第十五章 花風に散る
鮫剣ジャーグ・ズーを追って通りを駆けていくと、広々とした場所に出た。
多数の細い通りが交わる広場のようなところだ。霧に霞んで全域は見渡せない。
「吞剣は本能的に狭い道を嫌うんや。ここなら追い込めたんとちゃうか……?」
広場のちょうど入口にて、先頭を走っていたカイナがミハルクたちの足を腕で制しながら考えを口にする。
鮫剣はそれまでの鋭い追跡をやめ、各通路への入口を巡回するように地面を滑っていた。まるでここに潜む呑剣が外に出て行かないよう道を塞いでいるようだ。
「おるな……。この広場のどこかに……」
ミハルクは慎重な声で皆に呼びかけた。
「よく聞け。呑剣は地中に空間を広げて移動しておる。地上からその姿を発見することは困難じゃ。だが手がないわけではない。囮を使う。一人がわざとヤツに捕捉され、攻撃してきた瞬間、残りのメンバーで穴の縁を叩く。呑剣の能力は非常にデリケートなもので、それだけでヤツは機能停止に陥る――」
「それって……囮の人はどうするの? 捕まるの前提なわけ?」
作戦を聞き終えたイリアスが当然の質問を向けてくる。
「いや、攻撃の直前で跳ぶ。呑剣の落とし穴は一瞬しか開かんし、タイミングさえ合えばそれで凌げるはずじゃ」
「詳しいなあ、ミハルク君。よっしゃ、なら囮役はうちがやったる」
カイナが平らな胸をどんと叩いて前に出ようとした。が、ミハルクは首を振る。
「いや、言い出しっぺはわしじゃ。当然わしが行く」
「何言ってるのよ、子供のくせに」
「そ、そうです。ミハルク君はここで待っていてください」
イリアスとリンナから反対の声が上がるも、ミハルクに譲る気はなかった。対処法は単純とは言え、タイミングの見極めは彼女たちには荷が重い。そもそも自分がやる前提で伝えた作戦だ、これは。
「わしが何の魔導剣を持っておるか忘れたのか? すでに準備はできておる。速さなら一番じゃ」
そう言って差し出した疾剣ゼフローは、鞘に納まった段階ですでに薄く緑に色づいた風を巻いていた。
「うそ……何この出力。いくら量産品だからって、こんなに早く持ち手と繋がる……?」
「ミハルク様に任せておけば問題はない。おまえたちは攻撃の好機を逃さぬよう目を見開いておけ」
偉そうなセージュの物言いに、それ以上の反論は一旦止んだ。そう、ここはすでに戦う者の場所。居合わせる以上、老若男女問わず危険に立ち向かわなければならない。
「では、適当に行ってくるか。わしが跳ぶまで誰も動くでないぞ。ターゲットが突然変わるやもしれん」
そう言って広場に出ていこうとしたミハルクのシャツを掴む者がいた。
振り返ってみるとダリアだ。
目も描かれていない簡素なマネキンの顔が何度も左右に振られる。行くなというように。それだけで彼女の心配が痛いほど伝わってきた。
「大丈夫じゃよ。こう見えてわしはエグいほど強いからの」
微笑んで彼女の手をやんわりと離すと、今度こそミハルクは広場へと進み出た。
呑剣の攻撃は一撃必殺。予兆は音と魔導のみ。ただしミハルクからすれば、これは凄腕の剣客を相手にするよりもはるかに容易なことだった。魔導の伝導などその気になれば100メートル先からでも拾える。
順当にいけば、この一手で締めだ。
(さあ、出てこい……)
入り口付近で待機する仲間たちから離れすぎないよう気を付けながらゆっくりと歩く。無論、油断はしない。勝てる勝負こそ細心の注意。落とせば魔導大帝の名折れというものだ。
グウウウ……。
大きな生き物が喉を鳴らす音がした。来た。仲間たちも気づいて身じろぎする。咄嗟に手で制した。まだ遠い。攻撃のタイミングは自分が跳んだ瞬間。十分に近づいてくるまで待て――。
その時だった。
突然、走り出した人影がある。
――ダリア。
「なっ……!? 何をしておる!」
ミハルクがいる場所とは別の方向に向かっている。仲間たちもこちらに集中するあまり、彼女の動きに気づくのが遅れた。
呑剣の音に攻撃性が混じった。殺気の向きがこちらではない。先にダリアを呑み込むつもりだ。
弱い者から倒す。それは戦いにおける鉄則中の鉄則。
「く……!」
ミハルクは眉間が焼き切れるレベルで集中力を総動員した。この場におけるすべての魔導剣の呼気が伝わる。意気軒昂なイリアスの氷剣、機能不全のウォードッグの剣、静かにくすぶるカイナの焔剣、暗い水底のように待つリンナの鬼剣。そして地の底で鼓動する吞剣モビー・ゲーイン……!
ダリアの足元から魔導の波が、広がる。
「跳べ、ダリア!」
ミハルクは大声で叫んだ。
ダリアは跳んだ。動きにくい修道服だが、それでも一瞬の回避には十分な高さだった。
――敵が呑剣だけだったなら。
開いた地面の暗い穴から、突然巨大な顎が飛び出てきた。
「なっ!? なんじゃ!?」
ミハルクは目を見張る。それは長虫だった。馬車でも呑み込みそうな巨大な頭部。ヤドカリの殻を数珠つなぎにしたような白く堅牢な長躯。
そんな怪物が下から突き出て、穴の真上にいたダリアを、
バキバキと噛み砕いた。
「ダリアアアアアッ!」
「……!」
「こ、こんのおおおおッ!」
獣の早さで飛び出したウォードッグとカイナが、呑剣が開いた穴の縁を魔導剣で思い切り叩いた。
真円に描かれていた穴の輪郭が急激に歪み、白い長虫の長大な体の残りが一気に吐き出される。
「何やこのでかさ……! 普通に育ったヤツとちゃうで!」
全長二十メートルはある。この広場が狭く見えるほど。
「見ろ、ヤツの頭の少し後ろ……!」
ウォードッグが示唆した場所には、一本の異物が刺さっていた。
長虫の硬い殻に半ば取り込まれるようにして固定された、機械式の直剣。
「呑剣や! まさか、あのワームが魔導剣を取り込んだんか!?」
殻の構成物質が刀身の半ばまで及んでいるのを見るに、信じがたくとも彼女の推理に信憑性はあった。
呑剣ははぐれ魔導剣ではない。この甲殻長虫の移動式の住処として使役されていたのだ。
だが。
今はそんなことよりも。
ミハルクはダリアの残骸の前に片膝をついていた。
元より頑丈な作りではなかったのだろう。一噛みで付けられた亀裂が全身を破断し、かろうじて残った上半身の一部――手を取ろうとも、半分割れた頭部が反応を示すことはかすかにもなかった。彼女と共に散り散りになった薄ピンクのダリアが、短い思い出のように束の間薫った。
ダリアは知っていたのだ。あの呑剣に“主”がいることを。だがそれを伝えるすべが彼女にはなかった。
もしあのまま自分が囮役を続けていたら、長虫に噛みつかれたのはこちらだった。
だから自身を囮に。自分の命を、わしに。
「300年、健気に祈りを捧げ続けてくれた者に対する仕打ちがこれか。我が墓標アヴァンシルよ……」
心がなければ。彼女はついてはこなかった。
優しさが芽生えなければ。誰かの代わりに身を捧げようとはしなかった。
寂しげに人形の破片のまわりを回る鮫剣。
皆生きている。生きていた。
「もしそこに情け深い魔導大帝の魂が居るのなら、出て来て詫びの一つでもしてみせよ。この小さな花に、弔いの言葉を添えてみせよ。……できぬわな。おまえがそこにいるはずがない。空っぽの墓。小さな花を捧げる価値などない……」
ミハルクはダリアの腕をそっと、彼女の胸の上に置いた。
「この代償、貴様の命で払ってもらうぞ」
今日まで失ったものの数はいくつか。もはや喪失を前にしても震えなくなった声を吐き出し、ミハルクは疾剣ゼフローを抜き放った。
「斬界、構築」
柄のメンテナンスカバーをスライドさせ伝導構造を露出。使い手からダイレクトに魔導を受け取るようになった剣に、最大決戦状態への移行を指示する。
新緑色の風が巻いた。渦は周囲から気流を集めてつむじ風となり、やがて巨大な暴風圏へと成長する。
ヴォジョバァ!
濡れた巨大な管の音を吐き出しながら、長虫が広場の施設を押し潰しながらこちらに迫ってくるのが見えた。
バケモノの本能で、一瞬たりとも看過できない相手がここにいると認識したか。
(そうだ。来い)
長虫の凄まじい突進力に、仲間たちも咄嗟に道を空けることしかできない。
(あの獲物は、誰にもやらん)
長虫の頭部が近づいてくる。子供の体など飲み込まれても気づかぬほどに巨大。その一瞬を覚悟して駆け出したダリアの思いは何だったか。
ミハルクはフルオープン状態となった疾剣を掲げて吠えた。
「疾剣奥義『ダイクロン・ゴレア』!」
初夏の色を帯びた竜巻が膨れ上がり、その巨躯をゆらりと前へ進める。
根元の石畳が小石のように吹き上げられていく。
疾剣が広げた風の魔界に、奥義まで重ねたゼフローの最大打撃。
理解せぬまま渦中に突入してきた長虫の体がいきおい速度を失い、ねじれ、やがて土煙を撒きながら、常軌を逸した大質量ごと上空へと巻き上げられていく。
もはや広場は暴風災害の爆心地だった。周囲の建物は布の揺らぎ、一部を剥ぎ取られていく。
その中央でミハルクは吠えた。
「やれい、ジャーグ・ズー! 主の仇を獲れ!」
超長大なバケモノを巻き上げた風の中に、薄桃色の花弁と共に舞い上がる煌めきがあった。
海を離れ天へと至ったサメの背びれ。
風に乗った彼は猛回転しながら長虫を猛追し、その分厚い甲殻をものともせずに内部へと斬り潜った。
内部から巨躯をズタズタに切り刻みつつ突き進む様は、外殻にヒビを入れるまでに噴き出た余波で察するに余りある。
怒り。あまりにも獰猛な激怒。
そして長虫の尻尾から駆け上がり続けた彼は、最後に死力を振り絞るようにして体内から飛び出て、巨体な頭部付近に突き刺さった吞剣モビー・ゲーインの刀身を半ばからかち割った。
――――!!!!
音というより爆轟に近い長虫の悲鳴を、花びらを撒いた暴風の渦が掻き消した。
ズガッ!
風の渦を抜けた鮫剣が、乾いた音と共に地面へと突き刺ささる。
それはもう動かなくなった人形の――主人のすぐ隣。
外殻の内部で切り分けられた長虫が、風の中でぶつ切りとなって降り注いだのはその直後のことだった。




