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小さな国だった物語~  作者: よち


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84/218

【84.孤独な少年】

天に向かって誇るように建てられた、壮大なるスモレンスク城の最上階。


槍を携えた屈強な衛兵が左右を固める国王執務室に通じる扉の前で、宰相エリクセンと老臣フリュヒトは、石畳に敷かれた赤い絨毯の上で、合計5つの足を静かに並べていた。


「後で来い」


自身が描いた脚本、演出により国王ロマンに敗戦を告げた直後、低い声音で発せられたのは短い一声であった。

さしものフリュヒトも、一人で国王と対峙する事は躊躇して、エリクセンに同行するよう求めたのだ。


「……」


だが、そろそろ30分は真っ直ぐに突っ立ったまま、扉と対峙して声が掛かるのを待っている。

見掛けに寄らず足腰の弱いエリクセンは、そろそろ姿勢を保つのが辛くなっていた。


ふっと隣の老臣に目をやると、杖の頭に両手を置いて、前屈みになった状態で平然としている。まだまだ余裕がありそうだ。


「く…」


重厚な開かずの扉は目の前で鎮座したままである。

杖とは卑怯な…負けてなるかと気合を入れ直したところで、ふくらはぎの震えが始まった。


「入りますぞ」


限界を迎えて膝を屈しようと頭に過ぎった刹那、ふっと皺だらけの細腕がドアノブに向かうと、躊躇することなく扉が圧され、ぎいっと音が鳴って隙間からスッと光が差し込んだ。


『え』


予想だにしない老臣の行動に、エリクセンは勿論、屈強な衛兵からも一斉に驚きの声が上がった。


「……」


部屋から怒号が飛んでくる――

身を竦めたエリクセンだったが、数秒経っても変化の起きない状況に、ようやく身体を戻して、そっと部屋の中を覗いた。


「フリュヒト様?」


国王ロマンの執務室は、幅10メートルほどの、案外と小さな部屋だった。

部屋の中心に、白い頭髪と少し前屈みになった背中をこちらに向けた、偉大なる老臣の姿がある。


「どうぞ。お入りください」

「は、はい…」


フリュヒトが、気配を察してエリクセンに声を掛けると、震える脚がゆっくりと一歩を踏み出した。


宰相という身分であるが、彼が国王執務室を訪れたのは、初めての事である。

声を掛け、部屋の前で扉が開くのを待つ事はあっても、呼ばれて室内に足を踏み入れたことは無かったのだ。


「……」


思ったよりも、質素な造り。

南側に設けられた大窓と、なだらかな天井、八角錐の頂点から下げられたシャンデリアが目を引くが、入って左側には天井まで届きそうな赤茶けた年季の入った木製の本棚が置かれていて、中には書物がビッシリと埋まっていた。


「起こしますか…」


呆れたような老臣の声色に右へと顔を向けると、設置されたベッドの上で、後頭部の下に枕代わりの両手を置いて、天井を向いたまま寝息を立てている国王ロマンの姿が飛び込んできた。


「……」


とぐろを巻いて眠っている蛇を起こしたら、途端に飛び掛かってくるのではなかろうか…

そんな恐怖すら覚えたエリクセンだったが、目の前に立っていた老臣は、一歩を進めて構うことなく腕を伸ばした。


「ロマン様」


金銀の装飾が施された紅い衣服が、静かな呼吸によって微かに膨らみ、やがて戻る。

子供だった頃の彼の寝姿を、目の前の老臣は何度もこうして揺り起こしてきたのだろう。


二人の姿を眺めるエリクセンは、絶対に太刀打ちできない時間の長さを羨んだ。


「寝ていたか…すまんな」


紅い衣服が起き上がると、すっと上がった高貴な右手が、白毛のような金髪の前髪をかきあげた。


「いえ、申し訳ありません。今後の事もありますので」


起き上がった身体に対して、目線を下げる前宰相。

これには当然、彼の背後で両足を置いていた、現宰相も遅れまいと続いた。


「しばらく外でお待ちしていたのですが、返事が無かったので、入らせて頂きました」


頭を下げたままで、老臣フリュヒトが断りを並べた。

彼の態度には臆するような緊張感は微塵もない。

自身が信じる行動は、断じて揺らぐことは無いという、大国を長い間支えてきた気概みたいなものが窺えた。


「怒りや悲しみを消すには、寝るに限る」


国王ロマンは一言を呟くと、ベッドに腰を下ろしたままで、窓際に備えられた机に置かれたマグを手に取って、中身を確認するとぐいと一気に飲み干した。


「……」

「フリュヒト。お前に教えてもらった事だぞ?」


静かな空間を嫌うように、ロマンは掲げた陶器のマグで老臣を示しつつ、にやりと口角を上げてみた。


「そう…でしたかな」


対してフリュヒトは、素っ気ない素振りで目線を下げつつも、微かに頬を緩めて懐かしむような声色を発した――




ロマン様が幼少の頃――


武術の稽古の時間を取ってやると父であるロスチスラフ様に告げられるも、突然隣国からやってきた遣いの者との会談に時間が割かれ、それが叶う事は無かった日…


日が暮れて、暫く経っても国王様は戻られない。

小さな王太子は居住区へと続く玄関扉の前に立って帰りを待っておられたが、やがて睡魔に耐え切れず、その場で崩れそうになって王妃様の腕に抱えられ、寝室へと運ばれた…


翌朝になって、目を覚ますと同時に、涙を流された…

それは約束を破った父親に対する怒りから発したものではなく、父が戻るまで起きていられなかった、自身への悔しさからくる感情であった――


そんな話が王妃様の口から届けられた正午前、およそ子供らしくない思慮の行方(ゆくえ)に哀しさを感じたが、それ以上に将来のスモレンスク、或いはキエフ大公の椅子に座る者としての資質を垣間見て、頼もしいとも感じた――


「悲しい悔しい…そんな時は、寝るのが一番です」


午後となり、勉学の時間になって自ら姿を現すも、赤い目を浮かべて尚も嗚咽を漏らす小さな王子様に、フリュヒトは見かねて声を掛けたのだ。


「…眠くない」


苛立ちの中で、突き放すように小さな王子が言葉を返した。


「そうですか…」


心を受け容れたフリュヒトは、開いていた書物をパタンと閉じて、一言を告げたのだ。


「それでも、寝るのです…」


諭されるままにベッドへと潜り、背中を向けると、小さな身体は丸くなって肩を震わせた――




あの時と、同じベッドが目の前にある――


時が経ち、黒かった髪が白になり、髭もずいぶんと伸ばした。

共に過ごした歳月は、確実に目の前で座る者の糧となり、受け継がれていく――


「……」


感傷的になった老臣の瞳に、思いがけない涙が小さく浮かんだ――



「それで、どうするのだ?」


眠ったことによって冷静さを取り戻した国王が、両足を床に置き、ベッドに腰を下ろしたままで前屈みになって両手を組むと、並び立つ二人に視線を送った。


「いや、先ずは今の状況を説明しろ」

「……」

「は」


応じたのは、現宰相のエリクセンだった。

尤も、自ら積極的に発言した訳では無く、フリュヒトが目元に手をやって黙した為に、前へと押し出されたのだ。


「現在分かっている状況ですが、トゥーラの南側で激しい戦闘が行われ、敵の落とし穴に誘われた模様です」

「落とし穴…」

「は。卑怯にも、降伏を謳い文句に誘ったようです」

「……」

「戦闘は、四方で行われ、敵は周囲に壕と柵を巡らせておりましたが、これを排除。一部では、城内への侵攻に成功したと…」

「それは、確かなのか?」


エリクセンの説明に、国王ロマンが疑問を挟んだ。


「と、申しますと?」

「城内に攻め入ったのなら、敵の降伏など受け入れなくても良いではないか」

「……」


至極真っ当な意見である。


およそ6倍の兵力で攻め入った事。任じたのが春先の戦いで敗北を喫し、雪辱に燃える勇猛果敢なギュースであれば、降伏の申し出に応じることなどありえない。

国王ロマンの鋭い指摘に、エリクセンは思わず言葉を失った。


「未だ、状況は不明な点が多くございます。詳細はまた、夜になってからお持ち致します。先ずは、現在の状況と、今後の事について、御裁可下さい」


空気の澱みを察して、白い顎鬚を蓄えた老臣がスッと瞳を上げると、時間を惜しむように言葉を並べた。


「申せ」

「は。現在、帰還兵を待機させるべく、城外にて露営の準備をしております。これは、城内に根も葉もない噂話が広がるのを防ぐ為。三日もすれば、落ち着きましょう」

「……」


噂話というものは、必ず尾ひれはひれが定着し、まことしやかに広まっていく――


人は大概、腑に落とした情報を後になって訂正する事は、実に苦手なのである。


例を挙げるなら、詐欺だと周りが諫めても本人だけは認めなかったり、好意を持たれていると勘違いして、一方的な愛情を注ごうとする輩が後を絶たないことからも推し測れよう。



「敗北を知らぬ者ほど、敗北を恐れます。動揺が国内に広がっては、威信も揺らぎましょう」

「…分かった」


後者を理解し、前者に当て嵌まる国王は、静かに老臣の提案を受け入れた――


「あと、今後の事ですが…」

「なんだ?」


続いてフリュヒトの眼光が鋭くなると、落ち着きを保ったままの国王が静かに次を促した。


「このままの戦意を保ち、東側への攻略を続けるのか…先代が崩御した時のように、国を一旦落ち着かせるのか…選択ください」

「今、すぐにか?」

「いえ…情報が出揃ったところでお決めになれば宜しいかと…ですが、時が過ぎたなら、正す事が難しくなることもありましょう。指針が無ければ、迷いが生じるのは必然です」

「…わかった。戻ってきた兵を入れる前には、決める事にする」

「よろしくお願いいたします」


小さく頭を下げた老臣は、満足そうに一歩を退いた。

それに合わせてエリクセンも頭を下げると、長居は無用と、国王の執務室を後にした――




「フリュヒト様が居て下さって、本当に助かりました」


ほっと胸を撫でおろし、赤い絨毯の上に足を置いたエリクセンが、杖をついて隣を歩く老臣に対して、手放しで感謝の言葉を口にした。


「私などでは、あのように話を進める事は、とても出来ません。さすがはロマン様が幼い頃から、御一緒なさっているだけのことはあります」

「エリクセン殿」

「なんでしょう?」


続いてやってきた発言に、白い顎髭を蓄えた老臣が足を止めて小さく口を開くと、広い肩幅を前に出したエリクセンが、膨らんだ顔の表皮に微笑みを浮かべたままで耳を渡した。


「確かに私は、ロマン様に学問を教え、成長を見守ってきました。ですから私には、この関係を崩すことができません」

「……」

「あなたは、これから作って行くのです。私のように、師弟という間柄にはなれずとも、善き友人にはなれるでしょう。それこそは、私には決してできない事なのです」

「……」

「友人として、友として、あのドアを開けてやって下さい」


老臣は希望を語りながら振り向くと、入室の際に手を伸べた、子供でも開ける事のできる位置に備えられた鉄製のドアノブを、静かに見つめた――


「……」


他の子供が触れる機会は、恐らく訪れなかったのだ。


「努力…いたします」


老臣と同じものを瞳に映した宰相は、託された想いを受け取った――


「……」


老臣は思う。簡単ではない。


かつて自分が宰相だった頃、先代を諫める機会には、友人という立場で言葉を掛ける事も多かった――


国王と宰相。

二人の距離は近過ぎてもダメであるが、遠くなっては軋轢が生まれてしまう。


公私の使い分けとでも言えようか…



難しいことだと理解をしたうえで、老臣フリュヒトは、かつて王子だったロマンが生涯に渡って孤独とならぬよう、切に願うのだった――

お読みいただきありがとうございました。

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