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女王の矜持

放課後の喧騒が遠ざかった夜の自室で、シュリは窓外に広がる街の灯りを見つめていた。


ガラス窓に映る自分の姿は、いつもと変わらない。完璧に整えられた金髪のツインテール、すべてを見下すような琥珀色の瞳。


だが、その華奢な首元を覆う黒いレザーのチョーカーだけが、現在の彼女が抱える「歪な秘密」を雄弁に物語っていた。


シュリがそっとチョーカーの表面に指先を触れると、皮膚の裏側からかすかな熱が伝わってくる。あの霊力測定値ゼロの少年──トウマによって刻まれた『絶対遵守の紋章』の残熱だ。


本来であれば、アニマである自分が人間の、それも最底辺のパシリに縛られるなど屈辱以外の何物でもない。


しかし、現在の彼女の胸中を占めていたのは、その契約への怒りではなく、数日前に学園長室の重厚な扉の向こうで交わされた、不愉快な男との対話だった。


学園長──この学園の頂点に君臨し、すべてのカースト制度を牛耳る男。その男は、御前試合の告知が出される一歩手前の放課後、シュリを秘密裏に呼び出したのだった。


「今回の御前試合は、我が学園の未来を左右する極めて重要な舞台だ。中央の教育委員会から、そうそうたる重鎮たちが直々に視察へやってくるからね」


応接ソファに深く腰掛けた学園長は、高級な紅茶の湯気の向こうで、細い目をさらに細めて歪な笑みを浮かべていた。


その手元には、特進クラスの生徒たちの詳細な霊力データが並べられていた。


「教育委員会の連中は、凡庸な秀才が群れている光景など見飽きている。彼らが求めているのは、圧倒的な『天災』だ。中途半端なAランク候補がたくさん並ぶよりも、誰も寄せ付けない圧倒的な強者が数人、完璧な勝利を収める方が、学園のブランド価値としては遥かに受けが良いのだよ」


男の言葉は、洗練された教育者の仮面を被ってはいたが、その本質はただの打算と利権の塊だった。


学園長は、シュリの背後に浮かぶ「姿の見えないアニマ」の噂──実際は彼女自身が放つ真空の霊力──に目をつけ、彼女を学園の完璧な広告塔として利用しようとしていた。


「そこでだ、シュリくん。君には確実に、そして圧倒的な無双劇を演じて優勝してもらいたい。そのための便宜なら、いくらでも学園側で用意させてもらう。中央の重鎮たちの前で、君の価値を最高値で証明してみせようじゃないか」


学園長が仄めかした便宜の正体を、シュリはその場で完全に理解したわけではなかった。


だが、その傲慢な男の瞳の奥に蠢く、どす黒い小細工の気配だけは、最高位アニマとしての彼女の野生の直感が敏感に察知していた。


普段のシュリであれば、その場で部屋の空気をすべて引き絞り、男ごと空間を圧潰して立ち去るところだった。


しかし、その時の彼女は、突き出された男の手を即座に払うことができなかった。


学園長が、最後の報酬として提示した条件が、あまりにも魅力的すぎたからだ。


「協力してくれるなら、優勝者特典である学園の『全アーカイブ』の閲覧権……あれを、君の望む形ですぐにでも提供しよう。君が何かの情報を血眼になって探しているのかは聞いている。効率的な取引だと思わないかね?」


全アーカイブ。


その単語が鼓膜を叩いた瞬間、シュリの心臓は激しく波打った。


そこには、学園が創立されてから現在に至るまでの、あらゆる記録が眠っている。隠蔽された事件、不自然に抹消された在籍データ、そして──彼女が何年もの間、人間の街を彷徨い、屈辱に耐えてまで探し続けている「失踪した前の主人」の行方。


(あそこに行けば、あの人の記録があるかもしれない。なぜ私を置いて消えてしまったのか、その理由が分かるかもしれない)


胸の奥から湧き上がる切実な渇望が、一瞬だけ彼女の足元を狂わせた。目的のためなら、手段を選んでいる余裕などないはずだった。


この薄汚い人間の小細工に形だけでも乗り、確実にアーカイブの鍵を手に入れるべきではないのか、と。

だが──。


激しい葛藤の末に、シュリの脳裏に浮かんだのは、かつて自分を慈しみ、正しく気高くあることを教えてくれた、あの主人の穏やかな笑顔だった。


そして同時に、どれだけ周囲から罵られようとも、卑屈な笑みの裏で一歩も退かずに泥臭い自主訓練を繰り返していた、あの測定値ゼロの少年のまっすぐな目だった。


「お断りします、学園長」


シュリは立ち上がり、絶対零度の冷徹な視線で、机の向こうの男を射抜いた。


「そんなくだらない小細工の手を借りずとも、私は最初から私の実力だけで、その場にいるすべての羽虫をねじ伏せるわ。私の誇りを、あなたのような打算の塊で汚さないでくれるかしら」


「……シュリくん、君は自分が何を言っているのか分かっているのかね? これは学園の方針であり──」


「耳障りよ、退きなさい」


シュリは学園長の言葉を完全に遮ると、一言の弁明の余地も与えず、音もなく部屋を後にした。それが、数日前に起きた、誰にも明かしていない裏の真実だった。


現在、自室のベッドに腰掛けたシュリは、小さくため息をついて膝を抱え込んだ。


あの時、学園長の誘いを一蹴したことに後悔はなかった。アニマとしての矜持が、何より彼女自身の魂が、不正なサクラに加担することを許さなかった。


しかし、御前試合が近づくにつれて、胸の奥を焦がすような不安が、じわじわと彼女の心を侵食していく。


もし、自分の実力が届かず、あのアーカイブに辿り着けなかったら。


もし、学園長が裏で他の誰かと手を組み、自分をカーストの頂点から引きずり落とすような罠を仕掛けてきたら。


その時、自分は本当に、あの人の手がかりを永遠に失ってしまうのではないか。


「……バカみたい。私が不安になるなんて、らしくないわ」


シュリは濡れたように光る琥珀色の瞳を隠すように、膝の間に顔を埋めた。 この秘密を、トウマに話すつもりは毛頭なかった。


彼はただのパシリであり、巻き込まれた一般人に過ぎない。自分の過去の因縁や、学園長との裏の取引なんていう重苦しい問題を打ち明けて、彼に余計な負担をかける必要はどこにもない。


何より、霊力ゼロの彼に話したところで、何が変わるわけでもないのだから。


そう自分に言い聞かせながらも、彼女の脳裏には、昨日のお風呂場での騒動の後、自分のために温かいミルクティーを淹れてくれたトウマの物静かな笑顔が、どうしても消えずに残り続けていた。


「私は、一人で戦うのよ。……これまでも、これからも」


誰にも頼らず、誰にも弱みを見せず、完璧な女王として舞台に立ち、実力でアーカイブを奪い取る。


シュリは胸の奥の孤独と決意を、誰にも言わずに深く、深く抱え込んだまま、静かに夜の闇の中へと意識を沈めていくのだった。

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