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主従関係とは

夕暮れの旧校舎訓練場。


まばゆい金髪ツインテールをしょんぼりと垂らし、床にきっちり正座させられた学園一の優等生──シュリは、屈辱に顔を真っ赤に染めながら蚊の鳴くような声で自身がアニマであることを呟いた。


その答えに、僕はただ唖然とするしかなかった。


人間のフリをして学園に潜伏している、自立したアニマ。


それが、誰も寄せ付けない孤高の天才の正体。目の前の現実が受け入れがたかった。


「……信じられない。じゃあ、昼間の一条さんたちとか、ランク戦でみんなをぶっ飛ばした『姿の見えないアニマ』っていうのは……」


「あれは私自身の能力よ。真空を操って、戦っていただけ。アニマは透明ということにしとけば騙せるから……って、なんで私がこんな最底辺の無能に手の内を明かさなきゃいけないのよ! この口を閉じなさい、私の身体!」


シュリは自分の意志に反してペラペラと秘密を喋る唇を両手で押さえ、僕を激しく睨みつけてくる。


どうやら、僕が「なんでここに?」と問いかけた思考が、彼女の首筋に刻まれた絶対遵守の紋章を通じ、強制命令として下ってしまったらしい。


アニマの絶対法則、恐るべし。


「す、すみません。僕もこんな訳の分からない契約を結ぶつもりはなかったんです。ただの通販の訓練本のせいで……」


「本のせいにしないで! そもそも、霊力ゼロの人間が私を強制的に繋ぎ止められるはずがないわ。あなたの魂、一体どうなってるのよ!?」


どうなってるのかと言われても、僕が知りたいくらいだ。


普通、アニマというのは生まれてすぐに顕現するものらしい。なのに僕は、この歳になるまでずーっと測定値ゼロのまま生きてきた。


もしかして神様が、アニマのいない僕を哀れんで野生の最高位アニマをマッチングしてくれたのだろうか。


だとしたらあまりにお節介がすぎる。


「あの、ちなみに……」


僕は一つ、気になったことを聞いてみることにした。


「なんであんなに力の強いシュリさんが、わざわざ人間のフリをしてこの学園に潜伏しているんですか?」


「それは、私が──」


強制命令のせいで、シュリの唇がまた意に反して動き出す。


しかし、その瞬間に彼女の瞳がかすかに揺れ、どこか痛みを堪えるような、ひどく張り詰めた表情になった。


あ、これ、絶対に踏み込んじゃいけないやつだ。下手に触れたら爆発する地雷の気配がする。


「あ、すみません! 今の質問は無しで! 答えなくていいです!」


僕は慌てて手を振り、彼女の言葉を遮った。


「誰にだって、他人に言いたくない深い事情の一つや二つありますよね。詮索するつもりは全くないので、今の質問は忘れてください」


「……っ」


強制発言の呪縛から解放されたシュリは、ぽかんと僕を見た後、すぐにふいっと顔を背けた。金髪のツインテールが、彼女の動揺を示すように小さく揺れる。


「……変な奴。普通のアニマ術者なら、命令して私の記憶を隅々まで暴き立てるところよ。主人の特権なのだから」


「僕はただ平穏に生きたいだけですから。余計な秘密は知らないに限ります」


なぜか僕の方が心理的に追い詰められている気がしてきた。


「……とにかく、この状況はマズいです。どうにかするしかありません」


「当たり前でしょ。人間のフリをした野生アニマの潜伏に、一般生徒の未登録の不正契約。こんなの学校どころか、国にバレたら、二人揃って即座に処分か、研究室で行き着く先は解剖よ」


解剖。その物騒なワードに、背筋がヒヤリと凍りつく。


僕たちは完全に、一蓮托生の運命共同体になってしまったわけだ。


「ひとまず、その首の紋章を隠さないと。明日も学校ですし」


「……幅広のチョーカーでも巻いて隠すわよ。それより、この屈辱的な正座を解きなさい。足の感覚が消えかけてるのだけど」


「あ、すみません。立ち上がっていいですよ、シュリさん」


僕がそう言うと、シュリは「はぁ……」と深いため息をつきながら立ち上がり、衣服の乱れを整えた。その瞬間、昼間のツンとした女王様のオーラが少しだけ戻る。


「……仕方ないわ。とにかく、この最悪な状況を乗り切るための計画を立てましょう」


シュリはツインテールをいじりながら、仕切り直すように言った。


「こうなった以上、無関係を装うのは厳しいわ。明日からの学園生活、私たちが不自然に一緒にいても周囲に怪しまれないためのカモフラージュよ。教室では、あえて私があなたを冷酷にパシリ扱いする。そうすれば、クラスの女王が気まぐれに無能を奴隷にして弄んでいるようにしか見えない」


「なるほど、それは名案ですね。僕のプライドさえ犠牲にすれば、すべて丸く収まるわけだ」


「最底辺の置き石にプライドなんて高尚なもの、最初から無いでしょ」


手厳しい。だが、彼女が表舞台でエリート学生として君臨し、僕がその影に隠れてパシリのフリをしていれば、お互いの秘密が国にバレるリスクは最小限に抑えられる。


(これならひとまず安心だ。それにシュリさんの公認パシリになれば、むしろスクールカーストもあがるんじゃ? できればずっと、僕のそばにいて守ってほしいな──)


張り詰めていた緊張が解けたせいか、そんな甘えにも似た本音が、無意識のうちに思考の海へとこぼれ落ちてしまった。


その瞬間、シュリの首筋の紋章がピカッと妖しく明滅した。


「……へ? ちょっと、あなた今、心の中で何を願ったの?」


シュリが怪訝そうな顔をして、僕から一歩後ろへ下がろうとした、その時。


「くっ……!? な、何これ、首が、熱くて苦しい……っ!?」


彼女が突然喉元を押さえ、苦悶の声を上げる。慌てて僕が一歩近づくと、彼女の呼吸はスッと楽になった。


「嘘でしょ……一定距離以上、あなたから離れられないの……!?」


「ええと……どうやら僕の無意識の思考が、強力な命令として発動されちゃったみたいです」


「解除しなさい!」


「はい! すみません!」


僕が慌てて思考を切り替えると、シュリさんの首筋の光はすっと収まり、彼女は激しく咳き込みながらその場にへなへなと座り込んでしまった。


薄暗い訓練場に、彼女の荒い呼吸の音だけが小さく響く。


自由になったはずのシュリさんは、しかし立ち上がろうとはせず、自らの身体を両腕で抱きしめるようにして、小さく身を震わせていた。


乱れた金髪のツインテールの隙間から覗くその顔は、恥ずかしさと、それ以上の強い警戒の色で耳の裏まで真っ赤に染まっている 。


「あなた……分かっているの?」


地を這うような、かすかな声だった。


「何がですか、シュリさん」


「……『絶対遵守』よ。この紋章が刻まれた以上、あなたは私に、どんな命令だって下せるのよ。……例えば、そう、私の意志を完全に奪って、どんなことだって、その気になれば自由に……っ」


彼女はそこまで言うと、屈辱のあまり言葉を詰まらせ、ぎゅっと唇を噛みしめた。


学園一の女王として君臨し、誰よりも誇り高く生きてきた彼女だ。それが、僕のような無能の言葉一つで、指先一つ動かせない人形に変えられてしまうかもしれない。


その事実は彼女にとって、死を宣告されるよりも恐ろしく、恥ずかしいことに違いなかった 。

言われてみれば、その通りだった。


思考一つで、この強い少女をどうにでもできてしまう。その歪な可能性の重さに、背筋が寒くなった。


そんなこと、天地がひっくり返ってもしたくない。僕は床に膝を突き、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「シュリさん。僕は万年霊力ゼロの無能です。誰かを従えたい欲もなければ、シュリさんを傷つけるつもりもありません。それは誓います」


「……人間なんて、強大な力を手に入れればすぐに理性を失うものよ。綺麗事なんて信じられないわ」


「綺麗事じゃないですよ。僕はただ、誰の目にも留まらずに平穏に生き残りたいだけです。だから安心してください。絶対に、嫌がる命令は下しませんから」


僕がいつもの頼りない笑みを浮かべると、シュリさんはぽかんと僕を見た。それからすぐにいつもの表情を取り戻し、ふいっと顔を背ける。


「……ふん、当然よ。最底辺のパシリのくせに、私に気安い真似をしようとしたら、その瞬間に真空でペシャンコに潰してあげるところだったわ」


言葉は鋭いナイフのようだったけれど、紋章を通じて伝わってくる彼女の霊力は、驚くほど温かく、静かに落ち着きを取り戻していった。


カモフラージュ計画を実践する以前の問題として、僕たちの間にはとんでもない主従関係が発生してしまったようだった。



翌朝。学園の教室は、いつも通りの喧騒に満ちていた。


僕はいつも通り、窓際の死角の席で息を潜めていた。何事もなく、平穏に。そう願っていたのだが。


「……ちょっと、トウマ」


地獄の底から響くような低い声が、すぐ隣から聞こえた。


振り返ると、そこには首元に黒いレザーのチョーカーを巻いたシュリが立っていた。金髪のツインテールを不機嫌そうに激しく揺らし、手には自分の机と椅子をガタガタと引きずっている。


「シュリさん!? 何をしてるんですか、特進クラスのトップが僕の隣の席に……」


「うるさいわね! 離れようとすると首が絞まるんだから仕方ないでしょ! 文句があるならあなたの魂を呪いなさい!」


シュリは周囲の視線も気にせず、僕のすぐ隣に強引に席を設置し、ドカリと座り込んだ。


当然、教室中の全生徒の視線が僕たちに集中する。


「え? なんでシュリ様が無能の隣に?」


というヒソヒソ声が痛いほど突き刺さる。


「おはよ、トウマ。朝からなにが起きてるんだ?」


後ろの席から、いつもの眠たげな声がした。ハルトだ。彼は他人のアニマ自慢には目もくれず、いつも通り文庫本を開いている。


「おはよう、ハルト。これには海より深い事情があって……」


「そうか。まあ、僕の睡眠の邪魔にならなければ何でもいいよ」


ハルトのマイペースさに救われつつも、僕の胃はすでにストレスで千切れそうだった。


そして、最悪のタイミングで、トラブルの弾丸が僕の脳めがけて飛んできた。


「おいおいおい、何だよこれ。シュリ様の隣の席をキープか?」


嫌な薄笑いを浮かべて僕の机を叩いたのは、クラスメイトの遠藤だった。キープしているのはシュリの方なのだが。


背後には、昨日も測定室で見せびらかしていた炎のトカゲのアニマが、メラメラと火の粉を散らしながら威嚇している。


「遠藤さん、おはようございます。いや、これは僕が望んだわけではなくて、その……」


「あ? 詳しい理由は聞いてねえよ。お前みたいな無能がシュリ様の視界に入るだけで不愉快なんだわ。なぁ、お前も男なら、一度くらいアニマを召喚してみろよ」


遠藤はポケットから、学校支給の正式なアニマ召喚スクロールを引っ張り出し、僕の机に叩きつけた。


「ほら、これに霊力を込めろ。意地でもアニマを一匹ひねり出してみせろよ。できねえなら、今すぐその席を俺に譲れ」


「いや、それは困ります……」


本当に困る。僕がここで召喚をしようとすれば、なんらかの反応が起きてシュリとの不審な繋がりが全員にバレる。解剖ロードへまっしぐらだ。


「おい、無視してんじゃねえよ! 早く術を使え!」


遠藤が僕の腕を掴み、無理やりスクロールに触れさせようとする。トカゲのアニマが、ジリジリと僕の顔に熱風を吹き付けてきた。


(まずい、このままじゃ……!)


僕が身構えた、その瞬間。


バン!!


教室の空気を引き裂くような激しい音が響いた。


シュリが立ち上がり、自分の机を強く叩いたのだ。その琥珀色の瞳には、あの絶対零度の冷徹さが宿っていた。


「──いい加減にしなさい、不愉快な羽虫」


「え……っ? し、シュリ様……?」


遠藤の動きがピタリと止まる。トカゲのアニマもしょんぼりと頭を下げた。 シュリはツインテールを翻し、僕と遠藤の間に割り込むように立つと、クラス全員を見渡して冷酷に言い放った。


「勘違いしないで。私がこの男の隣にいるのは、単なる気まぐれよ。今日からこのトウマは、私のパシリです。私の許可なく、このゴミに触ることは一切許しません。──私の玩具を勝手に壊そうとする不届き者は、誰であろうと叩き潰します」


教室中が、凍りついたように静まり返った。


あの孤高の天才、クラスの女王であるシュリが、気まぐれで最底辺のトウマを奴隷にして弄び始めた。


周囲の人間たちの脳内に、そんな特大の誤解が急速に形成されていくのが分かった。


「……っ、そ、そういうことなら、邪魔して悪かったな!」


遠藤は顔を青くしてスクロールをひったくり、そそくさと自分の席へと逃げ帰っていった。


周囲の生徒たちも「マジかよ、トウマのやつ、シュリ様に目をつけられてパシリにされたぞ」と同情の眼差しを向けてくる。


昨日計画していたカモフラージュ(女王と奴隷の歪な関係)は、これで完璧に完成した。不自然に隣にいても、「シュリの気まぐれなイジメ」として片付けられる。


「……助かりました、シュリさん。作戦通りです」


僕が小声で感謝を伝えると、シュリはチョーカーの巻かれた首元を押さえ、顔を真っ真っ赤にして僕を睨みつけてきた。


「いいわけないでしょ、このバカ! あなたが心の中で『助けて、シュリさん!』って全力で叫ぶから、身体が勝手に動いたのよ! ──あーもう、本当に最悪! 私の輝かしい学園生活を返しなさい!」


シュリは恥ずかしさと屈辱でツインテールをめちゃくちゃに振り回しながら、再び僕の隣でドカリと座り直した。


こうして、周囲からは「女王と奴隷」、その実態は「最高位アニマと無能」という、僕たちのわけのわからない学園生活が幕を開けたのだった。

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