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不可視の奔流

シュリが圧倒的な秒殺劇を終えて退場ゲートの向こうへ消えた後も、スタジアムの地響きのような熱狂はしばらく鳴り止まなかった。


実況の声は興奮で割れ、観客席の生徒たちは隣の席の連中と肩を組みながら、シュリの強さを称え合っている。


フィールドではすでに次の試合の準備が始まり、教員の従える巨人のようなアニマが削れた石畳を忙しなく修復していた。


そんな喧騒の渦中にあって、僕たちのいる南ブロックの最上段だけは、まるでエアポケットのように不自然な静けさを保っている。


「……トウマ。さっきのシュリ様の試合、やっぱり少しおかしかったな」


ハルトが膝の上の文庫本からようやく完全に視線を上げ、手元の空間をじっと見つめた。その表情はいつもの眠たげなものとは違い、観察者のそれ特有の、鋭く硬質な光を帯びている。


「おかしかった、というと?」


「彼女の『真空破』の精度自体には狂いはなかった。だが、放たれた霊力の数パーセントが、着弾する前に霧散している。いや……霧散じゃない。何かに引かれていたんだ」


ハルトは周囲の生徒たちが下のフィールドに夢中になっているのを確認すると、自分の制服の上着の内側に隠すようにして、ブックを静かに顕現させた。


半透明の古書がパラパラと音を立てて開く。


ハルトはその白紙のページに向かって、自身の首筋から抽出したごく微量の霊力を注ぎ込んだ。


すると、ページの隙間から、しおり型のアニマ、マーカーがずるりと這い出てくる。


「マーカー、このスタジアムの床に流れる霊力の波形を、探知してくれ。どこに何が繋がっているのか、その流れを突き止めるんだ」


ハルトの言葉に呼応し、マーカーの薄い身体が青白く発光した。


しおり型のアニマは、僕たちが座っているコンクリートの座席のわずかな亀裂へと吸い込まれるようにして、ずるずると地下へ潜り込んでいく。


ハルトのような潤沢な霊力を持つ主人が本気で使役すれば、建造物の構造や、そこに流れる霊力といったことまで記録として高速で引き出すことができるんだろう。


一分もしないうちに、ハルトのブックの白紙のページに、幾何学的な図形や不気味な文字列が、生き物のように恐ろしい速度で自動記述され始めた。


「……これは、想像以上に悪質だな」


記述されていく記録を凝視しながら、ハルトの声が一層低くなった。


「何が分かったんだ?」


「数日前、お前が特別棟の倉庫で目撃したあの指輪の件──学園長の裏帳簿にあったあの図面が、今このスタジアムの地下で完全に機能している」


ハルトはブックのページを指先でなぞりながら、そこに浮かび上がったスタジアムの透視図のような光の線を僕に見せた。


「『霊力循環吸着陣』。スタジアムの座席すべてに、肉眼では見えない微細な霊力の吸引孔が設置されている。

観客席の生徒たちが興奮して声を上げたり、アニマを解放して霊力を高めたりするたびに、その余剰エネルギーがこの吸着陣によって無意識のうちに、ごく微量ずつ強制的に吸い上げられているんだよ」


図面を見ると、数万人の観客席から伸びる無数の細い霊力のラインが、まるで血管のように地下で一本の太い幹へと収束していた。


そしてその幹は、フィールドの特定の待機エリア──神代たちが控えている一軍の特等席へと真っ直ぐに繋がっている。


「要するに、このスタジアムにいる数千人の生徒の魂、霊力は、特定の『お気に入り』を輝かせるための使い捨てのバッテリーに過ぎないわけだ」


ハルトの淡々とした解説を聴きながら、僕は自分の手のひらを見つめた。


この学園のスクールカーストは、生まれ持った霊力の強さで決まる。


けれど、まさかその持たざる者たちのなけなしの霊力まで、上位の連中の実績作りのためにシステム的に搾取されているとは思いもしなかった。


あまりにも世知辛く、吐き気のするような合理性だ。


「大丈夫か?」


ふいに、ハルトがブックの記述の手を止め、怪訝そうに眉をひそめた。


「なにが?」


「フィールドの中心に向かって、観客席全員の霊力が川のように吸い上げられている。……現に今も、僕の霊力は微量だけど、この座席を通じて地下の陣へと確実に持っていかれてる。削り取られるような不快な感覚があるんだが」


ハルトはそう言って、僕の顔をじっと覗き込んできた。その鋭い目が、僕の全身の霊力波形を観察するように細められる。


「……トウマ。お前は、大丈夫そうだけど。何の揺らぎも起きていない」


「え? ああ……うん。僕は元々、測定値ゼロだからね。吸い上げられるような霊力自体が、最初から存在しないからじゃないかな」


僕は苦笑いを浮かべながら、いつもの無能としてのカモフラージュを演じた。


だが、心の中では、まったく別の静かな戦慄が走っていた。


ハルトの言う通り、僕の身体には何の違和感も、削り取られるような不快感も一切なかった。


けれどそれは、僕に「霊力がないから」ではない。僕の魂の本質──むしろマイナスの引力が、地下の吸着陣の吸引力と真っ向から相殺している、あるいは、僕の穴があまりにも深すぎて、学園長の設置した巨大なシステム側の触手すら、僕の領域に干渉できずに弾かれているのだろう。


もちろん、そんなことをハルトに説明するわけにはいかない。彼は自分から記憶を消してくれたのだから、この秘密は墓場まで持っていかなければならない。


「まぁ、お前に害がないなら、それに越したことはないがな」


ハルトはそれ以上深くは追及せず、潜り込ませていたマーカーをそっとブックの中へと回収した。

半透明の古書が音もなく消え去り、スタジアムの狂騒が再び僕たちの鼓膜を叩く。


フィールドの大型モニターには、次の試合に向けて優雅に髪をかき上げる神代の姿が、大写しになっていた。


彼女の指先には、あの薄暗い倉庫で手に入れていた銀色の『霊力ブースター』が、周囲の熱狂を貪り食うようにして、ギラギラと妖しい光を放ち始めている。


アーカイブを手に入れたがっているシュリと、全校生徒の魂をハッキングしてでも完璧な存在を作ろうとする学園のシステム。


その歪な歯車が、週末のスタジアムの裏側で、確実に、そして最悪のタイミングに向けて噛み合い合おうとしていた。

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