【75.埋葬】
夜が明けると、空模様は、前日の青空から一転。どこか湿っぽい、灰色を含んだ低い雲が目立っていた。
「降ってきそうですな」
「そうですね……」
都市城門を出たところ。四角い顔の将軍が馬上から空を見上げると、右側で並び立つ端正な顔つきをした国王の、眉尻が下がった。
昨夜のロイズは、夕食前と就寝前の二回。療養中のリアを見舞った。
女中のマルマは普段と変わらぬ態度で接してくれたが、女中頭からは、なんだか厳しい視線が向けられた。
「国王様」
「はい」
普段と同じように暗闇の螺旋階段を登ると、夜風を通すために解放された二つの扉を潜ったところで、寝室の丸椅子に座っていたアンジェがスッと立ち上がった。
そして膨らんだ身体がしずしずと迫って、呼び掛けられたのだ。なんだか神妙な面持ちで――
居住区の西側。普段を過ごしている小さな席。
左手で椅子を引いたロイズが右手を前にして着席を促すと、アンジェが静かに一礼をして、テーブルを挟んで向かい合った。
「なんでしょうか?」
「王妃様の事です」
「……」
ロイズが尋ねると、アンジェの気色ばんだ声がやってきた。
努めて冷静を装うも、明らかに諫言の口調。彼女の圧力に、思わずロイズが身構える。
外は曇り空だろうか。小窓から差し込む星明かりでは、お互いの表情をはっきりと確認する事は出来なかった。
「先ずは、ご容体ですが……安定してまいりました。明日には、上半身だけでも起こした状態で、食事を摂ることができると思います」
木片の灯りは、寝室に残したままだった。
取りに戻るのも煩わしい。アンジェは、本題を急いだ。
「それと……お考えがあっての事でしょうから、あまり言いたくは無いのです。ですが、どうしても抑える事ができません。失礼を承知で、発言をお許しください」
「あ、はい……」
ほんの僅かな光が届く中。アンジェの唇が堅い意思を表して、ロイズは承諾をした。
「王妃様に、無茶をさせないで下さい」
「……」
届いたのは、単刀直入な願いだった。
愛する人が、他者からも慕われているのだと、認識できる発言――
それを実感できるのは、幸福に違いない。
「……」
しかしながら、目の前の要望を聞き入れる訳にはいかなかった――
というよりも、伴侶を大人しくさせる方法があったとしたら、教えて欲しいくらいである。
「そう、言われましても……」
無茶言うな。ロイズにしてみれば、アンジェの真摯な要望こそが、無理難題。
おもむろに、テーブルに置いていた右手を首の後ろに持っていくも、適当な言葉が浮かばずに、男は結局、思ったままを口にした。
「言ったって、聞かないんですから……」
「……」
今度は、アンジェが固まった。
暗闇の中ではあるが、目の前で発する声の主からは、困惑の表情が見て取れる。
「そう……なんですね……」
もしかして……
片隅で燻ぶっていた可能性が、どうやら正解。
アンジェの脳裏には、帽子を深く被って市中へと散策に出掛ける王妃の姿が廻った――
「わ、わかりました…… ただ、王妃様と日頃から時間を共にしている、私達の気持ちも、汲んでいただけると……」
「そうですね」
ロイズは、それ以上のやりとりを求めなかった――
自問自答を、何度も繰り返した。
いまさら何を言われようと、変えることは無い。
例え、どんな結果を招こうとも――
それは、他者には決して侵すことのできない、二人だけの覚悟。絆とも呼べるだろうか――
「失礼しました」
完全なる勇み足。
アンジェはスッと立ち上がると、立場をわきまえぬ発言の許しを請うように、深く一礼をした。
「いや。お気持ちは、ほんとに嬉しいです」
「……」
ロイズの一声が、薄暗い居住区の中で踊った。
思いもよらない発言に、王妃の安寧を求める心が晴れてゆく――
思考して、躊躇いがあって、それでも指示をする。
しかしながら、発信者の意図する総てを、受信者が理解できるわけではない。
生まれた不満の声は、やがて指揮する者の耳に届いて、時に停滞を生んでゆく――
組織が止まる事態は、絶対に避けなければならない。
ましてや国王という立場なら、日々を送るだけの女中とは違って、見据える未来。景色が違うことは明白だ。
「お話を聞いて下さり、ありがとうございました」
不躾な要求の返答としては、充分な配慮。
少しでも、上下の心情が分かるように、お互いが寄り添った。
王妃を慕う。感情豊かな女中たちを束ねる者として、女中頭はもう一度、感謝の一礼を送った。
スモレンスクとの開戦から寝室となっている、一階の使用人の支度部屋。
夜が明けて、身支度を整えたロイズは、先ずは螺旋階段を上って本来の寝室へと立ち寄った。
「行ってくるね」
「うん……」
ベッドで横たわったままの伴侶に一言を添えると、弱々しい声が鼓膜に届いた。
薄い衣服を纏っているだけの小さな身体は、明らかに元気を失っている。
点滴や注射といった医療行為が生まれる700年も前。栄養補給は口から摂るしかない。それでも正常な機能を失った身体は、その摂取すら拒むのだ。
うっすらと開いた瞼から覗く茶褐色の瞳が、昨日よりは大きく映る。
それだけでも、小さな身体に覇気が戻ってきたという事には違いなかった。
「マルマ、よろしく頼む」
「はい」
ロイズからの信頼に、傍らで少しふっくらとした身体を丸椅子に乗せたマルマは、任せて下さいと凛とした――
そして、夜明けを迎えた。南側の都市城門。
その先に設けられた巨大な落とし穴は、前日にロイズとグレンが危惧した通り、黒い翼が方々で、屍の肉を食らおうと鋭利な嘴を上下に振っていた。
「ロイズ様。お待たせしました」
そんなところに背後から声を掛けたのは、近衛兵を引き連れた美将軍。
「おう。やる気だね」
振り向いたロイズは、ライエルは勿論、背後に続く者たち全員が、軽装な出で立ちで、荷車の引き手を握っていることを認めた。
「穴を埋めたら、本日は終了と聞きましたので」
あどけなさの残る整った顔立ちが、ロイズの右に並ぶ上司に向けられた。
どうやら昨日の決定事項は、既にグレンからライエルへ、更には近衛兵に伝わっている。
トゥーラは小さな国家。恐らくは、住民にも伝わっているに違いない。
「それじゃあ、任せるよ。穴を埋めたら、本日の作業は終了です!」
「了解です!」
「いくぞ!」
「おう!」
ロイズの号令に、ライエルを含んだ一団が応じると、彼らは二人に軽く会釈をしては東の方へ、ガラゴロと音を発して走り出した。
「頼もしいね」
遠ざかっていく背中たちを眺めながら、ロイズが呟いた。
同盟を結んでいるリャザンの方角には、落とし穴を建造した際に生まれた土砂が眠っている。
多大な堆積物。
そんなものを発見されたら、怪しまれてしまう。例え侵略者たちが東へ回っても、リャザン側には深く陣を張らないだろうと予測して、土砂は松林の一角に限定するよう命じたのだ。
大変な量であったが、侵略軍の残していった荷車が加わった事により、随分と助かった。
土砂を崩し、荷車へと積み込む者。運ぶ者。それぞれが任意に動き、空模様を眺めながら、雨が降り出す前には、或いは午前中には作業を終わらせようと、皆が汗水を流した。
巨大な落とし穴を埋める作業は、麻縄によって自由を制限された、ブランヒルを中心とするスモレンスクの捕虜達が担った。
「これを、俺たちに任せるってのは、当てつけですかね?」
二日間に渡る戦闘中に、左足を負傷した副将が呟いた。
思うままに歩くことは敵わない。それでも、添え木と布で患部を固定した状態で、朝から作業に加わった。
「そこのノッポさんは、動けそうかい?」
夜明けと共に、短い金髪に浅黒い肌をした男に声を掛けられた。
弱々しい姿を見せるわけにはいかないと、立ち上がったのだ――
「当てつけか……そうかもしれんが、慈悲とも受け取れるな」
トゥーラの兵士が牽いてきた、土砂を積んだ荷車を受け取って、大勢の仲間が眠っている巨大な落とし穴を埋めていく――
視点を変えたなら、仲間の埋葬を、自らの両手で執り行っている――
戦った相手や住民に任せるくらいなら、自分達こそ相応しい。
苛立ちを見せるベインズに、ブランヒルは冷静を求める言の葉を送った。
「どうですかね」
それでも、面長の弟分は、視線を逸らして短い一言を吐き出した。
前日のこと。
労役と称して夜明け前から駆り出されていった仲間達は、日没と共に、居場所として与えられた、城の北にある練兵場に戻った。
出掛ける時には手首と足首が、麻縄によって繋がれていたが、戻ってきた時には足首だけだった。
槍を手にした近衛兵を前後に配置して、その間に兄貴分を先頭に、スモレンスクの仲間達が居並んでいる。
そんな列の中に、短い金髪に浅黒い肌の男が紛れ込んでいて、兄貴分と親しそうに談笑をしていた――
後ろに続く仲間たちの表情も、微笑みが浮かんでいる。
(なんで、笑っていられるんだ?)
一人で練兵場に残されていたベインズは、疎外感。ともすれば怒りすら感じて、目の前の光景に唾を吐いたのだ。
「おつかれさん」
「おう」
続いた場面では、まるで同僚でもあるかのように、別れの挨拶を交わす光景が飛び込んできた。
捕虜に、成り下がる――
名門リューリク朝の流れを汲むスモレンスク。
誇りを失ったような変貌に、ベインズは右手に孤独な握り拳を作った――
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