【209.提言】
「ライラに、早く会いたいな」
「え? なんで?」
「気が合いそうだから」
「……」
どうやら同年代と認知した。
松の木を倒した帰り道。
足取りの軽いエフェミアの呟きに、マルマの顔は怪訝となった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
城へと続く、石橋を渡ったところ。
桶に入った雪解け水で手指の汚れを落としていると、長身の金髪女性から声が掛かった。
「あ、紹介するね。この子、エフェミア」
「あ。は、はじめまして……」
少女が膝を屈した状態から振り向くと、聖母のような立ち姿。
麻の衣服はマルマと同じでも、肩口には赤い装飾が。胸元には十字架が覗くなど、漂う気品は隠せない。
思わず立ち上がったエフェミアは、若い頃のリャザン公妃を頭に浮かべた。
「こんにちは。ライラと申します」
「え?」
僅かに金髪の頭が下がった。
思わぬ名前が飛び込んで、エフェミアの瞳が見開いた。
「何か?」
「いえ……」
「なんかね、あんたのこと話したら、同年代だと思ったみたい」
「え? なんでですか?」
「それは、内緒」
「はあ……」
ライラの問い掛けに、マルマは答えを濁した。
「リア様を頼って、リャザンから来たの。ムーロム公の娘だけど、気にしなくて良いからね」
「え? ムーロム公?」
高貴な血筋とは無縁の土地に、希少種がやってきた。
驚いたライラがまじまじとエフェミアを見下ろすと、細い背中に亜麻色の髪が垂れ下がり、青い瞳は宝石のように映った。
「はい。私の父は、ウラジーミル・スヴァトスラヴィチ公です。でも、ここに来た目的は、研修ですので」
「研修?」
「そう。あなたの後輩。お世話してやってね」
「は、はい……でも、どうすれば……」
掃除と雑用の毎日で、まだまだ教わることばかり。
新たな任務が与えられ、ライラは戸惑った。
「そんなの、雇い主に聞けば?」
指示を仰ぐ姿勢に呆れると、マルマは王妃に丸投げをした―—
マルマは地階の食堂へ。
残った二人は螺旋階段を上って居住区の扉を叩いた。
「エフェミアには、アレッタの相手をしてもらおうかな?」
「はい! 喜んで!」
暖炉の前。愛娘を膝に乗せた王妃の提案に、新しい女中が胸の前で両手を合わせた。
「あー」
「宜しくね。あなたのことは、生まれる前から知ってるんだよ?」
すすっと足を進めると、エフェミアの親指と人差し指が、赤子の弾力のある手指を摘んだ。
「それで、トゥーラを案内してもらって、どう思った?」
「……それは、思ったこと、全部言うって事ですか?」
「そういうこと。忌憚のない意見は、貴重なの」
「わかりました」
少女が頷くと、王妃は椅子に背中を預けた。
「そうですね……3年後には、もっと賑やかになりそうです。広くする必要がありますね」
「賑やか?」
「はい! 今より子供が増えますよ?」
「確かに、そうかもね……」
人口の増加は喫緊の課題とはならないが、食糧事情にも影響を与え得る。
しかしながら、どうやって?
幾つか案が浮かんだが、スグに答えは出なかった。
「なんで、三年後なんですか?」
エフェミアの背後から、ライラが疑問を挟んだ。
「マルマとか、アビリさん。楽しそうだから!」
「楽しい?」
戻った回答に、今度は王妃が尋ねた。
「なんか、リャザンで恋愛してる人って、ドロドロしてるんですよね……」
「ドロドロ……」
「足の引っ張り合いって言うのか、誰と誰が二人で会ってた。みたいな?」
「それは、あなたが城に居たからじゃないの? 外の住人は、そんなこと無いでしょ?」
「ああ。確かに。そうかもしれませんね」
いくぶん語尾が上がって、エフェミアは納得をした。
「マルマさんなんて、ただの女中ですよね? リャザンだったら、凄いことになってますよ?」
「凄い?」
「だって。ライエルさん。かっこいいじゃないですか! 来た時なんて、凄い噂になったんですよ?」
「それは、知らなかったな……」
感心したように、リアが相槌を挟んだ。
「表には出さないんですよね……まあ、結局は田舎侍で、マルマさん一筋って感じで、すぐに収まりましたけど」
「田舎侍……」
少女の背後では、ライラの眉尻が下がった。
「それにしても、トゥーラには、かっこいい人多いですよね!」
「そう?」
「リア様が羨ましい! 素敵な旦那様が傍にいて、ライエル様が守ってくれるなんて……最高じゃないですか!」
「そんなこと、無いと思うけど?」
「何言ってるんですか! 満点です! 二人だけでお釣りが来ますよ! ね。ライラさん!」
「はい。そう思います」
振り向いたエフェミアに、ライラは瞳を合わせて頷いた。
「それにそれに! ライラさん! もの凄く綺麗じゃないですか! 私が男だったら、絶対お嫁さんにします!」
「あ、ありがとう……」
続いてリアに放った突然の称賛に、ライラの頬が赤に染まった。
「ライラさん、恋人いないんですか?」
「え?」
忙しなく身体を翻す少女に、ライラの声が詰まった。
「居ないんですか?」
「そ、そうですね……」
改めて、上目遣いが尋ねると、脳裏にはラッセルの姿が浮かんだ。
デートの誘いは諾したが、音沙汰は全くない。
最近は、世間話の一つと受け取っている。
「何ですかそれ! 勿体ない! 恋はしなきゃダメですよ!」
「は……はい……」
少女の人差し指が伸びると、ライラの眼前で停止した―—
「あ……」
ライラとエフェミアが螺旋階段を下りる途中。
下から薄い顔の尚書が現れた。
「ああ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
すっと男の両足が壁面に寄り添うと、二人は階下へ急いだ。
「あの人、誰なんですか?」
立ち止まって振り返る。細い猫背をエフェミアの視線が追いかけた。
一瞬だけ、視線が合ったような……
「尚書の、ラッセルさん」
「へえ……って、しょ、尚書!?」
「うん」
「あの人が? 今は、リア様と二人きり?」
「アレッタちゃんがいるけどね……」
「考えられませんっ! 減点ですっ!」
「……」
初対面で嫌悪感。
ライラの顔に悲哀が灯って、亜麻色の頭を見下ろした。
「でも、なんで尚書がリア様のところに?」
「なんか、『ロイズ様の予定を知っておくため』って、聞いたことがあります」
「へえ……」
自由を求めるあの人が、他人の拘束を望むのか……
それでも国王様で旦那様。
違和感は残っても、少女は戻った答えを胸に落とした――
夜を迎えると、エフェミアは地階の食堂で、国王夫妻と食事を摂っていた。
がらんとしたテーブルの並ぶ空間で、ふたつのランプが存在感を放っている。
「リャザンでも、リャザン公妃が懐妊したら、子供が増えたんだって」
「へえ」
「そうなんですよ。アレッタちゃんも、そろそろ立って歩きますよね? リア様と散歩に出るようになったら、みんな、憧れますよ!」
テーブルを挟んだロイズを前にして、リアより低い座高が前のめりになった。
彼女の右側には、網かごに入ったアレッタが、麻布に包まって眠っている。
「それでこの子が、『人口問題をどうにかしなさい』 って言ってるの」
「そんな言い方、してません」
エフェミアが、左に向かって口を尖らせた。
「いろいろ手狭になってくるだろうし、どうしようかな……」
人口の増加は、平和の証。
だからといって、何も起こらぬ訳はない。
未来で多発する問題の棚上げは、為政者としての怠慢である――
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