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9/22

朝の壁新聞

翌朝。学園の校門をくぐった瞬間から、僕はいつもと違う、肌を刺すような異常な熱気に包まれていることに気づいた。


廊下を行き交う生徒たちが、スマホの画面と僕の顔を交互に見比べながら、クスクスと、あるいは憐れむようにヒソヒソと騒ぎ立てている。


「……嫌な予感がする。それも、胃に特大の風穴が空くタイプのやつだ」


僕はできる限り気配を消し、壁と同化するような勢いで足早に教室へと向かった。


しかし、廊下の大型掲示板の前に差し掛かったところで、完全に足が止まった。そこには、授業前の時間だというのに、廊下を埋め尽くすほどの黒山の人だかりができていたのだ。


人だかりの中心にあるのは、学園の情報操作機関──もとい、生徒たちのゴシップ欲を燃料にして動く悪名高き『新聞部』が毎朝発行している、特大の壁新聞だった。


「おい見ろよ、万年ゼロのトウマが……」


「マジかよ、あのシュリ様が、こんな最底辺の無能と夜中に二人きりで歩いてるぞ!」


「特進クラスのトップが、よりによってこんなゴミと? 何かの間違いだろ!」


生徒たちの口から漏れ聞こえた不穏すぎる単語の数々に、心臓が嫌な跳ね方をした。冷や汗が背中を流れ落ちる。僕は人混みの隙間から、背伸びをして掲示板のスクープ記事を盗み見た。


そこには、これでもかと派手な赤文字の特大見出しと共に、一枚の鮮明な写真が貼り付けられていた。


【衝撃スクープ! 孤高の女王シュリ、最底辺の無能トウマと深夜の密会デート!?】


写真に写っていたのは、昨夜、街灯の下を二人で並んで歩く僕とシュリの姿だった。


お風呂場での大パニックと、その前の美術倉庫での戦闘による疲労が重なり、まるで幽霊のように死にきった顔で歩く僕。


そして、その少し横を、どこかバツが悪そうに顔を背けながら歩く私服姿のシュリ。


「……終わった。完全に終わったぞ、これ」


脳裏に『解剖』の二文字が、超リアルなフォントで浮かび上がる。


昨夜はただ夜遅いからと彼女をマンションの近くまで送っていっただけだ。


それなのに、新聞部のパパラッチは、その奇妙な夜の散歩をバッチリと盗撮していたのだ。


「おはよ、トウマ。朝から随分と情熱的なパパラッチの洗礼を浴びているな」


後ろから、いつも通りの眠たげな声がした。ハルトだ。


「おはよう、ハルト。笑い事じゃないんだ。これ、どう見ても言い逃れできないレベルで写ってるんだけど……」


「いいんじゃないか。お似合いだと思うけど」


「あぁー、違う。そうじゃない。そもそも誤解だってことが問題なんだ」


ハルトが呆れたように文庫本に目を落としながらアドバイスをくれた、まさにその時。


ガラララッ!!!


教室の前後両方のドアが同時に、ものすごい勢いで跳ね開けられた。



「トウマくん! 朝一番の独占直撃インタビューをお願いしまーす!」


カメラを首から下げ、ボイスレコーダーを構えた新聞部の実働部隊が、ハイエナのように目をギラギラと輝かせて僕の机へと突撃してきた。教室内が、一気に蜂の巣を突いたような騒ぎになる。


同時に、反対側のドアからは、シュリが今にも爆発しそうなほど怒りで髪を逆立たせて入ってきた。その瞳には、本気の殺意に満ちている。


「ちょっと、そこのカメラを構えた羽虫ども。私の視界の中でこれ以上レンズをチラつかせるなら、レンズごとあなたたちの網膜を潰してあげましょうか?」


シュリから放たれる、霊力のプレッシャー。


その圧倒的なオーラに、新聞部の生徒たちが一瞬でヒエッと身を縮こませた。だが、彼らもスクープのためなら停学処分すら恐れない狂戦士だ。震える手でマイクを強引に突きつけてくる。


「シュ、シュリ様! 威嚇しても無駄ですよ! 昨夜の午後十一時過ぎ、住宅街の交差点で、このトウマ氏と一緒に歩いていたという決定的な証拠がこれです! これはカーストを越えた深夜の密会デート、あるいは秘密の交際ではないのですか!?」


「そうだそうだ! 答えろ、トウマ! お前、シュリ様にどんな汚い手を使ったんだ!?」


教室中の生徒たちが、固唾を呑んで僕たちの言葉を待つ。


クラスメイトだけでなく、他のクラスの生徒たちも、嫉妬と怒りに満ちた目で僕を睨みつけていた。


(なにか思いつけ……! この状況を打破できる言い訳を!)


シュリはフンと冷鼻を鳴らすと、新聞部のマイクをはねつける勢いで一歩踏み出した。


「──ハァ? デート? 秘密の交際? あなたたちの脳みそは、トウマの霊力よりも空っぽのようね」


シュリはこれ以上ないほどの侮蔑を込めて、新聞部を、そして僕を冷酷に見下ろした。


「いい? よく聞きなさい。昨夜、私は特進クラスの神代さんのせいで、ひどく気分を害していたのよ。イライラしてどうしても眠れなかったから、憂さ晴らしに私のパシリであるこのゴミを夜中に叩き起こして、自宅の掃除と、夜食の買い出しを命じて連れ回していただけよ。写真のこの男の顔を見なさい。私の理不尽な命令に怯え、疲弊しきった哀れな犬の顔そのものでしょう? ねぇパシリ一号!」


「え……あ、はい! その通りでヤンス!」


僕は少しわざとらしいくらいにパシリ顔とセリフを形成する。


「神代さんたちに睨まれたシュリ様のイライラは頂点に達していたズラ……僕は夜中の十一時に呼び出され、二十キロのプロテインと炭酸水を素手で運ばされるという、文字通りの奴隷労働を強いられていたんでヤンス。デートだなんて滅相もない、ただの過酷なパワハラでゲス!」


少しわざとらしすぎたか? シュリが恐ろしい目でこちらを睨んでいた。


「……え? パワハラ?」


新聞部の生徒たちが、一瞬ぽかんとした顔になる。


確かに、写真の僕の顔は死んだ魚のようだし、シュリの顔は「なんでこんな無能と歩かなきゃいけないのよ」と言わんばかりの不機嫌そのものだ(実際は、僕の全裸を見てしまった恥ずかしさのせいだが)。


クラスメイトたちが、写真のディテールを見て勝手に納得し始める。


周囲の生徒たちの脳内に


「デートではなく、女王様の深夜の超理不尽な奴隷労働」


という特大の誤解が、急速に補強されていく。


よし、これで乗り切れる──そう思った、次の瞬間だった。


「──フフン、往生際が悪いですね、お二人とも。この僕のアニマの前でも同じことが言えますか?」


新聞部の人だかりを割って前に出てきたのは、眼鏡をかけた新聞部の副部長だった。不敵な笑みを浮かべる彼の背後から、ニュルリと不気味な三本の針を持った、時計型の精密なアニマが姿を現した。


「出た……新聞部副部長の嘘発見アニマ、『ポリグラフ』だ!」


周囲の生徒から、どよめきが起こる。


そのアニマは、対象の心音、呼吸、そして言葉を発する際の「霊力の揺らぎ」を完璧に感知し、嘘を吐くと針が激しく右に振れて真っ赤に発光する、絶対的な真実の審判者だった。


機械とは違い、アニマの能力による嘘発見は、精神的、肉体的な誤魔化しが一切通用しない。


「トウマくん、君が本当にパシリだったのか、このアニマの針の前で証言してもらいましょう。もし君たちの言葉が嘘で、本当は甘い深夜のデートだったなら……針は真っ赤に振り切れて、学園中のカースト制度に対する重大な反逆として、風紀委員会へ即座に通報されます!」


仮に本当にデートだったとして、なんでそれが重大な反逆になるのだろう。


副部長は眼鏡をクイと上げ、時計型のアニマを僕の目の前へと突きつけてきた。三本の針が、チクタクと不気味な音を立てて僕の胸元を狙う。


これは本気でマズい。


もし嘘がバレれば、シュリのパワハラ説は完全に崩壊し、僕たちの怪しい関係が徹底的に掘り返される。解剖ロードへまっしぐらだ。


シュリの顔色も、一瞬で青ざめた。


彼女の力でアニマを物理的に破壊することはできるが、全校生徒の目の前でそんな暴挙に出れば、それこそ有罪を認めたようなものだ。


「さあ、答えなさい、トウマくん! 君は昨夜、シュリ様に理不尽に呼び出されて荷物持ちをさせられていただけなのか!? イエスか、ノーか!」


マイクと三本の針が、僕の鼻先に突きつけられる。教室内は、水を打ったように静まり返っていた。


ハルトも後ろの席から、文庫本を少し下げてこちらをじっと見つめている。


僕は覚悟を決めた。ここで日和ったら終わりだ。


プロのパシリとしての誇り(?)を懸けて、僕は嘘発見アニマの針を真っ正面から見据え、声を張り上げた。


「はい、本当です! 僕は昨夜、シュリ様に超理不尽に呼び出されて、徹夜で過酷な荷物持ちをさせられていただけです! デートなんて楽しい要素は一ミリもありません!」


言い切った。


その瞬間、僕の心臓はバクバクと激しく波打ち、脳は「大嘘です」と叫んでいた。


時計型のアニマの三本の針が、僕の緊張による霊力の揺らぎを感知し、ギギギ……と音を立てて「嘘(赤)」の方向へと猛烈な勢いで振れ始めた。


副部長の顔に、勝利を確信した笑みが浮かび上がる。


(終わった……!)


僕はぎゅっと目を瞑った。


だが、針が「嘘」の領域へと完全に振り切れる、まさにその直前──。


ギギ、ギギギギギッ!!!


「え……っ!?」


突如として、副部長の驚愕の声が響いた。


目を開けると、嘘の赤へと振り切れるはずだった三本の針が、まるで目に見えない何かに強引に引っ張られるかのように、真逆の方向へとグイッとねじ曲げられていた。


アニマの内部から、歯車がみしみしと悲鳴を上げるような凄まじい異音が響き渡る。


チーン!!!


小気味よいベルの音と共に、嘘発見アニマの三本の針は、あり得ないほどの勢いで【完全なる真実(緑)】の領域へと叩きつけられ、そこでピタリと固定された。


時計の文字盤が、眩いばかりの緑色の光を放って教室中を照らし出す。


一体、何が起きたんだ? 僕のマイナスの霊力が、嘘発見の霊力まで吸い取ってバグらせてしまったのだろうか。


訳が分からないまま、僕はただ呆然と光る針を見つめるしかなかった。


「な、何だってえ!?」


副部長の絶叫が、教室の天井を突き抜けんばかりに響き渡った。眼鏡が鼻先までズレ落ちている。


「し、真実……!? アニマの審判が、完全なるノンフィクションだと告げている……!? 嘘だろ、てことは本当にただのパシリ?」


「そんな……じゃあ、本当にパワハラだったのかよ……」


「夜中に呼び出されて二十キロの荷物持ちって、マジでただの奴隷じゃん……」


教室内の生徒たちが、一瞬でドン引きの表情に変わった。


アニマの能力による判定は絶対だ。それが「真実」を示したということは、僕の言った大嘘が、事実として認定されたことを意味していた。


新聞部の副部長は、手元でキュルキュルと妙な空回りの音を立てて煙を吐いている時計型アニマを、信じられないという目で見つめている。


「神代さんのせいで不機嫌だったシュリ様の、深夜の奴隷調教……。カースト最上位のイライラに巻き込まれるなんて、トウマ、お前本当にかわいそうな奴だな……」


クラスメイトの遠藤が、昨日までの喧嘩腰の態度を完全に消し去り、今や僕に対して「明日は我が身か」と言わんばかりの、涙ぐましいほどの哀れみと恐怖の視線を向けてくる。


周囲の生徒たちも、シュリのあまりの暴君ぶりにブルブルと震え、僕を「生ける生贄」として拝むような目で見ていた。


「満足したかしら、新聞部の羽虫ども」


シュリはいち早く冷静さを取り戻し、腕を組んで新聞部を冷酷に睨みつけた。


「私の時間をこれ以上勝手な妄想で無駄にしないでくれる? 次、私のプライベートにその安物のレンズと時計を突きつけたら、今度こそ文字通り時間を止めてあげるわ。分かったら今すぐ私の視界から消え失せなさい」


「ひ、ひいっ! 失礼しましたー!」


副部長はアニマを抱え、新聞部の部員たちを引き連れて、文字通り這うようにして教室から脱兎のごとく逃げ去っていった。


こうして、学園のカースト制度を揺るがしかねなかった「深夜の密会デート事件」は、シュリの圧倒的なパワハラ暴君説という、予想外の結末によって完璧にカモフラージュされたのだった。



「……あはははは! ねえねえ、見た!? あの副部長の顔! アニマの針をグイッて引っ張った時の歯車の『みしみし感』、最高に脳汁出たわー!」


朝の嵐が去った放課後の図書室。


貸出カウンターの前に陣取ったミナが、お腹を抱えて大爆笑していた。彼女の手のひらでは、アメーバ状のアニマ『アメちゃん』が満足そうにボヨンボヨンと跳ねている。


「……え? ミナさん、もしかしてさっきの、君がやったんですか?」


僕はカウンターに突っ伏していた身体を跳ね起こし、目を丸くした。


「そうだよー! トウマくんが『本当です!』って言った瞬間、嘘発見アニマの針が赤に振れそうになったからさ。これはまずいと思って、アメちゃんを影からコッソリ潜り込ませて、中から歯車をギチギチに回してやったんだよね! あの時の私のテンションならトラックだって動かせたよ!」


ミナはケラケラと笑いながら、僕の肩をバシバシと叩いた。


なるほど、だからあの時、アニマからあんな壊れそうな異音が響いていたわけだ。


僕の力でバグったわけではなく、ミナのテンション依存の怪力による物理的な操作だった。危うくアニマごと粉砕するところだったらしいが。


「本当に、はた迷惑な連中ね」


隣の席に座っているシュリが怒りの口調で語る。


「おかげで私、学園中から『夜中にパシリを呼び出して二十キロの荷物を運ばせる超理不尽なサディスト女王』って誤認されたんだけど!? これじゃあ孤高の天才じゃなくて、ただの暴君じゃない!」


「いいじゃんいいじゃん、キャラが立ってて格好いいよシュリ様! それに、これで二人が夜中に一緒に歩いてても『あ、またパシリを酷使してるんだな』って誰も怪しまなくなるし! 大成功でしょ?」


悔しいが、ミナの言う通りだ。今回の件で、僕たちの「女王と奴隷」という偽装関係は、アニマの判定(ミナの力技だが)によって裏付けられた、絶対の事実として定着したのだから。


「……まぁ、静かになったから何より」


後ろの席で、静かに文庫本をめくっていたハルトが、眠たげに呟いた。


彼は昨日の記憶消去のせいで、僕たちの本当の秘密(霊力マイナス、シュリの正体)は忘れているが、今日のドタバタ劇の一部始終をいい意味で興味なく眺めていた。


「……ねえ、トウマ」


ふいに、シュリが小声で僕の名前を呼んだ。


「はい、何でしょうか、シュリさん」


「……昨夜の、その、お風呂のこととか、ミルクティーのこと、本当に誰にも言ったら承知しないからね。もしミナやハルトに喋ったら、今度こそ本当に真空で──」


「言いませんよ。僕だって解剖されたくないですからね」


僕が笑みを浮かべて答えると、シュリはフイッと顔を背けた。


言葉では相変わらずツンツンしているが、彼女の首元の紋章から伝わってくる霊力の波形は、驚くほど温かく、心地よく安定していた。

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