劣等生と優等生
神は人を作ったが、平等には作らなかった。ついでに言うなら、近代社会は人間の魂に『アニマ』なんていう目に見える成績表を設定しやがった。
人々の魂から具現化する使霊、アニマ。その強さによって最高Aから最低Eまでのランクがつけられ、それがそのままスクールカースト、ひいては将来の社会的地位まで左右する。それがこの、実に世知辛い格差社会のルールだ。
だからこそ、この学園の生徒たちは自分の力を誇示することに余念がない。
廊下を歩けば、すれ違う生徒の半分以上が己のアニマをこれ見よがしに出しっぱなしにしている。僕は体験したことないが、あれは疲れないのか?
背後に厳つい鎧を纏った人型を従える特進クラスの男、足元に半透明の猟犬のような動物型を走らせる女子。
それだけならまだマシな方で、中には身体の周りに水そのものを蛇のようにうねらせている奴や、怪しげな紫色のガス状のアニマを煙のように漂わせている不審者一歩手前の奴までいる。
彼らにとって、アニマを日常的に顕現させておくことは、高級外車を乗り回してマウンティングするようなものなのだ。
そんな百鬼夜行めいた光景を日常の一部として受け流しながら、僕は半期に一度の『アニマ測定』の順番を待っていた。ぶっちゃけ、僕にとっては公開処刑以外の何物でもない。
「おい見ろよ、遠藤のやつ、アニマをもうあそこまで具現化させてるぞ!」
「さすがBランク候補。来期のクラス編成では間違いなく特進クラスだな」
測定室の熱気は、僕の耳を右から左へと綺麗に通り抜けていく。
壇上では、クラスメイトの遠藤が誇らしげに胸を張り、その背後に炎を纏ったトカゲのアニマを出現させていた。
トカゲが威嚇するように口から小さな火の粉を吐き出すたび、周囲の生徒たちから歓声が上がる。素晴らしい。実に健康的で、実に順調なカースト上位の滑り出しだ。
「次、トウマ」
機械的に名前を呼ばれ、僕は静かに歩み出た。
その瞬間、測定室を包んでいた熱が一気に引き、代わりに冷ややかな失笑の波が押し寄せてくるのが分かった。周りでゆらゆらと揺れていた他人のアニマたちまで、心なしか僕をあざ笑っているように見える。
「おい、次は万年補欠だぞ」
「よく学校に来られるよな。Eランク以下って、もはや生物としてどうなんだよ」
聞こえよがしの陰口を完璧にスルーしながら、僕は測定器の前に立った。
指定された水晶体の台座にそっと両手を乗せる。意識を自分の内側へと向けてみるが、そこには相変わらず何もなかった。
手応えも、底も、壁すらない。まるで世界そのものにぽっかりと穿たれた、どこまでも深い暗闇の穴。それが僕の魂の形だった。
ピリリリリ、と無機質な警告音が鳴り響き、頭上の特大スクリーンに真っ赤な数字が表示される。
【霊力測定値:0(測定不能)】
「あはは! やっぱりゼロだ!」
「半年前から一歩も進歩してねえ! 逆に天才だろ!」
爆笑の渦が巻き起こる中、僕は表情を一切崩さず、測定の担当教官に向かって丁寧な一礼を捧げた。
「ありがとうございました。お手数をおかけしました、教官」
「あ、うむ……。お疲れ、トウマ」
教官は同情の目をこちらに向けた。
常に腰を低く、誰の目にも留まらないよう丁寧な敬語を使い、周囲の人間はクラスメイトだろうと全員「〜さん」と呼んで立てる。
これが僕のような最底辺が、この弱肉強食の学園で平穏に生き残るための生存戦略だった。
壁際への退避を完了すると、椅子の背もたれに限界まで深く寄りかかり、今にも眠りそうな目をしている少年がいた。唯一の友人であるハルトだ。
彼はこの学園において極めて稀な、日常的にアニマを出してイキるような真似を一切しない、僕と唯一気楽に話してくれるクラスメイトだ。
「相変わらず見事なまでの無だな、トウマ」
「はい、ハルトさん。今日も安定の結果です。もはや清々しさすら覚えますよ」
「……そのハルトさんっての、やめてくれっていつも言ってるだろ。ただの同級生相手にさんづけで話されると、逆にしんどい」
「あはは、すみません。つい癖になっていて。じゃあ、ハルト。今日も僕の力は綺麗な直線でした」
「いいんじゃないか。変動がないということは、ある意味で究極の安定だ。グラフにしたらただの平行線。ブレる奴ほど脆いからな。僕はその『何もなさ』を高く評価するよ」
「ありがとう。ただ、その評価で僕の社会的ステータスがミリも上がらないのが、この世界の悲しいところだけどね」
ハルトは小さな声で静かに笑い、再び目を閉じた。彼は僕を無能と見下さない、この砂漠のような学園における唯一のオアシスだった。
しかし、いくらこちらが気配を消して平穏を望んでいようとも、トラブルという名の弾丸は向こうから勝手に飛んでくる。
昼休み、購買の焼きそばパンを求めて渡り廊下を歩いていた僕は、運悪く他クラスの肉食獣たちに捕まってしまった。
「おい、ちょっと待ちなよ、測定値ゼロのトウマくん」
行く手を塞ぐように現れたのは、制服の着こなしからして自己主張の激しい三人組。一目でそれと分かる、上位クラスのエリート術者たちだ。中心にいる少年──確か一条という名前だったか──が、不敵な笑みを浮かべながら指を鳴らす。
その背後に、鋭い爪を持つ二足歩行の狼型アニマが、陽炎のように揺らめきながら姿を現した。
アニマにはそれぞれ主人の紋章が刻まれている。狼の腹には荒々しい読み取りづらい紋章。これがこの一条の契約印か。
廊下の狭いスペースで、誇示するようにアニマのプレッシャーをかけてくる。
「君のせいで、学年全体の平均霊力値が下がって僕たちの評価に響くんだよね。少しは反省の態度を見せてもらおうか?」
理不尽の極みである。ただ、ここで反論しても時間の無駄だ。
「これはすみません、一条さん」
僕は瞬時に思考を切り替え、物静かな笑みを浮かべて頭を下げた。
「僕のせいで一条さんたちの評価に障りが出てしまっているなら、本当に申し訳ありません。これからはより一層、皆さんの邪魔にならないよう気をつけて過ごしますので、今日のところは見逃していただけないでしょうか」
「は? 何だその態度は。馬鹿にしてんのか?」
おかしい。過不足のない丁寧な謝罪のはずなのに、一条の額に青筋が浮かんだ。狼のアニマが低く唸り声を上げ、その鋭い爪が僕の鼻先に突きつけられる。
アニマを出しっぱなしにしている奴というのは、どうしてこうも血の気が多いのだろう。
「口先だけの敬語なんか聞いてねえんだよ。少しは痛い目見ないと──」
「──騒々しいですね。私の視界の中で、身の程知らずな遠吠えを響かせないでもらえますか」
その場にいた全員の背筋が凍りつくような、冷徹極まりない、しかし同時にガラスの風鈴のように澄んだ声が廊下に響き渡った。
振り返ると、そこに立っていたのはまばゆい金髪をツインテールにした美少女だった。
学園一番の優等生であり、誰も寄せ付けない孤高の天才──シュリ。
揺れる金髪のツインテールと、すべてを見下すような琥珀色の瞳。その圧倒的な美貌と、周囲の空気を一瞬で掌握するような威圧感に、一条たちの動きが完全に止まる。
ちなみに彼女は、他の術者のようにアニマを常時出しっ放しにするような野蛮な真似はしない。出さずとも圧倒的、それが彼女のスタイルだった。
「な、シュリ……! お前、特進クラスのトップが、この無能を庇うってのか!?」
「庇う? 心外ですね」
シュリは一歩も動かず、ただ冷ややかに一条を見据えた。
「私はただ、私の歩く道を不愉快な羽虫が塞いでいると言っただけです。邪魔なので、消えてください」
「言うに事欠いて羽虫だと……! やれ、ウルフ!」
そんな単純な名前なのか。
一条が逆上し、狼のアニマがシュリへと飛びかかる。
しかし、シュリは眉一つ動かさなかった。彼女がすっと、白い指先を一条たちに向けた、その瞬間。
空間が、爆発的に歪んだ。
呪文の詠唱も、アニマが具現化する際の発光も一切ない。ただ、目に見えない絶対的な『何か』が放たれ、一条の狼アニマを正面から迎え撃った。
ドン!
大気が破裂したような重苦しい衝撃音が廊下に炸裂する。
「ぎゃあああっ!?」
次の瞬間、一条たちのアニマは文字通り一瞬で粉砕され、三人揃って派手に後ろへと吹っ飛んだ。床をゴロゴロと転がり、壁に激突して悶絶している。
『真空破』を使うと噂される彼女の姿の見えないアニマ。
これが圧倒的な実力の一端だった。いかんせんアニマが透明であるせいで、攻撃の軌道が読めない。校内のランク戦でも負け知らずの力だ。
「ひっ、ひいいっ……!」
「次はありません。這ってでも私の視界から消えなさい」
シュリの冷徹な宣告に、一条たちは恐怖に顔を歪めながら、文字通り這うようにして逃げ去っていった。その様子を見送りながら、僕は心の中で深く息を吐く。
「あの、ありがとうございました、シュリさん。助かりました」
僕が丁寧にお礼を言うと、シュリはゆっくりとこちらを振り返った。その瞳には、先ほどの一条たちに向けられたもの以上の、深い軽蔑の色が浮かんでいた。
金髪のツインテールが、彼女の不機嫌さを表すように揺れる。
「勘違いしないでください、トウマさん」
彼女は僕の名前を呼びつつも、その声音は絶対零度だった。
「私はただ、ゴミを掃除しただけです。あなたもその一部ですよ。あなたのような、霊力測定値がゼロの無能が同じ空間で呼吸をしていると思うだけで、虫唾が走るの。二度と私に話しかけないで。目障りですから」
「すみません。以後、気をつけます」
僕が再び頭を下げると、彼女はフンと鼻を鳴らし、去っていった。
完璧な優等生、配置されたカーストの頂点に立つ孤高の女王。そんな彼女を僕はひたすら卑屈に見送る。
放課後。日の暮れた旧校舎の一角にある、薄暗い訓練場。
すでに使われなくなって久しいこの場所は、埃っぽく、窓から差し込む夕日が寂しげな影を落としていた。
ここなら誰も来ないし、アニマを自慢し合う喧騒からも隔離されている。
「よし……やりますか」
僕はポケットから、怪しいネット通販で
「誰でも一週間でアニマが出せる!」
という胡麻化しのキャッチコピーと共に売られていた、格安の本を取り出した。
もちろん、こんなものでアニマが出るなら苦労はしない。僕の魂の内側にある、いや、なにもない空白で何ができるのか。
それでも、僕は毎日ここで泥臭い自主訓練を繰り返していた。何も出ない、何も起きない。
だけど、何もしなければ、本当にただの置き石で終わってしまう。そんな、僕なりの小さな足掻きだった。
「ふぅ……」
大きく深呼吸をし、本を構える。
いつものように、僕の奥底にある「空白のトリガー」を引き絞り、術式を展開しようとした。
集中。
しようとしたが、視界の端になぜかシュリさんが映った。なぜこんなところに?
その瞬間だった。いつもとは、明らかになにかが違っていた。
カチリ。
頭の中で歯車が噛み合ったような感覚。
内側の空白が、引き絞られたトリガーによって、僕の身体を突き抜けて外側の空間そのものを猛烈に吸引し始めたのだ。
「え……? あ、あれ?」
体が異常な熱を持ち始め、みしみしと音を立てる。
世界の法則が、決定的な計算ミスを起こしたかのように狂い始めていた。僕の意思とは無関係に、空間がぐにゃりと歪み、訓練場全体に凄まじい光の渦が咲き誇る。
「うわっとっと!? 待って、止まれ! ストップ!」
誰にというわけではないが、とりあえず叫ぶ。
しかし、叫んだものの、暴走した光の暴風は収まらない。空間そのものが無理やり抉り開けられ、そこから強大な圧力が噴出する。あまりの光量に目を瞑り、僕はただ嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。
ドガシャァァァン!!!
劇的な破裂音と共に、何かが天井近くの空間から床へと派手に落ちてきた。
激しい砂煙が舞い上がり、僕は激しく咳き込みながら本を放り出す。ほぼ炭になっていたが。
「ゴホッ、ゴホッ! な, 何が起きたんだ……?」
恐る恐る、薄れていく砂煙の向こうに目を凝らす。
そこには、床に四つん這いになり、荒い息を吐いている人物がいた。
乱れた制服の襟元を押さえ、信じられないものを見る目で自分の手を見つめている。
夕日に照らされたその鮮やかな金髪のツインテールは、見間違うはずもない。昼間には澄ました顔をしていたはずのシュリだった。
「え? シュリさん……? なんでここに……」
「あ、なた……何を……私に、何をしたの……っ!─」
彼女がゆっくりと顔を上げた。その顔は、昼間の冷徹な仮面が完全に剥がれ落ち、真っ赤になって絶望と怒りに震えていた。
「いや、僕は訓練をしていただけなんですけど……その、大丈夫ですか? なんでここに?」
言い訳をしながら、僕は彼女の姿に目を奪われた。
乱れた金髪の隙間から覗く、細く白い彼女の首筋。
数秒前まで何もなかったはずのその場所に、鮮烈な光を放つ幾何学的な紋章が浮かび上がっていた。
それはアニマの契約において、絶対に覆ることのない主従の証明。
誰かの所有物であることを示す──『絶対遵守の紋章』だった。
「え……? なんで紋章が首に……?」
「うるさい! 見ないで! 殺すわよ、この最底辺の無能が!」
「ちょ、落ち着いてください」
「うるさ──ひゃんっ!?」
僕を睨みつけながら立ち上がろうとしたシュリが、突然妙な短い悲鳴を上げて、その場にへなへなと座り込んでしまった。
……僕が落ち着いて、と言ったから?
「あ、あの、落ち着いてください、シュリさん。何が起きたのか僕にも分からないんです」
「落ち着けるわけがないでしょう!? 私が、こんな、アニマすら出せない人間に──って、体、が……っ!?」
やはり、僕の「落ち着いてください」という言葉に反応したのか、シュリは顔を真っ赤にしたまま、借りてきた猫のように大人しく背筋を伸ばして正座してしまった。
その瞳には、屈辱と、信じられないという大混乱の涙が浮かんでいる。金髪のツインテールが情けなくしょんぼりと垂れ下がっていた。
「もしかして、シュリさんって人間じゃなくてアニマだったんですか?」
「……そうよ」
その答えに、僕はただ、唖然とするしかなかった。
無茶苦茶な主従関係が、ここに結ばれたのだ。




