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小さな国だった物語~  作者: よち


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85/218

【85.問い】

西の空が増していく赤を受け入れる頃、スモレンスク城の都市城壁の東側には、トゥーラとの決戦に向かった末に、敗れて戻ってきた兵士たちの姿がそこかしこに固まっていた。


総ての者が、戦闘に参加することなく、敗戦の報を耳にして一目散に西へと逃げ出した者達である。


「暫く、待機だってよ」


輜重隊の護衛の任務に就いていた者たちは、少なからず戦闘経験があって、体力もあった。

故に林の向こう、東の方から聞こえてきた敗戦の報を耳にすると、率いてきた荷車から食料を掠め取り、昼夜を問わず足を動かして、一部の者に至っては馬を駆って僅か二日間でスモレンスクへと戻ってきたのである。


「口封じって事か?」


届いた通達に、一人の兵士が意図を見抜いて口にした。


「こんなに早く戻って来るとは、思わなかったって事だろ?」

「まあ、そうだろうな」

「こんな事なら、急いで戻らなくても良かったぜ」


勝って、意気揚々と全軍での凱旋を果たす――


約一週間前、東へと向かう際には、勝敗の行方すら考える事をしなかった。


配置が輜重隊だった事もあり、命の危険は殆ど無いと予測して、ちょいと十日ほど出掛けてくる。そんなつもりだったのだ。


「おい、お前ら」


そんな数人が固まっているところへ、赤い腕章を右腕に巻いた、四人の憲兵隊が見回りにやってきた。


「はい。何でしょう?」


ピタリと雑談が収まって、緊張の空気が身体に纏う。


憲兵隊に睨まれる事があっては、この先の人生をも左右しかねない。

一人の男が、思わず立ち上がって声を開いた。


「滅多な事は、言うんじゃねえぞ!」

「は…」

「べらべら喋るんじゃねえって言ってんだ! 変な噂が立っちまったら、俺達が忙しくなるんだよ。分かったか?」

「は!」

「城門を潜っても、話して良いのは言われた事だけだ。分かったな」

「了解であります!」


直立不動になった男は、徴兵の初日に挨拶から叩き込まれる新兵のようになって、意図するところを汲むのだった。


「お前らも、分かったな」

「ハ、ハイ」


別の憲兵が睨みを効かせて同意を求めると、硬直して地面に腰を下ろしたままの男たちは、恐怖に満ちた声を各々が発した。


「だいたい、本当に負けたのか? 信じられん」

「……」


全軍を挙げての出陣だった筈なのに、あっという間に敗北を謳って戻ってきた。


コイツら、本当に戦ったのか?


そう思わせる程に、談笑している幾人もの帰還兵は、無傷であったのだ。


「実際は、未だ戦っているんじゃないのか?」

「そうなれば、お前らは脱走兵だな」

「……」


ドキリと、胸が鳴る。

そうなのだ。この目で確かめた訳ではない。


一斉に羽ばたいた鳥の群れを、襲撃だと勘違いして敗走したなんて話もあるくらいだ。


仮に敗戦が誤報であったなら…


そんな恐ろしい状況を、逃げ戻った兵士たちは思わず想像するのだった――




大国スモレンスクと、小さなトゥーラの間に位置するカルーガの村。

短い夏の夜をそろそろ迎えようとするところに、東の方から3つの人馬が相次いでやってきた。


「食料が、来ます!」


青年へと脱皮中。

緑の林を真っ先に抜け出したウィルが、馬上から声を張り上げた。


「安心しろ! トゥーラの国王ロイズ様は、お前らスモレンスクの者でも、助けて下さる!」


続いて同行したトゥーラの兵士が、やけっぱちのような声を発した。

纏った防具の色艶の違いが、村を埋めつくす人波の殆どが敵だという事実を突き付ける。

それでも心に立ち込める霧を振り払って、男は槍を手にした右腕を高々と掲げた。


「……」


眼下の敵だった男たちは、歩き疲れた身体をひたすらに休ませている。

そこには国王ロイズが心配したような、略奪の様子は窺えなかった。


「上官はおらぬか!」


敗走した兵士たちに規律が生じている事を認めると、重心の低い小柄な体型から発する大声を、村中に響き渡れとメルクが披露した。


「ここに!」


すると目線の先で、低い位置に建てられた2階建ての家屋の玄関から、黒く短い頭髪の、将兵にしては小柄な男が抜け出してきた。


「スモレンスクの副将、カプスと申します。救援、誠に感謝致します」


小雨の降りしきる、水たまりの浮かぶ土の上。

右膝をスッと置き、深々と頭を下げながら、カプスは精一杯の感謝をメルクに伝えた。


「ですが、私の力が足らず、申し訳ありません」


続けて、そんな言葉がやってくる。


「どういう事だ? 何かあったのか?」


真っ先に少年ウィルの顔つきが変わったが、メルクが制するように口を開いた。


「私が到着する間に、一部の者が乱暴を働いたようで…」

「どこで?」


馬上のウィルが、狼狽を隠すことなく、強い口調で問いただす。


「西の民家です。馬を、盗み出したと…」

「……」

「その際に、家の者に狼藉を…」

「ケガの具合は?」


今度は、メルクが声を発した。


「伝え聞いた話ですが、大した事はないようです。詫びようと向かったのですが、取り次いで貰えませんでして…」

「……」


眼下で沈む将は、ひたすらに頭を下げている。


信用に足る人物だと断じる訳にはいかないが、村を埋め尽くす兵士たちを束ねる力量は、備えているらしい。


「ウィル君は、今の話の確認を。我々は、予定通りに食料を配るとしよう」

「わかりました」


メルクの判断に従うと、後はお願いしますと小さく頭を下げて、将来有望な若者は村の中へと馬を進めた。


「カプスとやら。とりあえず、元気な者を東へとやってくれ」

「は?」


スッと馬から下りたメルクが、浮きあがった水たまりの上に片膝を置いたままの敵将に対して簡潔な指令を与えると、予想できない申し出に、カプスが丸い童顔を覗かせた。


「お前らと違って、兵が足りん。持ってきた荷車も兵糧も、元はお前たちのモノだ。荷車の牽き方一つにしても、慣れているだろう」

「は、はい!」


尤もな発言に、カプスは慌てて立ち上がると、二人の会話を心配そうに見守っていた兵士たちに顔を向け、叫ぶように指令を発した。


「元気な奴は、東へ向かえ! 食料がやってくる。スモレンスクの兵として、これ以上の恥を晒すな!」

「は、はい!」

「承知しました!」

「直ちに向かいます!」


カプスの命令に、近くの兵士達が一斉に立ち上がり、東へと移動した。


荷車の構造一つを挙げても、国が違えば重心だったり部品だったりが若干違う。その僅かな違いが、牽き手の負担となるのだ――


それらを考慮して、メルクは助けを請う事にした。

恩を売るのが任務とはいえ、このくらいは許されよう。


「物資に手を付けるなよ! ここで平等に配る!」

「分かってます!」


カプスが追加した一声に、兵士の一人が右手を掲げながらにこやかに口を開いた。


「……」


トゥーラで捕虜となっている同格のベインズや兄貴分のブランヒルと比べると、カプスは童顔ということもあってか、平時に於いては兵卒から恐れを抱かれる事は少なかった。

勿論それが魅力ではあるのだが、どうやら当の本人は、腑に落ちてはいないらしい。


目標とするべきは、厳しくも温かみのあるブランヒルのような将であり、威厳の無いままでは、年代も性格も、身体能力もバラバラな寄せ集めの民兵たちを率いるなど、到底不可能だと信じて疑わなかったからである――



すっかり暗くなったカルーガの村。あちこちで篝火が灯されて暫く経つと、東の空から低い物音が耳に届いて、男達の表情が一斉に明るくなった。


「5列に並べ。量は十分にある」


カプスの指示により、各小隊の長が中心となって、兵卒達の規律を促している。


乾パンや干し肉といった、夏でも数日は保存の効く食材を選んで運んできたが、何より必要なものは、水分である。


カルーガの西を流れるオカ川を渡ると、スモレンスクの東を流れるドニエプル川までは、川と呼べるほどの水の流れが殆ど無いのだ。

延々と地平線を眺めながら、緑の草原を進まなければならない。

メルクはそれを見越して、道中で樽に水を溜め、持参をしたのだ。


「ありがてえ」

「助かったよ。これでなんとか、国に帰れる」


配給された食料を手にすると、傍らに立って様子を眺めているトゥーラの兵士に目くばせをしながら、スモレンスクの男たちが感謝の言葉を口にする。


「……」


そんな者たちの羅列を眺めていると、僅か二日前までは敵兵で、命のやりとりをしていた相手とは思えなくなる…


戦況が違ったら、目の前で笑顔を浮かべている男に、殺されていたかもしれぬのに――


「トゥーラの国王様は、こう言われた!」


慈悲とも呼べる感情を胸に抱えるも、染まってしまう事はあり得ない。

同僚が複雑な胸中を自覚したところに、メルクの大声が響いた。


「ここ、カルーガより西。オカ川の向こうに、トゥーラの兵士が踏み入る事は無い! あなたたちは、どうか!?」

「……」


声の発する方向へ、全ての視線が向けられた――

熱い思いが込められて、敗者たちの胸を殊更に問う――


「そりゃあ…なあ…」

「まあ…」


焚火の炎に浮かぶ顔たちが思い思いに首を伸ばすと、やがて静まり返った中から、ぽつぽつとした声が漏れだした。


惨めな状況下。

夏とはいえ、雨の中を敗走し、濡れた体は夜を迎えて熱を消す。


寒さに震えながら、敵からの施しを口にして、やがて国へと帰るのだ――


「俺は、もう来ない!」


真っ先に、一人の若い兵士が立ち上がった。


濡れた防具と衣服を全て剥いでいたが、溜まっていた感情が噴出したのだ。


「兄ちゃん…」


彼から百メートルほど離れた畦道で、兄の姿を瞳に映した弟が、呼応するように立ち上がる。


「俺もだ! 仲間は死んだ! 俺は生きてえ!」


強く握った両の拳は、細かな震えを起こしている――



総攻撃の号令時――


乾いた土に胸を預け、掲げた右手の向こう側で、抗う事を放棄した人波に飲まれながら、仲間だった筈の男は最後、不安そうな顔をして振り向いた――


生きる為…

生き残るための術を、教えなかった…


教えることが、出来なかった――


怖かったのだ。


口から発することへの、(はばか)り。

非難される、恐怖心――


黙する事で、それら一切から、逃れる事はできる…


それでも代償として、深い裂傷が胸に刻まれた――



「おい、兄ちゃん」


最初に立ち上がった青年に向かって、右手に丸パンを持って胡坐をかいていた古参の兵士から声が飛ぶ。


「俺も、賛成だ!」

「おう!」

「こんな施しまで貰って、戦えるわけがねえ」


続いた声が、伝播するように胸の内を開いてゆくと、青年の表情には恍惚が浮かび上がった――


「おい、兄ちゃん!」


そんな青年に向かって、再び声が掛けられる。


「そろそろ、服を着ろ」

「あ…」


慌てた青年の周りから、どっと笑顔が広がるのだった――

お読みいただき、ありがとうございました。

ご感想等ありましたら、励みになります(o*。_。)o


10話以上先を、22.2.27現在ストック分として書いてまして、この項を書いたのは年末辺り。

まさか本当に戦争が起こるとは…

ロシアの兵士はどう想っているのか…

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