第二十九章 魔女狩り隊
「魔女狩り隊って、何よそれ……!」
内心で唐突に膨らんだ焦燥をそのまま声にして、イリアスはシュプリムトにぶつけていた。
魔女狩りとは、帝国の忌まわしく恥ずべき歴史。幼い頃、マリンと二人でヨーゼフからそう教わった。
食糧難や疫病があったことも、それで人心が乱れていたことも確か。それでも、いかがわしい風説に惑わされて民が民を襲い、無辜の人々を大勢死に至らしめたことは明らかに人の人たる道を逸脱している。
もし、飢えて、渇き、一口のパンと水を巡って仲間同士での殺し合いが避けられないのであれば、死になさい。
それが人として死ぬ最後のチャンス。ヨーゼフはそう、子供時代のイリアスとマリンに語った。
わたしならその場から逃げて海と雲と星と水着の美女が見える浜辺でのんびりと最期を待ちますが。とも。
人に生まれた以上、人として扱われ、人として暮らしてきた以上、獣に戻ってはダメだ。ヨーゼフは魔女狩りに加担した人々を現代の安全な場所から糾弾したのではなく、人でい続けられなかったことを憐れんだのだと思う。
不幸で不運な人々が起こした凶事。それが魔女狩り。
だったはずなのに。
「あれは帝国魔導剣隊の鎧よ!」
続けざまに叫んだ言葉に、シュプリムトが唇を噛むのが見えた。
イリアスの記憶の中で、氷剣バルキヘイムの担い手、オーズドルファ家第二の始祖と呼んで差し支えないイクアヌス卿の肖像画が語る。あの黒騎士の鎧は、大帝の一番弟子とも称された帝国魔導剣隊の甲冑を黒く塗り替えたものだと。
イクアヌスを描いた絵は、素晴らしかった。白銀の鎧と祖先の佇まいが醸す清廉さ、精悍さに、誇らしさで心が震えたものだ。
帝国の志、正統、正しさの証明。それがあの鎧だ。そのはずなのに。
「魔女狩り隊を組織したのは帝国だというの!?」
この怒り、やるせなさが、どれだけ他人に伝わるだろう。そばにいたダリアなどただオロオロとしてしまっている。鎧などただの消耗品で量産品。それが同じ形状だからと言って何をそこまで憤る必要があるのかと。
だが、シュプリムトの形のいい唇から漏れた音は「憤りはもっともだ……」。
彼の表情にも、大事なものを穢されたような屈辱が浮かんでいた。
「当時、帝国は間違いなく魔女狩りを止めようとしたさ。その書簡が今も残されている。だが、魔女狩りの本場は帝都から離れた辺地。その意向は十分には及ばなかった。そして正しく……その最盛地にいたとある辺境伯が生み出したのだ。漆黒の鎧に身を包んだ魔女の処刑隊を……!」
「!」
「最大の不幸は、その老いた辺境伯がA級魔導剣を拝領するほどの名うての魔導剣士であり、集められた者たちも異様に優れた戦士だったこと。彼らを逮捕……いや鎮圧するまでに帝国軍はおびただしい血を流したとさえ言われている……! 帝国御正門の護り手であった吾輩のご先祖が書き残した恐ろしい史実だ」
初めて知る帝国の暗部。その辺境の領主もまた、オーズドルファ家と同じく大帝ゆかりの人物であったかもしれない。輝かしいアヴァンサ帝の功績を、それに付き添った人々が穢していく。
しかし、だとしても、そんな過去の処刑隊がどうして現代に現れる?
イリアスは大聖堂の最奥、後陣と呼ばれるフロアに黒い釘のように突き立った騎士へと目を向けた。
黒光りさえしない鎧は、帝国の明暗の片側をすべてその身に背負っているようにも見えた。
細身でありつつ薄鋼を重ねた堅牢な外貌。その鎧こそイリアスの祖であるイクアヌスと同じだったが、兜の形は明確に違う。
勇ましさと荘厳さを兼ね備えた翼の造形は、尖った角と覗き穴が一切ないという異様なバイザーへと置き換えられていた。素顔は一分も見えず、空気穴のつもりなのか、かろうじて各所に開けられた小さな穴が、人ならざる異相を生み出している。
最初から人に生まれついていない。そんな印象を抱かせるほどに。
「匂い立つのう……」
そんな得体の知れない怪物の前へ、悠然と一歩を踏み出した者がいる。それは黒騎士の仇敵たる魔女たちではなく。
「古き鉄の、丹念に磨き抜かれた匂い。……強者の匂いじゃ」
年寄りのような言葉遣い。子供そのものの体躯。家臣団の一人、ミハルクだった。
「これほどの者と出会えることは滅多にない。一つ、わしと手合わせ願えぬかな?」
「ちょ、ちょっとミハルク! 何言ってるの、そいつは皆で対処……」
彼を連れ戻そうとした鼻先に、分厚い鉄の壁が立ちふさがった。
何かと思えばセージュの特大魔導剣だ。
「動くな。敵はもう攻撃態勢に入っている」
「え、なに……?」
特大剣を押しやりながら、黒騎士を注視する。
さっき抜き放たれたはずの剣は、いつの間にか鞘に戻っていた。
構えはなく棒立ち。手もだらりと下がったままだ。
「あれは迅剣サージオ。“迅影公”というあだ名まで付けられた名剣だ。さっき飛んできた斬撃は、超高速で切られた風の韻。鞘走るサージオの一閃のみが生み出す裏技――大帝もお気に入りだった」
「詳しいのね」
「当然だ。アヴァンサ帝のことは何でも知っている」
セージュのそこだけは色づいた翡翠の目が、わずかに細まった。
「……だからか。単騎で戦りたくなってしまったのは……。とにかく今はミハルク様に任せろ。敵があの技を使える以上、多勢であろうと近づくだけで危険だ」
セージュはそう警告したものの、無造作に歩み寄っていくミハルクに対し、黒騎士の動きは石も同然だった。
「わっ、どっ、どうしよう。か、彼を止めないと……!」
「落ち着けヨ。あの“刻印”ヤロー、本物かどうかわかんねーケド相当にヤバいゼ……」
魔女たちもまたこの状況に戸惑う中、ミハルクの歩みは進み、そして相手と一定の間合いを空けて止まった。一足で相手に斬り込める決戦の間合い。その一歩手前。
「“風韻”は面白い技なんじゃがな。抜いて構えよ。一手遅れるぞ?」
ミハルクが何を言っているのかわからない。ただ、イリアスは何か今までの彼とは違う異質なものを感じた。
そうだ。あれは、いきなり巻き起こった大竜巻のせいでよくわからなかったが、呑剣の時と同じような――。
「離れろ!」
いきなり肩を、しかも両肩を掴まれた。
後ろに引っ張られたと感じた時には、二つのことが同時に起きていた。
黒騎士が抜剣し、ミハルクの姿が掻き消えた。
そして自分は、ウォードッグとシュプリムトの二人から、後ろへと引き倒されていた。
さっきまで立っていた場所を鋭く冷たい風が通り過ぎたように感じる。まさか、斬られていたのか? そう頭が理解して背中を冷やすよりも早く、視界の中でミハルクが黒騎士の背後上に現れる。
大きく目を見開き、強く引き結んだ唇からのショートソードの一突き。普段とは別人のような鋭い貌。
黒騎士の首と襟甲の隙間を狙った切っ先は、しかし遠く離れた肩の装甲を削り取りながら通り抜ける。
はずした、いや、かわされたのだ。イリアスからは黒騎士の位置がパッと切り替わったようにしか思えなかった。間の動きが一切見えない。
「ほう!」
と感心した声を上げたミハルクに、黒騎士の返す剣が撃ち込まれる。
彼が最初に構えろと言った意味がわかった気がした。黒騎士の二の太刀は、抜き打ちよりもさらに早かった。
火花が散り、ミハルクの体が吹き飛ばされる。イリアスはそれを一瞬血しぶきと見間違え、頭の中が凍りついた。
「軽い! 受け切れんか!」
すぐさま返ったどこか愉快そうな声が、彼の安否を伝えてくる。あの高速の剣撃を短い疾剣で受け止めていたらしい。
その吹き飛んでいる横へ、影のように黒騎士が並んだ。剣だけじゃない。本体も異様に早い。
しかしその追撃は今度こそ完全に空を切った。
「軽い体はこうも使えるのう」
迅剣の軌道から遠く離れた位置で、ミハルクは宙に浮いていた。
彼の体を取り巻いているのは風だ。疾剣が生み出すつむじ風が彼を浮き上がらせている。確かにその追い風を受けて魔女二人を追ってはきたが、とても戦闘に組み込めるような繊細なものでは……。
「いくぞ」
ミハルクは流れる風となって黒騎士に襲いかかった。
迎え撃つ迅剣の速度はさらに上がっていた。もはや視認すら難しい。
ミハルクはその刃の下を清流の中の若鮎のようにすり抜ける。ただ突風に押されていただけのさっきとは全然違う。もっと精密で自由自在。彼の疾剣が再び黒騎士の首へと向かった。今度は鎖骨のあたりを削っただけ。
「迅いのう!」
その黒騎士の身のこなしに、ミハルクは風のようにまとわりついていく。
時に地を、時に虚空を蹴って、短い疾剣の間合いを維持し続ける。なんて戦い方だろう。あれが数日前に渡したC級魔導剣の使い方なの?
だが一つ、イリアスには懸念があった。ミハルクの息が少し上がっているように見えたのだ。
あれだけ激しく動ている上に、彼はまだ子供だ。大人である黒騎士に体力で勝てるはずがない。
ここまでは完璧な作戦勝ちだった。疾剣の風の力を最大限利用して、黒騎士の間合いをほとんど封殺している。しかしもし、疲れたところであの鋭い攻撃を繰り出されたら――。
(助けないと……! わたしの家臣団なのよ!)
しかし、この状況での横槍はほとんど不可能だった。
二人とも動きが早すぎる。精密な狙いを必要とせず、かつ黒騎士を怯ませられるほどの攻撃が要る。
(奥義『ノーツン・フォグア』しかない……!)
いつの間にか手を置いていた氷剣バルキヘイムの柄からも、「そうしろ」と言うような頼もしい冷気が伝わってきている。あれだけの腕利きなら、不利を悟れば無理をせず退くはず。
イリアスは息が止まるほど二人の動きを凝視した。
次に間合いが開いたら……撃つ!
ミハルクの滑らかな額に汗が浮いているのが見えた。ますます生き生きとしているように思えるが、それは痛みや恐れを知らない子供だからだ。斬られてからでは遅い。
そして――その時が来た。
剣だけは埒が明かないと察したか、黒騎士が膝を放った。魔導剣士にあるまじき無作法。しかし同時に、よりによってミハルクまで相手を蹴り飛ばそうとしていた。二人の蹴りがかち合い、体重ではるかに劣るミハルクが吹き飛ばされる。
今!
「『ノーツン・フォグア』!」
抜き打ちでの奥義。必死だった。どうかちゃんと出て。その想いを氷剣バルキヘイムは半分はかなえてくれた。
撃ち放たれる中規模の氷の蛇。奇しくもミハルクを巻き込まないために最適の威力だった。
彼と黒騎士の間に、青白い壁が立ちはだかる。
「――!」
初めてだ。初めて魔女狩り隊の騎士が人らしい感情――動揺を見せた。
ミハルクのいかなる奇抜な剣にも驚かなかったのに。
「……バルキヘイム……オーズドルファ……」
「えっ……」
そのつぶやきがなぜか耳に届き、イリアスは黒騎士の貌を見た。
黒騎士の瞳なき異相と目が合った気がした。
しかし、そこにあったのは敵意ではなく、むしろ――……。
ショタ堕ちしてない真っ当なヒロインにシリアスな影が。




