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小さな国だった物語~  作者: よち


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80/218

【80.言の葉の裏側】

久しぶりにまとまった雨が大地を濡らす中、トゥーラの国王ロイズは、城の三階にある国王居住区へと向かうべく、螺旋階段を登っていた。


「マルマ、ありがとう」


居住区へと続く重い扉を閉めたところでマルマのぽてっとした姿を認めると、ロイズは寝室へ向かって歩みを進めながら穏やかに感謝を伝えた。


「あ、いえ…」

「リアの様子は、どう?」


咄嗟に立ち上がって簡素な丸椅子を引き、一歩下がったマルマを認めながら、ロイズが寝室へと足を踏み入れる。


「あれ…」

「……」


視線を下げると、思いもよらず、上半身を起こしていた病身の王妃が、なんだか気恥ずかしそうな表情を表に出して、こちらを向いていた。


「……」


赤みの入った髪の下、弱々しい視線でありながら、大きな瞳の上目遣い…


小さな身体への愛しさが、胸の奥から湧いてくる。


「…おかえり」


スッと片膝をつき、目線の高さを同じにすると、端正な顔を真っ直ぐに向けて、ロイズはリアに喜びの声を送った。


「…うん」


大きな瞳を向けたまま、やつれた頬が僅かに微笑んで、一言だけを呟いた――


ただいま そして、ごめんなさい…


訴えかける感情が、ロイズの胸へと突き刺さる――


「……」


謝ることは、何もない。 何もないんだよ…


小さな身体。華奢な双肩に、全てを背負って…


「リア…」


おもむろに、ロイズは右手を差し出すと、伴侶の痛々しい身体へと腕を伸ばそうとした――


「あの…」

「!!」


そこに響いた、マルマの声。


二人の世界を育みそうになった王妃と国王は、跳び上がるほどに驚いて、ロイズは差し出していた右手をサッと膝へと戻し、リアはロイズへと傾いていた上半身を、咄嗟に垂直へと正した。


「続きは、お二人で…」


そそくさと、部屋を後にしようとマルマはお盆を手に持った。


「あ…ごめんね。マルマ…」

「いえいえ、もう、大丈夫そうですしね」


立ち去ろうとする背中に向かってリアが一声を発すると、振り向いたマルマはニンマリと口元に右手をやって、含みのありそうな声を送った。


「……」


返す言葉もない。

赤面をした小さな王妃が首を戻して俯くと、赤みの入った髪が眼前に垂れ下がった――



「大丈夫か?」

「うん…」


暫くの時を置いたあと、丸椅子に座ったロイズが計るように口を開いた。


ここでの大丈夫は、身体の事ではない。

理解をした上で、彼の発言をリアは受け入れた――


「ごめんなさい…」


改まった小さな呟きが、色を落とした彼女の唇から漏れ出した。


「また…助けられなかった…」


大きな瞳から、突然の涙が零れると、彼女の両手が目元へと向かった――


「リア!」


咄嗟に彼女を抱き締める。

か細い肩から細い腕。小刻みに震える小さな身体全部を包み込むように、必死となって――


「お前は頑張った! お前が認めなくても、俺は認める!」


幼少期からの時間を想いながら、彼は両腕を絞った――


彼女の悲しみを止めるべく、溢れ出る感情が塞ぐようにと、ひたすらに願って――



「ありがとう…」

「いいのか?」


嗚咽が次第に小さなものとなり、涙も尽きてくる。

ロイズの胸元に(うず)まった頭から声が漏れ出ると、彼女の腕に力が宿った。


「うん…」


おもむろに腕を(ほど)いて、俯いたままの彼女の姿を焼き付ける…


「無理は、しないから…」


顔が上がって浮かんだ微笑みは、どうしたって窮屈なものに思えた…


「分かった」


それでも、彼女の意思は汲むべきだ――


覚悟を心に宿して、ロイズは伴侶の言葉に寄り添うのだった――




「何か、聞いてるか?」

「うん。少しは聞いてるけど…最後は、ワルフが来てくれたって…」

「うん…」


国政の話を交えるのは、随分と久しぶり。


それほどに開戦前は頻繁に意志の疎通を図っていたという事であり、ここ数日の出来事は、ロイズが一人で担える処理能力の限界を超えていた。


修正が利かなくなってからでは、遅い――


リアが病身であろうと、報告を為そうとやってきたのは、ひとえに彼が、彼女の代役だと割り切っているからである――



「何から、話すかな…」


ふっと天井を見上げながら、ロイズが思案する。


「そう言えば、ウィルが来たよ」

「ウィルが?」


重い話から切り出すのは控えよう。

ロイズは顔を戻すと、先ずはリアが喜びそうな話題を口にした。


「なんで?」

「……」


アホである。

当然に返ってくるであろう一声がやってきて、途端に後悔が襲った。

逃げられないと悟った彼は、結局一番大事な話から始める事にした――


尤も、リアの体調を思えば、正解である。


「逃げたスモレンスクの兵士が、カルーガで、動けなくなってるって…」

「え?」


ロイズの発言に、大きな瞳が光を帯びる。


「それで、彼らが置いていった食料を、カルーガに送る事にした」

「そう…」

「大丈夫かな?」


同じ行為をしたに違いない。

リアの横顔に視線を預けると、追認を促すように男は尋ねた。


「…それは、誰にやらせたの?」

「え?」


返ってきた反応に、思わず高い声が飛び出した。


思慮を巡らせて、彼女は安易に由とはしなかった。

将軍グレンが部下の反発を恐れたのと同じように、敵に塩を送る行為に対する、周りの不寛容を恐れたのだ――


「えっと…偵察隊のメルクに。あ、勿論グレン将軍も知ってるよ。全軍に知らせるって…」

「そう…」


懸念を払拭すべく、説明を重ねる。

前日まで意識を無くしていたとは思えない状況判断の鋭さに、ロイズは改めて舌を巻いた。


「略奪なんか起こったら、ローリさんたちを守れないよ」


続いて言い訳のような言葉を投げ掛けた。

しかしながら紛れもない懸念である。彼は自信を持って口にした。


「そうね…」


対してリアは、しぶしぶ納得をするように呟くと、続けて口元へとゆっくりと右手を寄せていき、予想外のセリフを口にした――


「ワルフを頼って、叩いても良かったけどね…」

「……」


横顔から覗くリアの眼光は、頭を落としながらも鋭いものだった。

戦略を描く事を生き甲斐とする、冷酷なる軍師のような――


「……」


静寂がやってきて、ロイズは痛感をする。


どうしたって、彼女にはなれない――


己の頭脳では絶対に思いつかなかった一案が、ぽんと頭にやってきた。


疲弊したトゥーラの軍勢では無理でも、援軍として駆け付けたリャザンの幼馴染を頼れば、故郷であるカルーガを守る為に追撃の兵を向けたに違いない。


そうなれば、カルーガを守ると同時に、トゥーラの手を汚すこともなく、侵略者の壊滅を図れたかもしれないのだ――


「……」


だが、果たしてそれは、彼女が望むものなのか?


「……」


いや、そうではない。例え望みとは違っても、一つの選択肢として挙げる事。

手段を羅列する才覚こそが、重要なのだ――


思い付きもしなければ、絶対に行動には移せない――


「……」


ロイズは、一つを思い知る。

彼女が平穏を望んでいるのは確かでも、武力を放棄している訳ではない。


保持をするということは、即ち使用の意志を有しているということ。


それは実際に攻め込まれ、応戦した事でも明らかだ。


「……」


力なき理想は、戯言である――


全くもって、忘却していた…


子供の頃、戦略を巡って言い争っていた頃、彼女は敵の退路を塞いで滅ぼすという、結末までを描いていたではないか――


当時の姿を、ワルフは忘れてはいなかった…


だからこそ、幼馴染との共闘を、今でも胸に秘めている――



「リアは、追撃した方が良かったと…思ってるの?」


胸の高鳴りを確かに感じながら、ロイズは恐る恐る口を開いた。


好戦的な彼女の姿など、見たくはない。

争いは嫌だ。絶対に否定する。そうであってくれと、切に願いながら――


「それは無い」


リアからの返答は、拍子が抜けるほどの軽さでやってきた。

一厘の可能性すらもあり得ないといった声色で――


「あなたの判断は、私と同じ…」

「……」


至るまでの過程は違っても…

そんな前置きを胸にして、緊張の頬を緩めたトゥーラの国王は、心からの安堵を灯すのだった――



続いて現在状況を伝えた。


落とし穴と壕たちは、遺体の腐臭が激しく、埋葬せざるを得なかった事。

リャザン公国からの援軍は、城外の視察までに留まって、城内へと迎え入れてはいない事。


トゥーラ側の死者数は、およそ40名。

埋葬は北の一角にて近衛兵によって行われ、美将軍ライエルが指揮を執った事などが伝えられた――


「あと、ラッセルが負傷した」

「え?」

「骨折してるらしいけど…リアの事は、知らせてない。動けるようになったら、来るかも」


ロイズは()()伝えたが、既に大広間の一件で、リアの容態はラッセルの知るところとなっている――


「そう…」

「……」


ロイズの口は、それ以上を語らなかった。


彼が失策を犯した事は間違いないだろうが、この場で話すのは、相応しくないと思ったのだ。

何より当事者(ラッセル)の弁を聞いていない。あくまでも、推測である。


「あとは、捕虜がいる。30名くらい。それと、ギュースっていう総大将が、捕虜の身代わりとして、投降してきた」

「……」

「リア?」


首を落とした彼女の動きが止まっているのに気が付いて、途端に後悔が胸を襲った――


「ごめん。ちょっと、休ませて…」

「あ…こっちこそごめん。話し過ぎた…」


時折り陰るような表情に警戒はしつつも、つい嬉しくて、加えて、今の重責から逃れたいという意識が焦りを生んで、普段通りを貫いてしまった――


配慮を欠いた行いに、自己嫌悪が胸を締め付ける――


「ううん。あなたには、感謝しかない…」

「……」


細くなった両肩をロイズに支えられながら、リアの身体がベッドに預けられた。


「ありがとう…」

「……」


大好きな彼女の瞳が、少しだけ潤んでいるように思えた――


戦いの前から不安が覗いていたのは確かだが、完勝と言ってよい結果で終わったのだ。


にも関わらず、喜びや誇りといったものが全く表れない彼女の態度には、何かしらの危惧を感じる…



「リア…ゆっくり休んで…」


それでも彼は、柔らかな癖のある髪の下に覗く小さなおでこに右手を当てながら、優しい声音を良かれと注いだ――


「……」


それは甘くとも、残酷な一声である――


ロイズに、自覚は無い。



早く良くなって、戻ってきて…


ロイズの言葉の裏側を、小さな身体は汲み取るのだ――


「うん…」


そう答えるより、他にない。

自らの言葉が重さとなって、弱った心は圧されていく――



「ねえ…」


ふと、口から(こぼ)れた。


「うん?」


大好きな、琥珀色の優しい瞳が、目の前で小さく踊る…


「…なんでもない」


続けそうになった言の葉は、平常を失った心から生まれたものだ――


それに気付いた理性が、抗った…


「また、後でね。マルマを呼んでくるよ…」

「うん…」


リアの瞳には心を軽くして立ち上がった伴侶の姿。

彼女はそれでも弱った心身で、精一杯の微笑みを返すのだった――

お読みいただき、ありがとうございました。

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