第二十二章 昏い魔睡
死に至らしめるほどの昏睡毒を撒きながら魔導剣が移動している――。
オーレンのその推測は極めて絵空事に近かった。それほどの毒素を誰が運べる? アヴァンシルの怪物たちでさえこうして死の眠りの底にいるのに。
だが同時に、彼女の言うことは正しいともリンナは思う。
どれだけ信じがたいことだろうとも、それがもっとも合理的であれば真実と見なすしかない。
ここは大帝が眠る神の陵墓。どれだけ不都合な神秘が巻き起ころうとも、人がそれを疑うことは許されないのだ。
「睡剣の毒素については色で判別できるはずです。深い眠りの色は紺。それを目安に探してみましょう。わたしたちの担当するエリアではこれが最後の魔導剣です。最後まで気を抜かずに……」
リンナの提案は誰にも異論なく受け入れられた。
睡剣ディープシーパーは眠りなんていう穏やかな毒を撒くくせに好戦的な性格で、序盤からフルスロットルで能力を発揮する。戦闘で興奮状態の神経すら一気に鎮める能力は、睡魔というより気絶の形に近い。
相手を安全に無力化させるのに最適。そう思っていた。この景色を見る前までは。
『…………』
騎士・同盟連合チームが静かにドン引きしていくのを、先頭に立つリンナは背中で感じた。
一行が進む道は、傷一つつけられることなく息絶えた怪物たちで埋め尽くされていた。
小教会を取り巻いた大ムカデ。大通りを塞ぐ大ワラジムシ。民家に匹敵するサイズの住処から顔を出したままの大ヤドカリ――。
いずれも正面から迎え撃てば一苦労しそうな怪物たちばかりだ。それほどの強者たちが敵意の一つも剥くことなく潰えている。任務の最後の最後に、こんな光景を目の当たりにするとは……。
もしカイナがいたら「マジカルシウム採り放題やーん」とか言って和ませてくれるかもしれないが、今、自分が同じセリフを吐けば、周囲をさらに凍りつかせることは目に見えていた。それでも背後に居座っている沈黙に対し、せめてもの抵抗はしてみる。
「……だ、大丈夫ですかミハルク君? 怖くはないですか?」
「うむ。わしは大丈夫じゃ。それよりリンナの方がいくぶん緊張しておるようじゃ。まだ慌てるような時間ではない。安心せい」
「あっ……! ええ。そうですね……ありがとうございます……」
ハアー!(感嘆)ミハルク君がわたしを安心させようとしてくれている。それはこっちの役目なのに。自分は何て情けないお姉さんなのだろう。……お姉さん? わたしがミハルク君の!? 血の繋がらない!? そ、それでも毎日一緒に起きて、一緒に御飯を食べて、近くで過ごすうちに二人の気持ちはいつしか――!
「おい大丈夫かリンナ!」
「!?」
ガシッ! という力強い手に肩を掴まれ、リンナは我に返った。
「オメー今、意識トンでたろ!? 足もフラついてたぞ!」
「そマ!? もう睡剣の毒が来てるし!? 治剣起動した方がいい!?」
慌てふためくメンディーナの声も重なり、リンナは自分の失態に青くなった。
「い、いえ、ごめんなさい。何でもないの。ちょっと考え事をしてただけ……」
「騎士団でも一、二を争う真面目なオメーが任務中に珍しいな……。本当に何でもないんだろうな?」
「ええ。ホントに……。全然関係ないことだから……」
「ふーっ、焦らせんなし、阿修羅旋空……」
……危なかった。あまりにも魅力的な世界を見つけてしまって意識まで持っていかれるところだった。でもこの“シナリオ”は使える。部屋に戻ってからゆっくりと続きを堪能し……ハアー!(気の解放)
「やっぱ足に来てんじゃねーか!」
「もういい治剣起動するし! このままじゃこっちのメンタルがヘルバウンドだし!」
「本当にすいませんでした……」
そんな危ない橋を渡るリンナの足元を、ダリアが放った鮫の尖兵が悠々と追い越していく。
※
ジャーグ・ズーは利口なサメだ。敵味方を嗅ぎ分ける力を持ち、死の眠りを撒く犯人が主人にとって危険な相手であることをよく理解していた。
彼に言葉があったのなら、こう豪語していただろう。「自分が一番うまくダリアを守れる」。
ジャーグ・ズーの泳いでいく先には、アヴァンシルの怪物たちの死骸が森の枯れ木のように立ち並んでいた。
いずれも敵意どころか命の脈がなく、周囲の建物と何ら違いのない存在。
ジャーグ・ズーは警戒することもなくその間を縫っていく。
後からついてくるダリアの仲間たちにも危険は残せない。けれども彼が刃を剥く必要は一度もなかった。出会うものは皆、眠っている。皆、死んでいる。
だがそれは、この先にさらなる危険が待っていることの証拠に他ならなかった。
やがて空気に毒素が混じり始める。色にして、浅い青。
「うっ……こりゃキツいな」
ダリアの仲間の一人がそう言い出した。
「今はまだ余裕で防ぎ切れるが、予感がある。こりゃ相当に濃い催眠毒までいくぜ……」
「防ぎ切れんかの?」
「オレの浄剣なら、範囲を絞ればいけそうだ。ただそれだとみんなでGOってわけにはいかねえ。オレ以外に、後せいぜい二人ってとこだな」
「そのうちの一人にあーしは入ってるって算段しょ?」
「では、わしもじゃな」
「……ミハルク君を行かせるくらいならわたしが行きます。睡剣を使役してる誰かがいるというのならなおさら。危険を冒してまで回収を優先することはないでしょう。破壊します」
「まあ待つのじゃリンナ。この環境下でも鮫剣は毒を受けん。ならばヤツとの連携ができるわしが行く方が色々と小回りが利く」
「でも……」
「任せとけって。ミハルクのことは姉ちゃ……オレがしっかり面倒見てやっからよ」
「そーしそーし。それにミハルク君は小さいから、防護フィールドにも余裕ができるし」
「ぐぬぅ……」
「うむ、よろしく頼むぞ二人とも。できるだけわしから離れんようにな」
「おっ、おう!」
「う、うん……」
一人が肩を寄せ、もう一人が腰を抱くようにして体をくっつける。
話し合いはそこで終わり、パーティから三人が切り出された。
残りは防護フィールドを張りつつ、このあたりで待機。
「カミサマ、サメさん、気をつけて……」
主人の祈るような言葉を受けて、ジャーグ・ズーは颯爽と青い霧の中へと潜る。
進むたびに霧は薄い青、青、群青、そしてまた青へと頻繁に色を変えた。
「色の濃さが頻繁に戻るってことは活発に動き回ってるぜ、やっこさん。あり得ねえことに……」
「活きのいいことじゃ」
「一体誰が持ち運んでるっていうし……」
こちらが先に進もうとも、なかなか群青の先へは踏み込ませない。それでもジャーグ・ズーはついに敵の臭いを嗅ぎ当てた。
……いる! 高速移動中。むこうも感知されたことを感知して逃げる構え!
それまで蛇行気味だった航路を一気に直線へと変え、標的へと迫る。
「! 鮫剣が相手を捉えた。ゆくぞ二人とも!」
「おうよ!」
「おーし!」
霧は紺から黒に近くなっていく。「ウソだろ、ここまで濃くなるのなんて見たことねーぞ!」「治剣全開中! これ以上があったら絶対退くかんね!?」、そんな声を後ろに聞きつつ、ジャーグ・ズーは的確に敵の匂いを追う。
黒い霧の中は死骸だらけだ。
大きさも数も関係なしに眠りが底を抜けて死んでいる。
しかしジャーグ・ズーに何ら恐れはない。ダリアは主であると同時に命の恩人だった。ジャーグ・ズーはそれを深く理解していた。
ほとんどが塞がった道も、厚い刃一枚分の隙間があれば抜けられる。邪魔なものは容赦なく両断すればいい。標的がどれだけ上手く逃げようとも、この追跡は外さない。
そうして果てのない黒靄の中を泳ぎ続けて――。
見つけた!
どす黒い空気を撒きながら猛スピードで走る巨大ゴミムシ。それが標的の正体だ。
背甲部分の溝に魔導剣が突き刺さっている。毒素の排出量はこれまでの二本をはるかに上回る。極めて好戦的!
このままの速さを維持されたら後続が引き離される。そう考えたジャーグ・ズーは一気に加速し、ゴミムシの鎧のような足への攻撃を仕掛けた。
相手の装甲はかなりのものだった。相対速度も近いから、一度や二度の攻撃では断ち切れない。
三度目の攻撃でようやく左後ろ脚を切り落とすことに成功する。続けて左中脚も。
これでスピードが落ちるはず……。
しかし予想外のことが起きる。
何とゴミムシは同じ速さで足を動かし、結果、推進力の足りない左側へと大きく曲がり始めたのだ。
まるで自分が攻撃を受けたことにすら気づいていないみたいに。
最終的にゴミムシは、まわりの建物の壁や地面を含め、その場でぐるぐると大回りを始めた。
仲間たちが追いついたのはそんなタイミング。
「何も見えねえけど、すげー近いぜ! 攻撃できるかミハルク!」
「おk把握! 乗れ、ジャーグ・ズー! 疾剣奥義『ダイクロン・ゴレア』!」
巻き起こる濃緑の旋風。ジャーグ・ズーは躊躇わずその中に飛び込んだ。
「これぞ呑剣との戦いで編み出した風属性とサメ属性の合体技、『シャークロン』じゃ!」
「ダ、ダセェ!」
「オレピ本当のこと言うなし!」
呑剣戦の時ほどの風威はなく、しかし刃が乗るには十分。風の勢いを得ながらジャーグ・ズーはゴミムシの足から頭からを片っ端から切り落とした。
今度こそ再起不能。外殻がいかに生きていようと動く部分が一つもなければ何もできない。
そして疾剣が生み出した竜巻により一時的に催眠毒も吹き散らされていた。
今なら誰にでも標的を目視可能。近づいて睡剣を回収するのも容易だ。
「まさかこれも計算のうちか!? スゲーな『シャークロン』!」
「オレピの手首ドリルじゃんねえ!」
そう喜ぶ一団の声が、突然ぴたりと止んだ。
「これ、どういうことだ……?」
威勢のよかった声が、蚊の鳴くような声量へと変わる。
対するもう一人の返事。
「これ……死んでない……? マジでとっくの昔に」
霧の底から現れたゴミムシは――。
背中の大部分がえぐれ、腹部は大きく裂け、断ち切られ転がった頭部も半分欠けていた。
ジャーグ・ズーがつけた傷ではなかった。傷口の形も時期も明らかに違った。
「こんな状態でどうやって逃げ回っていたのじゃ……?」
「ワケわかんねえ。睡剣の魔導を吸収してたとかか……?」
「そ、そうに違いないし! 幽霊とかもぅマヂ無理! ミハルク君、早く回収してもろて! そんでみんなで早く帰ろ!」
三人がそう騒ぐ中、鮫剣ジャーグ・ズーは悠々とまわりを回遊する。
標的は押さえた。危険な敵はもういない。
サメさん大活躍。




