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不貞腐れる爆弾

学園中が週末の『御前試合』に向けて沸き立っている中、放課後の図書室だけは、まるで時間の流れが取り残されたかのように静まり返っていた。


窓から差し込む斜陽が、静かに埃の粒子を照らし出している。


外の廊下からは、未だに「あのアニマの術式がどうだ」「カースト上位の特等席を奪い取ってやる」といった血気盛んな声が遠く響いてくるが、それもこの分厚い木の扉に遮られれば、ただの心地よいBGMに過ぎなかった。


僕とハルトは、いつも通り図書委員のカウンターに並んで座り、返却された本のバーコードを機械的に読み取っていた。


「……なぁ、トウマ。一応確認だけど、お前は観客席のどのブロックの入場証を配られた?」


ハルトが、手元の文庫本から目を離さずに聞いてきた。


彼の背後には、薄型の本のようなアニマ『ブック』がうっすらと浮かび、僕たちの作業データを恐ろしい精度で記録し続けている。


「僕は南ブロックの端っこ、一番日陰になる席だよ。ハルトは?」


「同じく南の最上段。コートからは一番遠いが、風通しが良くて昼寝には最適な場所だ」


僕たちは顔を見合わせ、満足げに小さく頷いた。


戦闘能力を持たない僕たち不参加組にとって、御前試合という名のカースト戦争は、ただの「ちょっと騒がしい週末の行事」でしかなかった。


周りの連中がランクアップの恩恵──学食のメニューや将来の進路──に目の色を変えていようとも、僕たちのグラフはどこまでも綺麗な平行線。観客席の隅で大人しくポップコーンでも食べながら、嵐が過ぎ去るのを待つ。それが、僕たちの揺るぎない生存戦略だった。


一応ランクを上げる方法が定期テストやその活動でいくらでもある。怪我の危険性の高いランク戦に心血を注ぐ必要性はないはずだ。


そんな僕たちの完璧な平和計画に、突如として不協和音が混ざり込んできた。


「あーあ! つまんない! 本当につまんない! 世界ってどうしてこんなに理不尽に満ち溢れてるんだろうね!?」


閲覧席の長い机に、文字通り突っ伏して泥のように伸びている女子が一人。


ショートカットの髪を元気に跳ね上げ、制服のネクタイを緩めきったクラスメイト──ミナだった。

彼女の目の前の机の上では、半透明のアメーバ状のアニマ『アメちゃん』が、主人の機嫌と完全に同期して、ベチャ、ベチャ、と締まりのない音を立てながら、不気味に、かつ力なく弾んでいた。


「ミナさん、さっきからずいぶん床と同化しそうな勢いで不貞腐れてますね」


僕がカウンター越しに声をかけると、ミナは首だけを九十度横に回し、恨めしそうな目でこちらを睨みつけてきた。


「不貞腐れもするよ! だってさ、学園の一大イベントだよ!? 全校生徒がアニマを出して合法的に大暴れしていいお祭りなんだよ!? なのに、なんで私だけがこんな薄暗い図書室で、トウマくんたちの地味なバーコード読み取り作業を眺めてなきゃいけないわけ!?」


「なんでって……公式に『出禁』を喰らったからでしょう」


ハルトが、冷淡極まりない声で事実を突きつけた。


「そうだよ! 風紀委員会から直々に『御前試合期間中におけるスタジアムおよび周辺敷地への立ち入りを一切禁ずる』って、真っ赤な警告状を叩きつけられたんだよ! ひどくない!? これって明確な差別だよ! 私の輝かしい人権が侵害されてる!」


ミナはバタバタと机の上で手足を暴れさせ、アメちゃんをボヨボヨンと派手に跳ね散らかした。


「いや、人権の問題じゃなくて、自業自得だと思うよ。前回の旧校舎の美術倉庫の一件、忘れたわけじゃないだろ?」


僕の脳裏に、あの時の恐ろしい光景が蘇る。ミナが「シュリとトウマの秘密を暴く」という純粋な、かつサイコパス的なお節介のために古代の石像を外から操り、結果として校舎の一角を半壊させたあの事件だ。


「忘れるわけないじゃん! 私の可愛いアメちゃんが、最高の出力を叩き出した記念すべき日だよ!?」


ミナは上半身を勢いよく起こすと、両手を広げて大真面目な顔で主張し始めた。


「あーあ、せっかくアメちゃんでスタジアムの砂を全部躍らせようと思ったのにー。今回の御前試合、中央の偉い人たちも来るんでしょ? 会場の砂を全部スライムみたいにドロドロにして、特進クラスのイキリ連中をアリ地獄よろしく、まとめて底なし沼に沈めてあげたら、絶対盛り上がったのに!」


(……出禁にしておいて本当によかったな、風紀委員会)


僕は心の中で、名前も知らない風紀委員長に向かって深い敬意の礼を捧げた。


もし彼女がスタジアムに一歩でも足を踏み入れていたら、中央の視察団の前で、学園の歴史に残る大惨事が勃発していたに違いない。


ミナの脳内にはカーストなんて概念は実装されていないが、代わりに「面白ければ全てよし」という、非常に危険な思想が標準装備されているのだ。


「それにさー!」


ミナはさらに唇を尖らせ、僕をビシッと指差した。


「あの件、私一人で責任かぶったんだよ!? トウマくんもシュリ様も、何食わぬ顔で教室に戻っちゃうし! 私は風紀委員室で三時間も『アニマの出力と精神の安定性について』っていう、すっごく眠くなるお説教を聞かされたんだからね!」


さも自分が悲劇のヒロインであるかのように胸を張る天災児。


僕は手に持っていた本のバーコードをピッ、と冷徹に読み取ると、静かに彼女を見据えて言った。


「いや、あれは全責任ミナさんのせいでしょ」


「冷たい! トウマくんの突っ込みが、いつにも増してナイフみたいに鋭い!」


ミナはわざとらしく胸を押さえて椅子の背もたれにのけぞったが、すぐにまたケラケラと楽しそうに笑い始めた。本当に、反省という言葉がこれほど似合わない人類も珍しい。


「まあ、普通に考えて、風紀委員のブラックリストの最上段に君の名前が刻まれているのは当然の結果だよ」


ハルトが文庫本のページをめくりながら、淡々と追撃をかける。


「君のアニマ『アメちゃん』は、君のテンションに比例して出力が跳ね上がる流体型だ。数万人の観客が叫ぶスタジアムなんていう、脳汁の供給源みたいな場所に君を放置したら、今度は校舎どころか学園の敷地そのものが地図から消える。学園長たちの心臓を守るためにも、君の隔離は極めて妥当なリスク管理さ」


「ハルトくんまでそんな真面目な顔で責めてくる〜! 本としおりの地味アニマコンビのくせに、生意気だぞー!」


ミナはぶうぶうと文句を言いながらも、ハルトの『ブック』の間に器用に挟まって大人しくしている新しい使霊──しおり型のマーカーちゃんを指先でツンツンと突いた。


マーカーちゃんはハルトの霊力を得てすっかり元気になり、嬉しそうにハルトの肩のあたりでパタパタと揺れている。


「地味で結構。僕たちはこの地味な本としおりで、週末は静かに読書三昧さ。なぁ、トウマ」


「うん。それが一番だよ」


僕は微笑みながら応じた。


ミナがどれだけ不貞腐れていようとも、ハルトがどれだけマイペースに本を読んでいようとも、この空間にあるのは、僕がずっと望んでいた「平穏」の形そのものだった。


視線をふと、図書室の窓際の席へと向ける。


いつもなら、そこに女王様が座り、僕をパシリとして監視しているはずだった。だが、今日の放課後、シュリの姿はここにはない。


朝、教室で御前試合のパンフレットを見つめていた時の、あの彼女の張り詰めた横顔。


優勝特典の「全アーカイブ」という文字を目にした瞬間に、彼女の琥珀色の瞳の奥に宿った、あの迷子のような切実な揺れが、どうしても僕の胸の奥に引っかかっていた。


(シュリさん、今頃、特進クラスの専用訓練場で、一人で練習でもしてるのかな……)


誰にも頼らず、誰にも弱みを見せず、ただ一人でカーストの頂点に立ち続けようとする彼女。


僕には彼女を助けるようなプラスの霊力もないし、週末の試合では、ただの観客席の置き石として彼女を見送る約束だ。


余計な秘密には首を突っ込まないのが、僕の生存戦略のはずだ。


「……トウマ、手が止まってるぞ。平行線がブレてる」


ハルトの静かな指摘に、僕はハッと我に返った。


「あ、すみません。ちょっと考え事をしていて」


「そうか。まあ、僕の睡眠の邪魔にならなければ何でもいいけどな」


ハルトはそれ以上深くは追及せず、再び自分の世界へと戻っていった。


ミナもアメちゃんをマスコットのように弄びながら


「ねえねえ、週末は私の代わりに学食の限定プリン買ってきてよ〜」


と、お気楽な要求をぶち上げてきている。


窓の外では、夕日がゆっくりと地平線に沈み、穏やかな夜の影が学園を包み込もうとしていた。


嵐の前の、あまりにも静かで、少しだけ歪な放課後の日常。


この日常が、すぐに崩れ去ることになるとは思いもしなかった。

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