拒絶の結晶
二日間にわたって繰り広げられた大ランク戦──『御前試合』は、ついにそのカーストの頂点を決める最終局面、決勝戦の時刻を迎えていた。
スタジアムを埋め尽くす数万人の熱気と絶叫は、これまでの予選の比ではなかった。
中央の教育委員会からやってきた視察団の重鎮たちも、天幕の張られた特別席から身を乗り出し、これから始まる最高位の戦いを鋭い目で見下ろしている。
南ブロックの最上段、いつもの日陰の席で、僕はゴクリと唾を飲み込んでフィールドを注視していた。隣のハルトは、相変わらず文庫本を開いたままだが、その下でうっすらと顕現させたブックのページは、かつてないほどの速度で幾何学的な数式を自動記述し続けている。
「……始まったな、トウマ。地下の吸着陣の出力が最大値に達している。スタジアム中の全生徒から削り取られたなけなしの霊力が、一本の太い激流となってフィールドの東側に流れ込んでいるよ」
ハルトが本に目を落としたまま、低く張り詰めた声で囁く。
僕の奥底にある空白の魂にも、スタジアム全体を覆う霊力の澱んだうねりが、かすかな地鳴りのように伝わってきた。
僕自身には一切の影響もないが、周囲の生徒たちは、興奮による疲労だと勘違いしたまま、自身の魂のエネルギーを根こそぎ吸い上げられているのだ。
その歪なエネルギーの終着点である東側の入場ゲートから、ゆっくりと姿を現したのは神代だった。
彼女の周囲には、普段の数倍の大きさに膨れ上がったクリスタル製の蝶が、おびただしい数の群れを成して乱舞していた。
その輝きはまばゆいほどに鋭いが、どこかどす黒い、他人の悪意と羨望を煮詰めたような不気味な光を放っている。
神代の右手、その中指に嵌められた銀色の『霊力ブースター』の指輪は、流れ込む膨大な霊力を受け止めきれず、今にも砕け散りそうなほど激しく明滅していた。
他人の霊力を無理やり注ぎ込まれた彼女の顔は、勝利への確信と過剰なエネルギーへの全能感で、酷く歪んでいる。
対する西側のゲートから入場してきたシュリは、いつも通りの、凛とした孤高の美しさを保っていた。
まばゆい金髪のツインテールを風に揺らし、琥珀色の瞳で神代を冷酷に見据える。首元の黒いチョーカーは、彼女が背負う秘密と誇りを守るように、しっかりと巻かれていた。
「──さあ、泣いても笑ってもこれが最後! 特進クラスの誇る二大姫、いえ、二大女王による頂上決戦の始まりだぁぁ!!」
新聞部が完全に占拠しているはずの実況ブースから、副部長の煽るような絶叫がスタジアム中に響き渡る。
彼らは今、この華やかな舞台の裏で、学園長の「実績偽装」の決定的な証拠を裏の回線へ必死に焼き付けているはずだ。
「さあ、始めましょうか、シュリ。私がこの学園の、本当の頂点であることを証明してあげるわ!」
神代が狂ったように叫び、右手を前方に突き出した。
その瞬間、彼女の背後に控えていたクリスタル蝶の群れが、キィィィンという鼓膜を突き刺すような高周波の羽音を立てて、一斉にシュリへと襲いかかった。
一匹一匹が、銃弾以上の速度と質量を持った結晶の塊だ。
「耳障りよ、ガラス細工」
シュリは眉一つ動かさず、スッと右手を横に一閃した。
放たれたのは、空間の空気を一瞬で消滅させる『真空破』。大気圧の激突による目に見えない衝撃の壁が、迫り来るクリスタル蝶の先頭集団を正面から迎え撃ち、粉々に粉砕する。
いつもなら、その一撃で勝負は決していたはずだった。
しかし、砕け散った結晶の破片は霧散することなく、神代の指輪から溢れ出るどす黒い霊力に引かれるようにして、空中で不気味に再結合を始めた。
「無駄よ! 今の私の霊力は、無限なのよ!」
神代が指輪を掲げると、地下の吸着陣からさらに莫大な霊力の奔流が彼女へと流れ込む。クリスタル蝶はさらに巨大な、一頭の猛翅へと姿を変え、スタジアムの天井を覆わんばかりの威容でシュリを見下ろした。
だが、その圧倒的な出力の裏で、決定的な破滅の足音が近づいていた。
キギ、ギチギチギチ……!
突如として、スタジアムのフィールド全体に、ガラスにヒビが入るような、嫌な軋み音が響き渡る。
神代の背後に浮かぶ巨大なクリスタル蝶の身体が、不自然に波打ち、青白い光の中にどす黒い斑点が急速に広がっていく。
「──え? あ、あれ……? 私の、蝶が……?」
神代の全能感に満ちていた顔が、一瞬で狼狽へと変わった。
他人の、それも数千人分の属性も波長もバラバラな霊力を、ろくな濾過もせず力技で限界まで注ぎ込まれたのだ。
純粋な結晶の属性を持つ彼女のアニマが、その澱んだ混ざり物のエネルギーに耐えきれず、致命的な拒絶反応を引き起こし始めていた。
「アニマの霊力許容量を超えている……。器が耐えきれずに、拒絶を起こしているんだ」
隣の席で、ハルトがブックのログを見つめながら鋭く呟いた。
「神代の指輪の制御弁が壊れてる。地下からの霊力の供給が止まらないんだ。このままだと、他人の霊力と彼女自身のアニマが、内部から激しく衝突して──自爆するぞ」
ハルトの警告がフィールドに届くよりも早く、最悪の暴走が始まった。
「いやぁぁ! 身体が、アニマが、言うことを聞かない!」
神代が頭を抱えて絶叫する。
彼女の指の『霊力ブースター』が限界を超えて黒く変色し、そこからパチパチと禍々しい火花が散る。制御を完全に失った巨大なクリスタル蝶は、苦しむようにフィールドの障壁を激しく叩き、その巨体を自ら引き裂くようにして狂乱し始めた。
ピキィィン!
凄まじい破裂音と共に、クリスタル蝶の巨大な羽の一部が、内部からの霊力圧力に耐えかねて爆散した。
それは綺麗な光の粒子にはならなかった。制御を失い、凶器へと変貌した鋭利な結晶の破片が、散弾銃のように四方八方へと猛烈な速度で弾け飛ぶ。
「ひっ……!?」
「結界が、破片を止めきれてないぞ!?」
スタジアムを囲んでいたはずの防衛結界が、地下の吸着陣の歪みのせいで本来の出力を出せず、鋭い結晶の嵐を透過させてしまったのだ。
数万人の観客席に向かって、文字通り人間を容易に突き刺し、切り裂くほどの、巨大なクリスタルの刃の嵐が、容赦なく降り注ぎ始めた。
悲鳴と怒号が、一瞬にしてスタジアムを支配する。
カーストの頂点を決めるはずの華やかな御前試合は、たった一瞬にして、全員が閉じ込められた、血塗られた熱狂の檻へと変貌しようとしていた。




