【194.失恋】
ルーシの支配を目論むスーズダリ大公は、キエフと繋がりの強いスモレンスク公国を頼って、リューリクをノヴゴロドの領主に据えた。
「……」
序列としては正しくも、腑に落ちない。
トゥーラの2階の中広間。
国政を担う3名が、今後の見通しを語っていた―—
「キエフの勢力を引き入れた…アンドレイにとっては、満足のいく結果ではありませんね」
「でしょうね」
尚書の見解に、王妃は短く答えた。
「この後は、どうなると思う?」
「わかんない。何にしろ、アンドレイにとって、蟻の一穴にならなきゃ良いけどね」
続いてロイズが尋ねると、会合の最後は小さな身体が締めくくった―—
夏はあっという間に過ぎてくゆく。日照時間が短くなって、屋外活動と反比例するように、マルマとライエルの接点は増していた。
「好きなところ、あるの?」
ある日。王妃に問われて、マルマは答えが出なかった。
憧憬だったり感嘆の類は灯しても、好意を抱いた覚えはない。
崇高な演者の付き人の気分。自ら近付くわけではなかったのだ。
「じゃあ、好きなところをみつけてみれば?」
「……」
無理やり見つけるようなものなのか?
疑問は浮かんだが、言われた通りに俯瞰の視点を重ねると、同い年の青年であり、少年っぽいところが垣間見えてきた。
畑仕事の休憩時間。
足元に蟻が近寄って、彼は貴重なハチミツの付着したパンを少量ちぎって与えると、その後を黙って観察したり、腕に止まったテントウムシを払うのではなく、指先を上にして、パカッと羽を広げて飛び立っていく様子を眺めたり…
「あの虫は、トコトコ上に向かって進むんですよ。面白いですよね」
都市城壁に背中を預けて一緒に休んでいると、教えてくれた。
遊び人風情のウォレンさんと美将軍。一緒にいる機会が多いのは不思議だったけど、彼の中身を知ると合点がいった。好奇心旺盛な少年なのだ。
「ミミズって、食べられると思います?」
「……」
流石に、この発言は引いたけど。
その後、彼の母から、カマキリの卵を3つ持ち帰った事件を耳にした。
目覚めたら、目の前にタンポポの綿毛一本ほどのカマキリが大量に闊歩。悲鳴を上げて飛び起きたらしい。
藁のベッドを崩して日干し。玄関扉は三日にわたって開放する羽目になったとか…
「ものすごく怒ったんだけど、あの時だけは、『ごめんなさい』 って言わずに、なんだか寂しそうにしていたの」
「……」
リャザンにて。少年の頃のエピソード。
この時は苦笑いを浮かべて流したが、マルマはのちに、本人から理由を聞くことになる—―
「ふう…」
溜め息を一つ吐いたのは、城の二階から、西側を視界に入れた長身の女中である。
心を見透かされまいと踏ん張って。先輩の前では偽って。視線が彼に向かうのを我慢して…
女々しいなあ…
自覚はある。
敗れたのだ。
選ばれなかったのだ。
想っているだけでは、届かない――
何故だろう…灯ることも無く、彼女は幾多の同類が辿ってきた結論を、沈んだ心から掬い上げるしかなかった。
いつか…きっと…
動かないままの幻想は、時間が残酷に断ち切るのだ—―
「あ…」
眼下では、内側に扉が開いて、年下の先輩が抜け出してきた。
やがて先輩が螺旋階段へとやってくる。
現実に戻ったライラは足を戻そうとした。
「あ」
視線の先には、猫背の尚書の姿があった。
思わずたじろいで、華奢な白い手足が止まった。
「あ、すみません…」
「……」
目が合って、尚書の方が恐縮をした。
この場所は、彼にとっても穏やかな空間である。
「ここ…静かで良いですよね」
「あ、はい…」
「ここを見つけたのは、多分、あなたが三人目です」
「さん?」
尚書はゆっくりと、足先をライラの方へと進めた。
「はい。私を入れて」
「もう一人は?」
「マルマですよ」
「……」
「聞いた話ですけどね」
「……」
年下の先輩が、西側を眺める理由…
恐らくは、戦火を逃れて流れ着いた頃の話である。
「……マルマリータさんは、凄いですよね」
「そうだね」
二人の視線は西に向かった。
続いて伏し目になったライラが口を開くと、ラッセルが偽りなく認めた。
「……好きだったのですか?」
程度の差はあろうとも、同じ立場に足を置いている。
自身の心を同情で鎮めようとして、ライラは思い切って尋ねた。
「……そうだね。喪失感は、なんか凄いからね。でも、僕ではどうにもならないからな…」
「……」
自虐ではあるのだが、周囲の評価も同様で、ライラは申し訳なく思った。
「残念だけど、応援してる」
「……」
続いた高尚な発言に、ライラの視線は無意識に上がった。
彼の心境には、達していない――
そもそも嫉妬と後悔で、浮かぶ要素は微塵も無かった。
「あいつは、凄いんだよ。槍の技術なんて、追いつける気がしないからね。さすが、大将の器だよ」
「……それでも、あなたは、私を守ってくれました」
ラッセルが西を眺めながら憧憬を含んで伝えると、一呼吸を置いてから、ライラが感謝を口にした。
「……いや、俺は…何もできなかった…」
視線を交えると、ラッセルは細い瞳を下にした。
「それに、原因を作ったのは、俺だから…」
「……」
小さくかぶりを振って、男は恥じた思いを暴露した。
監視を怠って、被害の拡大を許したのだ――
「そんなの、知りません」
「……」
「ラッセルさんは、足を止めて、メイちゃんを抱えましたよね? 声を掛けてくれました。忘れません!」
起こした行動は、確かである。
自らを卑下する言動に己を重ねたのだろうか。ライラは力強く言い切った。
「あ。ありがとう…」
思いもよらない発言に、頬を染めたラッセルはぽつりと呟いた。
「……」
一旦の空白が、二人の間に流れた。
「あ、あの…」
「はい」
「今度、遠乗りにでも…いかがですか?」
「……」
歩み寄ってくれた思いに乗じる形で、男は自然と口にした。
「あ、いや…」
しかし我に返って、ラッセルは再び猫背になった。
「気晴らしにでも、なるかな…なんて。もちろん、断ってくれて構いません」
「……はい。お願いします」
視線を落としたライラが応じると、細い瞳はそのままで、ラッセルの頬は緊張を宿した。
「あ」
螺旋階段に強い足音が迫って、二人の背が伸びる。
咄嗟に中広間に隠れると、意を決してライラだけが廊下に戻った。
「何してるの?」
「あ、こっちも、掃除しようと思って…」
マルマが疑問を発すると、後輩は焦りを含んで誤魔化した。
二人の足音が上に向かうと、立ち上がったラッセルは螺旋階段に戻って階下に向かった。
こんなふうに、誘えばよかったんだ…
自然と口角の上がった尚書は、足取りを軽くして、やがて国王執務室の扉を押し開けた――
お読みいただきありがとうございました。
感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o




