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小さな国だった物語~  作者: よち


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192/218

【192.認知】

1170年.ルーシ<略地図> 描写地.勢力図

挿絵(By みてみん)

女中と美将軍。二人の逢瀬は短いものだった。


「明日も早いから」


青年の、生真面目な発言が要因である。


石畳の廊下を並んで歩むと、マルマが一本の鍵を取り出して、やがて金属質の音を鳴らした。


「また明日」

「はい」


ライエルが口を開くと、上目遣いでマルマが応えた。


狭い隙間から男が城門を抜け出すと、石橋の中間に中年の衛兵が立っていて、気恥ずかしくなったライエルが視線を落とした。


武芸に秀でる将軍も、恋の相手は苦手らしい。


首を竦めた後ろ姿。部下の頬は綻んだ—―



「お早いお帰りね」

「み、見てたんですか!?」


鍵を閉めたマルマが足を戻すと、螺旋階段の手前で上から声が降ってきた。


驚いて視線を向けると、階段に座った高貴な女性が見下ろしている。


「未遂に終わったの? それとも、あっという間に終わっちゃったとか?」

「…どういう…意味ですか?」

「あら、ほんとに違うのね。健全だこと」

「……」


怪訝となって尋ねるも、小馬鹿にされた物言いが戻って、マルマの口は(つぐ)んだ。


「でも、上手く行ったでしょ?」

「……」


膝を伸ばして立ち上がる。高貴な女性は微笑んだ。


恥ずかしい方へ…


確かに進展したのだ。見透かされ、マルマは経験豊富な女性から無意識に視線を外した―—




ハンガリーからルーシに嫁いだ高貴な女性は、三日の滞在でトゥーラを去った。


「嵐のように去っていきましたね…」


都市城門で小さくなってゆく馬車を見送ると、マルマが口を開いた。


昨夜は2階の客間で小さな宴を催した。

初めましてと国王ロイズも参加して、端正な顔立ちの登場に高貴な女性は喜んだ。


キエフ大公妃に就いたかのよう。頬を染め、付きっきりでロイズに酌をさせ、話が弾んで最後は酔い潰れ、国王の両腕に抱えられて寝室に戻った。


ベッドに身体を預ける際、一緒に旦那を引きずり込もうとして、慌ててリアが引き剝がした—―


「でも、なんでか嫌いではないのよね」

「分かります…」


リアが心を吐き出すと、マルマも同意した。


別れ際。高貴な女性は耳元で、王妃をもう一度キエフに誘った。


「旅行でも良いの。私を訪ねてね」

「……」


キエフに住居は無い。

根拠は不明だが、とにかく凄い自信である。


拘束された恐怖が脳裏を過ったが、王妃は上目遣いの笑顔を繕った―—




その頃。高貴な女性の伴侶(ジミルヴィチ)はキエフを訪れていた。


大公の椅子を何度も狙った謀反人。

突然の来訪に警戒心は高まるも、キエフ大公(グレープ)の従弟とあっては、丁重に持て成すしかなかった。


「久しぶりだな」


キエフの城には向かわずに、ジミルヴィチはミハルコの宿泊先に現れた。


トルチェスク(キエフの南)を治める従弟の動きを、彼はドロコプージ(西)から注視していたのだ。


「これはまた。何かの企みですか?」


来訪者にとっては因縁の相手。

それでも自ら懐に飛び込む豪胆さ。或いは鈍感力は認めざるを得ない。


訪問の真意を測りかねて、客間の椅子から立ち上がったミハルコの挨拶は皮肉を含んだ。


「そう言うなよ。今はこうして、グレープ(兄貴)が治めるキエフに敬意を払っているんだぜ」

「……」


本心だろうか。

膨らんだ目袋の上。緑を含んだ奥目の瞳が深藍の瞳を覗いた。


「まあ、今は信じると致しましょう。それで、何の御用ですか?」


ため息交じり。ミハルコは改めて訪問の理由を尋ねた。


「なんで、ノヴゴロドを守らなかった? 結局お前は、アンドレイの片棒を担ぐって事か?」

「……」


予想外。ルーシの大局を見据えた発言に、ミハルコの瞳孔が僅かに開いた。


「私が守るのは、キエフの南側。ムスチスラフだけではない。その他の勢力に、備える必要があったのです」


短期で決着したゆえに出番は無かったが、縮れた金髪の男は備えていたのだ。


当然ながら、目の前の来訪者も対象である。


「なるほどな…ノヴゴロドは遠すぎるか。あと、買い被り過ぎだな」


部屋の窓まで足を進めると、茶褐色の混じる金髪が、差し込む陽光に照らされた。

男はキエフの青空を眺めると、ため息交じりに口を開いた。


ドロコプージは奪ったが、軍勢は取り込めずに追い出した。キエフを狙う戦力は、保有していないのだ。


「だが、結果として、キエフよりもスーズダリを選んだって訳だ」


気品のある顔立ちが、ミハルコに向かった。


「…下手な芝居ですね。そんな煽りには乗りませんよ? 私は、キエフの安定を望んでいるだけですから」


椅子に腰を戻すと、太い眉毛の下で奥目の瞳は穏やかになった。


「安定してりゃ、頭は誰でも良いって事か?」

「……まあ、そうですね」

「あの女みたいなことを言いやがる。拍子抜けだな」

「あの女?」


客人が再び窓から空を眺めると、ミハルコが訊き返した。


「トゥーラにな、面白い奴が居るんだよ」

「…女性なのですか?」

「ああ。逃げられちまったけどな。だが、諦めた訳じゃねえ」

「随分と、ご執心なんですね」

「まあな。リャザンで俺を見て、アンドレイのキエフ侵攻を予測しやがったからな」

「…女性が?」


緑の瞳が見開いた。

キエフに居た自身でも、半信半疑だったのだ。


にも拘らず、ルーシの東端リャザンから、兄の動きを察知したと言われては、立つ瀬がない。


「引き留めたんだろうが、戻ったみたいだな」

「トゥーラに?」

「ああ。リャザン公(グレプ)の腹積もりはわからんが、女に野心は無いらしい」


(ひるがえ)り、背中に陽光を浴びる姿勢となって、ジミルヴィチは口惜しそうに口を開いた。


「そういえば、スモレンスクが落とせなかった砦があったとか…」

「それだな。あいつが噛んでりゃ、易々とは落ちないだろうぜ」

「……」


邪魔な存在であっても、キエフを狙う執着心。行動力は認めるところである。

そんな従兄が執着する女性とは…


リアの存在が、キエフの守護者に刻まれた—―


「しかし…野心のない軍師を容れようとは、あなたらしくありませんね」

「そんなことないだろ」


戦禍を生む張本人。

皮肉交じりにミハルコが評すると、失敬だと口が尖った。


「ですが、あなたのやっていることは、ルーシを引っ搔き回しているだけに思えるのですが?」

「うるせえよ。最後に、上手く行けば良いんだよ」


折れる様子は微塵も無い。しかしながら、混乱を望んでいる訳では無いようだ。

ミハルコはため息を吐き出すと、単刀直入に尋ねた。


「いったいあなたは、何が望みなんですか?」

「決まってるだろ。キエフの椅子に座ることだよ」

「……」

「あの女は、その後の安定のために必要なんだよ」

「……」


『教訓』 を記した、名君ウラジーミルⅡ世モノマフの孫。加えて二人のキエフ大公を支えた弟。

深藍の瞳を鋭くすると、男は重たい声で言い放った—―



ジミルヴィチがキエフを訪れて三日を数えると、トゥーラを出立した伴侶がグルーホフを経由して、子供とともに現れた。


「お前は、やっぱり最高の女だな」


御者を長男に、幼い子供は馬車に乗せ、彼女は護衛を兼ねてチェルニゴフまでの草原を馬で駆ったのだ。


そこから船に乗り、デスナ川からドニエプル川へと注ぐ先。キエフの桟橋で再会を果たすと、ジミルヴィチは色艶の消えた髪を引き寄せた。


「キエフは、変わりありませんか?」

「そうだな」

「そうですか…」


キエフの安定は、野望との乖離を示すのだ。

予測通りの返答に、ハンガリーから嫁いだ女性は瞳を落とした。



キエフ市内の一軒宿。やんちゃな子供たちを二階へと連れて行った伴侶が戻ってくると、ソファに腰を下ろしたジミルヴィチの深藍の瞳が向けられた。


「あの女は、なんと言っていた?」

「ひと言。『動く時期じゃ無い』 って言われたわ」

「まあ、そうだろうな…」

「仕方ないわ。子供が幼いし、一人目なんだから。今は良い方に考えましょうよ」

「……」


背中に濃茶の髪を下ろした女性は、馬乳酒を二つのマグに注ぎながら夫を諭した。


圧すだけでは動かない—―


時節の変化を期待して、一家はドロゴプージに戻ることを決意した—―


お読みいただきありがとうございました。

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