天災児、登場
頭上を飛び交う結晶の散弾が、コンクリートの壁を削り、激しい火花を散らしている。
スタジアム全体を包む悲鳴の嵐の中で、僕はハルトの隣に身を潜めながら、激しく脈打つ胸元を片手で押さえていた。
学園長によって完全にロックされた防衛結界。神代のアニマが溜め込んだ膨大な霊力は、あと数分で限界を迎え、この閉鎖空間ごと僕たちを木っ端微塵に吹き飛ばす。
「トウマ。今の地下は暴走した霊力の高電圧地帯だ。お前に戦闘用のアニマがいない以上、ハッチのロックを外すことすら──」
彼が言いかけた、その時だった。
僕の制服のポケットの中で、通信端末が壊れたように激しく震え出した。画面を確認すると、そこに表示されていたのは、この絶望的な状況において最も場違いな、しかし最も強烈な嫌予感を孕んだ三文字だった。
『ミナ』
僕は弾かれたように、背後の壁に設置されていた細い換気用のスリット窓へと視線を向けた。ここは南ブロックの最上段、最もスタジアムの外壁に近い場所だ。
スリット窓から恐る恐る外を見下ろすと、スタジアムのふもと、真っ赤に凝固した防衛結界のすぐ外側の地面に、ショートカットの髪を元気に跳ね上げた女子生徒の姿が、豆粒のように小さく、しかしはっきりと視界に入った。
ミナだ。彼女は片手で端末を耳に当てながら、もう片方の手をこちらに向かってぶんぶんと親切に振り回している。
端末を耳に押し当てると、周囲の爆音を力ずくで掻き消すような、いつも通りの能天気な声が鼓膜を叩いた。
『もしもーし! トウマくん!? なんかスタジアムが急に真っ赤に光って閉じちゃったんだけど、中で何が起きてるのー!?』
「ミナさん!? なんでそんなところにいるんだよ!」
『だってさー、外の実況モニターが急に砂嵐になっちゃうんだもん! 絶対に中で面白いことが起きてるでしょ!? ずるい! 私にも見せて、入れて入れてー!』
「無理に決まってるでしょ! 中で神代さんのアニマが他人の霊力を吸いすぎて暴走してるんだ。自爆寸前なんだよ。おまけに学園長が不正を隠すために結界を完全にロックしたから、中の生徒は一人も外に出られないし、外からも誰も入れないんだ! そもそもミナさんは出禁だし」
僕がスタジアムの惨状を早口で説明すると、端末の向こうでミナは
「えー!」
と大げさに声を上げた。
『出禁! そうだった、私、風紀委員長にすっごくキツく言われてたんだったー! うーん、中に入ったらまた三時間お説教だし、そもそも結界が硬くて物理的に中に入れないのかぁ……』
スピーカー越しに、ミナが人差し指を顎に当てて少しだけ考えている気配が伝わってくる。
だが、彼女の思考が「諦め」という常識的な方向へ向かうはずがなかった。
次の瞬間、端末から響いてきたのは、配置された混沌の爆弾にふさわしい、悪魔のような満面の笑みを孕んだ声だった。
『あはは! 何言ってるのトウマくん。中に入れないなら、外からやればいいじゃん!』
「……は?」
ミナのその天災的な発想に、僕の思考は一瞬で停止した。
中に入れないなら外からやる。言葉の意味が全く理解できないまま呆然としている僕の目の前で、スリット窓の向こうのミナが動き出した。
彼女は端末をポケットに放り込むと、自身の手のひらの上でボヨンボヨンと楽しそうに跳ねていた半透明のアメーバ状のアニマ──『アメちゃん』を、スタジアムの分厚いコンクリートの外壁へと、ペタッと力強く張り付けたのだ。
「よーし、アメちゃん! 校長のケチな小細工を、外からまとめてひっかき回しちゃうぞー! あはは、脳汁ドバドバ出てきたー!」
彼女の「面白い事件に首を突っ込む」という純粋な、かつ凶悪なテンションが、一瞬にして最高潮へと跳ね上がる。
それに完全に同期して、アメちゃんの出力が、国指定の破壊兵器級にまで膨れ上がった。半透明だったアメーバが、禍々しいほどの霊力の圧力を帯びて、ぎちぎちと不気味な音を立て始める。
アメちゃんの能力は『触れた物を自由に操る』ことだ。
ミナはその能力を、人間でもアニマでもなく、スタジアムという巨大な建造物の骨組みそのものへと、ダイレクトに流し込んだ。
彼女の目的は、結界を破って中に入ることではない。スタジアムの構造そのものを巨大な伝導体にして、地下にある不正システムを外側から物理的に破壊することだった。
「いっけえええ、アメちゃん!!」
ミナが外壁に両手を突き、叫ぶ。
その瞬間、僕とハルトが立っている足元の床、そして背後のコンクリートの壁から、今まで人生で聞いたこともないような凄まじい重低音が響き渡った。
メキメキ、メキメキメキキ!!
スタジアムを支える巨大なコンクリートの支柱が、鉄骨が、目に見えない神話級の怪力によって雑巾のように力任せに絞り上げられるような、恐ろしい破壊音が建物全体を伝って駆け抜けていく。
あまりの振動に、観客席の生徒たちが
「地震か!?」
とさらにパニックになって床に伏せた。
「な……、何だ、この建造が悲鳴を上げるような霊力の波形は……っ!?」
ハルトが驚愕の声を上げ、思わず壁を背にして姿勢を低くした。
ミナの放ったアニマの規格外の怪力は、スタジアムの分厚い外壁を伝い、内部の構造を通り抜け、そのまま真っ直ぐに地下の『霊力循環吸着陣』が敷設された区画へと叩き込まれていた。
学園長が極秘裏に設置した、霊力を循環させるための金属製のパイプや、複雑に張り巡らされていた魔導配線の束が、ミナの無茶苦茶な力技によって、メキメキとへし折られ、引きちぎられていく。
床を通じて、僕たちの足の裏にまで、何かが粉砕される明確な衝撃が伝わってきた。
「あはははは! すごいすごい! 建物の芯をググッと歪ませるの、最高にテンション上がるわー!」
外壁の向こうから、そんな狂気じみた大爆笑が地響きに混ざって聞こえたような気がした。
ミナによる破壊工作は、すぐさまフィールドに劇的な変化をもたらした。
地下の吸着陣から、観客の霊力を集めて神代の指輪へと注ぎ込んでいた激流が、物理的な回路の切断によって一瞬にして寸断され、その供給がガタガタと不安定になったのだ。
フィールド中央で、今にも臨界を迎えて爆発しようとしていた巨大なクリスタル蝶の膨張が、ピタリと止まる。
「……あり得ない力技だ。あいつ一人で国を滅ぼせるな」
ハルトが信じられないという目で床を見つめ、それから呆れたように深く溜め息をついた。
「建物の構造を伝って、地下の物理回路を直接へし折るなんて……。出禁にされた理由が、今なら理解できるよ。あの女、本当にスタジアムごと学園を地図から消す気か」
「でも、おかげで神代さんのアニマの供給が止まって、自爆までの時間が稼げた。ハルト、地下へのアクセスハッチを開けてくれ! ミナさんが外から物理的に引っかき回してくれている間に、僕が中心部の霊力核を直接止めに行く!」
僕はハルトに向かって叫んだ。
天災児が外側からこじ開けてくれた、最悪にして最高の突破口。これを見逃す手は存在しない。




