第二十五章 大帝の求めた冒険
ノーツンガルド信仰は、帝国の発祥の地といえる北国で生まれた、厳しい自然の神々を祀る宗教だ。
針葉樹林の神、黒いヒグマの姿をしたバルバント。凍れる大河、白蛇の姿をしたフォグア。立ち込める鈍色の雲、空を覆う雷鳥のスノボルド。これらの代表的な主神たちはしかし、すべての形を造形することは教義で固く禁じられている。
そばにいられるとマージで困るからだ。
三柱の神は自然の厳しさ苛烈さのついでにちょっとだけ豊かさを恵んでくれるもので、慈しみなどほとんど頭になし。
だからごく一部分だけを聖像として彫刻し、極めて薄味になった恩寵の欠片に触れることだけを人々は祈願する。
しかしだ。
小礼拝堂に足を踏み入れた時、そんな古のルールが一つ破られていることを、ミハルクはすぐに目の当たりにした。
“小”と銘打たれてもアヴァンシルの他の教会よりも全然大きい建物だ。木製の長椅子はゆうに二十列をかぞえ、側面の高窓からは北国の自然を象った色とりどりのステンドグラスが、あえかな光を通路へと迷い込ませている。そこまではクラシックな作りで、問題は最奥。
祭壇に安置されるはずの熊の頭、蛇の尻尾、鳥の翼を繋ぎ合わせた異形の御神体はなぜかどこにも見当たらず、台座の質素な飾りつけだけがその空位を伝えている。
「フッ……」
イリアスたちがこの違和感に怪訝な表情を浮かべる中、ミハルクはセージュがどこか得意げに鼻を鳴らすのを隣で聞いた。
「おい、セージュ。おまえまさか……」
「いえまさか。それなら最初から敷地内に礼拝堂すら置きますまい。が、無ければ無いでいいではありませんか。あの聖像昔からずっとキモいし」
「オイッ、言葉を慎まんか……」
そうだった。セージュは生粋の帝国人ではなく、帝国と周辺小国の狭間で暮らしていた森の狩人なのだ。
出会った当初から木でできた仮面で顔を覆っていたため、近隣の人々の間では“木面の魔物”と噂され恐れられていた。
アヴァンサ帝との友誼は深かったものの、帝国の信仰に共感を示すことは最後までなかった。特に聖像に関しては「不気味」と初対面で矢を射かけかけたほどだ。
アヴァンシルをデザインしたのはセージュ本人。したがって、ここに大聖堂があることもあらかじめ知っていたはず。その敷地内にノーツンガルド信仰の礼拝堂が併設されているだけでも最大限の譲歩と言える。
「ふむ。さすがに露骨に怪しいから、皆まずはあのあたりを調べているね」
礼拝堂の荘厳さが際立つ中、俗界の物欲を代表するレベルのシュプリムトが、祭壇にたむろう人々を目で指した。
思えば、ダリアのいた教会でも副葬品が隠されていたのは祭壇だった。ただあの時の条件を鑑みるに、単純なスイッチやレバーなどの仕掛けで現れてくれるようなお宝はあるまい。
「イリアス。このあたりに礼拝する人形たちはおらんのか?」
鍵を握っているとすれば彼女たちのはずだ。しかしイリアスから返ってきた答えは、
「第一発見者たちによると、そういう人たちは見なかったそうよ。今もいないしね」
「む……」
そう唸ったのはセージュだった。さっきから似たような態度を何度も見ていたミハルクは、それとなく彼女の耳元に囁く。
「ちゃんと用意しておったのか?」
「……はい。しかし、それ以上に気になることが……。少し時間をください」
何事も即断してきた彼女の煮え切らぬ答えに、これは待つべきだと古い直感が告げていた。大丈夫、こんなフラグを立てつつ謎を残して去るような人物ではない。一つ分の生涯においてそれは証明済みだ。
「ここで眺めていても仕方ないわ。わたしたちも調べてみましょう」
イリアスの号令がかかり、ミハルクたちは散開して堂内を見回ってみた。
間取りとしては、一階が礼拝堂と、備品などがある準備室。二階には小部屋がいくつかある程度。
タンスや棚といった調度品はあれど中は見るからにすっからかん。誰かが持ち去ったのではなく、発見した時点でそうだったという。
「おい、やっぱこっちには何もねえんじゃねえのか?」
「これってアヴァンサ帝の礼拝堂じゃなくて、その前にあった信仰の教会なんだろ? 作ったヤツがやる気なかったんじゃねえかな」
(まあ、そうじゃな……)
先に小礼拝堂内を調べていた別パーティの雑談にミハルクは胸中で同意した。
彼らが出ていくと、一階準備室を嗅ぎまわっているのはミハルクたちだけになった。
「残念だが、吾輩の方には何もなさそうだ」
「わたしの方もよ。それにしてもみんな、好き勝手に家具を動かしてそのままね。まあ、そういう人たちだってわかってるけど」
「ちゃんと直して……あげたいです……」
心優しいダリアがそう提案し、一人、非力な体で机を引きずり始める。その懸命な姿を見てミハルクたちも彼女を手伝うことにした。
が。
「あら……? なんかこの机、違う場所にあったみたい」
壁際近くにあった机を運ぼうとしていたイリアスが不思議なことを言い出した。
「どうしてわかったのじゃ?」
「ほら見て。ここに家具があった跡があるけど、幅が合わないわ」
「こっちの棚もだ」
「吾輩の方も、跡が合わないな」
バーサルから次々に寄せられる報告。調べてみると、家具はちょっとずらしたどころではなく、下手をしたら部屋の反対側から移動させられたものさえあった。
「まだそんなに人も入っていないはずなのに、どうしてここまで散らかるのよ」
呆れるイリアス。しかしミハルクにはある天啓が降り注いでいた。
「皆、家具を跡のある位置に正しく戻すのじゃ!」
手分けして正位置へと戻す。すると――。
ガコンとどこかで音が鳴り、床の一部からホコリが舞い上がった。
「これは!」
ミハルクは目を見張る。敷かれていた石材のタイルがわずかに浮き、隙間ができていた。
「ウォードッグ、手を貸せ」
「ああ」
「吾輩も手伝おう」
男三人がかりで石材をめくり上げると、そこには地下への階段。皆からどよめきが上がった。
「おお! セージュ、これはおおじゃろ!」
「ええ、これはおおです。さすがミハルク様。こんなにあっさり秘密の階段を見つけてしまうとは!」
セージュの嬉しそうな顔を見てミハルクは理解した。
この仕掛けを作ったのは彼女だ。ただ一人、アヴァンサ帝の生まれ変わりである自分のために。
大帝アヴァンサ歴史秘話その2。
大帝は若い頃、大層な冒険好きであった。歴史書にあった古代遺跡や地下神殿を求め、当てずっぽうで野山を歩き巡ってはほとんど空振りであったことを本人が笑い話として語っている。そんな彼が帝国の急拡大期に考案したのがカタコンベで、これは農地の確保や墓参りの簡便さの意味からも住民に大いに歓迎された。ただ、設計段階で内部にやたら隠し通路があったり、謎解きをしないと故人の墓までたどり着けないなどの無駄に壮大な仕掛けが張り巡らされていたため、議会ですべて取り払われることになった。不貞腐れた大帝が、完成の儀式にも顔を出さなかったことはあまりにも有名。
(こういう心躍る冒険に憧れておった。死後もわしの魂が楽しめるように、セージュは用意してくれたのじゃな……)
棺覆いて人定まる。人の評価が決まるのはその人物が死んでからだ。つまり人は一生、自分の価値を知ることはかなわない。
だがもし朋友と呼び合った者が、こうした心づくしの墓を建ててくれたのならば。
胸を張って言おうではないか。
自分は、いいやつだったと。
「まさかこんなに早く……これは大発見だぞイリアス嬢!」
「わ、わかってるわ! でもここで油断しちゃダメ。慎重に、冷静に進むのよみんな。調子のいい時に悪いことは起こるんだから。いいわね!」
『おー^^』
素早く階段の下へと潜り込みつつ、後続にこれがバレないようしっかりと石の床で塞ぐ。
「さあ参りましょう陛下。ここからが本番ですよ」
セージュの耳をなめるような囁き声が、ミハルクの心をくすぐったく通り抜けた。
※
稲光が人を撃つたび、彼らの悲鳴が大きな破裂音に閉じ込められる。
大聖堂エリアの霧に“二機”で突入した後、ゼータはすぐさまその牙を剥き出しにした。
“コメットギア”から放たれる拡散性の雷は、宝探し夢中だった後継者たちを背中からノックアウトし、それを見て素早く身を翻した者には追尾性の火弾が差し向けられる。混乱に次ぐ打擲。避けられる者はいない。
「そーれ、それそれホーレ」
コメットギアの後尾から推進力の光が爆ぜ散るたび、ゼータはアクロバティックに戦場を跳ね、敵に狙いを定めさせないまま撃破を重ねていく。
古いおとぎ話から出て来たようなボロのローブと三角帽子の魔女が、機甲技術の粋である白い魔法の箒――コメットギアにまたがり飛び回る様は、デザインにおけるある種の対位法のようだ。
雷を呼び、火の雨を降らせ、泉を毒へと変え、畑をダメにする。
邪悪な筆記の二つまでを果たしたゼータが、周囲の安全を確保した上で、騎乗していた彗星を停止させた。
嵐のように奇襲は彼女の十八番。魔女のダンスが終わった後に立っているのは一人だけ。
「ご苦労様」
物陰からようやっと出て来たショールは、そこら中でダウンした後継者たちを踏まないように相棒の魔女へと歩み寄った。
「おー。ほいじゃ、頂くぜェ 廿v廿」
地面に散らばった彼らの戦利品を二人で掻き集める。
“美術館”と呼ばれる場所に飾られていた品々だ。アヴァンサ帝ゆかりの絵画や美術品。彼の神墓に詣でた者に、その人となりや歴史を伝えるためのもの。
集められたそれらを、ゼータは何の躊躇もなくバキバキと踏み割った。
ここに収められるような名品の数々だ。好事家が見たら泡を吹いて倒れるだろう。
けれど魔女とは“こう”なのだ。
偽の歴史などいらない。残るのは本物だけ。知を、そして血を峻別する。
そういうものなのだが――。
「あーもったいない! あーもったいなあああい!」
「まだ言ってんのか、オメー 廿x廿」
ショールの嘆きに低温進行のゼータの声がかぶさる。
「どれもこれも値打ちものなのに! 闇ルートとかで売り捌いたらもっと大きな店舗を借りられるのにぃ!」
「美術は残すな。技術は残せ。これがババーからの依頼だ。欲張りは身を滅ぼすゾ」
「わかってるけど……わかってるけどぉ……」
依頼主もゼータも魔女の在り様に素直過ぎる。俗世に住みながら俗欲に染まらないなんて無理だ。もっと天使とケーキ食べたい。あの小説の検閲語まみれの初版本ほしい。綺麗なお洋服は……着るチャンスないからいいや……。
と。
「ん?」
「どーしたショール 廿A廿?」
「あ、うん……。よく見たら、これあんまり大したものじゃなさそうだなって……」
ゼータの足の下から拾い上げる絵画の切れっ端、彫像の欠片。そんなごく一部をもってしても、傑作特有の輝きがない。神は細部に宿るというが、ショールに言わせればすべてに薄べったく宿る。名作はどこを切り取っても名作だ。昨日、天上の工を三つも味わわされたことの弊害かとも考えたが……違う。
「これ、全部贋作だったかも……」
「ニセモノ掴まされたカ?」
「だとしたら、一番の被害者はこの人たちね」
ゼータのB級魔導剣、霆剣ボルダンスに打たれ、ぴくぴくと痙攣している後継者たち。副葬品の熾烈な争奪戦に勝ち抜いたというのに発見物はニセモノ、さらには襲撃されて奪われるなんて踏んだり蹴ったり埋まったりだ。
「このままじゃババーにどやされるナ。どうする?」
「“美術館”はハズレかもしれない。他のところに行った方がいいかも」
「じゃ“大聖堂”か、やっぱ」
「待って……」
ショールは考えた。大聖堂は今エリアの大本命だ。きっと一番多くの後継者たちが詰め寄せている。確率的に彼らも――。
「そっちはまだあんまり探索が進んでなさそうだし、先に“小礼拝堂”の方に行きましょう。規模が小さい分、もう何かを発見した人がいるかも」
「おーけい。やるぜェ 廿∀廿」
話がまとまるや否や、ショールとゼータはすぐさまコメットギアの機首を切り返し、飛んだ。
大きな三角帽子にローブ、そして火を噴く機械仕掛けの魔法の箒。おとぎ話に出ててこない最新式の魔女二人は、たちまち霧にまぎれてその姿を消した。
テーマパークに来たみたいでテンション上がる大帝。




