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小さな国だった物語~  作者: よち


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191/249

【191.羞恥】

春の暖かな陽光の下。二つの人馬がトゥーラの都市城門を抜け出した。


「久しぶり!」


先を走るのは、ハンガリーの高貴な女性。

赤髪の王妃は馬の扱いをカルーガの義父から教わるも、年季の違いを感じざるを得なかった。


「全力で追ったのに…全然違うんですね…」


ロイズとの競争は、腕力は違えども、体重差で補える。


並足となった人馬に追いつくと、小さな身体は息を切らしながら感嘆の声を漏らした。


遊牧民(ポロヴェツ)と何年も遊んでたのよ? 負けるわけ無いでしょ」

「……」


婦人は上から目線で言い切った。

人馬一体。一完歩。一追い毎に遠くなる馬体を眺めては、負けず嫌いも言葉を失った。


「あなたは、ここに留まるの?」


春の日差しが注ぐ中。濃茶の髪が春風に靡くと、女性は耳元の髪を指先で掬って続けた。


トゥーラ(ここ)を守るだけで、良いの?」

「……」

「前にも言ったわね。愚かな争いを止めたいんでしょ? だったら、キエフに来なさいよ」

「私は、女ですから…」

「それがどうしたの? オリガ大公妃は、やったわよ? 備えたナイフは何のため? 抜くべき時に抜かないと、後悔するわよ?」

「……」


畳み掛けられて、リアの思考は止まった。

愛娘(アレッタ)が居る。優しい時間が注ぐのは、当然の権利である。


後ろ盾に乏しい中で、危険を冒すわけにはいかない。


何より情報が確かなら、キエフは安定に向かうのだ。

反逆者の片棒を担ぐなど、自身の信念とは異なっている――


「私たちは、抗うわよ」

「……」


明瞭な意思がやってくる。

同時に、相容れないと思うのだ――


カティニの襲撃に始まって、多くの戦へ向かう隊列を見送った。


神々を(かた)る戦いに、小さな身体は大いなる疑問を抱いたのだ。


<愚かを止めろ!>

<トゥーラの治世を広めてくれ!>


浴びた願望が、脳裏を(よぎ)った。


一人は眼前の女性の伴侶。もう一人は、同盟国の幼馴染。


「……」


為すための方策が、皆無という訳ではない。


しかしながら、前例に倣うという選択肢は、どうしても採用できなかった――



トゥーラに戻ると、高貴な女性は馬房に馬を戻すなり、馬の毛を使ったブラシで馬体を磨き始めた。


「なんか、すみません…」

「何が? リャザンでは退屈してたから。楽しいわよ?」


栗毛が陽光に輝いて、人馬ともに嬉しそう。慣れた手つきにリアが恐縮を浮かべると、明るい表情がやってきた。


恐らくは、箱入り娘だったのだ。

齢40を超えている彼女の半生を垣間見て、赤髪の王妃は自身の10年間はもしかして、起伏の乏しいものではないかと思った――



「お帰りなさいませ」


居住区を見たいとせがまれて、二人で螺旋階段を三階まで上って扉を押し開けると、暖炉の前でペタンと膝を崩したマルマが、アレッタを抱えたままで茶褐色の髪を垂れ下げた。


「あ、お久しぶりです!」


客人を目に入れて、咄嗟に立ち上がる。

急な動きに驚いて、アレッタの顔が歪んだ。


「はいはい。こっちおいで。マルマ、恋愛相談に乗ってもらいなさい。私よりも、ずっと経験豊富だと思うから」

「え?」

「経験豊富って何よ…」


アレッタを抱えて寝室へと移動するリアの言い草に、高貴な女性は心外だと口を尖らせた。


「で、恋の悩みって?」


ハンガリーからの客人が、マルマに迫って声を高くした。瞳は大きくなっている。


「え、いや……」

「気にしなくて良いわよ。私なんて、スグに居なくなるんだから」

「……」


完全に愉しんでいる。それでも、発言に過誤はない。

思うところをぶつける価値は有りそうで、マルマは従うことにした。


「……なるほどね。奥手の二人って訳ね」

「奥手…」

「そんなの、簡単に解決するわよ?」

「え?」

「泊まっちゃえばいいの。スグそこなんでしょ?」

「はあ…って、ええ!?」


ひょいと右手の親指を西側に向けると、経験豊富な女性は軽い感じで助言した。


「そんなこと…出来ません! 言えません!」

「プロポーズも受けたんでしょ? 公認の仲なんでしょ?」

「まあ…多分…はい…」


多忙の中で、進展がない。

焦りというよりは、安堵が先に立っていて、それでも心は揺らぐのだ。


きっと相手も、同じような想いを抱えているのでは…


思考はしても、確認する事は出来なかった。


「恋愛なんてね、恥ずかしいと思った方に向かうと、案外と上手くいくの」

「……」


濃茶の瞳が強くなる。高貴な女性の口角が僅かに上がった。


「受け止めない相手だったら、別れるといいわ」

「……なんか、大人ですね」


あっけらかんとした微笑みに、マルマの心は随分と軽くなった――



夜になって、ベッドの上の王妃に挨拶をしたマルマは、いつものように地階の自室に戻った。


「居る?」


夜の石造りの城内は、音を拾うのが容易である。

軽い足音が近付くと、扉の方から声がした。


「はい。なんでしょう?」


王妃様の足音は、もっと軽い。

声の主はハンガリーの高貴な女性であった。


「ちょっと、いらっしゃい」

「はあ…」


藁のベッドにごろんと寝転がっていた身体を起こすと、マルマは扉を引き開けた。


「ついてきて」

「……」


身分は遥か上。有無を言わさぬ圧力に、マルマは従う以外なかった。


「開けてくれる?」


マルマは鍵番である。

外の門番に確認の声を送ると、聞き慣れた声で問題ありませんと返された。


「どうぞ」


夜風に当たりに行くのだろうか。

不審を灯しながらマルマが声を発すると、一人が外から滑り込んだ。


「こんばんは…」

「え? なんで?」


目の前に現れたのは、服を着ていても認識できる鋼のような体躯―—


恐縮を表して、ライエルの頭が小さく下がった。


「私が呼んだのよ。あ、上にいる生意気な女王には、話してあるから大丈夫よ」

「え…」


助言だけでは終わらない。二人の時間を用意してくれたのだ。


ライエルを見上げると、頬が少し染まって、前向きな感情が窺えた。


「私は、部屋に戻るから、あとは宜しくやってなさい」

「え?」


踵を返すと、気品の漂う女性は背筋を伸ばしたままで一歩を進んだ。


「……」

「……」


残された二人は、遠ざかる背中がやがて螺旋階段へと消えるのを見送った—―


「入る?」

「…はい」


行き場を失って、マルマは自室にライエルを招いた。


夜這いと呼ぶには何とも間抜けな形だが、夜中に女性の部屋を訪ねる行為には違いない。


まさか自分が下劣な手段を犯すとは…


それでも誘いの言葉には、抗うことはできなかった。


「ちょっと待ってねっ」


部屋には藁のベッドが一つだけ。麻のシーツが無造作に捲れ上がっている状況に、マルマは慌てて寝床を整えた。


「とりあえず、座って」

「……」


ベッドに腰かけたマルマがライエルを見上げて促すと、美将軍と呼ばれる男は緊張に包まれた。


ベッドに並んで腰掛ける…


その先の展開を、彼女は描いているのだろうか…


「あ…」


深慮に気が付いて、茶色い瞳が下を向く。


男はゆっくりと足を進めると、マルマの左側。ベッドを背もたれにして腰を下ろした。


「……」

「そこなんだ…」

「いや…なんていうか…」


揃った膝頭に手を当てて、整った顔立ちが赤くなる。

こんな場面でも、背中は真っ直ぐに伸びている――


「ライエルさん」


同い年の青年に顔を向け、マルマは親近感を抱いて前屈みの姿勢になった。


住人を守るため。槍の鍛錬は毎朝の日課である。

雨の日も、雪の日も…


「こんな天気でも、やるんですか?」

「戦いの日が、晴れとは限りませんから」


吹雪の中で、上半身裸の男は笑顔であった—―



マルマが膝を伸ばすと、ライエルの隣に腰を下ろした。


「守って…くださいね…」


時代ゆえ、身の安全を望むのは、当然のこと。


未来を馳せると、細い肩の方が寄り添った。


やがて瞳が向き合って、二人は静かに唇を合わせた—―

お読みいただきありがとうございました。

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