第十七章 奥なる者
研究棟の報告を携え、騎士団長ゼニスは皇子の間への細い通路を進んでいた。
金髪碧眼。流麗な顔立ちに豪傑の眼を秘めた外貌は、貴族の中でも特に優れた来歴を偲ばせるものであったが、彼が居るのは金銀に彩られた王宮ではなく、武骨な出で立ちの騎士の本拠地だ。
どこを見ても戦時中のような飾り気のなさだが、今歩いている廊下と、この先だけは違う。
深紅の絨毯が縦に伸び、俗世と神聖な居所の橋渡しをしている。ゼニスが纏う帝国西部の古式凱甲冑は、重く黒光りする装甲、金の縁取り、飾りではなく実戦でついた歴々の傷の名誉をもってしてその玄妙で静謐な気配に肩を並べていたが、それ以外の者ならば、この廊下の段階で気後れしてしまっていただろう。
こちらの接近を感知して壁の歯車が回り出し、両開きの扉を厳かに開く。
そこから先は、闘神アヴァンサの住まう世界――。
魔導大帝が好んだとされる香が、嫌味なくゼニスの鼻先に絡んだ。
室内は適度に明るく、昼夜のちょうど狭間に位置しているような不可思議な時間感覚をもたらす。
「なにか――」
こちらが所定の位置に着く前に、玉響のように美しく幼く、そして楚々とした声がゼニスの耳元に届いた。
「――騒ぎがあったようですね。研究棟の方で」
「はい」
結論を待たせぬようまずは肯定の一言を戻しつつ、自分の足が立ち止まるべき場所までたどり着くまでの時間を稼ぐ。
室内に流れるガムランを含んだ異国の独特な音色が、間を取り持つ手伝いをしてくれた。
部屋は薄絹の幕で半分に仕切られている。“皇子”を楽しませるための楽団も、世話係の小姓も、すべてはこちら側。寝台に横座りした彼女の影だけが神の世界に居る。
ゼニスはその薄絹のすぐ手前までようやく来た。重鎧を沈みこませるようにして傅く。
「ご報告いたします。先日、我が配下がアヴァンシルより持ち帰りました柄のみの副葬品……。石の根のような精緻な外見に、通常ではあり得ない密度の伝導構造。そして……“一度だけ使用された形跡”。『来劫剣ネクスト』の部品と見て間違いありません」
「――!」
それまで優雅にそよ風に揺れていた垂れ幕が、まるで皇子の驚きに触れたかのように乱れた。
「そうですか。では……始まるのですね。“遺言”通りに」
「はい」
ゼニスは重々しくうなずき、次の話題までのわずかな拍を作った。皇子の感慨を邪魔しないためだった。
「協定に基づき、来劫剣の柄は最初に発見した同盟へと返却します。情報の一部も彼らと共有することに。が、彼らの知識ではこれの出現がもたらす意味にまでは至れないでしょう。真実に至れるのは――」
「“完全な遺言”を持つわたくしたちだけ――」
「御意」
同盟の主レリーフォナはいかに貴族のトップとはいえ俗人に過ぎない。自分と同じく。皇子の持つ超越性と、そして“完全な遺言”がなければ、あれは架空兵器の一部品にとどまる。
「この日まで長く待たされました……」
彼女の優雅で儚げな声がそう述べた。
「ご期待に沿えず申し訳ございません」
「貴方を責めているのではありません、ゼニス騎士団長。“機”がそうわたくしを待たせていたのです。ずっと……。だからこれは決して偶然の始まりではない。すべては大いなる支流が一つに交わった結果。間に合ってよかった。時間はまだ十分にある……」
「は……」
この土地でのすべては“遺言”の公開から始まったと言っていい。アヴァンサ帝の崩御より100年。そこに大墳都アヴァンシルの存在と伝説がほのめかされていた。それからさらに200年。探索は遅々として進まず、待つには人の身では到底足りない。
だが今日、事態は動き始めた。大帝の死後300年を経たその先は、“完全な遺言”を持つ者のみが推し量れる世界。その当事者に、なるのだ。
「ところで――第一発見者は同盟の者なのですね。どのような勇者がそれを?」
ここで皇子の声が少しばかり俗世の好奇心を帯びた。珍しいこともあるものだとわずかに胸の硬さを解きつつ、ゼニスは率直に答えた。
「氷剣バルキヘイムの所有者、イリアス・オーズドルファの家臣団にいる、ミハルクという少年です」
「へえ……少年……」
「また勇者というには幾分幼く――。カイナからの報告によれば、少女のように愛らしい外貌だとか」
「エッッッ!?」
「は?」
脳天から飛び出たような皇子の声に、思わずこちらからも不躾な応答が出てしまった。が、彼女はそれを咎める様子もなく、
「そ、そうなの。ふ、ふうん。へえ…………。……いい……すご……と思…………」
何やら後半の方は全然聞き取れなかったが、少なくとも彼女の不興を買うような内容ではなかったようだ。安堵する。
上司の叱責が恐ろしいのではない。彼女の不満が、彼女の慨嘆が畏れ多い。
皇子。魔導大帝アヴァンサの直系。
〈グレイブナイツ〉がただの墓荒らし、そして騎士の愚連隊でないことを示す唯一にして最大の正統性。
闘神の子孫が、闘神の墓を詣でる。自分たちはその供をしているのだ。
何にせよ伝えるべきことはこれですべてだった。この部屋の空気は嫌いではないが、俗世に残してきた仕事はこうしている間にも増えていく。
「本格的な進展が見えるまではまだ時間がかかると思われます。皇子様におかれましては今少しのご辛抱を」
「コ、コホン。……わかりました。益々の働きを期待していますよ、ゼニス団長」
「御身のために、身命を賭して」
ゼニスは礼を失さぬよう身を沈めた姿勢のまま数歩後ずさり、そこから立ち上がって踵を返した。
扉を抜けて去った後で――皇子の間から何者かが小躍りするような気配と軽快なダンスミュージックが聞こえたような気がしたが……。
(……さすがに……少し疲れたか)
あり得ない幻覚に幻聴。
ここで無理をして倒れるわけにはいかない。ゼニスは眉間を指でもみほぐしながら、仕事部屋での残務処理をカイナとリンナに押し付けることを決意した。
※
「〈グレイブナイツ〉からの報告はお読みになられましたか?」
黒髪色黒の従者コールマンからの一声に、〈最終貴族同盟〉の長レリーフォナは「ええ」の一言でもって応えた。
ここは故郷の香りがするハイマホガニーの調度品に囲まれた執務室。そして二人きりの作戦参謀本部。
同盟という巨大な“軍団”。それを指揮する頭は二つ。だが口は常に一つだ。父の代ではでしゃばりのヨーゼフがうるさく、それで屋敷から追い出したらしいが、正解だったと今でも思う。
「〈ノーブルオーダー〉イリアスが持ち帰った未知の魔導剣の柄。伝導密度はA級魔導剣の四倍から五倍、該当する刀身部分は歴史上無し。製造過程で試験的に魔導を伝導させた形跡が一度あるのみ。ですってね」
「どう思われます?」
落ち着いた口調ながら、明らかに主人を試す一言にレリーフォナは嘆息した。
「一部はウソ。大半は“すべてを語ってはいない”ね」
偉そうに団長のゼニスの封蝋までされた書状をビリビリに破いてやろうかと思ったほどだ。
同盟と騎士団。本土の時点ですでに相性のよろしくない両者だが、上っ面だけは意思疎通が可能でなければいけないのは辺地アヴァンシルでも同じ。
それでも、このナメ腐った書面の内容は憤りを覚えるものだ。こちらが貴族中心――つまり職人や技術者に乏しいことを理解して足元を見ている。
もっとも、副葬品を一時的にせよ騎士団に預けたイリアスを責める気はない。
彼女は〈ノーブルオーダー〉としての初めての任務で重大な発見をし、鮫剣、呑剣という危険な自律型を二つも回収してくれた。破格の大活躍と言っていい。呑剣は半ばからへし折られ再起不能、それを実行した鮫剣もすでに持ち主がいるということで同盟の所有にはできなかったが、彼女の責任ではない。
「恐らく、騎士団はこの柄に着く刀身の正体を知っている。伝導密度に関しては正直に話しているでしょうけど、単なる数値だけでは測れない何かもっと秘密のある魔導剣よ、これは。気になるのは試験に使われた形跡というやつね……。これくらいはうちでも調べればわかる。でもなぜ一度きりの使用なの?」
魔導剣には実戦用と儀式用の二種類がある。儀式用は式典や神殿への奉納のための“なんかスペック的にはすごいけど何の実用性もないやつ”だ。普通に見て、あの柄は奉納のための品である可能性が非常に高い。何しろアヴァンシルは墓であり神殿なのだから。
だが、一回は解せない。
奉じる相手はあの魔導大帝。魔導剣の生みの親なのだ。
誇り高き宮廷職人であれば、たとえ一度も使われることがない記念品だとしても念には念を入れて調整する。その出来栄えを品定めするのは人ではない。神なのだから。
逆に式典で用いられるものなら、伝統的な段取りから考えて最初と最後の最低二回は魔導を伝導させる様式がある。
これも一度きりの使用に合致しない。
「つまりこれは実戦用の魔導剣である可能性が高い。しかも既存のすべてを、いえ魔導剣の常識を超える……」
非実在魔導剣だ。誰もが安易に空想する上限のさらに上。この柄は、その非現実が過去に一度だけ現実化したことを示している。何に使われた?
レリーフォナはこつこつと指でこめかみを叩いた。
「呑剣に呑まれた市井の後継者たちは、南区の地下で見つかったのよね?」
「はい。柄が見つかった教会のそばの家屋の地下に、まとめて吐き出されたようです。全員意識不明でしたが、その後、無事に目覚めています」
「呑剣を取り込んだワームは人間にまるで興味がなかった。狙いはむしろ、あの柄……?」
魔導剣を取り込むという時点で前代未聞なのに、それが狙う副葬品……。あまりにも謎めいた存在だ。
「案外、騎士団もわかってはいないのでは?」
と、ここでコールマンからのわざとらしいほど相手を侮った意見が差し込まれた。
彼の望むまま「どうかしら」の否定的な答えを返してやる。
「騎士団にはあの皇子がいる」
わずかに目を細める。
大帝アヴァンサの直系とされる謎の皇子。
アヴァンサの家系図は、アレキサンドリア席にして魔導剣奥義の伝承官であるレリーフォナの自邸にすら資料のない帝国最大の謎だった。
即位時は皇帝の入れ替わりが極めて激しい戦乱期で、縁者を片っ端から引っ張って来ていたなんて話もあるくらいだが、子孫に関してはもっとはっきりしていてもいいはずだ。
それでも、記録はない。誰かがそうした。 だから皇子の信憑性は、極めて怪しい。聞けば、騎士団の一般団員ですら会ったことがないというではないか。
しかしあのゼニスが。帝国史上極めて重要な家柄であるゼニスが、そんな香具師に引っかかるタマだろうか? 一介の騎士まで落ち、いまや辺地で〈グレイブナイツ〉などという愚連隊を率いている身なら、そこまで鈍することもあろうが……。いやこれ以上は自分をも蔑むことになる。やめよう。
「……ここは余計に探りを入れず、珍しいものを拾った俗な貴族のフリをして待ちましょう。柄を先に手にしたのはこちらよ。むこうは“機”にかろうじてぶら下がっただけ。流れはこちらにある。騎士団は必ずボロを出すわ。それが組織というもの。口の軽い末端か、それともゼニスの腹心の娘たちか。あるいは……皇子自身かも」
ニヤリと狡猾に笑ってコールマンを見返す。この答えで満足? と。
彼は一つ年下の主に満足げにうなずき、次の一言を寄越した。
「大変結構。貴女こそすべての魔導剣を束ねるに相応しい――」
謎と陰謀が動き出す。




