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小さな国だった物語~  作者: よち


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83/218

【83.茶番劇】

宰相エリクセンと老臣フリュヒトの時間稼ぎも、そろそろ限界に達しようとしていた。

上奏をこれ以上伸ばしたところで、敗戦の噂話は国王ロマンの耳に届いてしまうだろう。


怒りがなるべく穏便なものとなるように、伝える際の演出や上奏文の上塗りが、荘厳なスモレンスク城の3階、南側の一室で練り上げられていた――


「宮廷に対しては、負傷者多数と伝えればよい。市民には、順次帰還をすると伝えるのです!」

「は。そのように」


中心となって指示を送るのは、現宰相のエリクセン。

白い顎鬚を蓄えた前宰相フリュヒトは、椅子に腰を下ろし、両膝の間に杖を立てた姿で南側の窓から差し込む光の温かさに身体を任せて彼の言動を見守っていた――


当然、自覚を促すためである。


「私は退く身です。私の背中を見て、あなた方が、何かを感じてくれるなら、それで良い」


石畳の廊下を杖を突いて歩く中、彼は後進に伝えていた――


「ギュース将軍の行方は?」

「未だ、掴めておりません」

「副将は?」

「それも…未だ…」

「くそ…」

「そろそろ、時間ですかな…」


焦りを隠せないエリクセンに、杖の持ち手に両手を置いていたフリュヒトが、差し込んでくる光の角度と伸びる自身の影が限界点に達したことを認めて声を発した。


「安否が不明なら、それを使うまでです」

「と、いうと…」


腹案が届くらしい。瞳を向けた前宰相が縋るように声を出す。


「トゥーラの城内へと侵攻した者が居るのなら、捕虜も居る筈です。ギュース将軍が、その身に代わってでも、交渉に当たっているとするのです。仮に戻らなかったとしても、怒りは、必ずや次の戦いに生かされましょう」

「な、なるほど…」


かくして二時間後。

城の大広間にて上奏の場が設けられ、宰相エリクセンを最前列に、大国スモレンスクを担う臣下たちが顔を並べる運びとなった――




「ロマン様」


白い太陽が夕陽に変わる頃。スモレンスク城の最上階。

老臣フリュヒトが赤い絨毯の敷かれた石畳の廊下を進むと、やがて6名の護衛の兵士が張り付いている扉の前で杖を止め、穏やかな口調で国王の名前を口にした。


「入れ」


重厚な木製扉の向こうから、普段と変わらぬ声がやってくる。

どうやら悪しき情報は耳に届いてはいないようだ。ひとまず苦労が報われて、白い顎鬚を蓄えた老臣は、少なからずほっと安堵の息を吐き出した。


「どうかしたか?」


護衛の兵士が押し開けた扉を潜ると、国王ロマンは背中を覗かせて、何やら書き物をしていた。

背中の向こうには南側の大きな窓。白毛に近い金髪が、陽光に照らされて輝きを生んでいる。

間抜けにも、先ほどまで行っていた上奏の場をなんとか穏便にやり過ごす為の画策は、立ち向かう相手の真下で開催されていたのだ。


「は。宰相殿が、申し上げる事があると…」

「わかった。何やら行き交う兵の数が多いからな」


当然ながら、階上の方が遠くの方まで見渡せる。

普段とは異なる人の往来に気付くのは、ごく自然な事であった――


「は…」


杖で身体を支えたフリュヒトが、快い返答に恐縮をした。


「思ったよりも、早く片付いたようだな」

「……」


ペン立てに羽根ペンを戻すと、スモレンスクを統べる国王は満足そうに立ち上がった。

穏やかな彼の反応に、老臣フリュヒトは黙したままで、ロマンが目の前を横切ったのを確認してから、ゆったりと視線を戻して背中を眺めた。


「大広間とは、随分と大層なことだな」


傾斜の緩やかな螺旋階段を2階まで下ったところで、国王ロマンが振り向きざまに声を発した。

右手を石壁に触れながら、老臣がゆっくりと下りてくる。


「多くの者が、顔を揃えましたので…」


カツンと杖の先が2階の床に触れると、白い顎髭の老臣は尤もらしい言葉を口にした。


「そうか」


言いながら、中背で少し細身の国王が、赤い絨毯の上を歩き出す。

その歩みはゆったりとしたもので、当然ながら、背後に続く老臣を気遣ってのものであった――


老臣フリュヒトは、先代の国王を支えた宰相である。

子供の頃のロマンにとっては勉学の師範であり、遊び相手でもあったのだ――


「東の方は、やはり大変だな」


やれやれといった感じで、ロマンの背中が呟いた。

西に連なる小国は、その殆どを影響下に収めたが、キエフ・ルーシ諸公国の東端を統べるリャザン公国。その後ろ盾を受けるトゥーラの抵抗は、予想以上だったと評したのだ。


「は…」


発言を受け容れるしかないフリュヒトは、目線を下げて小さな相槌を返すのだった――


「思えば…ずっとお前の前を、私は歩いているな」


続いたロマンの発言に、多くの皺が入った目元が再び浮上した。


「父上が亡くなって、私が公となり、お前が隣に居ることになった。それが、落ち着かなくてな」

「……」

「遠ざけたように皆は思っているが、本心はそんなところだ」

「……」


続いた言葉には、赦しを求める意向が窺えた。

臣下でもある老臣は、彼の発言を感傷的に受け入れる――


「お前には、背中を見ていてもらいたい」


そして、一つを告げると足を止め、金銀で装飾された紅い衣服を半身にすると、右手を差し出すようにして口を開いた。


「どうせ、黙ってられないんだろうしな」

「……」


幼少の頃から、ずっと成長を見守ってきた――


例え距離が開いても、進む道は違っても、どこかで繋がっていたかった…


しかしながら、老臣の心境を嘲笑うかのように、彼の性根は真っすぐであったのだ――


「はい…」


思わず足を止めたフリュヒトは、緩くなった涙腺を悟られまいと、彼に向けていた視線を静かに真下へと落とすのだった――




スモレンスク城の大広間。壇上へと続く舞台袖に、ようやくロマンの足が届いた。


「随分と、静かだな」


多数が集ったという割には、ざわついた雰囲気は感じない。

しかしながら、それすら好意的に捉えて、ロマンは壇上の中央へと足を進めながら明るい声を発した。


「……」


次の瞬間、ロマンの瞳が、薄暗い大広間に集う臣下の全員が片膝を付き、列を揃えて頭を下げている場景を壇上から捉えた。


「…どうしたことだ?」


この期に及んでも、事態の把握はできなかった。

それほどに、揺るぎない勝利を確信していたのである――


「申し上げます! トゥーラに向かった我が軍は、敗退したようであります!」


並ぶ臣下の最前列。一人だけ僅かに身体を前に置いていたエリクセンが、努めて大きな声で報告の第一声を口にした。


「……」


ロマンの足は止まっている。

彼の態度が変わらぬうちに、下げていた臣下の雁首たちが、揃ってもう一段を沈めた。


「負傷兵多数! ギュース将軍の命により、撤退を決したとの事であります!」


続いて間髪入れず、第二列の一番奥で臣下の一人が立ち上がると、静まる城内に向かって響き渡れとあらましを放った。


「……」


立ち上がった臣下は、役目を終えると再び暗がりの羅列の中に身体を隠した。

一世一代とも言える経験に、彼の身体はやがてガタガタとした震えに襲われた。


「…事実なのか?」


背後から、杖先が壇上に擦れる音が近付くのを認めると、両足を止めたスモレンスクの国王はぽつりと呟いた。


「は…」


残念ながら…

足を止めた老臣が、冷静を保って伏し目となって、短い声を返した。


「この茶番は、お前が仕組んだものだな?」

「……」


暗い眼下。明るい壇上。目の前の背中から発せられた重たい指摘に、老臣は一段と瞳を落とした。

国王ロマンが見抜いた通り、演出、脚本、全てが彼の作品である――


官職に就く、総ての者が平身低頭し、怒りを遣り過ごす。

差し込む光を塞いで会場を暗くして、一番遠くの者が簡潔な詳細を述べる。

直ちに姿を隠してしまえば特定される恐れは無いだろうと、若い尚書を説得したのだ――


怒りの矛先を摘み取って、冷静さを促した。


こんな芸当が出来るのは、フリュヒト以外に存在しない。

幼少の頃から国の中枢を眺める国王は、冷静となって答えに辿り着いたのだ――


「…戻る。後で来い」

「は」


短く低い声音が放たれて、足早なロマンの気配が左肩を通り過ぎてゆく。

杖で両手を支えたフリュヒトは、瞳を伏せて彼の態度を受け容れた――



壇上から国王が姿を消して、足音が遠くなり、やがて扉の閉まる音がやってくる。


「フリュヒト様!」


それを確認して一番に立ち上がったのは、最前列に並んでいた現宰相エリクセンであった。

重い身体が壇上へと駆け上がり、先ずは舞台の成功を祝おうとした。


「待ちなさい」


しかしフリュヒトは、断じてそれを防ごうとした。

杖から外した左手をスッと前に掲げると、強い言葉で未熟者の足を制したのだ。


「ここからです。皆の顔が厳しいうちに、次の指示を送るのです」


ぬるま湯に浸かっている者は、なかなか抜け出すことができない。

他人を頼り、事を成す為に、自らの労力を使おうとはしないのだ――


それらを良く知る老臣は、心が緩む前に導けと、エリクセンを焚き付けた。


「そ、そうですな…」


現宰相は焦りを浮かべて足を戻すと、壇上の中央に立って、下がったままの雁首達へ向かって声を発した。


「聞いての通りである! 通達した通り、国内に動揺が広まらぬよう、事の詳細が分かるまで、帰還した兵には暫くの間、城外で待機をしてもらう。手筈はデクランに伝えてあるので、従うように!」


弁舌が始まると同時に、塞いでいた採光口や窓が解放されて、光が場内へと走った――


「お任せください」


その中で、一人がゆっくりと立ち上がる。

エンジ色の衣服に身を包み、襟元に金銀の宝飾をあしらった彫りの深い顔立ちをした男であった――


会場に居る全ての官職からすれば、彼の位階は中より下である。


しかしながら抜擢され、臆さず覚悟を決めた表情は、ぬるま湯に浸かった面々を否が応でも惹き付けた――



乞われ、受け容れて、糧となって次へと挑む――


後にトゥーラの国王と顔を合わせる事になる騎兵上がりの男は、こうして表舞台へと足を進めることになったのだ――

お読みいただきありがとうございました。

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