【76.哀願】
小さな国家の南側。
城門の前に設けた巨大な落とし穴は、幾多の命を飲み込んで、短い役目を終えようとしていた。
「俺は……悔しいです」
次々と、仲間の亡骸を埋めるための土砂が敵の兵士。或いは住民によって運ばれてくる。
それを次々と受け取って、黙々と作業をこなしていたスモレンスクの副将が、現状を安易に受け容れる仲間に対して、軽蔑の眼差しを送った。
「そうだな……」
不満の声を受け止めて、兄貴分が慰めた。
「しかしな……こうしてあいつらを眺めると、俺は、申し訳なくてな……」
視線の先には、大地すらも黒く焼け焦げた、地獄の跡が広がっている――
しかしながら、それさえも、見慣れてしまった。
悔しさは胸に宿っても、己は、生を繋ぐのだ。
同時に未来へと、確かに想いを灯している――
総ての原因は、端正な顔立ちの国王が、祖国への送還を約束したから。
家族の元へ、帰ることができる。
拘束され、捕虜となり、命の墓場を想った刹那。ブランヒルの脳裏に浮かんだのは、小さな愛娘の笑顔だった。
壇上に立つスモレンスク公の眼前で、将軍により副将の任を授かった。
当然であると自負をして、命を投げ打って、城壁を越えて城内にまで侵攻を果たした。
そんな最前線を率いた己が最期に想ったのは、散華した仲間でも、国の行く末でもなく、身近な家族の姿だったのだ。
突き付けられた現実に、自身ですら驚き、焦りの感情が胸を襲った――
「それは、そうですけどね……」
不満を宿しても、発言自体は理解する。
それでもベインズの心から、無念を消去するのは困難だった。
立場だけなら、彼も同じ副将である。
しかしながら、彼が任された東側は、最も犠牲が少なかった。
それは即ち、戦果も乏しいということ……
東側は、トゥーラの同盟国、リャザンの方角で、敵の援軍が来たなら真っ先に標的となる。陣を敷く後方にも、注意をしなければならない。加えて投石器の供給は無いに等しく、攻略が難しかったことは間違いない。
ベインズは、守勢の将である。
だからこそ、総大将は、彼を副将として配下に加え、東側を任せた――
しかしながら、評価となると、結果が明瞭な攻撃面が多大となる。
どうしたってそれを感じるベインズは、この戦いを決するのは己だと、期するものがあったのだ。
「お前がどう感じるか……分からんがな……俺は、見ていて面白い」
「何がですかっ」
ブランヒルが慰める。
それでもベインズは、荷車に残った土砂を揺り落としながら口を尖らせた。
「国の違いって言うかな。例えば、俺たちの国だったら、こうして捕虜が雑談なんて、できやしねえだろ」
「……まあ、そうでしょうね」
これが母国であったなら、監視の兵が常に周りをうろついて、口でも開こうものなら槍が容赦なく振り下ろされるに違いない。
兵士の機嫌が悪ければ、突然穴へと蹴落とされ、亡骸を一つ加える事になってもおかしくない。
実際に新兵だった頃は何度も見掛けたし、近い行為を行った……全く躊躇うこともなく――
それが、この国では、駆り出された住民のみならず、近衛兵までもが荷車を牽いている。
人手が足りない事情はあろうとも、国に仕える立場の者が、捕虜と同じ仕事を担うなど、母国では考えられない。
「水も飯も、同じように配給される。扱いがマシな分は、対価として働くさ」
「……」
(それでも、悔しくないのですか?)
言いながら、空になった荷車を淡々と指定の場所へと運んでいる。
すっかり現状を受け入れた兄貴分の態度を眺めると、ベインズが宿した納得できない感情は、ますます強固なものとなっていった――
「雨、降ってきそうね」
トゥーラ城の3階。南側。
窓から覗く重たそうな空を茶褐色の瞳で認めると、王妃は寝室のベッドで、上半身だけを起こした状態で呟いた。
「そうですね……おかげで、今日は暑さも和らいで、良かったです」
傍らで、丸太の椅子に腰を下ろす女中が視線を同じにすると、ほっとした表情で同意した。
戦いが終わっても、夏の暑さと戦った。
水を含んだ布巾で身体を拭き、扇で風を起こし、意識の戻らぬ王妃の体温が、再び上がることの無いようにと必死に努めた――
「マルマ。ありがとうね」
「はい?」
瞳を伏した、王妃からの改まった言の葉に、マルマが高い声を発した。
「あなたの声がね……あなたの声だけが、聞こえたの……」
部屋の外側では、細かな雨が降りてきて、音の霧散が染みてゆく。
生まれた静寂に、リアの感謝が紡がれた――
「……」
静かな告白を、マルマは目線を下げて受け止める。
続いて、丸顔の頬を一回膨らませ、大きな溜め息を吐き出した。
「そうですよ……」
それは、再びこうした二人だけの時間が訪れた安堵。費やした労力に対する脱力感。加えて、そもそもこうした事態に陥っていることへの、嘆きや後悔が入り混じったものだった。
「私。一緒に笑いたくて、走って来たんですよ? リア様が、どんなふうに喜ぶのか、想像したんです!」
「……」
赤みの入った髪が揺れ、マルマに顔を向けた王妃が黙って耳を傾ける。
「それなのに……」
俯くマルマの脳裏には、夕暮れの、あの日の空が浮かんでいた。
更には視界を下にして飛び込んだ、水色の大きな帽子と、背中を向けて横たわる、小さな身体……
涙が滲んで、一段と目線を下げると、マルマは右手の甲で哀しみを拭った。
「……ごめんなさい」
しおらしく、リアが小さく口を開いた。
「ほんとですよっ」
すると、語気が強まって、立ち上がったマルマが一歩を進めると、リアの肩口へと身体を移した。
「えっ」
そして、マルマがリアに抱きついた。
小さな身体は耐えきれず、二人はベッドの上で重なった。
「ちょっと……重いよ、マルマ……」
今は療養中。
突然マルマに襲われて、小さな身体は抵抗を発した。
「もう……心配させないでください……」
すると、声色が、優しい余韻を残した。
同時に、赤みの入った髪に隠された、王妃の鼓膜が揺れ動く――
「……」
哀訴。懇願。ひたすらの想い。
そんなものを、小さな王妃は確かに受け取った――
「分かった……」
「ほんとですか?」
「分かったから。少しは、痩せなさい」
呼吸が苦しくなって、マルマに身体を任せたままの小さな身体は、限界を訴えた――
昼も過ぎると、南の巨大な落とし穴は、半分以上が埋められていた。
細かな雨が降ってきて、屋外で働く男たちの、火照った身体が冷めてゆく。
「涙雨……ですかね?」
「かもな……」
茶色の乾いた大地が、黒で覆われる。眺めながら、長身の男が呟いた。
感傷的な言葉を耳にして、逞しい腕の筋肉を雨に晒したブランヒルは、遠くを見ながら声を合わせた。
「バイリーさんも、ここに眠っている……」
続いて、上司の名前を口にした。
共に手柄を立てた仲。戦況に応じた判断とはいえ、具申もせずに、随分と無茶をした。
戦果を上げることの方が多かったが、窮地から救ってもらった事もある。
絶望の最中。希望が覗いた瞬間は、一生忘れることは無い――
「そうですね……」
「……」
一言を呟くと、ベインズが墓標のように直立をした。
それを認めたブランヒルもまた、自らが埋めた大地に足を向けると、静かに瞼を閉じた――
「仲間を想って、祈りでも捧げてんのか?」
そんなところへ、短い金髪に浅黒い肌を浮かべた青年が、右肩に鍬を担いでやってきた。
「死んだのは、気の毒だとは思うけどな。ま、理由を考えたら、当然だな」
「なに!?」
兄貴分と、馴れ馴れしい態度で、談笑をしていた男……
死者を侮蔑するような発言に、ベインズが怒りを表した。
「こいつらが死ななきゃ、俺達が死んでんだ。それとも、何か? 人を殺しに来といて、殺されることは考えてなかったってのか? ナメるな!」
「……」
言葉に詰まった。
全くの正論で、結果は容赦なく物語っている。
地図にも載らない小さな砦に、偉大なるリューリク朝の流れを汲むルーシの大国が、敗れたのだ――
「だいたいこっちには、攻め込まれるような理由はねえんだよ!」
「……」
「命令だからって、従って、攻めて来ました。それで死んでんだ。本望だろ」
「……」
追い討ちをかける発言に、ベインズの身体がわなわなと震えだす。
「き、貴様! 名前を名乗れ!」
我慢がならず、勢いのままに声を飛ばした。
「はあ? そういうお前は、誰なんだよ……」
相手は見るからに、屈強な兵士である。
しかしながら、臆することもなく、ウォレンは鍬を肩に担いだままで尋ねた。
「俺は……」
「いや、いいや別に。興味ねえわ」
「なっ」
「ここでは アンタが例え将軍でも、誰も知らねえ。俺も、知ったこっちゃねえ。誰も知らなきゃ、アンタは何でもねえんだよ!」
「……」
「ちなみに、俺は、ただの平民だ」
「なっ?」
「フッ。はははっ」
二人のやりとりを眺めていたブランヒルが吹き出すと、やがて大きな笑い声となった。
「ちょっと! ブランヒルさんっ! なに、笑ってるんですかっ!?」
「ベインズ、諦めろ」
笑いを堪えようと、前屈みになっている。
日に焼けた赤い顔を崩したままで、ブランヒルは横目を覗かせて口を開いた。
「お前の負けだ」
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