【208.雪玉】
雪の舞が終わった薄明り。
子供たちの歓びが、トゥーラの都市城壁に跳ね返されていた。
「マルマぁ。それ誰?」
エフェミアを連れ出して、石橋を渡って右へ行く。
女中頭の家の前に足を進めると、背後から男児の声がやってきた。
「ああ、この子はね……」
「私は、ムーロム公の娘。エフェミアよ!」
「……」
マルマを遮って、腰に両手を置いた少女が口を開いた。
「ムーロム公? 偉いのか?」
「そうよ!」
「マルマより?」
「そうよ!」
「アビリ姉ちゃんより?」
「そうよ!」
(アビリって、誰?)
思いながら、移住者が胸を張る。
「ふーん。凄いんだな。これあげる」
「え? あ、ありがとう……」
雪玉を男児が差し出すと、少女は両手で受け取った。
「なんだろう?」
「雪玉。うんこ入り」
「ぎゃああああ!」
立ち昇る叫び声。雪玉が落下する。
『うぎゃあああ!』
地面で中身がぽろっと現れて、今度はマルマの悲鳴も加わった――
「あのガキ! 今度会ったら絶対コロス!」
翻った背中は一目散。路地裏に消えていった。
握りこぶしを右手に拵えて、エフェミアは復讐を誓った。
憤怒を含んだ歩みが練兵場の前を通過して、やがて北の城壁を捉えた。
「あ、マルマだ!」
彼女は人気者。
理由として、彼らの幼少期にお菓子を配った事が挙げられる。
「そいつ、誰?」
「……」
5人ほどが寄ってきて、一人の男児がエフェミアを指さした。
移住者の方が明らかに歳は上。鎮火した憤怒がふたたび昇ったが、彼女は自我を制御した。
「エフェミアさん。リャザンから来たの。立派な人なのよ」
「え? そうなの?」
「りっぱー? どのくらい?」
「えっとねえ。私よりは上……かな?」
子供からの疑問には、腰を曲げ、右手を顎に伸ばして答えた。
「え!? ほんとかよ!? マルマって、ライエルさんとけっこんしたんだろ?」
「え? そ、そうだけど?」
「だったら、凄いな!」
将軍の妻という肩書は、彼らにとっても重いらしい。
しかしながら、マルマにそのような心持ちは全く無い。
「まるまー、けっこんしたの?」
「う、うん……」
「赤ちゃんは?」
「え?」
突然に、女児の上目遣いに襲われて、マルマの顔が引き攣った。
「けっこんすると、赤ちゃんできるんでしょ?」
「え、ええとね……ま、待ってもらってるの! さ、寒いのは、嫌いなんだって!」
「そうなの?」
「う、うん……」
咄嗟の発言は、尊敬する王妃の普段を含んだ。
純粋無垢な双眸に、マルマの心は痛みに襲われた。
「はやく、出てきてね」
「……」
ふっくらとしたマルマの腹部に手が伸びて、お姉さんの優しい声が届いた—―
「トゥーラって、子供が多いですね……」
「そう?」
戦没者の墓標に黙祷をささげると、振り返ったエフェミアが呟いた。
樫の木の枝に麻縄を結んで登ったり、周りをぐるぐる走り回ったり。高い声が低い位置から飛び交っている。
「リャザンは、広いからね……」
都市城壁はトゥーラの10倍で、城壁内に住む人数は約3倍。
マルマは人口密度の違いを含んだ―—
薪割の高い音が響く中。二人の足は再び南を向いていた。
やがて練兵場が右に覗くと、雪合戦に勤しむ子供たちが現れた。
「うんこ……」
強烈な歓迎が蘇る。
例え誘いがあろうとも、今後エフェミアが加わることは無い筈だ—―
「ご苦労さまです!」
南の都市城門を抜け出して、白銀の上の足跡を辿ると、やがて西の林に辿り着く。
マルマが複数の人影を認めると、背中の方から近付いた。
「おう」
ウォレンが最初に振り向いて、傍らに立ったアビリが続いた。
二人の向こうでは、トゥーラを守る美将軍が、松の根本に斧を振るっている。
「その子が、リャザンの?」
「うん。エフェミアって言うの。宜しくね」
「宜しくお願いします」
アビリが尋ねると、少女の瞳が向けられた。
「どう? トゥーラは」
「いろんなものが、近いです」
「近いか……そうかもね……」
水路を繋ぐウパ川を北にして、周辺は松林。広い畑は城門の正面で、都市城壁内に住居が収まっている。
対してリャザンはオカ川を望む高台で、物資の搬入にも多数の人手を使うのだ。
「倒れますよ!」
右手を口元に。ライエルが叫んだ。
やがてバキバキっと周りの枝葉を巻き込むと、白い雪の粉が舞う中で、一本の松の木が大地に倒れた—―
「さて、行きますか!」
「あ、手伝うよ!」
ウォレンが斧を手にすると、アビリが鉈を掴んで続いた。
咄嗟に声が出て、マルマが二本の鉈を手にすると、一本をエフェミアに手渡した。
「何をするんですか?」
踝までが雪に埋まる中。丸い背中を追いかけた。
「何って……枝を掃って、最後は薪にするんだよ」
「え? 私たちが?」
「そう。私たちが」
「……」
ずっしりと重い鉈。樫の木の持ち手と黒い刃とが、細い麻紐で幾重にも括られている。
リャザンでは、力仕事は男の仕事。
しかしながら小さな城市では、区分なく従事する。
生活様式と、手にした殺人の道具にエフェミアは戸惑った。
挑むのは、数か月前に切り倒し、葉枯らし乾燥を挟んだ木。(*)
わらわらと人が集まって、男は枝葉を取り除き、女はそれを束ねて網かごへ。
休憩中のライエルが見守る前で、マルマたちは必死になって鉈を振るった。
「休憩しようか……」
「はい……」
5分未満。枝元から狩るのは難儀して、少女の手指が悲鳴を上げた。
マルマの声に、膝を屈したエフェミアが、閉じなくなった右手を見つめた。
「嬢ちゃん、頑張れるか?」
「……」
頭上から、優しい声が降ってきた。
顔を上げると、浅黒い肌をした青年が微笑んでいる。
どうやらアビリとは恋仲のようで、枝を掃う作業では、男が太い枝を刈ったあと、女がそれを拾って細い枝を薙ぎ分けて、テンポよく網かごに放り込んでいた。
「でも、さすがに無理だろ? 向こうで小枝を拾った方が良いんじゃねえか? ライラの二の舞になるぜ?」
「そうだね……」
「……」
続いたウォレンの提案を、マルマがため息交じりに受け入れた。
腕力の劣る身体では、不可能な作業が含まれる—―
理解はしているが、男女間での分業が基本のリャザンでは、遭遇しなかった事態。
異国の洗礼が降ってきて、少女の心は沈下せざるを得なかった。
「ライラって……リア様に仕えている人ですか?」
雪に埋もれた。或いは掃ったばかりの小枝を、膝を屈して網かごに放り込んでいたエフェミアが、記憶に残った名前を尋ねた。
「そうだね。私の後輩」
「へえ……」
「ああ、さっきの話? うん。あの子はね……力仕事は免除なの……」
「……」
なんだか事情があるようで、マルマは空虚な瞳で呟いた―—
それは、二か月前に遡る。
「なんだか、楽しそうですね……」
小枝拾いに出掛けた先で、腰を伸ばしたライラが木々の間を眺めた。
黙々とした単純作業より、倒木に集まって斧や鉈を振る行為には、憧れもあったのだ。
「行ってみる?」
アビリが誘った。
視線の先にはマルマとライエルの新婚夫妻。恋仲のウォレンの姿があった。
「お疲れ様です」
「おう。休憩か?」
アビリが声を掛けると、3人が振り向いて、ウォレンが声を発した。
「うん。あとね、ライラがやってみたいって」
「え? やってみたいなんて、言ってませんよ?」
「マルマがやってるんだから、やりたいんでしょ?」
「え……」
万能に見える先輩を、追ってみたい。
意欲を見透かして、アビリが促した。
「どうぞ」
「え? あ、ありがとうございます……」
美将軍が鉈を差し出すと、真っ直ぐな眼差しに、ライラの頬が赤に染まった。
「お、重いですね……」
「……」
倒れた松の木に、親指大の枝が一本だけ残っている。
根元から狩ってと伝えられ、ライラは両手で鉈を握った。
倒木を跨いだアビリとウォレンが彼女の正面で指示をして、左側でライエルが、右側でマルマが見守った。
「えい!」
胸まで上がった鉈が落とされると、松の幹に弾かれた。
思わず手放すと、刃先がアビリとウォレンの足元に突き刺さった。
「うおっ! あぶねっ!」
「こら! 手は離さない!」
「は、はいっ! ご、ごめんなさい!」
「まったくもう……ねえ、こうして、斜めに振ったら?」
狙いを外した軌道を認めると、凶器を拾ったアビリが追加で助言した。
「は、はい……そうですね……いきます!」
肩口へと振りかぶる。
スポッと抜け飛んで、くるくるっと回転しながらマルマの鼻先を掠めた。
「あれ?」
「怖! 殺す気か!」
「ご、ごめんなさい! な、なんでだろ……おかしいな……」
「最初から、振りかぶっとけよ……」
「は、はい……」
ウォレンが助言して、ライラが構えを取った。
「えいやっ!」
スカッと空振った。
鉈は空気を切り裂いて、柳のように上半身を揺らしたライエルの首先を掠めた。
「あああっ! ら、ライエルさん! だ、大丈夫ですか!?」
「ええ。大丈夫ですよ」
美将軍が涼しい顔で微笑んだ。
背後の幹には、刃先が突き刺さっている―—
「ライラ……恐ろしい子……恋敵のマルマを殺ったあと、振った相手すら殺そうとするなんて……」
「ご、誤解ですっ! ……って、アビリさん、なんで知ってるんですかっ!?」
「何言ってんのよ。トゥーラなんて狭いんだから、みんな知ってるわよ」
「え……えええっ―――!」
皆が苦笑を浮かべる中で、頭を抱えた金髪女が叫んだ。
葉枯らし乾燥
倒木後、枝葉を付けたまま放置して、幹の水分を枝葉に吸引させる乾燥法。
2か月ほど寝かせることで、均一な材質となり、防カビ・防虫効果も上昇する。
お読みいただきありがとうございました。
感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o




