第二十一章 深き眠りの街
痺剣パラズライラの汚染域は想像以上に広がっていた。
それの厄介なところは、墳都に出てくるモンスターよりも人間に対してより効果的に作用することだ。
元々魔導剣は魔導大帝が大陸統一のために造り出した兵器。野生生物やアヴァンシルでしか見ない白いモンスターよりも人間に効き目があるものを造るのは当然のこと。
結果として、こういう面倒ごとが起こる。
編み笠の下から群れなす小ガニを見据え――といっても大人の胴体ほどのでかさはあるが――、ウォードッグはパーティが置かれたそれなりに厄介な状況を素直に認めた。
毒剣のすぐ後に向かったのが痺剣の回収。神経に作用する麻痺毒で、筋肉を弛緩させ、最終的には心筋さえも止めるに至らせる。まあ、戦場でなら動きが鈍った時点でバッサリやられて終わりだろうが。
今、パーティは〈グレイブナイツ〉たちの浄剣に守られ、その麻痺毒に対抗している。だがこの浄化フィールドには限りがあり、それも結構な狭さだ。所詮はC級の回復剣だから仕方ないにせよ、その限らせた範囲で剣を振るうにはそれなりの技量が求められる。
(俺ならば)
何一つ問題はない。
どこで“仇”と会おうと即座に討ち取れるように、狭所での戦いも心得ている。が、他のメンバーから背中をうっかり切り開かれるのは防ぎようがない。
そんなやりにくさから、この小ガニたちと出会った当初は、逃げてやり過ごそうとした。しかしヤツらはどういうわけか、こちらを囲みつつもすぐには襲ってこず、次々と別の群れを呼びよせたのだ。シオマネキが浜で踊るようにして。
時間が経てば経つほど不利になるのはわかっていたが、潮時はすでに逃したという感じか。そろそろ、多少の麻痺毒に晒されようとも始めなければならないと雇い主に進言しようとしたものの、どうせ皆わかっているだろうから、やめる。
「これはちと厄介じゃのう」
「わたしの得物では少々面倒そうです」
ミハルクとセージュが緊張感のないやり取りをしたところで、一人分の影が浄化フィールドの先端へとすっと歩み出た。
狩衣に短いスカートの女。リンナだ。
彼女は静かな面差しにどこか得意げな空気を張り付け、特にミハルクに向かって声を発した。
「わかりました。では、わたしの力をお見せします」
「おお、やれるのかリンナ」
「ヤれる!?!?<◎><◎>;;; あっ……いえ……コホン……。ええ、こういう制限の多い局面でこそわたしの鬼剣ガランドロは役に立ちます。初めてでしょうからミハルク君はよく見ておいて――」
そんなジョー長な前振りをしている間に。
リンナの横を通り抜け、小ガニの群れへと襲いかかった影がある。
小ガニどもがサワガニだとしたら一生出会うことのない相手。サメ。鮫剣ジャーグ・ズーだった。
「サメさん、がんばって……」
そんないじらしいダリアからの応援を受け、鮫剣は猛烈な速度で敵陣を駆け回る。
魔導剣に人間相手の神経毒は通用しない。密集していたことが仇になって、カニは鯨に呑まれるように食われていった。
小ガニたちが潮のように引き始めたのはそれからすぐのことだ。ヤツらとて命は惜しい。墓守の人形たちが最低限自分の身を守ろうとするのと同じ。
ジャーグ・ズーの出撃からわずか数分。アヴァンシルの通りに、動く彼らの影はもう一つも残っていなかった。
「ようやった! 大したものじゃ、そなたと鮫剣のコンビは!」
「一度ならず二度もミハルク様の窮地を救うとは。褒めてつかわす」
「え、えへへ……」
褒められたダリアが薄っすら色づいた頬に手を当てながら嬉しそうに笑っている。ジャーグ・ズーの方も、そんな主人の周囲を誇らしげに回遊中だ。
「…………」
一方で出番を失った鬼剣使いの女は、露骨なぐぬぬ顔でそれを見つめていた。
やめろガキくさい。
そう言おうかどうか迷ったが――絶対言わない方がいいので、やめた。
※
「よし、これにて痺剣パラズライラも回収! おつかれ!」
どこか悪臭を連想させる黄色がかった煙の中で、オーレンが二つ目の仕事の達成を宣言する。
「はーっ、わざわざ建物の中に逃げ込んで死ぬとかマジ厄介なんですけど! そもそも家の中に入ってくる虫全般まぢおこ!」
痺剣を生やしたのは巨大なカミキリムシで、路地の民家の地下室にまで逃げ込んで息絶えていた。
浄化班のオーレンは経験則的に発生源の近くまでは迫れたものの、そこからは一軒一軒のぞき込む地道な作業。迂闊にチームを分けられないのもネックとなり、最後にはまたも放たれた鮫剣に発見してもらうという、非常の骨折り損な内容となった。
「ふう。ちょっと疲れたわね……」
そんな心労もあって、イリアスはうっかり本音を吐露してしまった。同盟代表〈ノーブルオーダー〉としてあるまじき弱音。二秒後、すぐに気づいて「あ、いや、まだ全然平気だけど!」と訂正するも、
「いや、いいこと言ったぜイリアス。今ここが絶好の休憩場所だ」
「ここが?」
目を丸くしたのはイリアスだけではない。家臣団の誰もが似たような反応をしている。
痺剣を回収した正にその現場だ。民家の地下室は物置ですらない空っぽの空間で、他の怪物ですらここには近寄らず、魔導剣が孤独な戦いを続けていた。それがミハルクによって終了させられた後でも、黄色いガスは室内を満たしている。
「だからこそだ」とオーレンは背丈の比率に対して大きい胸を張る。
「敵すら寄らねえ危険地帯でオレらはピンピンできる。安心して休むにはもってこいってことさ」
「なるほど……道理じゃ。勇猛さが勝るかと思ったら、情けもあり、大胆かつ優れた見識も持ち合わせておるのじゃな、オーレン」
「えっ? そ、そうだろ。頼りになる姉ちゃんだろオレ、へ、へへ……」
たちまちテレテレと頭をかき始めたオーレンの指揮の元、ここで一旦休憩となる。ただこれだけは言っておきたくて、イリアスは再び仲間へと向き直った。
「本当にわたしは平気だったんだからね」
「そうやって休憩を素直に喜ばんヤツが一番危ないんじゃぞ」
「休む時は休むのが仕事と心得ろ」
「ちゃんと、休み、ましょう……」
「くっ……」
やっぱり顔ばっかり可愛くても中身が生意気すぎる。ダリア以外……。
休憩に入ると、オーレンたちは背嚢から軽食を取り出し始めた。浄化フィールドで押しのけられてはいるものの、こんな毒ガスの中でだ。それを見たメンディーナたちも、医務室に勤めているだけあって神経は太いのか、持参したビスケットをかじりだす。
「おにぎりを持ってきましたよ。召し上がれ」
「わあい^^」
「おー^^」
ミハルクたちですらリンナが持ってきたライスボールをぱくつき始めたので、自分だけが神経が細いみたいに思われたくなくて、イリアスもそれをもらった。何事もソツなくこなしそうな彼女らしく、美味しかった。
「アンタらってさー」
そんな食事の最中だ。メンディーナがふと呼びかける声を発する。飛んでいった先にいるのはオーレン。
汚染対策チームは防護フィールドを効果的に広げるため、休憩中でも一か所ではなく分散する形で広がっている。自然とライバルチームとの距離も近かった。
「いつもこんなヤバいとこで仕事してんの? ヤバくない?」
もし今朝の段階だったら「ヤバい以外に言葉ねーのか」とでも返しそうだったが、オーレンはさして毛嫌いする様子もなく、
「ある程度はな。だが、さっきも言ったが結局こういうゾーンは敵もそうそう近寄らねえ。行方不明者を探したり、あるいは誰かの遺体を回収なんて任務よりはいくらかマシだ」
「ふーん。よくやるし。副葬品が見つかるわけでもないのに」
「それは別のヤツの仕事ってだけだ。オメーんとこは知らねえけど、オレたちんとこじゃ見つけた物は保管庫行きだからな」
「えっ、それじゃ何のために騎士団なんてやってんの?」
「静かなアヴァンシルを守るためだっていつも言ってんだろ。オレたちのご先祖様はアヴァンサ帝と戦場でいつも一緒だった。ただの雑兵やゴロツキから衛兵にまで育ててもらった人だっている。騎士はな、その御恩を子々孫々忘れちゃいけねえんだよ」
「…………」
「オメーこそ本部の医務室勤務だろ。後継者にもなれねーし、副葬品だって探せねーじゃねーか。何でやってんだ?」
「あーしは……」
わずかに口にこもった言葉は、すぐにするりと唇の隙間を抜けていった。
「元々医者の家系だし。でも実家は意識高すぎケンシンで息苦しかった。服装とか言葉遣いとか、あと平民なんぞ治すなとか。あーしこれでもさぁ、結構博愛主義なんだよねー。てゆーか、ぶっちゃけ誰からでも褒めてもらいたわけ! あなたのおかげで助かりました、ありがとうって。それがさ、貴族以外診ないってなったら逆じゃん。冷血女使いされんじゃん。どう思う?」
「ヤだな」
「っしょ!? だから親に反発して、アヴァンシル送りになるよう仕向けたってワケ。レリーフォナ様から家に援助要請も来てたし、ちょうどね。だからあーしはまあ、そんなにお金になんなくても、お礼言ってもらえれば、ま、いっかなって……」
「そうかよ。フン……」
「ハン……」
鼻で笑うようにしながら、客観的に見た二人の顔はどこか打ち解けたような微笑だった。
命懸けの場所にいる。そうすると、不思議と命の差は感じない。
食事を済ますと、やがてミハルクとダリアが遊びだした。
きっかけは、ダリアがミハルクの横にいつもぴったりくっついていることからだ。ミハルクが離れるとダリアがすぐに寄ってくるので、いつの間にか追いかけっこみたいになった。こんな場所だというのに二人とも楽しそうだ。
そこまではよかったのだが……そのうち、ミハルクはこちらを盾にしてぐるぐると回るようになった。
「ちょ、ちょっと二人とも」
思わず立ち上がって注意するも、まったく聞く気がない。
「や、やめなさい。あっ、ちょっと! スカート引っ張らないでミハルク!」
ただでさえ彼がお尻の近くにいると腰のあたりがムズムズするのだ。二度に渡るあの狼藉のせい。思い出して自然と顔が熱くなるのを感じつつ、ふと、イリアスは自分に向けられる三つの視線に気づいた。
『…………』
リンナ、メンディーナ、オーレンだ。彼女たちはじーっとこちらを見つめ、どこか不機嫌そうに口元を歪めている。
「ちょっと! 見てないでこの二人を注意してよ!」
「イリアスさん……」
リンナが立ち上がる。てっきりミハルクたちを叱ってくれるのかと思いきや――。
「あなたは犯罪者です!」
「ふあっ!?」
「あなたを独占禁止法違反と不法占拠で訴えます! 理由はもちろんおわかりですね!」
「何でよ! わかるわけないでしょ!?」
「あなたが可愛いものとオイシイ場所を我が物としているからです! 近いうちに騎士法廷に訴えます! 証人としてウォードッグさんにも来てもらいます!」
「おお」
「何がおおよ! ていうかあなた常にすごい適当に返事してない!?」
「接近禁止命令を受ける覚悟の準備をしておいてください! いいですねッ!」
「いいわけないでしょ!?」
拒否するも外からオーレンとメンディーナの野次が飛んでくる。
「そうだー、不公平だぞイリアスー!」
「あーしらもミハルク君ともっとおダベりしたいしー。イリピばっかずるいしー」
イリアスのまわりはさらに混沌とし、休憩時間だというのにごっそりとHPを削られたることになった。
※
作戦を再開する。
休憩を経て、ミハルクのまわりには帝国十字陣という伝統の陣形が敷かれていた。
すなわち、ミハルクを中央として前方にリンナ。右手にオーレン。左手にメンディーナ。そして後ろにダリア。ダリアの位置が一番安全だ。落ち着いて戦える。
「何なのよ……」
とは、さらに後ろからついてきているイリアスの愚痴めいたつぶやきで、この布陣は歩き出すと同時に自然と形成されていったものだった。
鮫剣は野放し状態だし、リンナもいるので防御に不安はない。ただガッチリガードされ過ぎて少し動きにくいのだけが難点だった。
「お、おいミハルク。不安だったらいつでも姉ちゃんが手を握ってやるからな。な、何なら、今からでもそうするか……?」
「ミハルク君、気分が悪くなったらいつでもあーしに言ってね。あっ、寒気とかしたら、あーしにその、く、くっついててもいいょ……」
「いえ、それではいざという時に身動きが取れなくなってしまいます。ミハルク君はわたしの真後ろにしっかりとくっついていてください。そっ、その……スカートを掴めるくらい近くに……」
そんな浮足立つ彼女たちに後方から落ちるセージュの雷。
「おい、おまえたち! きちんと意識を前に集中せよ! ここは敵地だぞ!」
『は、はいぃ!』
全員が気を引き締め直すも、この先が心配になる対応だった。
と。
「出ましたね」
リンナがつぶやく先にいるのは、ウソのように真っ白い甲虫だ。
長剣のリーチに負けないほどの立派な二枚の刃を持ったクワガタ。
ミハルクは、後列に隠れているダリアが怖がって身を縮めるのを感じたが、彼女第一の護り手である鮫剣はなぜか、すぐにその怪虫に襲いかかろうとはしなかった。
そして敵側からのリアクションもない。六つの足で立ったまま微動だにせずにいる。鮫剣が近くを通り過ぎても。
「どういうことじゃ?」
「もしかしてこいつ……」
オーレンがリンナを伴ってクワガタに近づく。
「……やっぱりだ。こいつ死んでるぜ……」
「なんじゃと?」
ミハルクたちは色めきだった。近づいてみると、確かに立ったまま死んでいる。
「次の目標は睡剣でしたよね?」とリンナがたずねると、オーレンはクワガタから目を離さず「そうだ」とまず短く告げる。
「C級魔導剣、睡剣ディープシーパーは名前の通り相手を眠らせる魔導剣だ。けど、ただ眠らせるだけじゃねえ。本来起きられる状態なのに強制的な昏睡状態が持続すると、生命活動そのものが止まっちまう。こいつは恐らく、それで……」
「見てみろ」
一人周囲を警戒していたウォードッグが、霧が埋める通りの先をあごでしゃくった。
おぞましい光景がそこにあった。
床を埋めるザリガニの群れ。壁に張り付いたままの巨大ナナフシ。ひっくり返ったセミ。
そのどれもが、一切の動きを止めたままそこに存在している。中には長い時間をかけて近くの草木に絡みつかれているものすらあった。
それらの横を、警戒中のジャーグ・ズーが平然と泳ぎまわっている。すべての者に危険がない――命がないことの証拠。
まるで何かの前衛的な美術館だ。だがこれは現実であり、そして強制的にもたらされた死の群れだった。
「おかしい。ここでこんだけやられたってんなら睡剣本体が近くにあるはず。けど、今は催眠毒のサの字も感じねえ」
少しの間腕を組んで考え、やがてオーレンはぽつりと結論を口にした。
「もしかして移動してんのか……?」
ワザップリンナ。




