
セージュ、そしてゼータも飛び出した。
形勢の悪さに加えてこれで四人がかり。黒衣の美丈夫の顔に不服を受け入れる影が生まれた。迅剣を一度大きく振ってミハルクたちを牽制すると、もう片方の手で護剣を床に突き立てる。
「最大出力……」
瞬間、シュプリムトでさえ見せなかった特大の前面防御フィールドがこちらの行く手を遮った。
そこから素早く返した踵の先には、大聖堂奥の壁に開けられた大きな穴がある。
穴の直線の切り口は、黒騎士が外から壁を叩き切って侵入してきたことを今さらになって知らしめていた。
後はそこに飛び込むだけで窮地を脱出できる。そんなタイミングで。
なぜか黒騎士は立ち止まり、振り返った。
その目には何か――闘争とはまったく無縁の何かが宿っているように、ミハルクには思えた。
(何じゃ……何を見た……?)
確かめている余裕はなかった。そして黒騎士もまた、その停滞を一瞬で解いて穴の中へと飛び込んでいった。
「追うなウォードッグ! 今追えばそなた一人が死ぬだけじゃ!」
吹き込んでくる湿った風が静かに伝えてくる。外は濃霧。視界はろくに利かない。単身突入してきた黒騎士はそこを踏破するすべも心得ているはず。
ミハルクの叫びと同時に、床を削り取る凄絶な音が、駆けるウォードッグの前へと回り込んでいた。
ダリアの背中から離れた鮫剣ジャーグ・ズー。
ウォードッグの足も彼の前で止まっていた。
ミハルクは追いつき、声をかけた。
「よう踏みとどまってくれたウォードッグ。まだ人であって何よりじゃ。ジャーグ・ズーもよう止めた。持ち主に似て優しいヤツじゃなおまえは」
ダリアに目を向けると、彼女が嬉しそうに微笑むのがわかった。
「ウォードッグよ、ヤツの顔は覚えた。魔女狩りだというのなら当の魔女らを張っていれば再び会えよう。わしはそなたに恩がある。ここは焦らず確実に詰めるぞ」
「……ああ」
何かを重く押さえつけるようなつぶやきを経て、二人の視線がある一方へと移る。
大聖堂を襲った魔女二人が、居心地の悪そうな様子でこちらを見ている……。
※
「そなたらも今はまだ逃げるでないぞ。さっきのヤツがどこに潜んでいるかもわからぬでな。こんな状態じゃ。一時休戦といこうではないか」
「おー 廿A廿」
彼からの提案に、ゼータは思いのほか素直に応じた。
「ハッ、ハイ……ソレデお願いシマス……」
できればあんな恐ろしい相手とは二度と会いたくはなく、ショールもすぐさま裏声で賛同の意を示す。
魔女狩り隊。それはかつて行われた魔女狩りと同じくらい伝説の中の存在だ。あの一大事件を過ぎて以降、魔女狩りが行われたことは一度もない。したがってゼータの「魔女狩り狩り」も歴史になぞらえたあだ名に過ぎず、すべては過去の遺物のはずだった。
けれども。あの藪睨みの単眼。魔女を見つけ、追い詰め、最後は確実に惨殺するという魔女狩り隊の刻印に相違ない。まさか古い書物の中にしか登場しない怪物に、よりによって現代を生きる自分が出会ってしまうとは……。
「……って、人が考え事をしてる間に何勝手に休戦してるのよミハルク。その二人は大聖堂を中から破壊しまくった悪者なのよ!」
そこに貴族の軍服を着た少女がぷりぷりと怒りながら割り込んでくる。短い前髪に四角い太眉。イリアスだった。
「〈グレイブナイツ〉に突き出すつもりはないけど、せめてわたしたちに攻撃したことくらいは謝ってほしいわね」
「おー。女貴族か。尻が弱そう 廿A廿」
「なっ!? な、な、どういう意味よ!?」
真っ赤になりながら慌ててスカートの後ろを押さえている。ああ、彼女はゼータに散々弄ばれる性格だと今確信した。
しかし、そんな関係性が確固たるものになる前に。
「な、何だこれは!?」
突然湧き起った悲鳴とも怒声ともつかない声に、ショールは思わず首をすくめた。
絶叫したのは雪の精霊のようなセージュだった。彼女が立っているのは大聖堂後陣の壁の前。そこには壁一面を使った巨大なレリーフが築かれていた。
そのサイズだけでも規格外。
しかもテーマは、帝国の栄光を表したステンドグラスを囲むようにして、アヴァンサ帝の朋友とされる六魔導剣聖士が配された、『大帝の至坐』と呼ばれるアヴァンサ信仰芸術の極致。
このモチーフは唯一帝都の宮殿にのみ存在し、ではここにあるのが世界で二つ目というとんでもないレアものになる。まさかこんなところでお目にかかるとは……。
休戦中でなければ、ゼータは間違いなくこれを破壊していた。
しかし、さっきの戦いに巻き込まれた様子もないのに、なぜセージュは大声を上げたのだろう。
ショールはその理由を探ろうとレリーフに近づき、そして「あっ」と声を上げた。
浮き彫りにされた雲や風は精緻で荘厳な作りなのに、なぜか肝心の六魔導剣聖士は泥人形のような出来栄えだったのだ。かろうじて服装がわかるくらいで、表情はおろか目や鼻の位置すらはっきりしない。
「何だこれは! ゆ、許さんぞ、他の何を許したとしてもこんなことは……!」
動揺のあまり、セージュは自分が発注したかのような口振りになってしまっている。一緒にケーキを食べていた時は、雪の夜のように物静かな子だったからこの取り乱し方は意外というか新鮮だ。
(でも、これってどういうことだろう……)
美術館にあった展示品も贋作。そしてこのレリーフも未完成……? もしかしてゼータ壊した他のオブジェも本物ではなかったかもしれない。だとしたらこの大聖堂は一体……。
と。
「おい、ここから中に入れるみたいだぞ!」
「ラ、ラッキィィィ! 日頃の行いィ!」
「日頃の行いならオレだろ! 昨日拾った財布の中身をわざわざ使ってやったんだぞ!」
意地汚い罵り合いが聞こえて来たと思えば、魔女狩り隊が出ていった穴から、外にいた後継者たちが我先にと侵入を試みている。
「これはいけない。外の連中が一気になだれ込んでくる。副葬品の奪い合いが始まるぞ」
さっき剣を奪われていた満艦飾男が、それを大事そうに鞘に納めながら言い出した。
「そ、それは困るわ。わたしだってまだ何も見つけてないのに……! そうよ……地下! あの地下神殿の続きをまだ見てない!」
「そうじゃった! いかにも何かありそうじゃったし、やつらに先を越されたくはないのう! 走るか!」
「そういうことなら後ろに乗れ。運んでやるぜェ 廿∀廿」
ゼータがコメットギアの後部を差し出すと、すぐにサムライと満艦飾男が乗り込んだ。
そうなると当然、残りはショールと同乗となる。
「飛ばすゾ 廿A廿」
「し、シッカリ掴まってテネ」
後部席先頭のミハルクを腰に捕まらせ、ショールは箒のブースターを起動。ゼータと共にこれまで駆けて来た廊下を一気に逆戻りする。
(ううっ、ミハルク君がすぐ後ろに……! どうかバレませんようにバレませんようにっ……! 神様お願いです信じてますから! あなたならできる! わたしが信じるあなたの力を信じろ神!)
「のう、ショールや」
「えっ何?」
……………………………………………………。
「ピャッピョオオオオオオオオオオオオオオ!!?????」
え、今、名前、え、返事、名前、呼ばれて、返事、返事しちゃったああああああああああああああ!!
詰んドオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!
「そう慌てるでない。わしの大切な友人は皆、昔激しくケンカした仲じゃ。さっき程度の小競り合いなど挨拶と変わらぬ。じゃからそう変な声を使わず、普通にしゃべって普通に顔を見せておくれ」
「はっ……はっ……はぅ……はひゅぅ……」
い、息ができない。何この包容力。何この優しさ。我が子!? 我が子への愛なの? わたしがこの子から生まれ来る!?
ああ……もうそれでいい……。時系列とか何それおいしいの。ミハルク君はわたしの母になってくれるかもしれない男だ!
「あっ、あっ、あひぇ……ショタドーパミンしゅごいのぉ……」
「おいフラフラ飛ぶな、ぶつかるダロ! 免許持ってんのか! 廿△廿#」
幸せ死用の死神にスリーパーホールドをかけられながら、ショールの箒星は地下への道を突き進む。
急にダメになるお姉さんパート。




